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2-2. ブームの前に、僕はいた

5月の空は思いのほか深く、晴翔の視界を貫くような青だった。気温は緩やかに上昇を続け、大学構内を歩く学生たちの装いも春の層から初夏の気配を帯び始めていた。木々は若葉を濃くし、午後の陽射しをちらちらと遮る木陰ができると、そこに集まる学生たちの笑い声が風に運ばれていく。日常の変化は緩やかで、気づけば次の季節が始まっているという具合だったが、晴翔にとっては、すべてが「既に知っている時間の中での再体験」でしかなかった。過去を再び生きるということは、単に同じ風景をなぞるだけの行為ではない。自分が知っていることを、誰も知らない状態で受け入れられるように振る舞う、その継続的な演技を必要とする。未来において流行し、人々を熱狂させ、社会の構造を微細に変えていくトレンドを、今この瞬間に“初めてのように提示する”ということは、他人の無垢な驚きを奪うと同時に、自分にとっての真新しさを放棄することでもあった。


情報発信サークルの活動は、思いのほか充実していた。動画編集のスキルは一目置かれ、企画の提案にも重みが出てきていた。特に水野瑠夏との共同作業が増えるにつれ、チーム内での立ち位置も明確になってきた。彼女は確かに聡明で、瞬発的な判断に長けていた。未来の記憶に照らしても、彼女のような人物は早晩どこかで成功を収めるだろうという確信があった。ただ、その方向は、晴翔の記憶の中ではまだ“芽吹いてもいなかった時期”のはずだった。つまり今、自分が彼女と組んで動くことによって、未来が小さく軌道をずらし始めているという感覚があった。


晴翔は、未来において流行の中心になるはずだったいくつかのコンテンツを、この世界で少しずつ提示していた。例えば、匿名日記投稿型の音声アプリ。2023年に爆発的に伸び、学生層から社会人までを巻き込むトレンドとなったこのサービスを、彼はさりげなく企画案としてサークル内で提案した。テーマは“声に出せない言葉を、音にして残す”。提案は会議の場でざわつきを呼んだ。まだInstagramのリールやTikTokの流行が前提にある中で、「音声だけ」というフォーマットに違和感を覚える者も多かったが、逆にそこに「新しさ」を感じるという意見も出始めていた。誰もが「正解」など知らない時期において、彼だけが“結果を見ている”という歪なアドバンテージを持っていた。


この音声日記プロジェクトは、試験的に学内で公開され、予想以上の反響を呼んだ。SNS上では“#声日記”というタグが自然発生し、録音された声に耳を傾けるという行為が、誰かの孤独を代弁するような空気感を生んでいた。晴翔はその広がりを、どこかで冷静に眺めていた。これが正解だったかどうかは、自分が判断するものではない。ただ、未来を知っていたという一点によって、この場にその流れを“落とした”ことに間違いはなかった。


次に仕掛けたのは、学内動画ランキングの導入だった。もともと学内での動画コンテンツは、発表用の記録映像が主だったが、晴翔は「個人視点で撮られた日常動画を、学内限定で公開・投票する」という形式を提案した。投稿された映像には、通学路の朝の風景、食堂での昼食、サークル活動の練習風景などが含まれていた。いずれも特別な映像ではなかったが、“誰かの普通の日常が、他人にとっては新鮮に見える”という仕掛けが思いのほかウケた。晴翔が覚えている限り、この企画は本来なら3年後、ある別の大学で生まれるはずだった。そこでは「記録することの価値」が再評価され、映像が“学術資料”としても注目されるようになる。それを今、三年前倒しで展開していることに、彼は不思議な緊張感を覚えていた。


やがて、動画コンテンツと音声日記を組み合わせた連動企画が動き出した。ある学生の「雨の日に誰かが書いた詩を読む声」と、「濡れた通学路の映像」が組み合わされ、静かな話題を呼んだ。誰かが無名のまま残した言葉が、映像によって輪郭を持ち、共感されていく。このプロジェクトの初動に、牧野詩織の詩の一節が使われたことを、晴翔は偶然知った。偶然——そう思おうとしたが、それがどこかで、避けようのない必然に思えた。彼女はまだ自分と話したこともない。ただ、かつての記憶では、まさにこの時期に詩作を始めるきっかけを得ていたはずだった。今、彼女の言葉が、誰かの声に、誰かの映像に乗って再生されている。時間がわずかに軌道を変え、しかしそれでも同じものが世界のどこかに出現するという現象に、彼は震えるような感動を覚えていた。


晴翔はある日、誰にも言わずにひとり図書館へ足を運んだ。人の少ない平日の午後、文芸雑誌の並ぶ棚の前で、彼はそっと詩織の名を探した。だが当然、名前はなかった。彼女はまだ発表という形でその言葉を外に出していない。だが、音声日記に使われたフレーズは、確かに自分がかつて読んだ詩の一節だった。その事実が、何かが繋がり始めていることを示していた。


夜、サークルの編集室で水野瑠夏と話す機会があった。彼女はプロジェクトの進捗に満足しているようで、「まさかこんなに反響があるとは思わなかった」と言った。晴翔はただ頷き、データのグラフを眺めていた。再生数、ハッシュタグの伸び、コメント欄の傾向。すべてが未来において成功していたフォーマットに酷似していた。彼は、自分が望んだ“理想の形”に近づいている手応えを感じていた。


未来を知っているということは、常に予測の内側にいるということだ。そこには冒険も驚きもない。だが、その分だけ、確実な“選択”が可能になる。そして、いま彼がしていることは、未来の模倣ではなく、再構築だった。正解をなぞるのではなく、正解を前倒しで現実に落とし込んでいくこと。彼にとって、それは「人生のやり直し」ではなく、「正しい道を初めから歩き直す」という意志だった。


晴翔は再びカレンダーに小さな印をつけた。前に生きた時間で、何もできなかった日々の上に、今度は別の意味を重ねていく。ブームの前に自分はいた。それは、未来を知る者だけが持ち得る、静かで確かな優位だった。

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