● SIDE:琴美
先輩と二人、人通りの少ない雷門通りを歩き、無事老舗のどら焼きを買う事ができた。自分たち用にも買い、早速食べてみると、コンビニで売っているのとはまるで違う。
「美味しい! これならシルヴィさんも満足してくれるね!」
「あの人なら何でも喜んでくれそうだけど、どうせ買うなら本格的なのがいいもんね」
先輩と二人、食べ歩きをしながら語り合う。
ここしばらく、学校と迷宮を往復するような毎日が続いていたけれど、今日は久しぶりに普通の女子高生に戻った気分だ。
普段の殺伐とした魔物との殺し合いを離れたせいなのか、どこか気分が緩み、私は前から疑問だったことを聞いてみる。
「先輩……別に変な意味は無いんですけど、そのファッション、ずっと続けるんですか?」
私の質問に、先輩は少し困ったような顔をしながらも真摯に答えてくれた。
「今のところは元に戻そうとは思ってないわ。前も言ったけど、以外と気に入ってるのよ。最初は川口の指示で嫌々だったけど、この格好をしていると不思議と積極的になれるの」
自分で聞いておきながら、川口の名前を聞いて、思わず身震いをしてしまう。
もしあの時、私たちが駆けつけていなかったら先輩はどうなっていたことか。
私の不快感を察したのか、先輩は話を変えてきた。
「ところで琴美ちゃんも少しお化粧してるのね。白石さんに教わったの?」
「え、ええ。私は別に興味はなかったんですけど、モモちゃんがどうしてもって――」
そう取り付くように答えると、先輩の目を大きく見開き、驚愕していた。
……何かおかしな事ても言っただろうか?
「……先輩、どうしたんですか?」
「あ、あの人、栗田君に似てない!? というか本人じゃ――」
震えながら先輩は信号待ちをしている集団の一人を指さし、私が目を向けると、黒いパーカーを着込んだ若そうな男がいた。
フードを深くかぶっていて顔は見えなかったが、確かに怪しい感じはする。
「先輩、確か栗田さんって今行方がわからないんじゃ……」
「そう、警察が事情聴取に家に行ったそうだけど、川口が逮捕されてから所在不明だったのよ」
「そ、それじゃあ逃亡中ってことですか」
先輩は少し顔を青褪めながらも、フードの男から目を離そうとしなかった。そのままスマホを操作して、誰かに電話を掛け始める。
「……駄目だわ。出てくれない」
「警察ですか?」
「ううん。以前お世話になったゆり子さんよ。もし栗田が接触してきたら連絡をする手筈になっているの」
そう言いながら、今度は別な人に掛け始める。多分だが、相棒のケイ子さんにもかけているのだろう。
「……二人とも電波の通じない場所。たぶん迷宮にいるのね」
「どうしますか? やっぱり警察へ?」
「ともかく、少し後をつけてみましょう。見間違いの可能性もあるから警察には連絡しづらいわ」
信号が切り替わって歩き始めた男を見ながら先輩はそう言い放つ。
危険なんじゃないかと思ったが、先輩のいう通り、他人の空似ということも十分ありえる。
私は無言で頷くと、フードの男を二人で尾行することにした。
男は、駅の方に向かっていたが、途中で地下街へと降りて行く。
「……買い物でもするのかしら?」
先輩はそう零すと、躊躇せずに尾行を続ける。
一瞬、危険過ぎるんじゃないかと不安がよぎったけど、意を決した先輩の顔を見ると、ここで止めるのは憚られる。
……私もあの男に騙されていたようなものだが、先輩はほぼ詐欺にあったも同然だ。後から思えば、思慮深い先輩らしからぬ行動だったけど、色々と思う所があったのかもしれない。
ともかく、男を追って私たちも地下街へと降りた。
地下街には空きテナントが多く、ハッキリ言えば寂れていた。居酒屋と雑貨屋がいくつか営業しているが、人通りは無く、私たちのような女子高生が歩くと酷く目立つ。
これ以上は相手にバレるかもしれない。そう考えているうちに、男は営業しているのか良く分からないBARの前で足を止める。
そして、スライド式の入り口から店に入る瞬間、男はフードを脱いだ。
その顔は紛れもなくあの男、栗田だった。
私は心臓が凍り付くような感覚を覚えたけれど、先輩もそれは同じのようだ。
二人で顔を見合わせ、そっとBARの入り口に近寄る。
ドアは古臭い、ガラス製の引き戸だったので中を覗くことが出来た。
恐る恐る覗き込むと、店内は暗く、人の姿は見えない。
栗田は店の奥に引っ込んでいるのだろうか?
