大鏡に龍が昇った。
鼻先に私と鏡子ちゃんとミナミを乗せて、高く天に舞い上がった。
海沿いでタキシードを着た紳士の様に悠然と輝くタワーの頂上と、同じ目線に来るところまで登った。
そして、大鏡公園の白石橋の手前に集まるみんなの元に頭を降ろして、私達をそこに降ろすと、りゅうは大鏡の水面に帰って行った。
鏡子ちゃんも、ミナミも意識は無いが、異常は無いはずだ。
りゅうに、件のご褒美にお願いしたんだ。
至って、健康で無ければ割に合わない。
「六封じでは、龍はこんなにも大きいのか?」
火鳥のおじさんも茶々のおばあちゃんも驚いていた。
双子は、驚き通り越してビビって尻餅を付いていた。
「箝口令敷いておくね。 普通の人は視えないけど、レンズサイドウォーカーには、視えてるから。他言無用って」
「お願いします」
菅原先生の言葉に、柚木崎さんがそう頭を下げていた。
陽が完全に暮れようとしていたが、西の空の先端がまだ紅かった。
七封じの人達にお礼を言って、菅原先生が宿を手配して、明日、七山に送ってくれる事になった。
私達もみんなでお礼を言って、現地で解散した。
鏡子ちゃんは、お父さんの遥さんが駆けつけていて、意識がないまま背におぶられて、このまま家に帰るそうだ。
ミナミは流石に救急車で運んで貰う事になった。
念の為、病院で診て貰うらしい。
彼女の両親に連絡を取ると、キャンプの前日、クラブ活動で登校したきり、夜になつても帰らず捜索願もキャンプの朝から出していたと言う。
学校でも、事態は把握していたものの、一般クラスの生徒が、今回の騒動に関与しているとは思わ無かったので、別件扱いだったそうだ。
ただ、二学期から、特別クラス編入が決まったうちの1人ではあった為に、今回の件に関与を想定出来なかったのが悔やまれないことも無かった。
菅原先生曰く、そう言う危険性も含めて、特別クラスが必要とされるという話に、改めて納得した。
※
りゅうが元に戻ったなら、私は氷室さんの待つ、学校に、戻るものだと思っていた。
でも、柚木崎さんに手を引かれて、学園とは正反対の方向に歩いていた。
「柚木崎さん、何処に行くんですか? 学校と逆方向ですけど」
「りりあ、暫く、何も言わないで」
柚木崎さん、どうしたんだろう?
何も言うなと言われれば、何も話す訳にはいかず、私は取り敢えず、柚木崎さんに手を引かれるまま、ぐんぐん学校から離れた。
大鏡公園の学園の反対側の出口を出て、暫くして、大鏡神社に向かって居るのでは無いか?
と私は思った。
予感は的中して、大鏡神社の境内に入って、柚木崎さんは私が生まれ育った懐かしの我が家だった社宅の前に来て、当たり前のように、玄関のドアに鍵を差し込み、ドアを開けた。
流石に驚いて口を開いた。
「えっ、私の前の家っ」
「4年前から、僕が一人で住んでる。あがって」
「えっ、あっ、はい⋯⋯」
懐かしい自分の家の匂いに感動した。
4年前までは、ずっと私の家だった。
今、柚木崎さんが住んでいるなんて、夢にも思わなかった。
リビングの電気を付けると、家具が一通りそのままで更に驚いた。
引っ越しの時、父の実家に帰るから、何も大物の家具は、持って行かなかった。
自分の部屋のベッドや机も持って行かなかった。
「私の部屋もそのままですか?」
「そうだよ」
「見に行っても良いですか?」
懐かしくて、嬉しくてそう尋ねる私に柚木崎さんは、私をリビングのソファに押しやった。
「後で⋯⋯ね?」
後って、何の後だ?
