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第3話 馬車馬の如く、命令させろの作戦

「ほらほら、何をしているにゃん。そんなにノロノロと掃除をしていたら、君のスカートを覗いてチャンネル開設しちゃうにゃん♪」


 バイトの初日、フリフリのメイド服で、廊下の雑巾がけをする俺の後ろをぴったりつけて、同じく雑巾を滑らせる佐間音さまね


 気になって振り向くと、ケラケラと小笑こわらいしながら、スマホをこちらに向け、スカートめくりをしようとたくらんでいる。


「ぎゃー、人生初のいちごパンティーを穿いているんだから、Yo○Tubeは止めろおぉー!?」

「にゃはは。これはSNSに上げたら、一気にバズッて炎上するにゃん♪」


 待て、彼女はこんなキャラだったか?


 いや、それ以前にこの無駄に広く先の見えない異次元のような空間は、どこに位置する廊下だ?


 ここもれっきとした工場の中だよな?


****


「さあ、これからは皿洗いをしてもらいますわよ」


 清掃が終わったかと思えば、工場長の雪枝ゆきえさんに、がら空きの食堂へと連れていかれ、次の仕事を要求される。


 ちなみに佐間音は急遽きゅうきょアイドルの仕事が舞い込んだので、一時的に俺の管轄かんかつ? から離れることになった。


「しかし、何でこんなに洗い物が溜まっているんだろう?」

「つべこべ言わずに洗いなさいな」


 背丈の2倍くらいの山ほどの相手の食器を前にしても、眉も動かさず、スポンジと洗剤を俺に押し当ててくるきもの据わったママ。


「あの雪枝さん、ちょっと言いづらいんだけど……」

「何かしら?」

「これ洗剤の容器じゃなくて、マヨネーズのチューブ……」

「あら、ごめんなさい。最近、老眼が激しくて」


(ああ、いくら色気づいても、もう立派なオバさんだな……)


「誰がオバさんだって!」

「何も言ってないだろ!?」

「言ってなくても顔に出ているんだよ!」


 このキレ方、親子そのものだなと思いながらも、襟首を上下に激しく揺さぶられる。


「……ぐ、ぐるしい」

「……あら、おほほ。ごめんなさいな」


 怒りを静めた雪枝さんがポンッと襟首を離し、俺は地べたでゴホゴホと咳き込む。


 やっぱり子は親に似るんだな。


 さてと、のんびりと人間観察している場合じゃない。


 与えられた時間は精を出さないと。


 俺は溜まった洗い物の前で、ゆっくりと深呼吸をして、まぶたを閉じ、心頭滅却しんとうめっきゃくして心を静め、瞑想めいそうを始める。


 心の瞳で、周りから様々な気配が感じとれる……。


「……感じる。左側から強烈な悪魔の固まりが……。このどす黒い魔性の気は……まさしく、雪枝ママか……」

「ブツブツとごたくを言わないで、早く洗わんか!」

「ぶべし!?」


 雪枝さんのラリアットを真正面から受け止め、その場で貧血でも起こしたように床に倒れ込む俺。


「あら、ごめんあそばせ♪」


 彼女から手を差し伸ばされて立ち上がり、これはパワハラにならないのかと思いながら、皿洗いをする手を動かすのだった……。


****


「……づ、疲れた」


 別室での小休憩の時、すでに息も絶え絶えで疲労が蓄積されたほおに温かいものが当たる。


「んっ、これは噂のタピオカミルクティー?」

「そう、私の手作りドリンクですよ。これを飲んで元気だしなさい」

「ありがとうございます」


 何だ、何だかんだと言っても優しい人じゃないか。


 俺は手渡された飲み物を口につける。

 聖母の優しい味がした。


「飲んだらそれを作ってもらいますわよ」


 雪枝さんが俺の飲んでいるタピオカミルクティーをビシッと指さす。


「へっ、これを!?」

「そうよ。飲んだから大体の味は掴めたでしょ?」


 俺の頭の中はパニック状態だ。

 その混乱する脳内の片隅で、あの言葉を思い起こす──。


◇◆◇◆


『──じゃあ、私の心をあなたで夢中にさせられたら、このお年玉は返すにゃん』

『それは本当か?』

乙女アイドルに二言はないにゃ』

『だったら俺からも保険をかけるぜ』

『いいにゃん、用件は?』

『俺を明日から冬休み限定の昼間の間、この工場で金が貰えるアルバイトをやらせろ。これでお年玉が貰えなくても収入が入る』

『なるほど。考えたわね。いいにゃん。私のお母さんには上手く説明しとくにゃん。では、この契約書にサインにゃん』


 あの日、薄暗い休憩室の中で俺たち二人は契約の手はずを整えたのだった……。


****


 ──そうやって難なくOKされて嬉かったけど……。

 まさかこんなに手厳しい親子だったとは……。


「さあさ、早く作りなさい」


 ドタバタとそそのかされ、このママの指示に従ってはいるものの、無茶が多すぎないか。


 第一、タピオカミルクティーならコンビニでも手軽に買えるよな。


「……ま、まさか、この工場の倉庫内には狩猟制限のあるタピオカガエルの卵を密かに隠しもってたりして……それを入れるのか?」

「そんなわけないでしょ。あのカエルは目の形がタピオカに似ているだけ。タピオカはれっきとしたキャッサバという芋が原料ですよ」

「そうだよな。の味噌煮とか最高にうまいもんな」


 俺の高度なジョークに注意を反らせつつ、食器棚に置いてあったタピオカの入った筒の容器を手に取り、透明なドリンクカップに入れる。


 それからミルクティーを注ぎこめば完璧だ。


「──出来たぞ」

「やけに早いですわね。どれどれ……」


 雪枝さんが味見、いや毒味をする。


 それを飲みながらどんどん顔の表情が変わっていく彼女は、まさに正月定番の福笑いごっこのようだ。


「確かにこれはタピオカミルクティーだわ……」

「でしょ?」

「でも生ぬるくて気持ち悪いわね。冬はホットじゃないと……」


 それは誤算だった。

 そう言えば、さっきくれた飲み物は温かったな。


「君もまだまだね……さあ、次は書類整理よ」


 ストローから口を離し、テキパキと次の指示を出す彼女。


 その日から俺は、佐間音の恋心を俺に向けさせるために、朝から夕方まで馬車馬ばしゃうまのように働いたのだった……。










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