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第15話・【バイキング・オブ・カリビアン その10】

 波ひとつなく、シンッ……と静まり返る海。木製の船体がギギギときしみ、自分の呼吸音だけがやけに大きく耳に響く。


 これからどうなるのか、どこから襲ってくるのか。誰もが、目を凝らし海面の変化に注視していた。


 魔の三角地帯、バミューダ・トライアングルと聞くと、沈没船の残がいが沢山あるおどろおどろしいイメージがあった。しかし、ここにはそんな物はひとつもなく、美しく深い青緑が広がっているだけ。


 ……だけど今は、なにも変わらない普通の風景が怖かった。


「右舷前方や! 来るで!」


 糸目のカシラの声が、船首から船尾まで駆け抜けた。目を向けると、黒く大きい影が海中を進んでくる。


「なんだよあれ、でかすぎだろ」


 小学校の六年間、スイミングスクールに通っていたからこそわかる。あの影は、25メートルプールよりも大きい。


 ファンタジー物語等で、クラーケンの元ネタと言われる大王イカ。それの最大記録は約14メートルと、雑誌かなにかで読んだ事がある。だから荒海のクラーケンもその程度だろうと思っていたけど……甘かった。思っていた大きさの倍はある。


 自然環境や人々の生活風景があまりにも見慣れているだけで、ここは地球じゃない。わかっていたはずだけど、いつしか慣れて錯覚していた。


 ——今いるのは、魔法が存在する異世界なんだ。


 ここに生きる魔法生物なんて、僕が想像できる範疇はんちゅうを超えていて当たり前だった。


「大砲の準備できとるか?」


 細目のカシラが的確に指示を飛ばす。僕は船に関しては素人だ。だからブラック・サファイア号の挙動に関しては、彼に一任していた。


 カシラは『コンパスがあれば地獄でも航海してみせる』と言った。凄い自信だと思っていたけど、実際に彼は、クラーケンに対して恐れを見せていない。


「船首回頭や、取り舵45度、急げ!」


 左旋回の指示だ。大砲がクラーケンを狙えるようにするためだろう。強引な舵取りに船は傾き、悲鳴をあげながら向きを変え始めた。


 その直後――。


 ものすごいスピードで、ブラック・サファイア号の真下を通り抜ける荒海のクラーケン。その黒い影に続き、遅れて来た大波が船を襲う。

 曲刀を構えている者や大砲に装填していた者など、船縁ふなべりにつかまっていない船員はいずれも転倒し、甲板に叩きつけられていた。


 そのうち何人かは船外に放りだされ、波にのまれた。とは言えさすがは海の男たちだ、簡単に沈む事はない。すぐさま浮き輪が投げ込まれ、海面に顔をだした彼らは浮き輪に体を通していく。


 だが、船上からの手助けはここまでだった。ひとりひとりを救出する余裕はない。『勝手につかんで助かれ』とロープを垂らすだけだ。

 投げだされた彼らもそれを理解している。自力で船をよじ登るか、この場を離れて漂流を選ぶしかないと言う事を。


「クラーケンが船の下を通っただけでこれか」

「ほんま、大時化おおしけよりキビシイで。大将ボス、どないします?」


 人間なんてものは、どうあっても陸上生物でしかない。荒れる海、押し寄せる波、揺れ動く船の上で安定するはずがなかった。


「カルロス、ミゲル、頼む」

「おう、任せろ!」

「出番ですな!」


 二人が船首と船尾に別れて呪文を唱える。二つ三つ言葉を重ねて両手を海面に向けると、船の揺れがピタリと治まった。


 これは、事前に用意しておいた対策だった。


 カルロスとミゲルには、それぞれ水魔法で船外の海水を動かないように操作してもらった。細かな操作はできなくても、鍛えられた魔力でガッツリと船を固定するのなら、彼らの右にでる者はいないだろう。


「よっしゃ、砲手、狙い定めや! でて来た瞬間を狙うんやで」 


 左舷90度、距離にして100メートルくらいか。水面が盛り上がり、荒海のクラーケンが姿を現せた。間髪入れずに撃ち込まれる砲弾。”ズドンッ“と一発ごとに空気を震わせて、サッカーボールくらいの黒い弾丸がクラーケン目掛けて放物線を描く。


 しかし……


「なんやね~、あまり効いてへんな。堅いんやろか」

「いや、逆だよ」

「逆やて?」

「柔らかすぎて、衝撃を吸収されているんだ」


 風にそよぐ柳の葉のようなものだ。多分このまま続けても大したダメージにならないだろう。ならば、鋭利な物で切り裂いたらどうだろうか? 風船を殴っても割れないけど、針やカッターなら簡単にダメージが通る。


「カシラ、砲弾を抜いて。木片や釘、ガラスの破片、尖った物ならなんでもいい。砲身に詰めてくれ」

「またメチャクチャ言いおるな、このお人は。この間まで船酔いでグッタリしていたなんて思えへんわ」

「もう、ひと言多いって!」


 そう言いながらも、カシラは手下に指示をだした。『なんでもいいから尖ったものを詰めろ』と。


「苦戦しているようですわね!」


 手を腰に当て、クラーケンを正面に見据えるアン王女。


「王女……いったいなにを?」

「見ていなさい、魔法王国グラナドの王女が放つ、超スペシャルな攻撃魔法を!」


 ……なんか悪い予感がするのですが。


「ジャック、わたくしの身体に抱きつきなさい」


 ジャックは言われるがまま左腕をアン王女の腰に回し、右手と右足を手すりにからめて動かないようにしっかりと固定した。王女の長い髪が風にあおられて、バッサバッサと彼の顔を叩く。


 ……ジャックの顔が赤いのは、呼吸ができずに息苦しいからって事にしておこう。決して、王女に抱きついているからとか、そういう事ではなく。


 彼女が天を仰ぐように両手を広げると、その中心に強く赤い光が発生した。それは、段々と膨らみ、まるでそこに太陽があるかのような、巨大な火の球ができ上がっていった。


「あ、アン王女、炎魔法は……」

「さあ、食らいなさいな!」


 僕の声は届かず、魔法を撃ちだす王女。その勢いは凄まじく、かなめが使った土魔法の比ではなかった。でも……


 ——ジュッ


「あら……?」


 ……まあ、そうなるよね。


「あんな~、姫さん。海の魔物に火の攻撃はナシナシのナシやで」

「海水をまとっているから、火魔法は相性が悪いですよ。使うなら雷か氷か……」

「そういう事は先に言いなさいよ!」


 ……言いかけたのに。もう、この尖った性格でクラーケンに傷をつけられないだろうか?


「そんで姫さん、大将ボスの言う、雷とか氷の魔法ってあるんか?」

「そんなものはありません!」


 自信満々に言うアン王女。こんな時まで高飛車だ。


 ……でも、そのおかげでクラーケンを倒すヒントが手に入った。有効な魔法はないし、砲弾も効かない相手だけど、これなら手持ちの水魔法でなんとかなりそうだ。


「ジャック、水魔法を覚えた人たちを全員集めてくれ!」



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