「柚木崎さん?」
「りりあ、君は⋯」
そう言って、柚木崎さんは私を抱きしめてキスをした。
いつもは、軽く唇を何度も重ねた後、徐々に激しくしてくるのに。
最初からがっつり、私の唇を食べちゃうみたいにパクンと覆って、荒っぽく私の口の中を搔き乱した。
思わず、頭を後ろに傾けて逃げようとしてしまったが、柚木崎さんの手が私の後頭部を抑えて阻んだ。
柚木崎さんの事。
柚木崎さんとのキス。
嫌な訳じゃない。
でも、何か、いつもと違うから。
私の頭を抑えていた手が前へと滑っていき、私の頬を撫でてそして、べたりと頬に手を添えて顎へ、首筋へ、肩に降りていく。
「んっ⋯⋯んぅっ⋯⋯やっ、駄目っ」
何とか身じろぎして、柚木崎さんの唇から逃れて、まず息を吸った。
窒息するかと、思った。
「ま、待って」
「⋯⋯嫌だよ」
私の上着に手をかけて服を脱がした。
前を開けていたジャージをはいで、Tシャツは下着のタンクトップごと、万歳で脱がして、ブラジャーは片手でホックを外して肩から抜き取って、あっという間に足元に落とした。
両手で隠そうとする私の手首を薪でも拾うように片手で両手とも掴んで肩の高さで止めた。
ブラを片手で外して。
嫌がる私の両手首をいとも簡単に絡め取って、鷲掴みするなんて、なんて器用なんだ。
「えっ、何で?」
「何で? 何でって、僕のセリフだよ⋯⋯」
いや、私の方が。
断然、何でだ。
そう思うのは、いけないことなのか?
「柚木崎さん⋯⋯なんか私、柚木崎さんを怒らせるようなこと⋯しました?」
よく分からないが。
「怒る? そんなんじゃない。⋯⋯そうじゃないよ」
いや、怒っているようにしか見えない。
「じゃあ、何で今日は、ちょっと乱暴……じゃないですか? 見ないで、⋯⋯恥ずかしいです」
「見せてよ、りりあ。 僕に見せて」
「⋯⋯私の何を見たいんですか?」
いつもと違うし、見せてと柚木崎さんは言うけど。
私の服を脱がせて、裸の私を見つめているけど。
見たいのは、私の身体、ではない気がした。
「りりあの全部、ボクに見せて」
「それで、私を裸にするんですか?」
いつもなら、絶対しなさそうな事をしている。
されている。
「いや、君を裸にするだけじゃ、分からない。 だから、そうだね、目を閉じていて。 なるべく、優しくするから」
や、ヤバい。
今日の柚木崎さん、変だ。
何がどういう訳か、全く検討つかないが。
そんな訳の分からない状況の思うがままに流されたくない。
以前、私は、それで、痛い目に遭った。
「い、いや、ちょっと、そ、それは⋯⋯。あの、やっぱ、怒ってますよね。 そ、その、気になります。 怒らせてしまった事については、言葉で説明が欲しいです。まず」
私がそう言うと、柚木崎さんは、普段の柚木崎さんらしくない小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「良いよ。じゃあ、言わせて貰うけど。どうして キミは、みんなを助けるんだ。 助けられるんだよ。 何で、今なら助けられるのに。 どうして どうして、 僕の母さんは⋯⋯助けて⋯くれなかったんだよっ」
⋯⋯えっ。
えっ、ちょったんま。
「柚木崎さんのお母さん⋯⋯で、すか?」
「覚えてないよね? そんなはず無いって、おぼえているはず無いって分かってるのに。 でも、だからこそ、キミは、何も出来ない。仕方なかったって、そう思って、そう、思っていたいのに。 なのに、何で、裏切るんだよ。 何も出来無くて、仕方なくて。 だから、愛してたのに。ずっと愛していたいのに」
覚えてない。
検討も付かないが、何やってんだよ。
4年前の私は。
いや、でも、出来なかったのは私の過ちかも知れないが。
だからって、その後の一切から、手を引くように目の前の人達を見捨てるって言うのは、違うくないか?
