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閑話 篠崎 茉莉愛【しのざき まりあ】


毎日、つまらない。


高校の時は、楽しかったのに。





大学に入って、暫くは、まあまあだったのに。


今は、何も楽しくない。


大学での勉強は、退屈で。


就職活動は、そつなく内定を貰って、与えられた業務をそつなくこなして、職場や私生活で異性から好意を寄せられ、欲しくもない贈り物を貰ったりもして、ただ人間として、人間であれば人が羨むような生活に自分を蝕まれて行く毎日に辟易していた。



「篠崎 茉莉愛【しのざき まりあ】」



ある日、私は白い虎に名前を呼ばれる夢を見た。


何もない白い世界で、出会ったそれは、私の前にやって来ると私の額に息を吹きかけた。


ふわりっと風が起こって、額の髪が揺れた。



「恐れぬのか?」


「殺気がない。 私を恐れおののかせたいの? 貴方は、神様?」


「そうじゃ、白虎【びゃっこ】の神だ。 我のモノになれ」


「私を神持ちにしてくれるの?」


「否、お前が神を持つのでは無い。 我の眷属に下れ、という誘いだ。 逆だ」


「はっ、馬鹿にしてくれるじゃ無い。 お断りよ。 私は、誰にも媚びないし、誰にも従わない。 交渉は決裂だわ。 消えて」


昔、私は、神様に成りたかった。


又は、神を持ちたいと思ってもいた。


でも、神様になる実力も、神を持つ願いも叶わなかった。


今でも、いつか、今からでも、成し得ることは出来ないか、想いあぐねていたが⋯⋯。


そもそも、目指した高みは、【神】か【神と同等】だった。


神の眷属は、それとは違うなら要らない。


私は、神を宿した人間と神の子孫の人間と神と魂を共有する神持ちの人間を見ていた。


憧れて、いた。


だからこそ。


それに、劣るなら、要らない。


眷属は、それらに比べて劣るから、だ。


それじゃ、意味がない。


彼らを見返す事が出来ない。


だから、にべもなく断ったのだが。


しばらくして、変な話しを、両親が持ち掛けて来た。




「茉莉愛【まりあ】、お父さんの取引先の御曹司があなたに是非、会いたいと言っているの。 先方は今年、30になる人だけど、すごく物腰の柔らかい優しい人なのよ」


聞けば、経営難の実家の不動産事業に多額の融資と新規の取引先を融通してくれたそうで、無理強いではないと言いつつ、実質、人身御供のような縁談じゃないか?と思った。



「初めまして、白木 更夜【しらき こうや】と言います。 8つも歳上の僕とのお見合いなんて、気が進まないかも知れないけど、今日一日、付き合って見て、お互い無理だと感じたら、遠慮なく断ってくれて構わない。 勿論、融資も紹介した取引先も、善意だから、反故にしたりしない」


そうは、言っても、そうする保証を得られない以上、おいそれと嫌な顔は出来ない。


ただただ小賢しい言い訳に聞こえてならない。


そう思えて、私は内心不愉快だった。


だが。


「ただ、僕も君とは合わない。そう思った時は、こちらからもお断りさせて貰う。 良いだろうか?」


変な事を言う。


そもそも、私の両親の胴元を握って、会いたがって置いて、私の是非なんて無視して勝手に、色眼鏡で見れば良いものを。


まぁ、それよりも、何だ。


「良いですよ。でも、聞いて良いですか?」


「何だい?」


「白い虎の気配がする。貴方は、虎の眷属ですか?」


男は、にっこりと笑いかけた。


「あぁ、やっぱり、此処では君が一番だ。祝福持ちより、光り輝いている。神も、祝福も無いのに、とんだ逸材だ」



祝福は、神の洗礼でのみ、与えられる特別なモノだ。


人間は、数え年で7つになる前夜に与えられ。


人でないものは、時期を問わず、気まぐれに与えられるモノだと聞いている。


私は、人なので、数え年で7つになる時に、神の洗礼があれば、その機会が得られたのだが。


私には、無かった。


「貶すわね」


腹しか立たない。



「貶してなどいないよ。君が欲しい。 欲しくなった」


「私に拒否権を用意したのは、アナタだから。 私は、帰って良い?」


「あぁ、良いよ」


「私の両親に、危害は加えない。 そう、信じても良いかしら?」


「勿論だよ。義理の両親になる人に、そんな真似する訳無いだろう?」


あっ、話しが通じてない。


私は、今から帰って、もう二度と会うつもりが無いのに。


そんな事、有り得ない。


なのに。



「私は、2度と、アナタに会うつもりが無いのに。どうして、私の、両親がアナタの義理の両親になるって言うの?」


私の質問に、男は笑った。



「君を妻にするつもりが、固まったからだよ。君の中で渦巻く、愛憎と後悔と未練に惹かれた。 こんなに沢山抱え込んで、自分の無力を呪って。 さぞ、良いバケモノになるだろうってね」


