スタンピードの翌日から、俺たちは奥多摩ダンジョンへとひたすら潜った。
移動問題については、テレポートで全て解決した。
毎回琴美がツールドフランス並みの走りを披露するのはマズイからな。
あの後、色々とテストを重ねた結果、今の俺であれば二人を連れてシルヴィの宇宙船まで瞬時に移動することが可能だとわかった。
「全く呆れた能力ね。それほどの転移能力者、皇族の護衛レベルにしかいないわよ」
「シルヴィさんの星にも日本のように皇族がいるんですか?」
黒田さんが目を輝かせて尋ねる。彼女はシルヴィと接するたび、まるで新しい世界の扉を開くかのように好奇心に満ちている。
「いえ、前にも言ったけど、私たちの文明は地球人に近いわ。サイキックが盛んなのは隣の星間国家よ。そっちには貴族や皇族がいるわ」
そう告げられても、想像するのは難しい。宇宙に出てまで貴族政治を続けるような人々はどんな人たちなのだろうか?
その一端を覗けただけでも、俺は幸運だと言える。
それにしても、シルヴィによると、俺の転移能力は既にトップクラスらしい。
まあそれもそうか。山々を越え、川を渡り、その距離を他人を連れて一瞬で転移できる者がごろごろしていたら、世界はとんでもないことになるだろう。
異星人との交流は俺の夢だが、彼らと平和にやっていける保証はどこにもない。万が一彼らと戦争にでもなれば、地球はあっという間に征服されてしまうかもしれない。
ともかく、スタンピード以来、俺の考えの甘さを痛感している。
あの規模の魔物群を目の当たりにして、人類社会は思った以上に追い詰められているのかもしれない。迷宮から湧き出る脅威は、いつか制御不能になる恐れがある。
焦る必要はないのかもしれないが、取り返しのつかない事態になる前に、俺たちは今以上に強くならなければならない。
その強い危機感が日々の行動を突き動かす。
そこで当面は、俺と黒田さんは奥多摩ダンジョンの浅層で魔物狩りに励むことにした。
黒田さんが次のレベルになるには、ざっくりとだがゴブリンを1000匹は倒す必要がある。彼女のメイジとしての能力は、今後必ず必要となる。
それに黒田さんの武器は魔法だけじゃない。俺や琴美には無い、冷静な分析力がある。俺たちのチームには必ず必要な人材だ。
テレポートのおかげで、例のガソリン作戦もやりやすくなった。前は自宅から運搬するだけでも大変だったが、今ならいくらでも持って行ける。
恐らくテレポートで迷宮に直接入ることも可能だが、これはリスクが高いので実験していない。映像だけなら誤魔化せるが、探索者と出くわす可能性が無いとは言えない。
結局、十日ほどかけて、黒田さんのレベルを3にあげた。迷宮からは魔物が無限に湧いてくるが、途中からゴブリンの数が少なくなり、地道に一匹ずつ倒す羽目になった。
この間、琴美には一人で中層へと潜ってもらった。彼女のレベルでは、ゴブリンをいくら倒しても経験値がほとんど得られなくなっていたのだ。
次のレベルに進むためには、一段階上のオークやリザードマンを倒す必要がある。
万が一の時にはシルヴィのテレパシーで連絡を貰い、すぐ救援に駆けつけられるように中層入り口でのレベル上げに励んでもらう。
しかし、琴美の強さといえど、オーククラスになると一人では厳しいようで、結局、この間の1日の討伐数は数匹に留まり、レベルは上がらなかったようだ。
毎回少し疲れた表情で帰ってくる彼女を見るたびに、早く合流したいという気持ちが募った。
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ついに黒田さんのレベルが上がり、俺たちは晴れて琴美と合流し、迷宮中層へと足を踏み入れた。どこか厳かな気持ちでの再会だった。琴美の顔には安堵の色が浮かんでいた。
「しかし、階段を下りたら洞窟みたいになるのはやっぱり驚くな」
俺は天井から垂れ下がる鍾乳石を見上げながら呟いた。濡れた岩肌が微かに光を放ち、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「そうだよね。迷宮7不思議の一つだよね。この謎地形は」
琴美が同意する。彼女の声には慣れの色が滲むが、それでも不思議そうな表情を浮かべていた。
迷路地帯の階段を降りると、そこは今までの人工的な迷宮ではなく、岩肌が露出した開けた空間だった。足元はやや湿った土で、空気も冷たく湿っている。呼吸のたびに、かすかに鉱物の香りが鼻をくすぐる。
所々、光る岩が点在する為、明かりは不要だが常識では考えられない。
(……シルヴィはどう思う?)
