俺とアオは昼食をとるために街へ出かけ、店に着いた。
彼女には念のため出発前に師匠からもらった護服を着てもらい、人間と分からないように姿化けの術を掛けた。
「戦うわけでもないのに、どうしてこれを着るの?」
「念のためだ。この世界は陸とは違って安全とは言えない。千年ぶりの人間となれば、いくら姿化けの術を掛けていても、狙ってくる者は現れる」
「確かに、君に迷惑をかけないように、この世界に慣れるまでは言うことを守るよ」
アオは俺の言葉に納得した様子を見せ、少し安心した。
せっかくだから注文した料理がくるまで、アオにこの世界について説明した。
人間が言う海は、俺たちはオーシャンと呼んでいる。
このオーシャンには七つの国と海があり、各国にはポセイドン様を筆頭に海神が統治している。
太平洋のマーレ、大西洋のアトランティス、インド洋のオゼアン、日本海のトウカイ、北極海のアークティック、南極海のアントラがある。
「ほぼ七つの海と言われている場所に国が存在するんだね。でも、他の海には国はないの?」
「もちろんある。複数の国がまとまった連合国というものがな。独自の神を主神とし、独自の文化と歴史を重んじる少数種族が住んでいるんだ」
「連合国について詳しいね」
連合国について知識があるのは、俺がその出身だからだ。
「まぁ、俺がそこの出身だから」
「そうなんだ」
アオは食いつく様子など見せず、意外にあっさりとした反応をした。
「聞かないのか?」
「何を?」
「…俺の故郷の話」
俺の言葉にアオは少し考え、優しく答えた。
「んーこの前、君が辛そうな表情をしていたからかな。あんな辛そうな様子を見たら何かあったのだろうって思うのが普通でしょ?それなのに、無理やり聞こうとするなんて野暮だよ」
彼女の言葉は何気ないものなのに、何故かほっとしてしまった。
「ア……」
彼女の名前を口に出そうとした時だった。
「はいお待ち!日替わりランチの海兎のステーキ」
店員が元気よく声をかけ、俺たちの目の前にステーキを置いた。目の前に置かれたステーキは鉄板の上で美味しそうに焼かれており、俺たちの食欲を誘った。
「わお!おいしそう。いただきます!」
アオはフォークとナイフを上手く使い、ステーキを口に運んだ。彼女の美味しそうに食べる姿を見て、俺もステーキを食べ始めた。
もし彼女と一緒に暮らし始めたら、食事の時はこうして二人で食べるのだろうか? まだ家すら建てていないのに、早くもアオとの生活を想像してしまっている。アオと暮らすためにも、家のこともさっさと済ませよう。
「昼食も済ませた。そろそろ行こう」
勘定を済ませた後、店を出てリィゲリアがいる店へと向かった。
「今から向かう場所って、セラが言っていたお父さんのことが分かる場所?」
「あぁ。今から向かう場所は治安が良くない。絶対に俺から離れるな」
「わ、分かった」
今から向かう場所はアトランティスの裏の顔とも言えるクーロン。アトランティスの巨大スラム街であり、「大西洋の魔窟」と呼ばれている。兵の目を盗み、麻薬や人身売買などの闇商売が盛んな街だ。
そんな場所に、俺は今からアオを連れて行く。彼女が離れないようにと、俺は彼女の手を取った。
「っつ!?」
「どうした?」
「いや……その……ほら行こう!」
手を繋ぎながら、アトランティスの中央にある川沿いを暫く歩くと大きな屋敷が現れた。
「その場所って……ここ?屋敷だよ?」
