あれは俺が苗の注文をミスって菊野原次長と一緒に農家さんに謝りに行った後の会議室での話し合いをした時の事だった。
次長は俺にコーヒーを買ってくれて向かい合って椅子に座って話したんだ。
「まあ落ち込むな。ミスは問題ない。お前の対応は間違っていないぞ」
「すみません。俺がうっかり確認を怠ったせいで」
花は品目といって、菊とかトルコキキョウとか、カーネーションとかあるが、それぞれ品種という区分がある。
厄介なことに同じ名前の品種が数多くある。
一例をあげると『ソフィー』という白系統の花があるのだが、グラジオラスにもスプレーマムにもカーネーションにもある名前だ。
今回はたまたま同じ品種名を両方生産している農家さんだったのでそのまま使用してもらえることになった。
でももし作っていない品目だったらその農家さんは穴が開くことになってしまう。
つまりその分の収入がなくなる。
確かに忙しく受けた注文だった。
でもそんなことは言い訳にはならない。
「まあこの話は終わりだ。いいな」
「……はい」
次長は大きくため息をついて俺に話し始める。
「なあ、木崎。お前うちの花ってどう思う?」
「えっ?えっと標高が高くて温度差があり発色の良さと長持ちする高品質の産地だと思っています」
「ああ、そうだな。間違ってはいない」
次長は缶コーヒーを飲む。
そしてタバコに火を点けふう―っと大きく吐き出した。
「うちの産地の利点であり、弱点なんだよ」
「えっ?……弱点?」
「ああ。うちの産地はな、今まで出来たものを売っていたんだ。だが今はそれじゃだめだ。ユーザーが求めるものを提供しなければ生き残れない。うちは元々栽培適地だからな。何もしなくてもそれなりのものが出来てしまう」
「えっ、それって有利なんじゃないですか」
「まあな。でもそれは栽培管理とは言えない。今の技術はすごいぞ?無理やり作ったものの方が何倍も使いやすくなっている時代だ。『うちは色が良い』とかだけじゃ対応出来ん。残念ながら客でそこまで判断できるのは少数派だからな」
結局農業は『売ってなんぼ』の世界だ。
もちろん花は見る物。
でも今純粋に花を愛でるユーザーは残念ながら高齢化が進み少数派になってしまっている。
だから花屋さんは衰退していき、ホームセンターなどで売られている『値ごろ感』のある花が消費の中心となっていた。
「海外からも押し寄せてくる。だからな木崎。よく考えてから行動しろ。俺たちの仕事は農家とともにある仕事だ。だからと言ってへりくだる必要は一切ないぞ?お前は指導だ。導いてやれ」
「…でも俺、技術とか正直良く解っていません。指導とか……難しいです」
「当たり前だ。誰もお前が上手に物を作れるなんて期待していない。そうではなくて俺たちにしかできない事をするんだ。情報を集めろ。商機を作れ。栽培することは農家に任せればいいんだ。俺たちは売れるものを、売れる形態を教えてやることが一番の仕事だ」
「うう、俺にできるでしょうか」
「そうじゃない。やるんだ。……考えてもみろ。野菜って食うもんだろ?」
「えっ?……そうですね」
「だが販売に力を入れている種苗屋で味にこだわっている会社を俺は知らない」
「っ!?」
「いい形で揃い歩留まりが良いものを我先にと開発している。何故か?売りやすいからだ。もちろんそういう会社にも誇りをもって味に挑んでいる者もいるが商品にはならない」
そうだ。
食べる物なのに、味ではなくて作りやすさ、揃いのいいものが結果としてお金を取っている。
「俺は気に入らないがな。やっぱりうまい方が良いに決まっている。だが結局世の中はそういう流れだ。つまらないけどな。いつかは変わるのだろうが暫くはこのトレンドで行くだろう。そして俺たちは今生きている。花だって同じことだ」
「っ!?」
「いつかじゃない。今なんだ。だから成功も失敗も恐れるな。俺が責任は取ってやるさ」
凄いな。
この人はいつでも考えながら仕事に取り組んでいるんだ。
「考えてみろ。例えば2年だけしか儲からないものを作るとしよう」
「はい」
「だったらそれを何度も見つけて10回やれば20年だろ?」
「…はい」
「生まれた赤ん坊が成人だぞ?十分だろ」
次長は楽しそうに俺を見た。
「お前らの特権はな、失敗する機会があることだよ。俺たちはもうそういう訳にはいかん。管理職だしな。だから情報を取れ。人と話をしろ。世の中はすべて繋がっているものだ。何も知らない誰かの一言が世界を変えることだってあるんだ。……ワクワクするだろ」
俺は正直、菊野原次長の事を見くびっていた。
こんなに凄い人だとは思っていなかったんだ。
なんか普通の人とは違うっていうか、凄く覚悟が決まっているっていうか。
今日だってきっとひどく怒られると覚悟していた。
もちろん俺のミスだ。
怒られるのは当然だし、次は気を付けようと思っていた。
でも、この人は「失敗する機会があること」って言ってくれた。
そして責任を取ると。
ああ、凄いな。
本当に尊敬する。
いったいどんな経験をすればこんなにすごい人になれるんだろう。
俺もいつかこの人みたいになりたい。
※※※※※
「ふふっ」
思わず俺は運転しながら笑っていた。
「ん?なあにまこと。彼氏でも思い出したの?可愛い顔してる」
「えっ?いや、違いますよ?俺、いや、私彼氏とかいませんし」
「えー?そうなの?あなたこんなに可愛いのに?……もしかして女の子が好きとか?」
うっ、何気に間違いではない。
百合とかじゃないけど一応俺は心が男だ。
彼氏とか考えただけで鳥肌が立つ。
「な、な、何言っているんですか?もう、びっくりするじゃないですか」
『えっ?まこと今の状態で女の子好きなの?』
いやいやニーナさん。
貴女もなに言っているんですか。
俺が好きなのは……
脳裏に真琴の笑顔が浮かぶ。
『……』
やべっ。
思い出しちゃった。
うう、俺マジで気持ち悪いかも……
「ふーん。……ねえまこと、お見合いしない?」
「……しません」
「あら、残念」
「えっ、まことちゃん好きな人とかいないの?ねえ俺は?」
いきなり参戦する直樹さん。
邦夫さんが大きくため息をつく。
「ばーか。直樹お前そういうこと言うな。まこちゃん純情なんだから。事故ったらどうするんだ」
「あー、すんません。…まことちゃん、冗談ね」
「は、はい」
そんなこんなで車は進む。
もうすぐ首都高速に入る。
気を取り直してマジで気合い入れないとね。
田舎暮らしの俺にとって首都高速は結構怖い。
どうして高速道路なのに毎年色々変わるんですかね?
カーナビ更新していないから意外と役に立たないし。
降り口右とか意味わからないしね!!
責任者出てこいや!!
※※※※※
一方誠の脳内。
私は顔を赤らめていた。
「良いな真琴。めっちゃ愛されてるじゃん」
「うう、で、でも……誠今、ニーナの事……たぶん好きかも…」
「あー、う、うん。…で、でもさ、きっと貴女がいること分かれば、誠きっとあなたを選ぶよ?もう、そんなに落ち込まないでよ」
「う、うん」
どういう理屈なのか分からないけど。
私とニーナは以前よりもはっきりとお互いを認識していた。
そしてなぜかどこかから覗かれているようにも感じる。
「……ジジイよね。ほんと性格悪い」
ニーナのつぶやきがいつまでも頭のこびりついていたんだ。