こいつ、何を謀らんでいる?


私は、ポケットにいつも入れているソーイングセットのまち針を取り出して、左の手の甲を刺して、浮かび上がった血の玉を指で拭って舌に押し当てて、呪いを紡いだ。


「口を縫え」




私は更夜と出会った日。


術の成功などは、確認せず、さっさとその場を後にした。


そして、そのまま帰宅して、両親には今回は縁がなかった旨を謝った。


両親はとても残念そうにしていたが、生来、人に好かれる性質では無い私に、不相応な望みは無かったようで、咎めたりはして来なかった。


だが、一週間後、仕事帰りに男の待ち伏せを受けて、私は顔をしかめた。


「今朝まで言葉が出なかった。呪詛が得意なんだね」



たった一週間で破ったか。


「次は、もっとキツイの行っとく?」


「あぁ、好きにしろ。オレも、本性でお前に向き合う。それ、相応の覚悟で臨め」


私は、まち針を出して、今度は5つ、血の玉を手の甲に浮かべて、男に向って手で払った。




「切り裂け」


手で弾いた血の玉は、男に向かって飛んだ。


かまいたち程度の殺傷攻撃だった。


血の玉は、男のすぐ目の前で砕け散った。



「随分、今度は生ぬるいな」


これは、囮だ。


その間に私は舌を噛んで、お前を呪う準備がしたかっただけだ。


「っ⋯お前の魂を呪う。 大地はお前の墓地で、常世【永久に変わらない世界・レンズサイド】はお前を囲う檻だ。 沈めっ、沈んでしまえっ」



口いっぱいに血を満たして、開いた口から血が溢れ出しながら、蒸発していく。


呪いの依り代に消えて行く。


夕飯に刺激物が出ないと良いな、と切に願った。


目の前の男は、アスファルトの上から、泥沼に沈むように身体を沈めて行く。


「これ、今まで、誰かに使った事、あるのか?」


「……これは、無いかな。 私、時間をかけて考えて組み立てるのが好き。出てくるまで、待ってるよ。 私は、お前のような卑称な者のモノにはならない。さようなら、白木 更夜。 白虎の眷族⋯⋯いや下僕だな」


「眷族? 下僕? それは、違う。  俺は神子だ」


男は首まで地面に沈み、自分の状況を恐れる様子もなく、私を最後まで見つめて、地面に消えた。


今度は、どれ位、かかるか分から無いが、もし、また、目の前に現れるまでに取って置きの呪詛を組み立ててやる。


私は、まっすぐ家に帰って、仕事以外の時間を全てそれに費やした。


ちょっと、上手くいっていた恋愛も、こちらから、打ち切って。


会社の同僚と計画していた海外旅行の誘いも断った。







「助かった。お前が止めてくれなかったら、死人が出ていた」


私の学園の生徒会長は、私に負けない性格破綻者だった。



「いや、全然、歯が立たなかったよ。龍なんて、捕まえられ無かった。 あのさ、氷室君、私さ、本気で捕まえて、自分のモノにしてやろうって、呪詛を組んだんだよ。 もし、そう出来てたら、今頃、氷室君、私のしもべになってたんだよ。 お礼言うなんて、馬鹿げてるよ」


