あの声が耳の奥でくすぶっていた。起きてから何時間が経っても、かすれた女の声とその最後のひと言が、微熱のように頭の内側で揺れている。「透子」。記憶にないはずの名前だったのに、なぜかその響きが遠く懐かしく、どこか切なかった。夢かもしれない。錯覚かもしれない。だが、たしかに電話は鳴り、誰かが話しかけてきた。「思い出せ」「君は繰り返している」「未来にいた」——断片的にしか思い出せないその言葉たちは、まるで小さな針のように意識の膜を刺し続けていた。
2022年4月3日、日曜日。カレンダーにはそう書かれている。今日は大学の入学式がある日で、朝の光はどこまでも無垢だった。晴翔はすでに準備を整え、スーツに身を包んでいた。三年前に初めて袖を通した、ほとんど着慣れていなかったその服は、今の自分には少しだけ違和感があった。肩や袖の落ち方、ネクタイの締め具合。かつての自分はこれをどう着こなしていたのか、思い出せない。ただ、確かに一度は通ったはずの道を、まるで新しい足取りでたどるような気持ちだった。
外へ出ると、冷えた空気が頬を撫でた。春の日差しの下、大学へと向かう新入生らしき学生たちが駅前に集まり始めていた。電車のホームでは親に見送られる者、スマホで集合場所を確認している者、ぎこちない会話を交わしながら互いの緊張を隠そうとしている者。すべての顔が、これから始まる人生を信じていた。晴翔はその中に紛れ込みながら、自分だけが“二度目の人生”を歩いていることに、奇妙な後ろめたさを覚えた。
大学のキャンパスは、記憶のままだった。だが、細部はどこか曖昧で、靴音が響くたびに“この場所が本物か”と確かめるような気持ちになった。講堂へと続く階段にはすでに新入生たちが並んでおり、受付ではパンフレットと名札、学生証の仮カードが配られていた。名前を告げると、係の学生が微笑んで書類を手渡してくる。その瞬間、自分の名前を他人の口から聞くのが少し怖かった。死んだと思われていた自分の名が、まだ“生者として”この場で呼ばれることに、安堵と恐怖が入り混じった。
講堂の中は広く、壇上には花が飾られ、式典用の緞帳が下がっていた。前方のスクリーンには大学のロゴが映し出されており、式が始まるまでの静かなざわめきが辺りを包んでいた。晴翔は端のほうの席に腰を下ろした。隣に誰が座っているのかも気に留めず、ただ前を見ていた。式が始まると、来賓の挨拶や学長の言葉が淡々と続いた。だが、言葉は耳に入ってこなかった。自分がこの場にいること自体が、現実味を持たなかったからだ。式辞の内容よりも、その合間合間で聞こえる咳払いや椅子のきしみ、配布資料をめくる音のほうが、よほど鮮明だった。
ふと、舞台袖の控え室に目が向いた。誰かが資料を抱えてこちらを見ていたような気がした。だが、すぐに人影は消え、入退場の案内が始まった。入学式は粛々と進み、やがて終了の合図が告げられると、会場は次第にざわめきに満ちていった。スマホを手に記念写真を撮る者、親と合流して笑顔を見せる者、早くもサークルの勧誘に声をかけられて戸惑う者。誰もが“初日”を祝福されていた。
晴翔は、人の流れから少し外れた位置に立ち、周囲を見渡していた。あまりにも鮮やかに、すべてが生きて動いていた。これは嘘でも夢でもない。確かに“戻ってきた”という実感が、ようやくゆっくりと彼の中に沈んでいく。
帰り道、彼はわざと遠回りして歩いた。かつては一度も通らなかった裏門近くの通学路。そこには古い神社があり、急な石段が続いていた。上っていくと、小さな祠と、風に揺れる絵馬があった。願いが書かれた板の中に、こんな文字があった。「もう一度、やり直したい」。それが誰のものなのかは分からない。だが、今の自分にだけは、それが世界の裏側から届いた答えのように感じられた。
夜になっても、あの“透子”という名前は心の中に残り続けていた。式の最中、誰かが名簿を読み上げるとき、自分がその名を聞くのではないかと何度も思った。だが、どこにもいなかった。少なくとも、今日この式場には存在していなかった。しかし、それでもどこかに“いる”という確信がある。名前だけが先に残り、記憶だけが遅れている。そんな感覚が、薄皮のように心に貼りついていた。
夜、アパートに戻ると、制服姿の少女が一瞬だけ脳裏をよぎった。誰かは分からない。けれど、その表情はたしかに自分を見ていたような気がした。どこかで出会ったかもしれない“未来”の人間。その記憶が今、少しずつ輪郭を持ち始めている。
その夜、晴翔は机の上のノートを開き、日付とともにこう書き記した。「この人生は、もう一度始まっている。忘れるな」。それは、誰かのための言葉ではなく、自分自身への確認だった。
この世界で、自分だけが“知っている”。未来に何があったのかを。だからこそ、これから選ぶすべての道が、自分だけに許された“変化”であるという事実を、彼はようやく静かに受け止め始めていた。これは救いなのか、罰なのか。その答えはまだ分からない。ただ一つ確かなのは、三崎晴翔は“もう一度、生きている”ということだった。