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第31話 救助

 それから俺たちはしばらく中層を探索した。足元の柔らかな土を踏みしめながら、周囲の気配に神経を尖らせる。

 前回は油断してひどい目に遭ったので、探索済みの地域を中心に探る。


 渋谷ダンジョンは初心者向けと言われるだけあって、中層でも無手のオークが中心で奥多摩に比べると難易度は低い。


 リザードマンやバイパーハウンドも出てこず、奥多摩では浅層に出てくる剣持ちのゴブリンが出現する始末だ。物足りなさすら感じる展開に、少し気が緩んでいた。

 だが、少しばかり厄介な敵がいた。風が枝を揺らした瞬間、俺の視界の隅に小さな動きが捉えられた。


「琴美、伏せろ!」

「え!」


 俺の声に反応して、即座に琴美が伏せた。

 それを見て安堵した俺は、ハイポイントを抜き放ち、藪の中の伏兵に銃弾を放つ。

 無論、弾は通常弾だが、念動力で弾速を強化している。


 放たれた弾丸は、寸分たがわず狙撃手の額を貫いた。乾いた音と共に、小さな影が茂みの中に崩れ落ちる。


「ゴブリンアーチャーだ。危なかったな」


 茂みの中に、弓を構えたゴブリンが潜んでいたのだ。

 気づくのが遅ければ矢で撃たれていたかもしれない。生死を分けた数秒の差に、冷や汗が背中を伝う。


 その事実に気づき、琴美は少し顔を青褪め唇を震わせた。


「アーチャーは矢に毒を塗ることもあるそうよ。もっと慎重に行かないと」


 黒田さんが緊張感をにじませながらそう補足する。


 毒か。そういうのもあるのか。

 解毒剤は迷宮前の買取所でも販売されているが、生憎持ち合わせていない。


「失敗したな、きちんと敵の構成を調べて対策を練るべきだったな」

「そうね。今日は帰った方が良いかもしれないわ」


 黒田さんの眉間にしわが寄り、不安げな表情が浮かび、琴美も無言でブンブン首を縦に振る。


 今、この中の誰かが毒に侵されても、回復する手段がない。

 黒田さんの言う通り、これで引き上げるとするか。


「よし、じゃあ今日は――」

「お兄ちゃん! 今なんか聞こえなかった!?」


 琴美が突然叫び出し、俺の声を遮る。


「何かって何だよ? ゴブリンの断末魔か何かか?」

「そうじゃなくて、誰かが助けを求める様な……」


 琴美の言葉に、全員が息を潜める。


「静かに! 確かに人の声が聞こえるわ」


 黒田さんまでそう言いだし、俺たちは耳を澄まして辺りを伺う。風の音と葉の揺れる音の向こうから、かすかな声が届く。


「……誰か、たすけて……」


 聞こえた! 女性の声だがどうもヤバそうだ!

 俺は声を頼りに茂みの中を突っ切る。枝が頬を掠め、落ち葉が靴の下で砕ける音が響く。


 藪を飛び出すと、少し開けた場所に、ゴブリンの死骸が数匹と、ドローンの残骸や銃が散乱し、そして女の子が3人倒れている!


 俺は慌ててそのうちの一人。ピンク髪の子に駆け寄る。彼女の肌は蝋のように白く、震える唇から薄い息が漏れている。


「おい! どうした、しっかりしろ!」

「……ど、毒消しを」


 クソ! 彼女たちもゴブリンアーチャーにやられた口か!


「すまない! 持ってないんだ! 急いで連れて帰ってやるからそれまで頑張るんだ!」

「わ、私は痺れているだけだから、大丈夫。でもその子は……」


 そう言って彼女は別な子を指さす。

 追いついてきた琴美と黒田さんが二人を介抱するが、絹を引き裂くような悲鳴が轟く。耳を突き刺すような鋭い叫び声に、鳥たちが驚いて枝から飛び立つ。


「大変! この子毒が相当回っているわ! このままじゃ命に係わるかも!」

「何だって!」


 俺が慌ててその子に駆け寄ると、顔面はどす黒く変色し、口から泡を吹いている。血管が浮き出た皮膚は不自然な紫色を帯び、痙攣する指先からは血が滲んでいた。


 素人目に見ても危険な状態だ。一刻を争うが、ここから担いで走って間に合うだろうか?


 こうなればテレポートで地上へと運ぶしかないが、サイキックが露見する可能性が高い。しかし、救えるかもしれない命を、能力の秘密の為に見殺しにするのか?


 悩んでいる時間はなかった。

 額に浮かぶ冷や汗が頬を伝う中、俺は心の中で叫び声を上げる。


(何とかならないかシルヴィ! 早くしないとこの子が死んでしまう!)