「だとしても、お前はイノチがけで、俺に立ち向かった。 結果、俺の最初の一撃を打ち消して、少なくとも、二人の命は救ったんだ」


生徒会長とあろうものなのに、停学になるのもだったが何より、今まで会って来た中で、彼が一番最強だった。


蒼色の鉱石の様な鱗に白い髭を靡かせて、瞳は黒なのに炎が燃え上がる様に爛々と光り輝く、美して大きな龍なのだから。




「私は成す統べなく、壁に張り付けになって、倒れただけよ」


高二の秋の終わり、物凄く強い龍が目の前に現れて、私はそれが欲しくて、呪詛を組んだ。


自分が今まで、考え付く限りの理と願いと、与えられなかった恨みや憎しみを込めて、全身全霊でそれに挑んだ。


結果は、大敗だった。


怒りに我を失って、龍を怒らせた愚かな龍の血を引く末裔達に食らい付く龍の前に立ちはだかって、呪縛を試みて、吹き飛ばされた。


「お前の一撃で、片方の牙が欠けた」


「えっ、マジで。病院行った?」


「自分で治せる。 お前と菅原が居なかったら、誰か殺してたかも知れない。 感謝している」



「そう思うんなら、氷室君の神様、私に頂戴」


「それは、出来ん。 阿呆な事を言うな。 こんなもの、無い方が良い。無くても、生きられるお前に、そんな必要はない。 お前は、充分に人としても、レンズサイドウォーカーとしての才能も実力も持っている。それ以上を、望む必要等、無い」



私は、一番になりたかった。


最強で、最高で、最愛が欲しかった。


誰よりも強く、誰よりも優れていて、誰よりも愛される、そんな夢をいつも見ていた。


あの頃は。


そう高校の3年間を過ごした若葉学園で、私は、いつも、そう願い、努力して、恋い焦がれていた。



「茉莉愛【まりあ】。白木さんが、どうしても、あなたともう一度食事をしたいって言っていて。何でも、事故にあって入院してたそうで……」



更夜の復活を、両親を通して知り、私は溜め息を付いた。


何を謀んでいるか、知らないが、しつこいとも思ったが、私はその申し出を両親に了承する旨伝えて、当日、車で家に迎えに来た更夜に再会し、両親に見送られて、外出した。



「少し、痩せた?」


「レンズサイドでも、1ヶ月、飲まず食わずはさすがに身体に祟った。 お前、今日は、俺に付き合え」


付き合うも何も、お前に付き合って食事を共にして欲しいと私の両親に願い出て、是と返事したんだ。


そうしてやる、つもりだ。


そもそも。


更夜は、シュラスコレストランに私を連れて来た。


1ヶ月も、飲まず食わずで、腹がはち切れるまで、肉を食べるのは、如何なものだろう。


串に刺した固まり肉を削ぎきって皿に盛っていく給仕に愛想よく肉を受け取り、口に運ぶ。


「1ヶ月振りの食事は、美味だ」


「最初は、粥が良いと思うけど?」


「あまり、気が進まなかった。 食べたいものを、食べたい」


後で、胃もたれすれば良い。


そう切に願った。



「お前は、どの肉が好きだ?」


「私は、好き嫌いない。 私は、三食、きちんと食べて健康だから、何を食べても美味しいわ」


更夜は、何故か今まで以上に、否、今までで一番楽しそうに、食事を楽しんでいた。


会計を済ませて、私をまた車に乗せて、着いたのは、更夜の暮らすマンションの駐車場だった。



「降りろ」


「分かった」


私は、車を降りた。


「今日は、食事をご馳走していただいてありがとうございました。私は、ここでお暇させていただきます」


笑顔で会釈程度に頭を下げると、更夜は、言った。


「ここでは、人目に付く。 部屋に上がってから、だ。 ここで、俺とこれ限りにする為に、お前は人目を憚らず、俺とイノチのやり取りをしたいのか?」


「イノチのやり取り? そんな、つもりまでは、無かったな。 何故、私がお前とそんなやり取りをする必要があるの?」



私の言葉に、更夜は、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。



「お前に決めた。 俺が死ぬか、お前が俺を受け入れるかの2つに1つだ。 お前が俺を殺せなければ、お前はオレのモノになるしかない。そこに在るのが、イノチのやり取りだ」