柚木崎さんの望みは、何だ。
知りたい。
ふと、思い立って、両手を捕まれていて、身動きしにくいが、頭を起こして柚木崎さんの額に自分の額を重ねた。
「りりあ⋯⋯」
「覚えてない。だから、分かんない。 でも、だったら、直接知れば良い⋯⋯柚木崎さんの考えている事、私にみせて」
そうだ。
ワタシニ⋯出来ない事は、ない。
あの日、神になり損ねた以外に、今日の白い虎だって、私が後少しで喉元吹き飛ばしてやろうと思ったのに、勘違いして、トモが庇って飛び出すから。
そうだ。
鏡子ちゃんみたいに背中を裂かれて、その時、背中から【友】と書かれた白い玉が抜け落ちて、それを白い虎が喰らってしまった。
「まずは、一人……人質だ」
白い虎は、そう言った。
自分の記憶の回顧の後、断片的に、いくつもの映像が流れた。
真っ白の髪をした小柄の女性。
何度か会っている柚木崎のおじさんが呆然とその前に立ち尽くしていた。
柚木崎さん、泣いてる。
止めどなく流れる涙を何度も拭って、叫んでいた。
「僕の魂を全部あげるよ。足らないなら、そこら中から、手当たり次第、集めたって良い。足らないなら、いくらでも、あげるから。 死なないで、嫌だ。 嫌だぁああっ」
そう言えば、柚木崎のおじさんは思い出せるけど、おばさんの事知らないし、柚木崎さんの事、何も思い出せないっておかしくないか?
柚木崎のおじさんの家族の事、私は何も思い出せない。
それは、おかしいんじゃないか。
柚木崎さん、私とはここに戻るまで全然会った事が無いって、確かに無いよ。
今の私には、二人の記憶が。
でもそれは、本当に。
元々、無かったものなのか?
眠っている女性の額に、三日月の様な小みかん位の傷を見つけてハッとした。
眠る女性の顔を見たくて、柚木崎さんの記憶を探った。
そして、見つけた。
そして、気付いた。
私を庇ったトモダチだった。
小柄だった。
140センチ位で、出会ってからずっと、そのままの背丈で、最後は肩が並んだ。
嬉しいって。
私が喜ぶより、沢山、私の成長を喜んでくれた。
でも、おかしい。
やっぱ、おかしい。
でも、柚木崎さんの記憶も、おかしい。
「……柚木崎さんも、ナニカが無い」
「りりあ、誰から教わったの? 何で僕の中が視えるの?」
「うまく言葉に出来ないんですけど、何か、抜け落ちたり、もやがかかって、視えない。……柚木崎さんも、分魂したんですか?」
「よく分かったね。やっば、呪いが解けただけで前とは違う。君の髪の呪いは、必要悪だったな。 呪いがなくて、歯止めが利かない。 只でさえ、今でも手を焼くのに、本当、参ったな……」
※
寒い。
真夏の夜なのに。
凍える様に寒かった。
氷室さん、どうしているのかな?
もう、大丈夫かな?
大鏡も正常に戻って、りゅうとも会えたし、氷室さんも大丈夫だとは思うんだけど。
私、頑張ったし、ちょっと氷室さんには……褒めて貰いたいな。
ご褒美は要らないけど、流石に無視はしないよね?
「ここで、何をしていた?」
氷室さんの声に私は、閉じていた目を開けた。
氷室さんの声だ。
「ここ、どこですか? 寒い……」
寒い。
夏なのに。
「寒いのか……。お前は、そこで、朝まで眠るつもりか?」
「ここ、どこですか? 真っ暗で」
「そうか……。今度は、お前が、今は、真っ暗か」
肩から何かが滑り落ちて、余計に寒かった。
誰かの手が、私の肩を掠めて、私の肩を抱き起こした。
氷室さんの声しかしないから、氷室さんがそうしたんだと思った。
抱き起こされたみたいで、足がぶらんぶらん揺れる。
「帰るぞ。良いな?」
「はい、氷室さん」
「何だ」
「私、頑張ったんです。 褒めて」
「そうか。分かった……。何が欲しい」
いや、褒めてくれる。
だけで良いんだ。
「何もいりませんよ。ただ、褒めてくれるだけで。 欲しいものは、もう一人のアナタがくれました。 鏡子ちゃんも、呪われていた学園の子も、ご褒美に治してくれたから。 私……後は、頑張った。……よくやったって……褒めてくれたら、もう……」
