目を閉じ、自身の部屋をイメージした瞬間、俺の鼻孔は懐かしい臭いを捉えていた。ゆっくりと目を開けると、想像した通りの自分の部屋だ。
どうやらテレポートは無事成功したようだ。これだけの距離を一瞬で移動できるとは、超能力というより魔法と言った方がしっくりくる。
シルヴィの宇宙船の中では時間が分からなかったが、カーテンの隙間からは日が差し込み、ベッドの目覚まし時計を見ると昼前だ。
何気なく腕を触ると、意識を失う直前に見た焼け爛れた肌は、生まれ変わったかのように元通りだ。なんなら、肌が以前よりキレイになっている気がする。
僅か半日で完璧に傷が癒えるとは、サイキックもスゴイが、こちらも恐るべき科学力と言える。
おっと、とにかくまずは琴美と母さんに顔を見せないとな。もう避難から帰っているだろうか?
俺は部屋のドアを慎重に開け、廊下に足を踏み出した。
耳を澄ますと、母さんの部屋から話し声が漏れ聞こえてくる。言葉こそ聞き取れないが、どうも揉めているようだ。
状況的に、俺が原因なのは間違いないだろう。
罪悪感に胸が締め付けられる。昨夜の出来事で、どれほど琴美を心配させたことか。
合わせる顔が無いというのが本音だったが、母さんが琴美に詰め寄る声が聞こえ、俺は慌てて部屋に飛び込む。
「ただいまー。母さんも琴美もごめんな。昨日は心配かけて。この通り何ともないからさ」
無事を示そうと両手を広げ、精一杯の笑顔で宣言する。
心配を掛けまいと、軽い調子で声を掛けてみたが、室内の空気は何故か凍り付いていた。
母さんも琴美も硬直して俺を見ている。
鳩が豆鉄砲を食ったようにあんぐりを開いて驚いていた。
その上、黒田さんまで部屋にいる。きっと心配して様子を見に来てくれたんだな。
「あれ、黒田さんも来てたの? 琴美を心配してくれて? 悪いね、迷惑かけて」
俺は気まずさを誤魔化すように言葉を続ける。しかし、三人の奇妙な反応に違和感を覚えた。特に黒田さんは顔を真っ赤にして様子がおかしい。
「……黒田さん。ひょっとして熱でもあるの? なんだか顔が火照ってるけど?」
心配して一歩近づくと、黒田さんは慌てて両手で顔を覆い、指まで赤みが滲み出ている。
「お兄ちゃんの馬鹿! なんてカッコしてるのよ! 変態!」
「な!?」
琴美が信じられないような暴言を吐く。
これまで喧嘩をしたことはあっても変態などと罵ることはなかった。
俺が混乱している間に、ようやく視線を自分の体に向け、そして初めて気づいた。
俺は、何一つ身に着けていなかった。
(馬鹿ね……。カプセルで治療してたんだから、服なんて着てるわけないでしょ。気付かなかったの)
(……え? じゃあシルヴィは俺の裸見たの?)
(見たけどそれが何よ? 原生人類の裸なんか見たってなんとも思わないわよ、私。それより家族や友人に見られてるけどいいの? 前くらい隠しなさいよ)
この時初めて、自身の裸体が、母親と妹、そして何より黒田さんの前に晒されていることに気づいた。
慌てて両手で前を隠し、全身の筋肉を強張らせる。冷や汗が背中を伝い落ちる感覚。言い訳の言葉を探そうとした矢先、視界の端に怒りに震える琴美の姿が映った。
琴美渾身の右ストレートが俺の顔面に突き刺さる。
その衝撃で、俺の体は宙を舞った。部屋の隅へと吹き飛ばされ、無様に尻もちをつく。その衝撃で、前を隠していた手も外れてしまった。
尻が丸出しになり、もしかしたら――考えたくもないが――ケツの穴まで黒田さんに見られたかもしれない。
琴美ではないが、俺も切腹したい気分だった。
●
その後は地獄だった。
琴美は俺の醜態に切腹しようとするし、黒田さんは一言も口を聞いてくれない。
一先ず、母さんには友達の家に言っていた嘘をつき通し、ようやく気を落ち着けて眠ってくれた。
それから昨日の出来事を一部始終、事実を曲げることなく二人に語った。
「……という訳で、俺は黒竜に殺されかけたが、人斬りとシルヴィに助けられて何とか生還できた。……何度も言うが、全裸だったのは事故なんだ。目覚めたばっかりで気が付かなかっただけなんだ」
懇切丁寧に何度も謝ったが、二人の機嫌は直らず、俺はほとほと困り果てた。
思い沈黙が部屋に広がる。
(アキラ。二人は別に裸で現れたことを怒っている訳じゃないのよ)
突如、シルヴィのテレパシーが頭の中に響く。彼女の声は冷静で、少し諭すような調子を帯びていた。
(一人で無茶をした事に怒っているの。わかる? 貴方の行動が間違っていたとは思わないけど、些か独り善がりだったんじゃなくて?)