成る程、私の決定権は、戦って勝ち取る他、無いのか。


脳裏に、氷室 龍一の顔が浮かんだ。


最強の男。


この土地で、最強の龍の魂を共有した、男。


それを思い浮かべる私の本能が、目の前の男には、敵わないと言っているようで、腹が立った。






思った以上に、更夜はヤバい奴だった。


結局、1カ月とびきり凶悪で性質の悪い、容赦のない呪詛を組んで、相手のイノチに全く配慮しないモノだったのに。


かなり、良いとこまでいったと思ったのに、最後は、変な仲間がでしゃばって来て、私はそいつに殺されかけた。



「仲間を呼ぶのは、反則だ。くそっ」


白い髪をした細身の青年で、更夜に顔立ちが似ていた。


私を半殺しにする事で、更夜にかけた呪縛が弱まり、イノチを奪う事ができなかった。


呪詛を組むときに、術者が力をコントロール出来るように組んだのが敗因だったと分析して、自分が嫌になった。


どこかで、流石に人殺しはしたくないと思ったのが、今の結果に至るからだ。


術式と切り離して、発動するよう仕組めば、それでも、更夜は殺せただろう。




更夜の仲間は、私を物理的に、殴る蹴るなどの暴力で打ちのめして、一言だけ、更夜に言った。



「何故、この女が良い? アナタに好意を全く持ってない。何故自分を殺そうとする女を選ぶ」


「だから、こそだ。 後は、ちゃんとやる。……悪かった」



更夜の言葉に、白髪の青年は、地べたに突っ伏して、起き上がれず見上げる私を一瞥して、消えた。



人にグーで殴られたのも、膝に蹴りを入れられたのも、首を絞められしたたか吐いたのも、初めてだった。



「部屋を片付ける。服が汚れている、バスルームを使え」



更夜に言われるまま、バスルームに行き、顔を洗ったが、自分の吐瀉物が気持ち悪くて、服を脱いでシャワーを浴びた。


バスルームを出ると服がなくなっており、洗濯機でざぶさぶいっている水の中に自分の服が溺れているのに、その服を着ることを断念した。


バスタオルとバスローブが置いてあり、仕方なく、身体を拭いて、バスローブを身に纏った。



「寒いかもしれないが、換気だ。 ブランケットを使え」



バスルームを出ると、ベランダの窓を開けて風が吹き込むリビングで、更夜は私にブランケットを手渡した。



「さっきのは、ズルい。 卑怯だ」


「あぁ、そうだな。 【実力で納得させられる】と思ったオレの傲りだ。 座れ」


更夜に促され、私はリビングのソファー座り、更夜は私の隣に座った。


「頬の骨、折れて無いか?」


「いたっ、触るな」


鏡で見たときは腫れていた。


折れている恐れが在るかもしれない患部を触るのは、悪意しかないと思った。


だけど、一瞬、痛みの後、氷が張り付くような冷たさの後、痛みが引いた。



「治してやる。 後は、わき腹だったな」


そう言って、私のバスローブの腰ひもを引き解いた。


「やめてっ」



赤黒くうっ血した跡が痛々しくいくつもあるが、そこだけじゃ、すまない。


私は、バスローブ一枚しか着てないんだ。


「あぁ……これじゃ、裸だな。 綺麗だ」


更夜は、私のバスローブを左右に開いて、脇腹の赤黒く内出血した患部を元に戻した。


私が、バスローブの裾を掴んで、肌を隠そうとするのを手で抑えた。



「離せっ。私は、負けてない。だから、お前のモノにはならない。 帰る。 帰る権利がある」


「その服で帰るのか?」


そ、それは、無理だ。


洗濯機で泳ぐ、水の滴る服で帰るのも、無理だ。



「そもそも。……こんなにオレの感情を煽る、お前をこのまま、帰す事は出来ない」


そう言って、更夜は私の唇を強引に私に重ねて奪った。


「やだっ⋯⋯冗談でしょ?」


私は服の裾で口を力一杯拭った。


「最低っ」


嫌味とか、生理的嫌悪通り越して⋯⋯。


まず、何で、私のファーストキス。


今、終わったよ。


終わっちゃったよ!!




いつか、自分がずっと好きな相手とキスする為に、後生大事にとっていたんだ。


こいつとキスするためじゃなかった。



「合意の無いことは、犯罪だ」


「まだ、キスぐらい、あいさつのようなモノだろう? 目くじらを立てるな」



キスがあいさつのようなものなら、世の中に挨拶なんて要らんだろうよ。


挨拶は、挨拶で。


キスはキスじゃあ無いか?



