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第10話・【バイキング・オブ・カリビアン その5】

 カルロスとミゲルは力及ばず、とうとう、頭の上まで水に浸かってしまった。しばらくは息を止めて耐えていたが、やがて、最後の空気を吐きだして、水槽の底に横たわった。


「カルロス、ミゲル。おぉ……なんて事を……」


 アン王女は両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちた。手の間からこぼれる涙が頬を伝い、薄汚れた赤いカーペットを濡らした。


「ほおぉぉ。オレが沈めた船のヤツらはこうやって死んだのか」


 バルバトスは感心しながら、小窓に顔をこすりつけるようにのぞき込んでいた。もちろん、取り巻きも同じだ。



 ——そして、チャンスがやってきた。



 苦悶の表情に見惚れたバルバトスの手から、アン王女に繋がる鎖がスルリと落ちたのだ。


 僕は咄嗟に彼女を抱き上げて、飛び退くようにバルバトスから距離をとった。


エクスペンション膨張!」


 掛け声と共にパチンッと指を鳴らす。それが、


 彼らが覗き込んでいる小窓にヒビが入り、直後、勢いよく破裂した。破片が飛び散り、バルバトスや取り巻きたちの顔に突き刺さる。悲鳴を上げてのけ反る者や、ひるんで尻もちをつく者、まさに阿鼻叫喚だ。

 さらに、残りの水を操作して水槽を破壊し、その勢いで海賊たちを吹き飛ばした。


 僕の水魔法はシンプルで、水を生成するか操作するかしかできない。そもそもが水不足の解消を目的としてアン王女が持ち込んだ魔法なのだから、そこに攻撃目的の魔法があるはずもなかった。


 さらには、生成と操作は同時に行えず、どちらか一方を使っていると、もう一方は使えない。水を操作して攻撃に使おうと思ったら、水そのものがその場になければならない。


 だが、今この場には大量の水があった。処刑の名目でバルバトスの目の前で堂々と溜めた水槽の水だ。


 僕が仕込んだのは、小窓近辺の水を瞬間的に膨張させて爆発に近い現象を起こす術式。この時代のガラスが、割れやすい粗末な物だった事も功を奏したのだろう。


「よし、うまくい……い……痛ったぁ!」

はふほふほひへふのかはひへす(カルロスとミゲルのかたきです)!!」


 いきなり僕の首元に噛みついてきた王女。泣いていたと思ったのに、この気性の荒さはあおいさんにそっくりだ。


「痛っ、痛いって! 葵さん、離してください!」

はほひ(あおい)? はへへふはほへは(誰ですかそれは)

「間違えました! って、なんでそんなに似てるんですかぁ!」

ひひまへふ(知りません)


 冗談抜きでかみ殺されそうな勢いだ。葵さ……いや、アン王女にとって僕は、”大切な臣下を処刑した憎い“なのだから『二人は生きています』なんて言っても信じてくれるはずがない。


 ……そしてもう一人、混乱から回復したがこちらに気がついた。


「ミナミナァ、キサマ……」


 バルバトスの殺気が僕に向けられた。左目に突き刺さったガラスの破片を抜こうともせず、狂気と怒りの視線で襲いかかって来る。


「簡単に死ねると思うなよ……」


 そう言いながら目から流れる血をペロリと舐め、腰につけていた曲刀カトラスを抜いた。


「ヤバ……」


 眼前には狂人バルバトス、首元には狂犬アン王女。まさしく前門の虎、後門の狼だ。


 ……って、あれ? なんか僕の知っている物語とちょっと展開が違うような?


 バイキング・オブ・カリビアンでは、アン王女確保と同時にカルロスとミゲルが飛びだしてきて、バルバトスを倒すはずなんだけど……まさか、本当に死んじゃったとか?


「カルロス、ミゲル、いい加減起きてくれって!」


 振り下ろされるバルバトスの曲刀カトラス。僕は水を操作する余裕もなく、アン王女を抱きかかえたまま走りだした。首に噛みつかれたままでは逃げの一手しかない。


「アン王女、あの二人の名前呼んで!」

はひほひっへひふほへふは(なにを言っているのですか)!」

「待てやゴラぁ〜!!」


 僕のすぐすぐうしろで”ヒュンッ、ヒュンッ“と剣が空を切る音が聞こえて来た。振り返るまでもなく、追いかけて来る重圧感がものすごい。


はひゃふひへははい(はやく逃げなさい)!」

「そう思ったら噛むのやめてくれませんか?」

ふふはひ(うるさい)!」


 噛みつきながら『逃げろ』と言い、ポコポコと殴ってくるアン王女。もう、なにをしたいんだこの人は。そして突き刺さった八重歯が痛い!


はふほふはひ(覚悟しなさい)ふはひほははひへふ(二人のかたきです)

「このままだと仇とる前に死にますって! あの二人は生きてるはずだから。王女が呼べばすっ飛んで来るから。試しに呼んでみませんか? ね、試しに~~~!」


 ——ヒュンッ


 バルバトスの凶刃が、アン王女の頬を鋭くかすめた。彼女の瞳が恐怖に揺れ、絹のような白い肌に薄桃色の線が走った


「ひゃっ!?」


 が驚愕の声を上げ、亜麻色の髪がハラリと舞う。さすがにまずいと悟ったのだろうか、彼女は僕の耳元で叫んだ。


「カルロス! ミゲル! わたくしを助けなさい!!」


 その瞬間、水槽のあった場所から”ドンッ“と鈍い衝撃音が響き渡る。直後、激しい水しぶきを巻き上げ、ミゲルは人間ロケットのごとくバルバトスに突進した。


 ぶつかり、激しくもつれ合うミゲルとバルバドス。


「はあ? てめぇら、ふざけてんじゃねぇぞ!」


 ミゲルは馬乗りになって押さえ込もうとするが、黙ってやられるバルバトスではなかった。彼は曲刀カトラスを捨てると、両手でミゲルの首を絞め始めた。


 一線を退いたとは言え、海賊を束ねる長だ。その膂力は尋常ではない。地力勝負になると、百戦錬磨のバルバトスに軍配が上がるのは明白だった。ミゲルの顔は段々と赤くなり、目が血走り始める。


「ふん、その程度でこのバルバトス様を屠ろうなど片腹痛いわ!」


 ミゲルは、バルバトスの左目に刺さったガラスの破片を素手で殴った。当然、彼の拳は裂けて血が吹きでる。それでもダメージはバルバトスの方が大きい。短い悲鳴を上げながらミゲルを蹴り上げ、立ち上がろうとしたその瞬間——。


 カルロスの一閃が、バルバトルの首を跳ね飛ばした。


 噴水のように吹き上がる鮮血を浴びるカルロスの手には、バルバトスの得物であった曲刀カトラスが握られていた。


 あとで聞いた話だと、この時ミゲルは風魔法を使って自分を吹き飛ばしたらしい。あとさきを考えず、『王女を守る』と言うこの一点だけに特化した、戦術もなにもない力技だった。

 カルロスは、ミゲルの行動を察してタイミングをずらして動き、確実にとどめを狙ったそうだ。


 これは、息の合った二人の連携があってこその勝利と言える。


 ……それはそれとして、だ。


 バイキング・オブ・カリビアンでは、バルバトスとの戦闘中に手下が戻ってきて、多勢に無勢の僕らは、バルバトスを倒しきれずに逃げる展開のはず。


「う~ん、なんか話がズレてきているような?」

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