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第31話 ギヨーム・フランソワ

ギヨーム・ルフランソワ


ギヨームが地下室に消えてしまった日より少し前、オーギュストを常に遠くから見守っていたアナイスは、ここ最近、何故か彼が森の納屋に頻繁に出かける事に不信感を募らせていた。

誰も滅多に、いや絶対に訪れる事のない森の納屋からオーギュストが彼の家、アデルと彼の子供達がいる家に帰り着いたのをアナイスはこっそりと見届けた後、森に直行して密かに納屋の壁に耳を付け中の音を聞いてみた。すると、ひそひそと話す女と子供の声が漏れ聞こえ、アナイスは途端に逆上した。

(女と子供の声?・・・オーギュストはここに愛人と子供を隠してる!・・・あたしには何も言わずに、こんな所に隠したなんて・・・・こそこそしているからおかしいとは思ってた‼)

アナイスはすぐさま家に戻り、マッチと麻紐を持って森の納屋までとんぼ返りで引き返した。

それから急いで麻紐をほぐし、中にいるオーギュストの愛人と子供に気配を悟られぬよう、その麻紐を納屋の北向きの壁と地面の間に這わせてマッチで点火した。

乾いた麻紐はすぐに火縄になり、木製の壁を炎が立ち上っていった。

パチパチという木が燃える音を背中で聞き、ほのかに香る煙の匂いを感じながらアナイスは韋駄天の如く走って森を出た。

彼女の足が止まった場所は村の警察署、だが署とは名ばかりの、役場の一角に設えられた質素で小さな部屋、それが警察官巡回所だった。

その中にギヨームがいた。

「なんだ?アナイス、何の用だ?」

彼は村の住人と噂話の真最中だった。この小さな村では事件や事故など起こったためしがなく、実に平和な日常だった。

少なくともギヨームがここに派遣されてからは特に、日々は平和に過ぎていく、と彼は信じていた。

「ギヨーム、ちょっと話があるから外へ出てくれない?」

そう言ってアナイスはギヨームを外に連れ出した。

「何だよ、話って?」

「あの、あの納屋に誰かがいるよ、さっき森に行った時、絶対そうだって思う事があったのさ。」

「森の納屋?あんなおんぼろ小屋にどんな人間がいるって言う、森の熊さんの家族じゃないのか?」

「違うったら!あたし、側まで行って、ちゃんと聞いたよ、人の声がしたって!」

「人の声?ちゃんと中に入って、それが人間だって確認したか?」

「そんな怖い事出来る訳ないじゃないか、もしかしたら、大泥棒とか人殺しとかが、何処かから逃げて隠れているのかもしれないよ、しかも一人じゃない。」

“何処かから逃げて隠れている・・・”その言葉にギヨームはピンときた。

今は戦時中なのだ、この村も例外ではない、と慌て出した。

「よし、分かった、とにかく行って確かめるぞ、日が暮れそうだしな。」

ギヨームは焦って自転車で森の方向へ去って行った。その後姿を見ていたアナイスは呟いた。

「皆、死んじまえば良い・・・。」

森に着いたギヨームは、遠くに立ちこめる白い煙と、その臭いに身を固くした。

(しまった!遅かった!)

彼は、アナイスの話と様子から、森に潜んでいた反戦運動の武装集団が、存在に気付かれたことを察して納屋に放火し、証拠を隠して姿をくらましたのだ、と思った。

実は数日前に当局から警察巡回所に連絡があり、“ここからさほど遠くない村で食料強奪事件が発生した、その犯人は“マキ”と呼ばれる抵抗派の集団で、徴兵忌避者の労働者や農民などで構成されている武装集団だから警戒を怠るな”と、勧告されたばかりだった。

ギヨームはこの話をアナイスにも報告しておいた。業務上知り得た情報、つまり村内の噂話やちょっとした揉め事を逐一知らせないと、アナイスにひどく怒られるからだ。

ギヨームはアナイスが聞いた音というのが、この抵抗運動のうちの数名が森の納屋に隠れている証拠だと思い込んだ。こういう賊なら、例えボロボロの小屋でも寝泊まりは厭わない、と確信したのだ。そして彼は、その賊の身柄を確保して手柄を立てようと咄嗟に思い付いた。

何も起こらない平和な村で事件が起き、それを見事に解決し、すべての村民から崇拝される警察官になろうと思ったのだ。ギヨームは気を取り直し、焼け落ちた納屋の現場検証を始めた。

(何か、何か賊の手がかりか、証拠が残ってないか・・・?)