屋敷の外観は、白色の大理石や石造りの外壁、優雅な曲線的なデザインがインド洋の文化を象徴するような建築様式だ。
「あぁ、屋敷だ。それもクーロンへの入り口に必要な屋敷だ」
「入口?」
俺は屋敷の門に手を触れ、術式を展開した。
「𑁍𑁆𑁅𑁉𑁆𑁄𑁌𑁅𑁈𑁆𑁍𑁅𑁇𑁉𑁇𑁈𑁄𑁍𑁅𑁍𑁉𑁉𑁇𑁈𑁉𑁌𑁅𑁄𑁍𑁆𑁄𑁉𑁇𑁅𑁍𑁉𑁍𑁆𑁍𑁈」
「!?」
秘密の術式を唱えると屋敷の門がゆっくりと開き、俺はアオの手を引いて屋敷の中に入った。
先程の屋敷が見えなくなり、薄暗い路地裏に辿り着いた。
「ねぇ、セラ。さっき不思議な言葉を言ってたけど……なんて言ったの?」
「神代言葉。古代の魔術師が作った言葉だ。今じゃ失われた言葉と言われているがな」
俺はアオの手を引いて路地裏を出ると、そこは闇市が広がっていた。
海藻麻薬の独特な甘ったるい匂いが鼻の奥に刺さる。
そんな入り組んだ闇市を歩き、暫くすると目的の人物がいる店に辿りついた。
看板にはシーシャと書かれており、分かる人しか分からないような場所にある小さな店。
「できるなら、ここには来たくはなかったが」
「もっと来てもいいのよ?」
「!?」
背後から聞き覚えのあるねっとりとした声が耳に入った瞬間、俺は咄嗟に振り向くと奴の姿があった。
「髪の毛は母親似、顔はお父さんそっくりで可愛いわね」
奴はアオを背後から抱きしめ、右手でアオの頬を掴んでいた。
赤い長髪、銀色の長い尾鰭、なによりもねっとりとした喋り方。
「セ、セラ」
「アオ!リィゲリア、アオから手を離せ……さもなくば」
「なに?
アオからゆっくりと離れるリィゲリア。
俺とリィゲリアとの間には緊迫した雰囲気が広がった。
「久々に坊やと遊べるなんてうれ……」
「やめんかぁ!」
奴が厭らしく笑ったその時、奴の背後から女が現れた。
「カ、カヲルちゃん!?」
「はぁ……診察が終わって戻ってきたら。ん?君たちは?」
「!?」
女がこちらに気付いた。
女は黒髪で短髪に赤い瞳、特徴的な白衣…いや、そんなことはどうでもいい!なんでこんなところに人間がいるんだ。
「な、なんでこんな所に人間がいるんだ。リィゲリア、お前」
「なるほど…そういう事かリィゲリア」
女はなにか察したのか、納得した様子を見せた。
「カヲルちゃんを怒らすと怖いから、そろそろ本題にはいりましょう。ほら、お店に入って」
リィゲリアは俺たちを店の中へと招き入れた。
店の中は相変わらず海藻大麻のシーシャの甘ったるい匂いが充満している。
俺たちは奥の部屋に通され、リィゲリアと向かい合うように座った。
すると女が部屋に入り、お茶を入れ始めた。
「先ほどは私の番のリィゲリアが失礼した。私は金城カヲル。先ほど君が言った通り人間だ。このクーロンで医者をしている」
「私は深海アオ。海洋生物学者をしています」
「そうか、海洋生物学者か…」
カヲルは少し興味深そうな反応をし、ゆっくりとお茶を目の前に置いた。
「さて、坊やがアオちゃんとここに来たってことは、リヴィアタンの情報が欲しいんでしょ?」
「あぁ。師匠の情報すべて欲しい」
「全てねぇ…」
リィゲリアはつまらなそうな様子をみせた。
「金ならある」
「いやぁ、金は要らないわ…」
奴は椅子から立ち上がり、ゆっくりと俺の方に近づいた。
「坊やの身体が欲しい」
「か、か、身体!?せ、セラ。君はそういう趣味が……」
リィゲリアの突然の言葉に、アオは顔を赤くし困惑した様子でこちらを見る。
リィゲリアはリュウグウノツカイ族では…珍しい男色家。
