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第5話

「……何なの?」


 あまりにも目立ってしまう、自分に気づいたカサンドラはそっと会場の壁際へと身を移し、主役である二人の登場を静かに待つことにした。


 しばらくして、会場がざわめき始める。

 出入り口からの呼び出しの声が、皇太子アサルトと妹シャリィの到着を告げた。


(さあ、私の出番ね)


 婚約破棄の前に、少しでも場を盛り上げておかなければ。そう考えたカサンドラは、扉が開き二人が姿を見せる直前にその前へと立ちはだかり、扇子を片手に彼らを見据える。


「まぁ、アサルト殿下。婚約者の私を差し置いて、妹をエスコートとなさるとは、どういうおつもりかしら?」


 突然、前に現れたカサンドラに、アサルトとシャリィは目を見開き、言葉を失った。


 そして、カサンドラを指差しながら叫ぶ。


「き、君は……カサンドラ嬢なのか?」

「カ、カサンドラお姉様なの……?」


(……なによ、変なことを言う二人ね)


「ええ、私は、公爵令嬢カサンドラ・マドレーヌですわ」


「「えっ、ええ――!?」」


 以前の舞踏会とは別人のように、痩身でしなやかな身体、艶やかな黒髪、そして妖艶な赤い瞳。見違えるほどの美女へと変貌を遂げたカサンドラ。


 メイドのシュシュが丁寧に施した刺繍、形を保ったまま引き締まった豊かな胸元を引き立てるドレスが、会場中の視線を一身に集めた。


「……あら? そんなに驚くことかしら?」


 カサンドラ、本人は、周りの視線に気付いていない。


(さっきから、何なの……? アサルト殿下も、私の胸ばかり見ているし。早く、婚約破棄を告げてほしいのだけれど)


 訳もわからず、カサンドラは小さく首をかしげた。その沈黙を破ったのは、妹のシャリィだった。


「そうですわ、アサルト様。お姉様にお伝えすることがあったはずです」


 宝石をふんだんにあしらった、華やかなドレスに身を包んだシャリィが、落ち着いた紺のドレスを着たカサンドラを鋭く睨みつける。


 その視線を受け止めたカサンドラは、ふとシャリィの腕に目をやる。紫の石の腕輪が、一瞬だけ紫色に淡く光った。


(今、シャリィの腕輪が光った?)


 カサンドラが、腕輪に注目していると気づいたのか、シャリィはさっと腕を隠す。「それはなに?」とカサンドラが声をかけようとしたがやめた。


 本日の舞踏会に出席している貴族たちは皆、「アサルト殿下が、婚約者カサンドラに婚約破棄を告げるらしい」という噂を耳にして期待している。


 それは、カサンドラも同じ。


(……少し、妹の腕輪は気になるけれど、今はそれどころではないわ。早く婚約破棄を告げてくださらないと、国王陛下と王妃様がお見えになって、面倒ごとになりますわ)


 沈黙に包まれた会場で、アサルト殿下に注がれる視線がいっそう強まる。シャリィに肘で突かれ、「早く」と促されると同時に、彼女の腕輪が再び淡く光った。


 その瞬間、アサルト殿下がようやく口を開いた。


「私、皇太子アサルト・デュオンは、公爵令嬢カサンドラ・マドレーヌに婚約破棄を申し渡す」


 その言葉を受け、カサンドラは静かに目を伏せ、優雅にスカートの裾を持ち上げ一礼した。


「アサルト皇太子殿下、婚約の破棄、確かに承知いたしました。すぐに公爵家に戻り、父に伝えて正式な書類を整えさせます。これまでのご縁に、感謝申し上げます」


 すべてが終わった。


 そう感じながら、カサンドラは踵を返し、会場を後にしようとする。


「ま、待ってくれ! カサンドラ!」

「待って、カサンドラお姉様!」


 なぜか背後から引き止める声が聞こえたが、もう、二人の言葉はカサンドラの心には届かない。


(だって、私は何もしていないもの)


 肩の荷が下り、たように心が軽くなったカサンドラはスカートを軽やかに翻し、貴族たちの視線を背に堂々と会場を去る。


 ーーただ一つ、シャリィの腕輪が少し気にかかるけれど。今はそんなこと、どうでもいいわ。


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