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第21話・処世術

 膝を抱えて泣くあおいさん。こんな状態の彼女は初めてだ。僕ら男性陣も、鈴姫べるさんですらも、声をかけられずに驚いていた。


 それからしばらく泣いたあと、彼女はポツリと話始めた。


「て、転移したら真夜中でさ、その、超ボロい寺の中だったのよ」


 ……なんだろう、和風ホラーの世界かな?


「そしたらそこで、目をギラギラさせたお婆さんが、ニヤっと笑いながら、ひらたすら死体の髪の毛むしってんだよ」


 ……いや、これは記憶にある。ボロボロの山寺に、死体の髪をむしる老婆。


「そんなの無理でしょ、無理無理無理無理!」


 これってもしかして……


「あった」


 さっき本棚を見ている時に、目に入ってなんとなく記憶していた一冊。


 ……かの巨匠、芥川龍之介の【羅生門】だ。


 しかし、今手に取った本を開いてみると、1ページ目の数行で終わっていた。要約すると、『古寺に迷い込んだ男が老婆を見て逃げました』ってだけ。


 本来は、人生に悲観した男が、老婆との会話を通してある事を決意する話のはず。そして”生きるための必要悪“がよい事なのか悪い事なのか、判断を読み手にゆだねて終わる。


 そんな、日本文学の歴史に燦然さんぜんと輝く不朽の名作を、わずか数秒で台無しにしてしまったのか。


 でも、これは決して、葵さんを責めているのではない。このスゴロクの仕様に腹が立っているだけだ。そもそも【羅生門】は、異世界じゃなくて日本の平安時代の物語、ゲームの対象にする事自体間違っている。


 そして、これは今気がついたけど、本棚の隅っこに、【ローディス島戦記】もあった。かなめが転移した世界だ。


 間違いない。僕らは、無作為に異世界転移しているのではなく、ここに並ぶ本の世界を冒険させられているんだ。


 転移と本が関係している可能性は、情報共有の必要があるだろう。

 だけど、それ以上は混乱の元になる。物語が改変されている事を、僕しか認識していないからだ。


「……あれ?」



 ――ここで一つおかしな事に気がついた。



 僕が【バイキング・オブ・カリビアン】の世界を変えてしまった事は、僕しか把握していない。みんなの反応を見るとそれは間違いないだろう。


 でも、それなら【羅生門】の改変は、葵さんしか気がつかないはず。


 なのに、なぜ僕に【羅生門】の記憶があるのだろうか? 


 僕だけ、と言うのがものすごく嫌な気分だ。情報も手掛かりもなく、それでいてなにか、大きな責任を押しつけられている感じが伝わってくる。


 葵さんの件にしても納得できなかった。ホラーが苦手って事もあるかもしれないけど、一人の女性をここまで怯えさせる必要があるのか?


 ……このゲームの首謀者がなんのつもりでやっているかは知らないけど、無性に腹が立って来た。


あおちん、大丈夫っスか?」


 あまりに意外な葵さんの姿に、要は、敬遠されていると知りながらも、声をかけずにいられなかったのだろう。ポケットティッシュと、氷で冷やしたタオルを差しだしながら、彼女の顔を覗き込んだ。


「顔、拭くとスッキリするっスよ!」

「う、うるさいわね! あっち行って!」


 葵さんにはそんなつもりはなかったのだと思う。だけど彼女が否定のつもりで払った手が要に当り、ポケットティッシュと冷やしタオルは床に落ちてしまった。


「葵さん、それは……」


 僕が、『それはよくないよ』と言いかけた時、颯太そうたが先んじて不満をぶちまけた。


「それはないんじゃないかな? 薬剤師くんだって葵さんの事が心配なんだよ」

「颯太……」

「そりゃあね、人間なんだから、苦手とか嫌いってのはあるけど。それでも、人の善意や厚意を無下にするのはどうかと思う!……っと、思います」


 語尾を丁寧に言い直す颯太。勢いで口をだしてしまったものの、最後は彼の人の好さがでたようだ。


 葵さんには悪いけど、僕の言いたい事を言ってくれた颯太には、心の中で拍手を贈っていた。


 ――しかし要は、颯太の言葉を否定した。


「颯ちん待って。ゴメン、今のはオレが悪いっスから。嫌がられているのに近づいたオレのせいっス。だから、葵ちんも落ち着いて……」


 僕らの年代で、ここまで相手の事を気遣える人間も珍しいと思う。もちろん、要の行動を見ているからこそ言えるのであって、こんな事でもなければ、考える事すらなかっただろう。


「離れてるから、もう近づかないから。元気だしてほしいっス」


 心理学者の言葉だったと思う。『性格や考え方は、その人にあらず。そうしなければ生きられなかった結果であり、処世術である』と、どこかで読んだ記憶がある。


 要の気遣いは、その見た目も含めて、生きるために身についたものかもしれない。


 この場のやりとりだけ見ると、葵さんが一方的に噛みついているようにもみえる。だけど、それにはそれなりの理由があるわけで……彼女が要を嫌っているのは、廃村ここに来るバスの中での出来事が原因だった。


 要に悪気が全くないのはわかっている。でも、あのひと言がなければ、こんなギクシャクした関係にはならなかっただろう。



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