「分かった。 よく、頑張った。 よく、やった。 火鳥【かとり】と茶々【ちゃちゃ】からも、聞いた。 ちゃちゃの穢れも祓った事も聞いた。 お前は力を善い事に使うようになった。 ーーー綺麗だ」
「えっ」
「髪が全て⋯⋯黒髪に戻っている。だから、【綺麗だ】と言った」
何だ、【髪が】か。
何か、ちょっと残念。
でも、何か思った以上に、沢山褒めて貰えた。
期待していた以上に、褒められて照れ臭いよ。
嬉しい。
でも、
「眠い……です」
「眠っていろ。 何も心配するな。 眠りたいだけ、眠れ……」
※
「お前、いつまで、そうしているつもりだ」
声が聞こえた。
氷室さんの声だ。
「放っておいて下さい……」
柚木崎さんの声だった。
「りりあに、何をした?」
「…………抱いた。 りりあを、抱いたんです。 分かりませんでしたか? 言わせないで下さいよ」
何の事かな。
もう、眠いんだ。
「嘘は、もう少し、まともな状況証拠をまとめてから臨め。白々しい」
「…………りりあに、力を戻せなかった。 嘘を信じて欲しかった。 あなたが、今の嘘を見抜けない程度にでも、せめてりりあに戻しておけば良かった」
「何故、戻さなかった」
「もう少し、触れて、いたかった。 母さんがりりあと過ごした時の記憶。 ちびりあの中には無かった。 無い筈がないって、気付かないほど、僕は母さんとの記憶がなかった。 母さんが命を失くして戻って来た日の記憶の前が無い。 そんな事にも、気付けない位、記憶が無かった」
私の首に暖かい感触がした。
人の手だ。
「もう、良いのか?」
「りりあのものを、僕が……奪う事は出来ない。 だから 欲しいけど、返します」
「そうか。 懸命な判断だ。 視力を失くして⋯⋯凍えるほど、奪うな」
「えっ⋯⋯っ⋯。 はい。 ごめん、りりあ」
首から熱いものがカラダに流れていく。
4年前までのトモとの記憶が頭の中でかけ巡る。
【ずっと、トモダチでいてあげる。イノチアルカギリ、ワタシハアナタト】
【コレカラモ、ヒトデアリツヅケテ……タトエ、ナニガアッテデモ】
【ヒトハ、ミズカライノチヲタッチャダメ。 ヒトハ⋯⋯タトエ⋯ジブンノタメデモ⋯⋯ダレカノイノチノタメデモ⋯⋯ヒトヤカミサマノイノチヲウバッテハダメ】
これは、忠告、なのだろうか?
この記憶は?
※
シャンプーみたいな匂いがする。
私がいつも使っているもののでは無いが。
嫌いじゃない。
入りたいな。
お風呂。
やっと、暖かくなった。
慣れた寝心地の所に、居る気がする。
自分の家の、自分のベッド。
シーツの感触も、毛布の感触も。
何もかも。
背中が暖かい、何だろう。
気持ちいい。
指先に何か覆い被さっている、暖かい。
髪の毛が揺らぐ。
私、動いて無いのに、何で?
目を開けるとまだ夜中の様だが、さっきの様に真っ暗ではなく、外からの光で僅かに光があった。
カラダを動かせば、部屋の置時計で時間を確認できるのだが。
今、指一本でも、吐息の一つも乱してはいけない。
そう、思った。
まず、自分のいまの状況について、静かに整理した。
さっきまで、寒かったからか、玉子みたいにうずくまって横に寝ているようだ。
そして、目だけ動かして確認する限り、肩先までしか毛布に隠れて見えてないが、恐らく。
ワタシ、フクキテナイ。
シタギモ、オソラク、モレナク……ツケテイナイ ハイテイナイ。
いや、それより、何より。
さっきから、背中が暖かくて、気持ちいい。
のだけれども。
それは、背中に何か大きな熊ぐらいの、何か大きな何かが密着しているからのようで。
後ろから前にだらんって絶賛人の手首がぶら下がってその先は私の手を覆うように被っている。
と言う状況からして、私の背後には今、人が居ると言う事なのだろうが、ホラーだ。
感覚から察するに、背中に密着しているのは、人肌なのだが、何で服着て無いんだ。
上半身は間違いなく裸だ。
だとして、それは、つまり、誰だ。
柚木崎さんか、氷室さんか、この際、それ以外なら、更なるホラーだ。
誰なのか、確かめる術はないか?