しかし何もかもが燃え尽きて、今は静かに白い煙だけがふわりふわりと揺らめいているだけだ。儚い夢と消えてしまった武勇伝を諦め切れないギヨームは、次の一手、人身御供となる人物を思い付いた。

(あいつが良い、アナイスが、いつも監視している奴、俺を睨み付けてくるあいつ・・・・。)

そして翌日、全焼した納屋の所有者であるオーギュスト・ドーファンが警察に連行され、事情聴取された。が、オーギュストは最初から最後まで黙秘を貫いた。

「強奪事件の主犯は一体誰なのか?何故納屋の使用許可を与えたのか?納屋が全焼した理由は?中にいた犯人達はどこに逃亡したのか?」

これらの質問には一切答えず、完全黙秘の姿勢を見せる彼を、警察官達は疑い、拘束期間の四十八時間が過ぎても解放しなかった。戦時中であれば特例は許可なく実行できるのだ。

しかし、連行後三日が過ぎても何の進展もなく、警察官は彼を一旦解放することとした。そこへアナイスが、彼を心配したアナイスが様子を伺いにやって来た。

「あたし、あの火事の後、納屋の中にいた人達がどこに行ったか知っているよ、今から三十分後に納屋があった場所に来て。全部話すから。」

そうオーギュストの耳元で囁いた。何か言いたそうなオーギュストを無視して、彼女は森へ直行し、オーギュストが来るのを、心を高ならせながら「来る、必ず彼は来る」と呟きながら待った。

そして約一時間後、オーギュストは猟銃を肩に担いでやって来た。

アナイスは彼を見るなり、開口一番こう尋ねた。

「オーギュスト、あんた、昔の約束覚えているかい?あたしが小さい頃、

あんたと結婚する筈だった約束・・・」

しかし、オーギュストは黙ったままだった。

「ねえ、覚えているかい??」

畳みかける様に、繰り返された質問を吹き消すように、オーギュストは深く吸った息を吐いた。

「何の事だ?それよりアナイス、知っていることって何だ?」

オーギュストは、匿ったモギレフスキー一家が一体どうなってしまったのか、を知りたいだけだった。

「アナイス、もういい。ここへ俺をおびき出してどうしたい?お前たちは何を企んでいる?そう聞いても話す訳ないよな。とにかく俺は、あの事件とは無関係だ。」

オーギュストは、すぐ近くに身を隠して、聞き耳を立てているギヨームに聞こえる様に大声でそう言った。

「もちろん、そんなこと知っているさ、あんたがそんなことする訳ないって。・・・・ねえ、あんたは今の生活が嫌だ、そうだよね?だから、あの女に誑かされた、でも大丈夫だよ。あたしが追い払ったから。これであたしたちは一緒になれる、だからここから出ていってどこか静かな所で暮らそうよ、ねえ、そうしよう?」

オーギュストは黙ったまま、怒りに満ちた視線をアナイスに向けるだけだった。

「何だって、そんな顔してあたしを見るのさ、あんた言ったじゃないか、戦争が終わったら結婚しようって、それであたしに口づけして約束したじゃないか!忘れたなんて言わせないよ!あたしはずっと、その日を待っていたのに!」

オーギュストは、また息を吸い込むと、アナイスに向かって吠える様に言った。

「いい加減にしろよ!もう俺に付きまとうのは金輪際にしろ!訳の分からないお前の話には、ほとほとうんざりする。とにかくお前らに言いたい事がある。エヴリーヌには近付くな。特にアナイス、お前だ。

もしお前がエヴリーヌに何かしたら、即座に病院に放り込む。

いいか、お前は誇大妄想症っていう病気だ。お前が見ているのは幻想でしかない。

今、この国は戦争中だ、敵軍にこの村も占領されたら、村の奴らはお前より敵の命令に従うようになる。そこで村の暗黙の掟は終わりだ。

敵の奴らにお前の先祖からの因縁など関係ない。

俺にも一切関係ない話だ。もう一度繰り返す、

お前に話すのは今日が最後だ。エヴリーヌに近付くな。

引き続き俺の家には出入り禁止だ。」

「何だって?あんた・・・誰なんだい?あたしの大事なオーギュストが

そんな事言うはずない!!あんた、オーギュストをどうしたのさ?殺したのかい?殺して喰っちまったのかい⁉この化け物!性悪の継母が言った通り、あんたは化け物だ!あたしの愛しい男を返せ!返せ!!」

