● SIDE:琴美
栗田先輩に半ば無理やり腕を引っ張られ、私は兄を置いて自分だけ逃げてきてしまった。ホントは見捨てるつもりなんてなかった。でも先輩の力には叶わずどうしようもない。
……兄は探索者になりたてのE級だ。そもそも無能力者の判定を受けたはずなのに、実は検査ミスで、ちょっぴりだけ適合者の資格があったっていうのも怪しい話だ。先輩は嘘をついていると言っていたけど、あながち間違いにも思えない。
……どうしてこんな事になってしまったんだろう。私はただ、お父さんの仇を討ちたくて探索者になったはずなのに、兄を見捨てて自分だけ生き延びようとしている。
思わず目から涙が零れた。
こんなはずじゃなかった。
声を上げて泣き叫びたくなったその時、先輩の手が緩んだ。
「はあ、はあ。ここまで逃げてくればもう大丈夫だろう。アキラには悪いが、俺たちのような未来ある人間がこんな所で死ぬわけにはいかないからな」
その言葉を聞いた瞬間、私は爆発した。
「いいか、琴美ちゃん。俺たち上位適合者は日本のイヤ、地球の明日を担う存在なんだ。だからお兄さんの尊い犠牲を――はうあ!」
気づけば私は思いっきり先輩の急所を蹴り上げていた。他のメンバーは呆気にとられていたが、私はこいつらを無視して元来た道を走り始めていた。
「あんな人たちに憧れていたなんて、私バカみたい! お兄ちゃん待ってて! 死ぬときは一緒だよ!」
涙を流しながら、大声で叫んだ。
開き直ってしまうと気持ちが落ち着き、頭に冷静さが戻ってきた。
「そうだ! 配信を見ればお兄ちゃんの無事が確かめられる!」
走りながら左手に装着したスマホを操作する。
「お兄ちゃんのアカウント、停止されてない! まだ生きてるんだ!」
兄はまだ生きている。その事実が、落ち着きつつあった私の感情を再び激情の渦に引き込んだ。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 私のおにいちゃーん!」
無我夢中で叫び、ひたすら走りまくる。ベストの下で胸が揺れて邪魔で仕方ない。
こんな事ならさらしでも巻いておくんだった。
『ヤバいブレスだ!』
『オイオイ、アイツ完全に死んだわ』
『いや待て、あの野郎ブレスを吐いた瞬間にスライディングしたぞ!』
『タイミングばっちりだ……。ホントにE級かよ?』
コメントの読み上げ機能がオンになり、無機質な機械音声が戦いを実況していた。
これなら間に合うかもしれない!
希望を感じたその瞬間、私は奈落の下に突き落とされた。
『あのバカ挑発してんぞ』
『何考えてんだ!』
『突っ立たままで死ぬ気か!?』
『グロ注意』
汗だくで体がほてって仕方ないのに、サーと血の気が引いていく。
だけど、ようやく広場にたどり着き、兄の後ろ姿が見えた!
喜んだのもつかの間、またしても希望は打ち砕かれた。
その光景はひどくゆっくり見えた。
棒立ちになった兄を、地竜は大口を開け食らいつき、そして兄は――消えた!?
頭がどうにかなったのかと思えた。食らいつかれた瞬間、確かに兄の姿は消えていた。奇跡が起きたのかと考え始めていると、やはりコメントが私を絶望に引き込む。
『……食べられちまったな』
『丸のみだったからグロく無くて助かる』
その言葉を聞いた瞬間、私は刀を抜き放ち、地竜に切りかかっていた。
「食ったな! お前お兄ちゃんを食ったな! 返せ! 返せ! 今すぐ吐き出せ!」
渾身の力を込めて何度も腹を切りつけるが、浅い切り傷が出来るだけで地竜はビクともしない。
……はずなのだが、地竜は突然苦しみ始めた。
私は
私は口を開けてポカンとしてしまった。
『……おい、おかしいぞ、何でまだ映像が流れてるんだ?』
『死んだのにアカウントが停止されてない?』
『いや待て、ひょっとしてまだ生きているんじゃないか、腹の中で!?』
私を突き動かしたのは、やはり実況の声だった。
兄はまだ腹の中で生きてる!
そう確信した私は地竜の腹の上に飛び乗ると、思いっきり剣を振り上げた。
「待っててお兄ちゃん! 今出してあげるからね!」
(止しなさい! じっとしていて!)
腹に剣を突き立てようとしたその瞬間、不思議な声が聞こえた。
私はびっくりして動きを止めてしまった。
すると、地竜の腹が突然ぼこっと膨らんだ。
それは瞬く間に大きくなり、一気に破裂して辺り一面に血を巻き散らした。私もバケツで水を掛けられたかのように血を思いっきり浴びてしまい、全身
だけど、そんなこと気にならなかった。
腹から出てきたのは、全身を朱に染めた人の形をした何か。
兄なのは間違いないだろうが、まるで血でできた泥人形のようで判別がつかない。
『うわあああああああああ!』
『腹を突き破って出てきたのか!』
『オロロロロロロロ』
『コイツのアカウントを即時BANしろ!』
私は動画の配信を止めた。うるさくて仕方が無い。
血だるま人形は、私を見ながら両手を広げる。
その様は十字架のようで、地竜の
すると、人形に
中から出てきたのは勿論兄だった。いつものように、冷静な顔をしていた。
「琴美……助けに戻ってきてくれたのか。ありがとうな。心配かけてごめんな」
「お兄ちゃん!」
私は兄の胸に飛び込んだ。
「ごめんねお兄ちゃん! わたし、わたし!」
「分かってるよ、何も言わなくていいさ。お前は優しい子だ。あいつらに騙されていただけだ」
色んな思いが頭の中を駆け巡り、私は兄の胸でえぐえぐ泣き続ける。
兄は黙って私を抱きしめ続けてくれた。
疑問は山ほどあったが、今はこうしていたい。
一度は分かたれてしまった私たちの道は、この日からまた一つになったのだ。
こうして、私と兄の夢を追い求める戦いが始まった。