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2-1. 今度こそ失敗しない

大学生活が始まってから、何日が経ったのかを数えることが癖になっていた。晴翔は、部屋の壁に貼ったカレンダーに小さな印をつけながら、2022年という年の中での現在地を視覚的に確かめていた。最初に巻き戻されたとき、その時間感覚はあまりに現実離れしていたが、いまやその日常にも、ゆっくりと適応し始めている自分がいた。


4月中旬。大学はまだ授業の本格化には至っていない。講義が週によってまばらに入っており、午後には構内が急に静かになる時間帯もある。新入生の浮き足立った空気は少し落ち着きを見せ始め、それぞれが自分の居場所を見つけるべく、小さな群れを形成し始めていた。


晴翔もまた、行動を開始していた。


“今度こそ失敗しない”という感情が、意識の奥底に確かに根を張っている。前に生きた時間の中で得た経験、失敗、後悔。それらを無駄にしないために、今回こそは、正しい選択を積み重ねる。未来の自分に胸を張って見せられるような過去を築いていく——そんな思いが、彼の一挙手一投足を支えていた。


まず取り組んだのは履修登録だった。前回は情報も経験もないまま直感で選んだため、興味のない必修で時間を潰し、無意味に出席点に苦しんだ。その結果、講義に対する姿勢が消極的になり、ゼミの配属や評価にも響いた記憶がある。今回はその教訓を生かし、SNSの“裏垢”で流れていた先輩たちの履修情報、将来の評価につながる講義の選び方、楽単と呼ばれる講義群の真の意味……そういった断片的な知識を、頭の中で丁寧に再構成していた。


エクセルで組んだ時間割は、限りなく理想に近い形になった。午前は専門科目で構成し、午後はレポートの軽い教養科目を配置。週に一度の空き時間を設けることで、就活が始まる時期にはインターンや説明会に柔軟に対応できる構成だ。1回目の人生では思いつきもしなかった設計だった。だがそれは決して傲慢さの産物ではなかった。過去の自分の弱さを見つめ直すことで得た、“あらかじめ知っている”という唯一のアドバンテージを活用するという、ごく冷静な判断だった。


サークルも、慎重に選んだ。1回目では軽い気持ちで入った映画研究サークルに馴染めず、出席率も低く、名前だけの在籍になったことを覚えている。今回は真剣に、かつ未来における自分の価値と結びつく活動を模索した。その中で選んだのが、大学公認の情報発信サークルだった。SNS運用、YouTube動画の企画と編集、学内イベントの広報に関わる部署。未来でバズるコンテンツ、急成長するプラットフォームを知っている自分なら、ここで先手を打てる。


初回の説明会に足を運ぶと、すでに数十人の学生が集まっていた。教室の前方に設置されたスクリーンでは、過去のイベント動画が流れている。音楽フェスのダイジェスト、インタビュー、空撮映像。レベルは高いが、所々に素人っぽい編集の甘さも残っていた。晴翔は、それらの映像を眺めながら、どこに自分の知識と技術を挿し込めるかを自然と分析していた。


サークルの代表らしき男子が話し始めた。「今年からSNS班をもっと強化します。特にInstagramとTikTokは、学外からの注目度が高まってて……」という言葉に、晴翔の目がわずかに鋭くなった。その未来は、彼の中ではすでに“結果”として知っているものだった。Instagramでは縦型リールが支配的になり、TikTokはニュースと教育の要素を強化していく。YouTubeでは、短尺よりもコミュニティ形成に重きを置いたチャンネル運営が主流になっていく。そういった“流れの先”を、他の誰よりも先に体感していた。


説明会後、興味のある学生に向けた自由面談が行われた。晴翔はそこで、広報班の一員であり編集リーダーも兼ねている水野瑠夏という女子学生と話すことになる。整った顔立ちと、やや落ち着きのある雰囲気、言葉の端々に論理的な鋭さがあり、場の空気を読むことに長けていた。彼女は資料に目を通しながら、晴翔の応募用紙をじっと見つめていた。「……SNS運用、以前に何かやってたんですか?」という問いに、彼は「少しだけ」と笑って答えた。本当は、未来で彼女よりも多くの数字を生み出していた自負があったが、語ることはできない。


「動画編集もできます」と一言だけ付け加えると、「じゃあ、テストで1本お願いしてもいいですか?」と、即座に返ってきた。声の抑揚、目の光、腕を組んだ姿勢。彼女は直感的に、自分にない何かを晴翔から感じ取っているようだった。未来で成功していた人間が持つ、無意識の“余裕”のようなもの。それは、今の晴翔に染みついてしまっていたのかもしれない。


夜、部屋に戻ると、Macを開いてPremiere Proを立ち上げた。1周目の人生で就職活動に向けて独学した編集技術を、まさかこのタイミングで使うことになるとは思わなかった。構成、テロップ、尺のコントロール、音声の調整、BGMの挿入。全てが自然に指先に染みついていた。提出期限より1日早く、完成した動画をGoogle Driveにアップロードし、送信ボタンを押したとき、ようやく“この時間に自分は存在している”という実感が少しだけ湧いた。


未来を知っていることは、罪でもズルでもなかった。これは選ばされた役割だ。そう思いながら、晴翔はノートを開き、今日の予定を振り返るようにメモを取った。「今度こそ、失敗しない」。その文字を見ながら、彼はこの“再生された人生”が単なる運命の延長ではなく、自分の意志で塗り替えるべき道であることを、静かに自分に言い聞かせていた。

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