(((ノ´□`)ノ :・'.::・〓■●~


「返せっ」


私のファーストキス。


わなわなして、更夜を睨み付けると、更夜は面白そうに、私にまたキスをした。


「これで、良いか?」 


「……何のつもりよ」


「キスを返した。ん、いや、オレがしたキスだから、お前が俺にして、キスは返るから……」


違う。


そもそも、そうじゃない。


私は、立ち上がろうとして、更夜に抑えつけられて立てず、引き寄せられて抱き上げられた。


「何のつもりよ」


「あぁ、ここじゃ寒いだろう?」


「何処なら、寒くないのよ」


「俺の部屋で、ベッドの中だ」





「ただただ、もうこの期に及んで。 好きにしたいなら、すれば、良いと思うけど。私、もし、あなたが私の意思を無視して、かつ、抵抗する私と性行為に及ぶなら、私はその足で最寄りの警察に駆け込むわ。 裸足でも、全裸でも」



恥も外聞も捨ててやる。


そもそも、私は。


この男に、利用されるために、つきまとわれているんだ。


人としてではなく、何かに私を利用する為に、で。


私をどんなカタチで手に入れたいかまでは、分からないが。



「諦めろ。お前は、1つだけ、助かる術があったものを。それをしなかった。 もう情けは、かけない。 俺と地獄に堕ちろ。 一緒に墜ちてやるから」


「なぜ、私が地獄に堕ちなければ、いけないの? 私は、何も悪いことをしたことは無いとは、言えないけど、お前らに落とされる謂れはない」


「謂れか? それは、充分にあるさ。 お前は、有象無象の人間にしか過ぎない。 にもかかわらず、神に抗い、立ち向かった。 その愚かさが、お前が地獄に墜ちる、充分な理由だ。 とんだ傲りだ。 お前は、本当に、気高く、か弱く、愚かで、美しい」


更夜は、私にまたキスをした。


今までは、触れるだけのキスだったのに、深く唇を重ねて、舌を絡めて来た。


私は、顔を背けてそれを抗ったが、今度は首筋に吸い付いて、胸に降りていく。


何度も息継ぎするように肌に赤い痕が残る位強く吸い付いて、私の乳房までそうした。


「……気持ち悪い。 やめろ」


「好きに、抗え。暴れて、逃げて、泣き叫べば、良い。 出来る限り好きにしろ」


バスローブ一枚で、もう腰ひもも解かれて、左右に開かれたら、もう裸だ。


相手は服を着ているがもうズボンのベルトに手をかけて外そうとしている。


もうただの犯罪だ。


デートレイプと言う言葉があるが、そもそも、私に恋愛感情が介在しないところ、それに括られるのも、はなただしい。


まぁ、そもそも、私をどうしようって、目的については、私を犯すだけでは、済まないのだろう。


じゃあ、もう。


私は、これで死ねるか分からないが、舌を噛んで死のうと思った。



犯される事に、恐怖は無かった。



そもそも、人間としての尊厳など、さして、興味はない。


私は、神になりたかった。


神持ちになる事を、夢見て、生きて来たんだ。


その先で、自分が愛した人に、いつか愛して貰いたかった。


全ての願いを諦めるきっかけを、くれた事に、感謝しても良かった。


自分が愛した人は、もう去年、結婚している。


もう、この先、どう頑張っても、何ひとつ、何も果たす事など出来ない。


だから、もう良い。


「変な気を起こすな。 見かけに寄らず、繊細な事をするな」


口に指を押入れ、指ごと自分の舌を噛み切ろうとしたが、私の血か更夜の血か分からぬ血が沢山、口から溢れたが、息は止められなかった。


「やめろ。諦めろ⋯⋯」


嫌だ。


嫌だ。


嫌だ。



神様になれず、神様に相手にもされず、好きな人には嫌われて、唯一仲間でいたかった人達とも絶縁してしまった。


もえ、この先、何も楽しい事なんて、ない。



分かっている。



分かっていても、こいつを受け入れるのは、嫌だ。




奴の指の肉に歯を立て、骨まで、自分の舌ごと食い千切ってやりたかった。



「それ以上はやめろ⋯。 俺の指ごと舌を噛むな。俺の指なら、後で切るなり、潰すなり、好きにさせてやる」


そう言いながら、私の額に更夜は口付けて私の頬に頬を寄せて来た。


犯罪者め。


せめて、これを最後の悪あがきにしたかった。


ずっと、好きでいるのは、辛かったし、これで諦めも付く。


負けると分かって、逃げるのも、我が身可愛さに従属などしない。


自分の事を、間違っていたとも思わない。



「俺の負けだ、まりあ⋯⋯。もう、抵抗するな」



いや、お前は、私に連戦連敗の癖に、今更、何を言い出す?