でも、動くわけには行かない。
ので、これでもかって位、目を凝らして見えるものだけで思案する。
だらんと伸びた手を見つめて、それがどうやら氷室さんのものだと推測した。
柚木崎さんより大きいし、ここはどうやら、自宅の自分の部屋なら、もう氷室さんしか考えられない。
と、取りあえず、見ず知らずの人じゃなかったことは、幸いだった。
えっ、でも、だからって、何でこの状態なんだ。
氷室さんまで、何で、裸なんだよ。
不意に、だらんと伸びた手が動き出して、私の額と頬を撫でて鼻先に触れた。
「生きてる……」
氷室さんの声に肩が震えそうになるのを、必死に堪えた。
背中でもぞもぞして、毛布がはだけて、またきちんと毛布が私にかけられた。
氷室さんが起き上がって、ベッドを降りたようだ。
間際、ほっとする事に、氷室さんが綿素材の何かを履いているのが背中に当たった感触で分かった。
ズボン履いてた(見てないから、どんなのかまでは、分からないけど)。
良かった。
こっそり、僅かに首を動かして、ふりかえると、氷室さんはこちらに背を向けて、T シャツのようなものを被って着ている背中が見えて、私は首を元の位置に戻して目を閉じた。
※
朝、いつも通りの時間に目覚めて、やっぱり自分は全裸だったんだと言う事実に激しい衝撃を受けつつ、下着を履いて、T シャツと半ズボンを身に纏い、バスルームに向かった。
一昨日の夜、キャンプ上の温浴施設で入ったっきりだ。
もう、お風呂入りたくて、入りたくて、仕方ない。
リビングでお湯張りボタンを押下して、洗面所で歯を磨いて、服を脱いだ。
お湯が気持ちいい。
シャンプーの香りが心地よい。
髪を三回、シャンプーで洗い流した。
フルーツの香りのするボディーソープでカラダを洗って、熱いお風呂にゆっくり浸かって、ほかほかでお風呂を上がって、時計を見上げると9時前だった。
朝食の準備をしようとリビングのベランダから、何となく外を見て、氷室さんの車を探すと、やはり、車があった。
ここに居るときは、食欲がない時を除いては、一緒にご飯を食べるって、約束して貰った。
遠慮なく、声をかけに行ける。
私は、笑顔で氷室さんの書斎のドアをノックした。
「粥か……」
「あっ、苦手でしたか?」
「いや、ただのカルチャーショックだ。細かい緑と何かどろどろしているのはは何だ」
「葱の千切りと小餅を入れて温めた冷凍ご飯で煮たんです。味つけは出汁と甘口醤油と塩だけなので、味が薄い分は、おかずでカバーしてください」
キュウリの浅漬けと、玉子焼きと、ひじきと枝豆と梅肉の煮物しかないが。
「お前の家では、定番なのか?」
「はい、お米が足りなくなった時とか、味噌が無い時とか、お冷やご飯を量産しちゃった時とか」
「つまり、買い物が必要か?」
「はい。 お米はあるんですけど、生鮮食品を買いたいです。 キャンプが楽しみ過ぎて、食材管理を怠っていました。やはり、お気に召しませんでしたか?」
「いや、これは好きだが、この献立に至る経緯を尋ねたかったまで、だ。午後から、出掛ける。 依存あるか?」
「無いです。 ありがとうございます」
※
朝食の後、後片付けをしているとインターフォンがなり、モニターの所に行くと、柚木崎さんが写っていた。
氷室さんもリビングでコーヒーを飲んでいて、隣に来て言った。
「お前の服を、届けに来たんだろう。行ってこい」
「はい」
そう言えば、私を全裸にしたのは、柚木崎さんだった。
上半身を手品みたいに脱がせていたが、下半身の方も、私をソファに押し倒してジャージの紐をといて、下着と一緒に抜き取って、柚木崎さんも裸になって抱き付いてきた。
カラダ中から、力が抜けていった。
寒くて、苦しくて、きつかった。
記憶があるのは、そこまでで。
