翌日の夕方。
学校帰りに駅前の書店に寄って帰って来た渚は、時間を確かめて安心する。「話がある」という大地とは、家に来てもらうことに決めたのだった。
しばらくすると、メッセージで約束した通りに大地がやって来た。今日も海はいない。サークルだと言う。
そして──。
「渚ちゃん、ちょっとだけ。……そうだな、手の甲に触ってもいい?」
リビングルームに通してコーヒーを出した渚に、彼が真剣な眼差しを向けて来る。
「? はい」
意味不明ながらも、渚は素直に右手を大地に向けて差し出した。
その手の甲に人差し指の先を当てて、大地が目を伏せる。
「──渚ちゃん、帰りに駅前の本屋さん寄った? 文庫本かな。青っぽい、可愛いイラストの買ったんだね」
「なんで知ってるの?」
「知らないよ。……わかったんだ」
謎掛けみたいな言葉。
いったい何だというのか。最近、みんながみんなおかしく見える。
「僕
少し笑って何でもないように話す大地に、渚は驚きすぎて声も出なかった。
同時に、資料館での彼の姿に合点が行く。大地はあの資料から過去の残滓を読み取っていたのだろうか。
「昨日のペンダントでつい『置かれた』って言っちゃったし、他にも妙なこといろいろあっただろ? だからもう隠せないと思って。──渚ちゃんは僕が気持ち悪い?」
静かに訊く大地に、渚は必死で首を左右に振った。
「ありがとう」
「あの、……お兄ちゃんは知ってる、の?」
迷った末に恐る恐る訊いた渚に、大地はあっさり答えた。
「いや。今まで誰にも言ったことない。家族にもはっきりとは。渚ちゃんが初めてだよ」
笑顔で穏やかな口調で、──けれど、ふと下向いた拍子に目に入った大地の指先が細かく震えていた。
平気な振りはしていても、大地も恐怖を纏っているのだろう。それは渚にもよくわかる。
「大地くん、私──」
思い切って自分の「能力」を打ち明けようとした渚を、大地は慌てて止めた。
「渚ちゃん。プレッシャー掛けられたみたいに感じたならごめん。僕が話したのは僕の勝手なんだ」
相変わらず、優しく諭す大地に、渚も正直に告げる。
「うん。だから私も大地くんに聞いて欲しいの。……私、嘘がわかるんだ。それだけ、なんだけど」
言ってしまった。でも、もういい。これで壊れるならそれまでだ。
「渚ちゃんは
特に驚いた素振りもなく大地がさらっと答えるのに、渚の方こそ心拍数が上がった気がした。いったいなぜわかるのだ?
「な、んで、その……」
「なんとなく、としか表現できないな。よく『勘がいい』って言われるのも、いろいろ視えて知っちゃって知らない時とは言動も変わるからで、勘じゃない」
渚や海たちのこの力も、説明などはできない。けれど、確かに存在するのだ。
理屈ではどうにもならないことも、この世にはきっとある。
「……そうだよ。私は『嘘』がわかるの。心が読めるわけじゃないから『嘘だ』ってだけ伝わるんだ」
初めて「他人」に告げたことで、確かに心がほんの少し軽くなった気がした。
「僕はね、何かに触れて『視る』のが怖いんだよ。できるなら何も知りたくない。……渚ちゃんも、嘘が見抜けてラッキーとは思わないんじゃない?」
心を言い当てられたようで、渚は大地の目を見た。視線がぶつかって、二人はそのまま見つめ合う。
「うん。誰も信じられなくなっちゃうもん」
「親も僕のことが気味悪かったみたいだ。小さい頃、自分が『他人と違う』なんて知らなくて何でも口にしちゃってたから」
ああ、そうか。
そこも「仲間である家族」がいた渚とは違うのだ。大地がこの家を訪ねてくることは多いが、海は彼の家に行ったことすらないという。
「家には呼びたくないみたいだから」
兄がそう言っていたのが思い出された。今も大地は、親にも理解されずに距離を置かれたままなのだろうか。
「僕たちは仲間だ。きっと、海も、だね」
海のことは渚からは言わない。それはルール違反だと思う。
しかし大地は確信しているかのようだ。
それはそうかも知れない。付き合いの長さや濃さからして、渚より先に海のことに気づくのが当然だろう。
「小説の中のキャラクターでもあるまいし、『能力者』なんてそこかしこにいるわけもない。──この世界にたった一人、自分だけかもしれない、って怖かった」
一言ずつ区切るように話す大地。
「私のこと、曖昧でも知ってたから大地くんは嘘吐かなかったの?」
決して嘘を吐かない、透明な彼。
「違うよ。僕はね、いつも『うそつき』って決めつけられてた。本当のことしか、……本当に視えたことしか言ってなかったのに。たぶん相手も認めたくなかったんだと今ならわかるけど。──だから僕は『嘘』は吐きたくなかった。それだけ」
大地が静かに語るのに、彼の深い傷が見え隠れしている気がした。けれど渚には何も言えない。
「──僕はようやく、この世にたった一人じゃなくなった、気がするよ」
大地がぽつりと零した声。
「誰も信じられない」渚には、それでも小さい頃から見守って助けてくれる家族がいる。同じ力を持つ、わかり合える同類として母も兄も、祖父もいる。
それなのに、……大地は家族にも味方がいないのか。
彼はずっと一人だった……?
「そうだよ! 大地くんはもう一人じゃない。私、大地くんと仲間ですっごく嬉しい」
いつもと同じ、大地の優しい笑顔。
けれどいつもよりずっと輝いて見えるのは、きっと渚の気のせいではない。