現実の力で来られたら、敵わないが、それ以外は⋯。


それ以外なら。



「家族を殺して。それから、にするか?」



例え、人として、人の生き方しか出来ない弱い人間だと、気付かされても、私は、人としてしか、生きられなくても。



「⋯⋯ごほっ、ごほっ。  好きにしろ。 結局、最低だ。 お前は」


怨嗟の言葉と共に、私は、更夜の手を吐いた。



「お前が俺にここまで、言わせたんだ。俺にだって、矜持はあった」


更夜は血塗れのバスローブを私から剥ぎ取って、床に落とした。


そして、自らも服を脱ぎ、大人しくうつ伏せで、もう何も抵抗しない私の身体を好きにした。


仰向けに倒して、足を開かせ、身体を寄せる。


唇にまたキスをして来た。


血で汚れた私の唇に分け入って舌を絡ませて、舌の傷口を舌でなぞった。


裂けた舌に、更夜が舌で触れると染みたがひやりとする感触の後、痛みはなくなって、血の味も消えた。


後は体温の高揚と共に、絡みつく舌は熱く感じた。




初めてだった。


「っ⋯⋯ぁ⋯⋯ん⋯⋯。イタイ⋯⋯それ以上⋯⋯無理。 あっ、そもそも⋯⋯そこで合ってるの?」


「面白過ぎるから、ちょっと、黙っていろ」


破瓜された事など、無かった。


「やっ⋯⋯ぁ⋯⋯」


傍らのシーツを掴んで、顔を背けた。


「なんだ。随分、遊んでいるような顔の割に、この歳で、生娘か。 お前、本当に、寂しい女だな。誰からも、愛された事が無かったのか?」


下腹部にぬるぬるとした感触がして気持ち悪い。



「⋯⋯こんな、気持ちの悪い事が愛される事なら、誰にも、一生、愛されなくても、良い」


突き立てられて、引き抜かれて、また、穿たれて。


私は屈辱に顔を歪めながら、痛くて堪らず、更夜の背中に爪を立てた。


「っ⋯、爪なら好きなだけ、立てろ。 指を噛まれるより、そそられる」


もう、勝手に言っていれば、良い。


そう思った。





それから、私は、夢を見た。


深夜、更夜に、洗濯乾燥まで済んだ服を着て、家まで送って貰い、出迎える両親に、更夜と付き合う事になった事を報告し、やがて、私は、仕事を退職して、籍を入れて、毎日、婿入りした更夜を家で待ち、そこで寝食を共にして、毎夜、更夜に抱かれ続け、ある日を境に、行為はなくなり、毎夜、更夜と共に眠る夢だった。



