魔物の正体は黒竜だった。
漆黒の鱗に、巨大な羽。大木のように太い四肢と尻尾を持ち、その赤い瞳が暗夜に輝いていた。
そのあまりの迫力に、俺は息を飲む。
地竜とは桁違いに強いことは言うまでもない。
それでも自衛隊は、味方の仇を討とうと決死の反撃を開始した。
だが、空中を自由に飛び回る黒竜には当てることすらできない。
ロケットランチャーを空中に乱射するが、かすりもしない。
対空兵装を持たない機動戦闘車も役立たずと言える。
仮に、対空ミサイルがあったとしても、相手は戦闘機ではない。
生物であるドラゴンを追尾する兵器は、まだ世の中には存在しないのだ。
それでも、黒竜は機動戦闘車を脅威と認定したのか優先的に攻撃してきた。
口から火球を放ち、車両に着弾すると、一気に爆発し、車両同士が衝撃でぶつかり合い、辺りは火に飲まれる。
たった一撃で、装甲部隊が全滅してしまった。
さらに橋のたもとに展開していた部隊へ向け火炎を放ち、自衛官たちが火に飲み込まれる。
俺はすんでの所でスキップで難を逃れたが……自衛隊は全滅していた。
先ほどまで勇敢に戦った人々は、猛火の中に骸を晒していた。
俺はそれを呆然と見ていたが、やがて怒りが込み上げてきた。
「畜生め! トカゲ野郎が、降りてきやがれ! 俺と勝負しろ!」
ありったけの憎悪を込め、宙に向けてわめくが、黒竜の奴は見向きもしない。
こちらを小馬鹿にするように、上空を旋回している。
「クソ! 近づいてくればスキップで胃の中に潜り込んでやるのに!」
いくら怪獣のような最強生物と言えど、内臓は無防備だ。
だがスキップはそれほど遠くにまでは転移できない。
あの野郎が降りてこないと話にならないのだ。
腹立たしい事に、奴は俺を脅威とは認定していないのか、こちらに目もくれずに優雅に空を飛び回っている。
やがて奴は空中でホバリングすると、ある方向をじっと見つめる。
あの方向は……東京だ! あんなのが都内上空に現れたら大変な事になる!
俺の予感は的中し、奴は東に向けて飛び去ろうとしている!
何とか注意を引きたいが、すでにサイキックの射程外だ。俺は無意識にシルヴィに呼びかけていた。
「シルヴィ! お前、精神操作ができるって言ってたよな! じゃあアイツの注意を俺に向けるように何とかしてくれ!」
『馬鹿な事言うんじゃないわよ! 死ぬ気なの!』
「いいから頼むよ! もしあいつが八王子や立川に向かったらどうするんだ! 琴美や母さん、黒田さんが犠牲になるかもしれないんだぞ!」
既に一片の余裕もなく、ひたすら叫び続ける。
「早くしてくれ! このままじゃあいつ行っちまう!」
『……分かったわ。だけど注意をひけても回避に専念しなさい。いま自衛隊やA級探索者が向かっているって情報が入ったからとにかく時間を稼ぐのよ』
「分かった! 決して無理はしない!」
シルヴィは俺の無理を聞き届けてくれた。
テレパシーが魔物にも有効なのか疑問だったが、東へと飛び立とうとしていた黒竜が、急に向きを変え、俺の方へと迫ってきた。
俺はすかさずサイコガンを奴の頭に向けて放った。だが、地竜の肉を貫いた不可視の弾丸は、黒竜の鱗の前に弾かれる。
これがA級の強さか! 戦慄を覚えた俺に、奴が火球を放ってくる。
慌ててスキップを連続発動して距離を取る。火球が着弾した瞬間、爆風と炎が俺を襲うが、ひたすらスキップを連発して何とか難を逃れる。
奴はまた空中でホバリングしたが、ギリギリスキップの範囲外だ。魔物の勘なのだろうか、俺の能力を把握しているきらいがある。
だが一方的に攻撃されるのは癪だ。俺はスキップで物陰に隠れると、そこからサイコキネシスで機動戦闘車の残骸を動かし、弾丸代わりにお見舞いする。
これを奴はひらりと躱してしまうが、めげずにリザードマンの剣やオークの斧を回転させながらなん十本も飛ばす。
やはり躱されてしまうが、数本だけ奴の手足に突き刺さった!
しかし、攻撃が中途半端でかえって奴の戦意を高めてしまう。
あいつは咆哮上げると、空中を飛び回りながら辺り一帯に火炎を吐きまくる。
慌ててスキップを発動するが、あちらこちらで炎が燃え盛り、熱風が俺を襲う。
(この馬鹿! 回避に専念しろって言ったでしょ! 何わざわざ攻撃して相手を怒らしてんのよ!)
シルヴィに説教されながら、俺は必死に逃げ回る。
黒竜の奴は俺を見つけると、何発も火球を放ってくる。
必死に逃げ惑うが、転移した近くに着弾し、俺は爆風で吹っ飛ばされてしまう。
全身をアスファルトに打ち付けられ、骨まで響くような激痛が響く。
打撲だけでなく熱波で自分の肌が焼けただれていくのを感じていた。
直撃していれば跡形もなかっただろうが、それでもひどい重傷だ。
俺は何とか立ち上がろうと踏ん張るが、神経がいかれたのか足の感触が無い。
恐る恐る足を見ると、しっかりと足は繋がっていて安堵する。
(アキラ! とにかくスキップで逃げなさい!)
シルヴィはそう言うが、どのみち奴からは逃げられそうにない。
奴は瀕死の俺を発見すると、大地に降り立ち様子を伺う。
あれだけの強さを持ちながら、用心深い奴だ。
きっちりスキップの範囲外にいやがる。
奴は大口を開けて、炎を放つ挙動に移った。
その瞬間、琴美がぽかんと口を開く様を思い出した。
走馬灯だろうかと一瞬思ったが、その瞬間に俺は反撃の術を思いつく。
両手にフォースを集中し、タイミングを伺う。
そして、黒竜が火を放つ寸前を見計らい、サイコキネシスで奴の口を閉じてやった!
奴は突然の事態に驚き、口の中に自らの炎を吐いてしまったようだ。
自分の炎でダメージがあるのか不明だが、奴はひどく苦しんでいた。
だが、すぐに体勢を立て直し、地響きを鳴らしながらこちらに向かってくる。
……そうだ、そのままこちらにこい。今度は腹の中で暴れまわってやるぞ。
地に伏したまま俺は奴を待ち受けるが、途中で奴は動きを止め、装甲車の残骸を手にすると、大きく腕を振りかぶる。あれで俺を下敷きにするつもりか。
……こちらの考えは読まれていたか。ごめんな琴美……。
俺が諦めて天を仰いだその瞬間、不意に一陣の風を感じ、目の前に紺色の蝶が羽ばたいたように見えた。
「きしゃあああああああああぁあああぁあぁああぁあ」
黒竜の凄まじい雄たけびに、俺は何が起きたのかと必死で身を起こした。
目に入ったのは、右手を失った黒竜と、そこから溢れ出す真っ赤な血しぶき。
そして、血の雨の中に