静かに問いかける俺の思考に、シルヴィの声が響く。
(そうね。映像だけでは何とも言えないけど、見た目だけ誤魔化すようなトリックの類ではなさそうね。ワープ技術を応用して空間ごと変異させているって所かしら)
地球人には理解不能な現象だが、シルヴィはある程度予測をつけていた。彼女の協力があれば、迷宮の謎も解けるのかもしれない。しかし、今はその解明より目の前の脅威への対処が先決だ。
それはさておき、今日もレベル上げに励むとしよう。ここの敵はゴブリンとは比較にならない強さだ。油断はできない。
辺りを見渡すと、いくつか
基本構造は迷路とさほど変わらないようだ。
適当な穴を選び、未知の道を進んでいく。足音が空間に反響し、わずかな緊張感が体を包む。そして、曲がり角を過ぎたとき、早速、斧を手にしたオークが出現した。
鼻から荒い息を吐き、脂ぎった緑色の肌に覆われた巨躯が俺たちを威嚇する。
「お兄ちゃん。一体だけだから、まずは私に任せて」
「分かった、気を付けろよ」
「万が一の時は私も魔法で援護するわ」
黒田さんの言葉に、琴美はニコリと笑うと、一人オークに立ち向かっていく。その背中には不思議な余裕さえ感じられた。
ゴブリンとは違い、琴美は慎重に間合いを図っている。オークと見つめ合いながら、ゆっくりと円を描くように動く。
豚人間のようなオークだが、意外にも猪突してくることはなく、じっと琴美の出方を伺っている。その小さな目には、ある種の知性さえ宿っていた。
「キエイ!」
先手を打ったのは琴美だ。鋭い気合を発し、大上段から剣を振り下ろす。空気を切り裂く音が響いた。
それをオークは大きな斧で受け止めるが、衝撃を殺しきれず、よろめいて後ろに下がる。石床に足を滑らせ、バランスを崩す。
その一瞬の隙を琴美は見逃さなかった。追撃の胴斬りを繰り出し、オークの大きな腹を切り裂く。鈍い音と共に、腹から腸が飛び出した。濃厚な血の匂いが鼻をつく。
その光景を見て、不謹慎ながらもソーセージが無性に食べたくなった。
琴美はオークの喉に突きを放って確実に息の根を止めた。剣を引き抜くと、鮮血が噴き出す。オークの体がどさりと崩れ落ち、大地に衝撃が走る。
「全く危なげないな、オーク程度なら余裕か?」
「そうでも無いよ。一匹だけなら何とかなるけど、複数体だと無理。いつも一匹だけの奴を探して時間が掛っちゃうの」
そう二人で話す中、黒田さんの様子がおかしいことに気づいた。彼女は沈黙したまま、顔が真っ青になっている。口元を手で押さえ、震えている。
「く、黒田さん。大丈夫か?」
「……うん。ごめんね。少し気持ち悪くなっちゃって。もう平気だから」
どうやらオークの死に様が堪えたようだ。琴美は平然としているが、普通の女子ならこの反応が普通だろう。
そうこうしているうちに、血の匂いに惹かれたのか新たな魔物が出現した。
犬のような魔物の群れ……バイパーハウンドだ!
俺が身構えると同時に、黒田さんが一歩前に踏み出した。先ほどの弱々しさは消え、代わりに強い意志が宿っている。両手を前に突き出し、呪文を詠唱する。
「フレイムバースト!」
彼女が手をかざすと、目の前に突如火炎が広がった。
炎の海に飲まれ、バイパーハウンドたちは悲鳴を上げながら丸焦げになって絶命した。焦げた肉の臭いが漂う中、黒田さんは静かに腕を下ろした。
「先輩スゴイ!」
「あの魔物は火に弱いからね。オークなら一発で倒すのは無理だし、リザードマンまら氷結魔法の方が有効よ」
琴美が目を輝かせて歓声を上げるが、黒田さんは謙遜するようにそう応えた。
弱点は抜きにしてもやはりあの範囲魔法は強力だ。的確に相手の弱点を突く、黒田さんの機転も素晴らしい。
このチームなら、奥多摩ダンジョン攻略もそう遠くない日になるのではないかと直感した。
さらなる力を求め、俺たちは息を整えると、洞穴をさらに奥へと進んでいった。