顔はイケメンで女からも人気が高く、こいつから海藻大麻を買う者が絶えないくらいだ。
「俺は、そういう趣味はない。はぁ…こうなるから俺は来たくなかったんだ」
「あらぁ、悲しいことは言わないで?それに、流石に私もカヲルちゃんがいるから、他の子には手は出さないわ」
「で、手を出さないなら、なぜ俺の身体が欲しい?」
「それはね…」
今までの経験上、嫌な予感しかしない…。
それにこいつは、もう一つの顔がある。
リィゲリアは召喚術でスケッチブックと鉛筆を出した。
「坊やを題材にした男色小説の挿絵を描きたいのよー!」
「はぁ…だろうと思ったよ」
そうこの男、男色小説家だ。
しかもアトランティスではそれなり人気作家で、こいつの作品は高値で売れているらしい。
「前作のリヴィアタン×坊や本がもう絶賛でねー!さぁ!早く上着とズボン脱いでちょーだい!早く!描かせてくれたら、アナタが欲しい情報全部あげようじゃない!」
「……この馬鹿」
「あ……あ……」
カヲルはリィゲリアに頭を抱え溜息をし、アオはこの男の狂った様子をみて言葉を失っていた。
「情報の為なら……アオ、カヲルと一緒に部屋から出て待っていてくれ」
「で、でも」
「頼む……俺のために」
「わ、分かった」
アオとカヲルの二人は、仕方ないと言うような感じで部屋を出て行った。
「二人いても良かったのに」
俺は上着とズボンを脱げば、リィゲリアの言うとおりにポーズをとった。
流石にこんな状況をアオには見せたくはない、見られてしまったら……。
「俺が羞恥心に殺される」
「あらあら、可愛いこと言うのね」
リィゲリアは俺に次々と羞恥心が沸くようなポーズをとらせては、黙々と筆を走らせる。
暫く描かせていたら、リィゲリアは急に筆を止めた。
「よーし、もうしばらくは書き続けれるかなー?」
その言葉を聞いて、俺は上着とズボンを着始めた。
「で、情報だ」
「やーね、そんな怖い顔しないで?もちろん、教えてあげるわ」
リィゲリアはニヤニヤと嫌らしい顔をしながら、ちゃんと師匠の情報を話しはじめた。
師匠の現在の居場所、師匠が何故戦士をやめて行方をくらましていたのか、師匠の情報を全て聞き出した。
「…まぁ、私が知る情報はこれくらいかな」
「…そこまで情報あれば充分だ」
やはり師匠の情報を得るには、この男で正解だった。
俺は腰のポーチからお金が入った革袋を渡した。
「あら、お金はいらないって言ったのに」
「情報を貰った礼だ。なんの事情であの人間と一緒にいるのかは知らないが、これでたまには表にでて食事でもしろ」
「ふっ…相変わらず私に読心術使うのね。坊やはまだアオちゃんに話していないのね」
流石、元智慧の戦士。
俺の読心術を読心術で返してきた。
「ずっとアオちゃんに隠すつもりなの?坊やも分かると思うけど、いつかは立ち向かわないといけなくなるわよ」
「分かってる…だがそれは今ではない」
頭で分かっているのに、彼女を巻き込みたくはなくて、どうしても言えない自分がいる。
なんとも言えない感情が沸々を込み上げてくる。
「アオちゃんを巻き込みたくはないと思うのは素敵だけど、そんなんじゃリヴィアタンには勝てないわよ」
「勝手に俺の心を見るな!」
「あら、先にみてきたのは坊やよ?」
リィゲリアは不敵な笑みを浮かべ、俺を見つめた。
その瞳は俺の全てを見透かされており、このままだと埒が明かないとおもった。
「……っつ…ふぅ…もういい。情報は感謝する」
俺は一呼吸し、リィゲリアに礼を言って部屋を後にした。