そう言えば、かなりきついことも言われてしまっていて。
顔を会わせるの。
非常に、気まずい。
でも、服返して貰わないのも、まずい。
モノは学校のジャージだ。
2学期を迎えるにあたり、必ず必要になる。
「りりあ。 もう、起きて大丈夫なの?」
柚木崎さんは、いつもの優しい物言いと表情で私を迎えてくれた。
ちょっと申し訳なさそうにもしている。
「はい、体調はいつも通りですよ」
「昨日は……ごめん」
ごめんって、言われても、何の謝罪か、色々ありすぎて困ってしまう。
「何の事……ですか?」
「色々あるけど、まずは、先に謝りたいのは⋯⋯。 君が、沢山頑張ったのに、君のしたことを誉められなかった事が一番かな」
そこか。
そこを、よもや、まさか、ちゃんと謝ってくれるなんて、今更。
そうだ、柚木崎さんにも、誉めて欲しかったから残念だった。
「誉めて、くれるんですか」
「当たり前だよ。 僕の独りよがりだった。 母さんの事は関係ない。 君は間違ってない、出来ることを出来るだけするのは、間違いじゃない。 もう咎めたりしないよ。 りりあ、本当によく頑張ったね」
いつもの優しい柚木崎さんだ。
私の事も、やっと誉めてくれた。
嬉しくて、いつの間にか泣いていた。
「泣かないで。 このまま、別れがたくなるじゃないか⋯⋯」
「えっ、このまま帰るんですか? そしたら、私、このまま、柚木崎さんと別れたら、新学期まで会えなくなるんですか? 嫌です⋯⋯」
「いや、それは、僕も嫌だよ。 兎に角、良かったら、少し話がしたいんだけど、近くまで出れる?」
「ヒッキーに、聞いてみないと……あっ」
私は、思わず柚木崎さんの腕を掴んだ。
「どうしたの りりあ」
「ちょっと、実験しましょう」
氷室さんの話を思い出したんだ。
「えっ、ごめん。 いきなり、状況が分からないんだけど」
「前に、ヒッキーがやってみないと分からないって言ってたんです」
「えっ、ますます、何の事?」
「柚木崎さん、前にここは、私とヒッキーだけの聖域って言いましたよね?」
「そうだけど。 えっ、まさか、りりあ。僕に、ここに入れって言うつもり」
「正解です。 だって、私、ここに入ることの出来た人。入っても平気だったレンズサイドウォーカーじゃない普通の人、二人知っているんです。具合悪くなったら、すぐ出て良いので、やってみましょう。 具合悪くなって、最悪の場合でも、救急車呼ぶくらいで済むらしいので、駄目でしょうか?」
柚木崎さんの表情がひきつっていた。
「やっぱ。嫌ですか?」
「いや、分かったよ。何ごとも経験だからね。 良いよ」
私は、大喜びで柚木崎さんの手を引いた。
私に手を引っ張られ、柚木崎さんは、屋敷の敷地に足を踏み入れる。
手に汗握るとは、この事だ。
「あ、あのね。りりあ」
「何でしょうか?」
「何で僕の腕を両手で掴むの?」
「だって、柚木崎さんが、突然倒れたら、危ないから」
私は、柚木崎さんの右腕を両手でホールドして、万全の態勢を整えているつもりだった。
「そっか、ちょっと歩きにくいけど、心配して貰えているのも、抱き付かれているみたいなのは、嬉しいから、良いよ」
「具合悪くならないですか?」
外門から玄関まで10メートル程の道のりだが、今日ほどその僅かな道のりを心待ちに進んだ事はない。
どうか、無事で c(>_<。)シ*
「りりあ。一応、取り敢えず、平気だよ。 僕は……ね」
良かった、と感激したのもつかの間。
苦笑いする柚木崎さんの視線の先に、氷室さんが超絶仏頂面で、玄関のドアを上げてこちらを見ていた。
「えっ、氷室さん」
「お前は、柚木崎に何をさせている……柚木崎、お前、平気なのか?」
「はい、まぁ。 でも、視られているみたいな感覚がちょっと…………」
ん、変な感覚はあるのか?
