翌土曜日の朝、渚と大地は月ヶ瀬市中心部にある古い中央図書館にやってきた。赤煉瓦造りの建物は壁にびっしりと蔦が這い、どこか時代から取り残された雰囲気だ。
地元では「何か出る」とさえ噂される場所だった。渚も子どもの頃、兄と「肝試し」と称して入り口まで来たことがある。
古びた鉄製の門が、錆びた音を立てて開く。今日の目的は遊びではない。古書の謎を解くためだ。
受付で司書に挨拶する。彼女は二年前に異動するまで、渚の行きつけの図書館にいたためよく知っているのだ。
司書の許可を得て二人は資料室に足を踏み入れた。埃っぽい空気が鼻をつき、木製の床が足音に軋む。高い天井から吊るされたライトが薄い光を投げかけ、二人の影を長く伸ばす。書架には古い本やファイルが無造作に詰め込まれていた。
渚は本を手に棚の間を歩いた。頭に幾本もの光の矢が交錯し、この部屋に嘘が隠されていることを告げていた。
物語の断片、破られたページの裏に何かがある。
「大地くんはこの本がどこから来たと思う? 図書館の蔵書じゃないよね」
大地は眼鏡を指で軽く押し上げ、首を傾げる。
「うん、蔵書番号のシールもないし。──渚ちゃん、この部屋平気? 僕はちょっと落ち着かないな。空気が重いっていうか」
「あ、私も」
渚は大地の言葉に同意した。
文字通り同じ感覚を抱いていたからだ。資料室の奥には鍵の掛かったガラスケースがある。古いためか少し曇ったガラス越しに、原稿や新聞の切り抜きを貼り付けたスクラップブックが見えた。
掃除は行き届いているものの、まるで忘れ去られた記憶のようだ。
渚はケースを指さした。
「あそこにあるのって月ヶ瀬の古い資料らしいよ。地元の歴史とか。この本と関係あるかも」
二人は司書に頼み、ケースを開けてもらった。
「この資料、昔の寄贈品よ。誰も見に来ないけど、飾っとかないとって話でね」
渚が市の図書館の常連なこともあり、司書はそう言いながら気軽に鍵を外してくれた。小さな街ならではの緩さがこういうときにはありがたい。
ケースの中には、地元出身の女性作家であるという「
MIDUKI.SENO.
イニシャル「M.S.」だ。
ケースの中には彼女のものらしい手書きの原稿用紙やノートと並んで、数十年前の火事に関する新聞記事のスクラップブックが収められている。
記事には
記事の写真には焼け焦げた資料室の残骸と、作家のモノクロ肖像が掲載されていた。不鮮明な画像の中の彼女の目はどこか悲しげで渚の心に刺さる。
スクラップブックを手にしたとき、渚の頭に閃光が走った。
この記事には嘘がある。
「原因不明」「事故の可能性」と書かれているがそれ以上の言及が何もなく、どこか作為的な意図を感じるのだ。まるで真相をぼかすために作られた文章のように。
渚は何度も細く頭を走る光に、記事の裏に隠された偽りを捉えていた。大地も記事を読み、眉を顰めている。指先がしきりに紙の端をなぞっていた。
「この火事の話、変じゃないか? この記事はわざと肝心な部分を書いてない気がする。作家さんについても写真と名前くらいで、ほとんど内容がない」
渚は頷いた。
「うん。それにこのケースにわざわざ置いてるのも変じゃない? 地元出身の作家さんならもっと宣伝されててもいいと思うのに『瀬野 聖月』なんて人、今まで知らなかったし。このケースだって、ほとんど誰も来ないような資料室じゃなくて閲覧室に置けばいいのに。こんなところじゃ展示するにも意味ない気がする」
大地はケースを見下ろして首を傾げた。
「確かに。地元の歴史って言うけど、こんな目立たない場所に置いてるなんて変だな。その割に、ここではケースに陳列されてるのもおかしい」
渚の心がざわついた。大地の言葉は彼女の違和感を言語化したものだった。
この展示は、まるで「何も隠していない」と装うためのもののようだ。
司書に許可を得ないと入れない部屋。秘密を守るために敢えて曖昧な情報を公開し、疑いを逸らしているのではないかとすら感じる。渚の頭で光が明滅し、ケース全体に漂う偽りの空気を捉えていた。
二人は古書を手に、中央に置かれたテーブルの椅子に座って読み直す。
手書きの物語は月ヶ瀬市を舞台にしたミステリだった。主人公が街の秘密を追うが、核心に迫る前にページが破り取られたことで強制的に途切れる。
文章の端々に渚は違和感を覚えた。誰かがこの物語を故意に歪めたのだ。破られたページは隠したい真実の証かもしれない。
「大地くん、この小説って『誰か』には都合が悪かったんじゃないかな。結末が破られたのも、隠したいことがあったからじゃない?」
大地が黙って頷いた。眼鏡の奥の瞳が真剣な光を帯びる。
「うん、そうだね。僕もそう思う。それよりも、なんでこの本が今渚ちゃんの手に? それが何よりの『謎』じゃないかな。誰かの意思が働いてるなら、目的があるはずだ」
その時、資料室のドアが軋み足音が響いた。振り返ると海が立っている。背の高いシルエットが光の中に浮かんでいた。
「渚、大地。俺を仲間外れにすんなよ」