「何してる?」
突然、後ろから野太い男の声がした。
今度こそ、私は心臓が止まるんじゃないかと思った。
私より、一瞬早く振り返った先輩が音も無くその場に崩れ落ちる。
「声は出さないでもらおう。お友達のようにはしたくない」
振り返った私が見たのは、スーツを来た無骨そうな大男と、同じ格好のにやついた小男。咄嗟に反撃を考えたけど、小男が意識のない先輩を素早く抱え込み、店の中に入ってしまう。
油断なく私を注視する男に阻まれ、私はどうすることもできない。
「……ともかく店の中に入れ。事情次第では解放せんことも無い」
どう考えても嘘に違いないが、私は相手の実力が自分より上だと直感した。下手に暴れて先輩のように意識を奪われるのはマズい。
「わ、私お店を覗いていただけで――」
咄嗟に嘘をつくが、最後まで言い終わらぬうちに、男の大きな手が私の口をふさぐ。
「声を出すなと言った。次は痛い目にあうぞ」
無表情で淡々と話す男の威圧に飲まれ、私は震えながらゆっくりと頷く。
「店に入れ」
男は手を離すと簡潔に言い放つ。
私は言う通りに店の中に入るしかなかった。
BARの中に入ると、そのまま背中に固い何かを押し付けられる。
「店の奥に行って階段を降りろ」
指示に従い、カウンターの横にある開いたままのドアを通ると、地下への階段があった。
お酒の保管庫かと思ったが、暗い階段と降りていくと、意外にも広々とした部屋に出る。中にはテーブルと椅子の他には部屋の隅に置かれたドラム缶くらいしかない。
剥き出しになったコンクリートの壁の前には、10人ほどの男たちが整列していて、彼らの後ろには別室へのドアがある。
皆、服装はバラバラだが、妙に姿勢が良い。その中に栗田も混じっていた。
先輩は意識のないまま椅子に座らされ、例の小男が背もたれの後ろに立つ。
「栗田……貴様、尾行に気づかなかったのか?」
「まさか。ギャルはともかく、その子は高適合者です。同士に加える価値があると思い、気づかぬふりをしました」
大男が鋭くそう言い放つと、栗田は事もなげにそう言い放つ。それを聞いて顔を顰めている男に、小男が軽薄そうな笑みを浮かべてフォローを始める。
「隊長……まあいいじゃありませんか。男所帯でうんざりしていた所です。女子高生がいた方が、何かと楽しめそうだ」
小男がいやらしい手つきで、先輩の頭を撫でる。
ぞわっとした何かが背中を走り、私は思わず叫んだ。
「先輩に触らないでよ! この変態!」
無機質な地下に、私の声が反響すると、小男は笑みを浮かべたままこちらへと近づいてくる。
私が拳を握って身構えるより先に、頬に熱い衝撃を受け、そのまま床に倒れ込んでしまう。叩かれたと気づいたときには、髪を小男に掴まれていた。
「い、痛い! 離してよ!」
「口の利き方を知らないお嬢さんだ。……迷宮では強くても、地上じゃお前は普通の女とさして変わらん。力では太刀打ちできねえだろ」
ポニーテールを鷲掴みにされ、私は無理やり立たされた。自分の無力感にうっすらと涙が出てくる。
「……あまり手荒な真似はするな」
「隊長。そう言いますがね、現実的に説得して組織に入れるのは不可能でしょう。クスリ漬けにしてもいいですが、可愛がってやって
「……好きにしろ。だが殺したり、薬物を使ったりするんじゃないぞ」
とても現実とは思えないような悍ましい話に、私は足の震えが止まらなくなった。
「……栗田。お前は俺と来い。少し話がある」
「分かりました」
大男は栗田を連れて、地下室を出ていくと、小男は待ってましたと言わんばかりに口笛を吹く。
「さて、お楽しみはこれからだな。……お前らも楽にしていいぞ。うるさいのがいなくなったからな」
小男はそう言い放つと、上着を脱ぎ、襟元を緩めた。真顔で整列していた男たちも、歓声を上げてだらけ始める。
男たちの下卑な視線が、私と先輩に突き刺さる。
これから起こる事を想像し、私は子供のように泣き叫んだ。
「助けて! お兄ちゃん!」
その叫びは地下室の冷たい壁に吸い込まれ、ただ虚しく響くだけだった。