逆上したアナイスは叫びながら、オーギュストを突き倒し、側に転がっていた直径十五センチ程の石を即座に掴むと、起き上がろうとしている

オーギュストの頭に振りかざした。アナイスは必死で叩き、叫び続けた。

「ああ、あたしのオーギュスト、早く、早く出て来ておくれよ、どうしたのさ?早く出て来て、あたしを抱きしめておくれよ!」

オーギュストは、もう抵抗する手を止めて横たわるだけだったが、アナイスは尚も石で彼の頭を打ち続けていた。

「・・・なあ・・・おい、いつまで寝言を言うつもりだ?・・・こいつ、もう死んでいると思うけど・・・?」

その声で我に返ったアナイスが振り向くと、ギヨームが青白い顔をして立っていた。

「なあ、なあ、・・・どうする?警官に見つかったら、どうなる?」

「うるさいね!あんたにつべこべ言われるまでもないよ!この男は自分で死んだのさ!」

オーギュストが担いできた猟銃、狩猟用の散弾銃をアナイスはひったくるように取ると、彼の腰に付けられていた弾帯から弾を二個取り出した。

「ほら、そこをどきな!お爺ちゃん仕込みの銃の腕前を見せてやるよ!」

そう言ってギヨームを追い払い、銃の薬室を開けて弾を込めてから、ゆっくり閉め次の弾を弾倉に装填した。

アナイスは血まみれで寝転がっているオーギュストの半身を起こして木にもたせかけて座らせ、その動かぬ姿に向かって銃を構え、銃床に頬を当て照準器を見ながら一歩ずつ下がり、五メートルほど離れた所で止まって狙いを定め、ためらうことなく引き金を引いた。

弾はオーギュストの頭を直撃し、アナイスが既に粉砕していた彼の頭部がさらに粉々になった。

「ほら、これで良い。後片付けは、あんたがやりな、警察官だ、自殺死体の始末くらいできるだろう?」

「あ?ああ、そうだな・・・。」

ギヨームはアナイスには逆らえないのだ。言われた通り死体を自死したように見せる為に、少々細工を施した。

「もういいだろう?早く家に帰ろうぜ、・・・・アナイス、そんなに血まみれで警官に見つかったら、どうする?」

アナイスは黙ったまま、暗赤色に染まった両手を見つめ、ねばつく血を前掛けで拭った。

(オーギュスト・・・早く戻ってきて、あたしはいつまでも待っているからね・・・。)

家に戻るなり、疲れた、と言って椅子に座り込んだギヨームをアナイスは無視して、隣人に貰ったじゃがいもが入っていた麻袋と紐を手に取り、彼の背後に近付いた。

「もう、つくづくあんたが邪魔だよ。」

静かにそう言うと、ギヨームの頭に麻袋を被せ、ぐるぐると紐で縛って身体を動かせないようにしてから、右脚で椅子を蹴り倒した。そして壁掛けから飾り杖を掴み取ると、椅子もろとも倒れて叫び声を上げるギヨームの頭を渾身の力で叩き始めた。

「この野郎!早く死ねったら‼」

「や、やめろ、やめろ、やめろ、もう止めてくれ、俺が何した!」

痛みに呻き、叫びまくるギヨームに業を煮やしたアナイスは付けていた前掛けを外し、首に巻き付けて一気に締め上げた。

「いいかい?あたしが一緒にいたいのはあんたじゃない!あんたじゃない!早く死ねったら‼」

ゆっくりと呻き声が弱くなり、ジタバタもがいていた彼の身体が動かなくなった。

アナイスはすぐさま奥の部屋の敷板を一枚ずつ剥がして地下室の扉を開けた。それからギヨームの身体を椅子ごと引きずって、地下室に落とした。ズシン!と大きな音が響いたが、その後は何事も無かったかのように静かになった。

「ふう、これで良い。ああ、そうだ、身体を拭くのを忘れていた。」

アナイスは急いで地下室を元通りに隠すと、水を汲むために外へ出た。

それからほどなくしてアデルがやって来た。アナイスが身体を拭き終えて、血の付いた服を、ぼんやり眺めていた時だった。

そして、アデルが消えた後、アナイスは椅子に腰掛けて、オーギュストからの手紙を握りしめていた。

「ああ、とにかくこれで邪魔者は片付いたね。アデル?もう逝っちまったかい?まだなのかい? オーギュストの事は任せときなって。幸せにできるのはあたしだけだからね。」

そう言ってアナイスは涙目のまま声を上げて笑った。



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