(……アキラ。秘密の為にその子の命を諦めなさいと言ったら、アナタは従うの?)

(そ、それは……)


 シルヴィの返答は俺を絶句させた。もし彼女が止めたとして、俺は素直に受け入れられるだろうか? 自身の目的の為、罪のない人を殺すような所業を俺は良しとするのか?


 葛藤する中、シルヴィがため息交じりに言い放つ。


(初めから答えは出てるんでしょ。この子を助けたいならハッキリそう言いなさいよ。意気地のない男ね)


 シルヴィの言葉に、胸の内に閉じ込めていた決意が解き放たれる。


(三人ともよく聞きなさい! とにかくそれぞれ負傷者を連れて入口に急ぎなさい! アキラは重病人を担いで、私の指示に従ってテレポートするのよ!)


 シルヴィの指示で、俺たちは慌てて行動に移す。一番危険な子を俺が運び、彼女ほどではないが、毒に侵された子を琴美が担ぐ。

 助けを呼んだピンクの子は黒田さんに支えられながら歩かせる。


 俺と琴美が走り出してすぐ、シルヴィの大声が心中に響く。


(アキラ! 今すぐ入口から100メートル地点の通路に飛びなさい! そこなら人目につかないわ!)


 彼女の声に従い、俺はテレポートを発動する。

 森の中を走っていた俺は一瞬にして石造りの迷路に跳んだ。


(そのまま走って出口に飛び込みなさい! 映像は処理しているから問題ないわ)


 シルヴィの声が響く中、俺はそのまま無我夢中で走り、出口の階段を駆け上る。


「き、急患です! ゴブリンの毒で瀕死状態なんです!」

「何だって! 分かった、とにかくその子をこっちへ!」


 俺は入口の自衛官に叫ぶように事情を伝えると、すぐに救護所に案内してくれた。

 渋谷のような都会のダンジョンは奥多摩とは違い設備が充実している。白い壁に消毒薬の匂いが漂う救護所には、医療機器が整然と並んでいた。


 その後、救命処置は無事に終わり、彼女は助かった。医療スタッフの素早く正確な動きに、命が救われていく様を目の当たりにする。


 程なくして、琴美が戻り、もう一人の子も治療を受ける。琴美の顔には疲労と安堵が入り混じっていた。


 黒田さんは途中で他の探索者と出会い、救助を手伝ってもらっていたようで、ピンク髪の子は無事麻痺から回復し、念のために救護所で検査を受けているそうだ。


 シルヴィによれば、映像は全て加工しているから、俺は二人と一緒に走っていることになっている。実際には俺は一足先に跳んでいるので矛盾が起きているのだが、そこを追求する人が出ないことを祈るしかない。


 余計な追及をされない為にも、俺たちは職員に事情を聞かれる前に、さっさと渋谷ダンジョンを後にする。


「一時はどうなる事かと思ったけど、何とかなったな」

「紙一重だったわね。やっぱり解毒剤は必須ね」

「ねえお兄ちゃん。他のチームみたいにバックパックを装備した方が良いかな?」

「そうだなぁ……」


 帰路に着きながら、琴美のした提案に、俺は考えを巡らす。

 迷宮に深く潜る様な上級者は、ダンジョン内でキャンプすることになるので登山家のようなリュックを背負って行動するのだ。


 勿論、バックパックを背負いながらでは戦いづらいので、戦うときは降ろすか、もしくは運搬要員のポーターを連れて行ったりする。


 今の俺たちだと、琴美は近接要員だし、黒田さんは体力的に無理だろう。

 そうなると、俺が背負うのが妥当か。俺自身はアポートでいくらでも物を呼び出せるのだが、リュックを持っていた方がカモフラージュにもなる。


「じゃあ明日からは俺がリュックを背負うよ。……でも小さいのしか持ってないな」

「大友君、それなら私のお父さんのお古があるから使って。ちゃんとした登山用だか沢山入るし、背中も蒸れないわよ」


 黒田さんの好意で本格的なリュックが手に入りそうだ。

 それにしても、今日は色々あって疲れた。シルヴィにも改めて礼を言わないとな。


(助かったよ、シルヴィ。いつもありがとうな)

(原生人類とは言え、人命救助は星間法に基づく義務よ。当然の行いだわ)


 心の中で感謝の言葉を伝えと、シルヴィはそっけなくそう言い放った。

 それにしても、彼女の倫理観はある意味で地球人より上だな。

 彼女の立場で言えば、機密保持の為に見殺しにしてもおかしくはなさそうだが。


 ともかく、俺はシルヴィに感謝しながら家路についた。


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