膝を抱えて泣く
それからしばらく泣いたあと、彼女はポツリと話始めた。
「て、転移したら真夜中でさ、その、超ボロい寺の中だったのよ」
……なんだろう、和風ホラーの世界かな?
「そしたらそこで、目をギラギラさせたお婆さんが、ニヤっと笑いながら、ひらたすら死体の髪の毛むしってんだよ」
……いや、これは記憶にある。ボロボロの山寺に、死体の髪をむしる老婆。
「そんなの無理でしょ、無理無理無理無理!」
これってもしかして……
「あった」
さっき本棚を見ている時に、目に入ってなんとなく記憶していた一冊。
……かの巨匠、芥川龍之介の【羅生門】だ。
しかし、今手に取った本を開いてみると、1ページ目の数行で終わっていた。要約すると、『古寺に迷い込んだ男が老婆を見て逃げました』ってだけ。
本来は、人生に悲観した男が、老婆との会話を通してある事を決意する話のはず。そして”生きるための必要悪“がよい事なのか悪い事なのか、判断を読み手にゆだねて終わる。
そんな、日本文学の歴史に
でも、これは決して、葵さんを責めているのではない。このスゴロクの仕様に腹が立っているだけだ。そもそも【羅生門】は、異世界じゃなくて日本の平安時代の物語、ゲームの対象にする事自体間違っている。
そして、これは今気がついたけど、本棚の隅っこに、【ローディス島戦記】もあった。
間違いない。僕らは、無作為に異世界転移しているのではなく、ここに並ぶ本の世界を冒険させられているんだ。
転移と本が関係している可能性は、情報共有の必要があるだろう。
だけど、それ以上は混乱の元になる。物語が改変されている事を、僕しか認識していないからだ。
「……あれ?」
――ここで一つおかしな事に気がついた。
僕が【バイキング・オブ・カリビアン】の世界を変えてしまった事は、僕しか把握していない。みんなの反応を見るとそれは間違いないだろう。
でも、それなら【羅生門】の改変は、葵さんしか気がつかないはず。
なのに、なぜ僕に【羅生門】の記憶があるのだろうか?
僕だけ、と言うのがものすごく嫌な気分だ。情報も手掛かりもなく、それでいてなにか、大きな責任を押しつけられている感じが伝わってくる。
葵さんの件にしても納得できなかった。ホラーが苦手って事もあるかもしれないけど、一人の女性をここまで怯えさせる必要があるのか?
……このゲームの首謀者がなんのつもりでやっているかは知らないけど、無性に腹が立って来た。
「
あまりに意外な葵さんの姿に、要は、敬遠されていると知りながらも、声をかけずにいられなかったのだろう。ポケットティッシュと、氷で冷やしたタオルを差しだしながら、彼女の顔を覗き込んだ。
「顔、拭くとスッキリするっスよ!」
「う、うるさいわね! あっち行って!」
葵さんにはそんなつもりはなかったのだと思う。だけど彼女が否定のつもりで払った手が要に当り、ポケットティッシュと冷やしタオルは床に落ちてしまった。
「葵さん、それは……」
僕が、『それはよくないよ』と言いかけた時、
「それはないんじゃないかな? 薬剤師くんだって葵さんの事が心配なんだよ」
「颯太……」
「そりゃあね、人間なんだから、苦手とか嫌いってのはあるけど。それでも、人の善意や厚意を無下にするのはどうかと思う!……っと、思います」
語尾を丁寧に言い直す颯太。勢いで口をだしてしまったものの、最後は彼の人の好さがでたようだ。
葵さんには悪いけど、僕の言いたい事を言ってくれた颯太には、心の中で拍手を贈っていた。
――しかし要は、颯太の言葉を否定した。
「颯ちん待って。ゴメン、今のはオレが悪いっスから。嫌がられているのに近づいたオレのせいっス。だから、葵ちんも落ち着いて……」
僕らの年代で、ここまで相手の事を気遣える人間も珍しいと思う。もちろん、要の行動を見ているからこそ言えるのであって、こんな事でもなければ、考える事すらなかっただろう。
「離れてるから、もう近づかないから。元気だしてほしいっス」
心理学者の言葉だったと思う。『性格や考え方は、その人にあらず。そうしなければ生きられなかった結果であり、処世術である』と、どこかで読んだ記憶がある。
要の気遣いは、その見た目も含めて、生きるために身についたものかもしれない。
この場のやりとりだけ見ると、葵さんが一方的に噛みついているようにもみえる。だけど、それにはそれなりの理由があるわけで……彼女が要を嫌っているのは、
要に悪気が全くないのはわかっている。でも、あのひと言がなければ、こんなギクシャクした関係にはならなかっただろう。