でも、良かった。
柚木崎さんはOK みたいだ。
「やったー。柚木崎さん、お茶を淹れます、入って、入って……って、あっ、氷室さん、柚木崎さんに上がっていただいてお茶を出しても良いですか?」
「ここは、お前の持ち物だ。お前の好きにしろ」
※
「この前、セイさんに貰ったはちみつレモン入りの紅茶です」
「ありがとう。いただくよ」
氷室さんも一緒に誘って、三人でお茶に持ち込む事に成功した。
勢いに任せて【氷室さんも一緒に飲んで下さいね】って、言ったもん勝ちが良かったのかも知れない。
「氷室さんは、あれから、体調はいかがでしたか?」
「……そうだな。まぁ、良いと言えば、良いが。お前の最後の悪ふざけの後始末で、若干、寝不足だが?」
「それは、すみません。 でも、僕もしたくないキスを、氷室さんにしてあげたんですから、おあいこですね。 いや、まぁ、本当、余計でしたよ。 りりあが結局、キスしちゃって僕の苦労が水の泡でしたからっ」
ぐわちゃんと食器を取り損ねて、もう少しでどっかのバーゲンみたいな事を書いてあるティーカップを割るところだった。
嘘でしよ。
そこは、氷室さん、気付いてなかっただろうに。
って、私のキスが余計だったかなんて、今更、真実を今、この場で、このタイミングで暴露しないで。
「な。何の事だ?」
「氷室さんが、りりあにキスをされるのは本意ではないと思って。心臓止まってたんで、気付けに、僕が口から、キツイの流し込んであげたんですよ。 一度、僕がりりあとキスして、りりあから抜いた力を。 折角、口移しで氷室さんの蘇生してあげたのに、りりあが追加でしちゃうんですもん。僕の行動、台無しでした」
いやぁっ、やめて。
それ、今更蒸し返すのやめようよ。
私は台所で、いまだかつてない身震いに襲われていた。
恐る恐る氷室さんを見ると、氷室さん、固まっている。
何、眼の前の氷室さんは石ですか?
私は、百均で売ってる太陽光でふるふる震える置物にでもなった気分だが。
「あっでも、氷室さん、それでも足らなくて、おかわりしてましたもんね。よっぽど、お腹が減ってたんですね。あのまま、ほっといたらりりあが空っぽにならないか心配でしたよ」
や、やめて。
この後、どうやって三人で顔ほっつき合わせて、どんな話が出来るんだ。
どんなテンションで何を話したら良いんだよ。
「それは、心配をかけて悪かった。 お互い様で、おあいこだと言うなら、まぁ、そうだ。俺とお前で、お互いに手を焼いたと言うなら、そうだろう」
さらりと、氷室さんはそう言って、柚木崎さんの話に納得してしまったが、私は そうはいかなかった。
お茶を並べて、取り留めのない会話を交わして、お茶を片付けるタイミングで、仕事の再開の為、書斎に戻って行く氷室さんを見送った後、私は改めて柚木崎さんに思いの丈をぶつけた。
「何で、ヒッキーと柚木崎さんがキスしたって言っちゃうんですか? 氷室さん、気付いてなかったなら、言わないであげた方が良かったですよ」
私の言葉に、柚木崎さんは笑った。
「えっ、だって、僕とヒッキーにそんな秘密を持って置くほうが嫌だからだよ。事実と秘密があって、秘密は言ってしまえば、消えるなら、消すに越したこと無いと思ったんだ」
突拍子無いようで、柚木崎さんの言動にはいつも明確で納得の行く理由があるのは、歯痒い。
私は目下、りゅうに強姦された事実と、二人がそれを知っているのか、確かめられないという秘密があるのだが、その秘密をこれでもかって程思い悩んでいる解決方法もそれ、なのだろうか?
そう、思うと気鬱になった。
「りりあ、、どうしたの?」
「へっ?」
「何か、考え事?」
ずばりと言い当てられて、心臓が飛び跳ねるほど驚きながら、私はそれを、否定した。
二人の事、私は好きだ。
きっと、二人を好きな気持ちの種類は違うと思うのだが、どちらも、決して失いたくない。
そう思うから、そう思えばこそ、絶対、言えない。
確かめるなんて、絶対できない。
「いいえ、柚木崎さん。残りの夏休み、後、何回位、柚木崎さんと会えるか教えてください」
「そうだね。そうだ、それについて、ちょっと、話したい事があるんだ」
私は、柚木崎さんの話しに耳を傾けながら、今が一番、幸せだと思った。
自分が居るべき場所だと連れ戻されて、りゅうとりょう、氷室さんと柚木崎さん、戻ってきて出会う人々と共にここで暮らせる今が。