その言葉に、俺はハッとする。まるで霧が晴れたかのように、状況が明確になった。そして、ふと父さんの姿が脳裏に浮かぶ。
父の行いは立派だったと思う。
見知らぬ他人を救うために命を投げ捨て、多くの人に称賛された。
だが、その代償として母さんは病気がちになり、琴美は復讐の道に走った。父の残した空洞を、家族は今も抱えている。
俺のやったことは、父と同じように独り善がりの正義感だったのだろうか?
自分のヒロイズムに酔い、大切な人たちの気持ちを蔑ろにしていたのではないか?
(御父上の事をそんな風に言うもんじゃないわよ。貴方の父によって救われた人もいる。無論、アンタの行いによってもね)
シルヴィの声が続く。少し穏やかになったが、芯の強さは変わらない。
(でもそれで家族を蔑ろにするのは話が別だわ。とにかく謝りなさい)
「琴美、済まなかった」
心からの謝罪を口にする。言葉は単純だが、その中に込められた感情は複雑だ。
「シルヴィに危機が迫ったと思って、つい無我夢中で行動してしまった。…お前の気持ちも考えもせず、ひどい兄貴だ」
琴美の目が微かに潤んだ気がした。
「それに、地竜を倒した自分なら、スタンピードも何とかなると思ってしまった。だけど、地竜の群れを自衛隊はあっという間に倒していたし、その彼らを黒竜は簡単に全滅させた」
喉がからからに乾くが、口の中の唾を目一杯飲みこみ、言葉を続ける。
「そして俺自身も黒竜には叶わず、駆けつけたS級探索者の人斬りは、黒竜を呆気なく倒してしまった」
自分の無力さを認めることは苦い。でも、それが真実だ。
「要するに俺は奢っていたんだと思う。いつの間にか超人になったつもりでいて、迷宮の、魔物の恐ろしさを理解していなかったんだ」
息を整え、最後の言葉を選ぶ。
「……それでも俺は、迷宮の完全攻略を諦めたわけじゃない。迷宮の地下深くに進めば、黒竜に匹敵する強さの魔物とまた遭遇するだろう。……だから、二人の力が必要なんだ。これからも一緒にパーティを組んでくれるか?」
俺の言葉が終わると、再び重い沈黙が部屋を支配した。
琴美が長いため息をついた。その瞳には、怒りよりも安堵の色が浮かんでいた。
「お兄ちゃん。二度とあんなマネしないで。……私を置いて行かないでよ」
彼女の声は小さいが、強い決意を含んでいた。
「……大友君、私からもお願い。これからもあんな無茶をするのはやめて」
黒田さんもようやく口を開いた。頬はまだ赤いが、真剣な眼差しで俺を見つめている。
二人は口々に俺の独断専行を非難したが、その言葉の底には安堵と、俺への信頼が滲み出ていた。見放されたわけではない。むしろ、彼女たちは俺と共に歩むことを選んでくれたのだ。
俺は改めて二人に深く頭を下げ、今後の方針を話し合うことにした。部屋を満たしていた緊張感は徐々に和らぎ、三人の間に新たな絆が生まれつつあるのを感じた。
窓の外では、夕日が完全に沈み、夜が始まろうとしていた。