そして、私は、ある日、その夢から目覚めた。



自分の腹が膨らんでおり、お腹で何かが蹴っていた。



私は、更夜の寝室からベランダに出て、手すりの向こうを目指した。


ベランダから見た光景は、綺麗な青空だった。


高さも死ぬに申し分ない。


私の家が遠くに見えた。


その家で生まれ育った。


うまく行かない事ばかりだったけど。


後悔は無かった。



「何故、術を破った?」



背中を掴まれ、ベランダに引き戻された。


「⋯⋯まず、お前は誰だ? バケモノ」

「相変わらずの口の汚さに辟易する」


私を止めたのは、いつかの白髪の青年だった。


「五月蝿い、お前の仕業か?」

「⋯⋯何の事についてだ? その腹の事か?」



とぼけているとか、小馬鹿にするような意図ではなく、純粋に分からず、私に尋ねているようだった。



「そっちじゃ無い。 洗脳したの? 今日は何日?」


「11月11日」


半年経っている。


と言うか、だ。


私は⋯。


「私は、今、妊娠⋯⋯何ヶ月なの?」


「6ヶ月。そこの引出しの中、ボシテチョーとやらに、色々記録していたみたいだ。自分で確認しろ。 死のうとするな。 あの人を困らせるな」 


と、言われても、な。


こいつに半殺しにされて、更夜に犯されて、気が付いたら、会社を辞めて、結婚して、妊娠してた何て。


「お前がまだ、死ぬつもりなら、もう一度、術をかけ直す。 どうする?」


正直、死にたかったが、出来ていたなら、ベランダの向こうで地面で身体を潰せていたはずだ。


「⋯⋯死なないだけで良いの?」


「あぁ、後、身体に障る事はするな。酒を飲んだり、煙草に⋯⋯」


「私は、そもそも、酒も煙草も好きじゃない」


「そうか⋯⋯。お前、子供が愛おしくないのか? 今、死ねば、子も死ぬ」


「⋯⋯好きでない男に孕まされて、それを愛せるか? 私は馬鹿じゃあない」


私の言葉に、青年はきょとんとした。


まるで、私の方がおかしいと言わんばかりの態度がムカついた。



「とことん、あの人の見る目を疑う」



青年に手を引かれ、寝室に戻され、私はベッドに座るように促され、それに応じた。


「正直、お前に変わって、お前の肉体の維持するのは面倒だ。 あの人にに逆らわず、自分の身体を慈しんで過ごすなら、この家の中で自由をやる」


「私の肉体は勝手に動いて、勝手に喋っていたけど、どういう事? 乗っ取りとかなの?」


「憑依だ。 お前、記憶があるのか?」


「⋯⋯私の両親を騙して、仕事を辞めさせて、結婚させて、私が毎晩更夜に抱かれていた事なら⋯⋯途中で抱かなくなったけど、それは、私が妊娠したから?」


私の言葉に、青年は言った。


「そうだ。 たが、僕がお前に憑依していたのは、更夜が家に居ない間だけだ。 お前が毎晩抱かれていたかは、僕は知らない」


さよか。





青年に、もう憑依は嫌だからと言って、私は【更夜の言う事を聞き、大人しく毎日を過ごす】と言う提示された条件を全て受入れた。


私の事を、どう説明するのか尋ねたから、黙って全てを受け流して、されるがままにしていれば、バレないと言われ、その通りにしたが。


リビングに座っていろ、と言われ。


夕方帰宅して来た更夜は、上着を脱いで、部屋に着替えに行き、部屋着に着替えて、私の隣に座って私の顔を覗き込んで、言った。


「おはよう。 まりあ。 よく目覚めた」


何で⋯バレたかな。


カマをかけられていやしまいか? とも思ったが、青年が姿を表して言った。



「何で、すぐ分かったの?」


「目に感情があった。 どんなに似ていても、人形と、人間は見間違えないだろう。 まりあ」


私は、もう良いだろうと盛大に素直に顔をしかめた。


「目を覚ました私に、目覚めの挨拶をするその前に、私に何か言う事無い?」


別に謝罪や釈明を求めてなど、いない。


ただ、純粋な興味から、私は尋ねた。



「あぁ、愛してる。 結婚して、俺の子供を産んでくれ。 あぁ、結婚は、事後だから、ここは感謝を伝えるところだな。 お前は孕に子がいる。 これから、オレの子供を産んでくれ。まだ、死ぬな」


ああ、徹頭徹尾、ピンからキリまで、こいつのする事がなす事、頭に来るし、最悪だ。


「愛してるなんて、嘘は要らない。 好き放題して、その後の結果だけを切り取って、それを相手の好意に履き違え無いで。 我に帰った時、衝動的に死にたくなったわっ。 お前の子供など産みたくはない⋯⋯」


自分でも、驚く位平静な口調で、感情的にではなく、淡々と言うと、言葉を終えるのを待って、更夜に抱き締められた。


「いくらでも、怨嗟を吐いて、俺を呪えば良い。 お前の声が、言葉が、感情が心地よい⋯⋯」


変態め。




「あっ、やっ、お願い⋯⋯。 く、苦しい⋯、 あっ、 ふっ⋯⋯」



夜、ベッドで、裸にされて、身体を弄ばれた。


妊娠中は、性行為が無いと思っていたのに、その夜に限って、更夜は私を抱こうとした。



「腹が固くなる。⋯そうか、なら、良い」



更夜は途中で行為をやめて、私の服を元に戻して抱き締めた。


硬くなった腹が和らぐまで、さすっていた。


「意識のあるお前をもう一度、抱きたかった」



私は、何も答えず、目を閉じた。






私は、1日を無機動に過ごした。


言われるまま、食事をとり、気まぐれに洗濯などの家事をして、求められれば、更夜と外を散歩したりもした。


定期的に、病院へも行った。


お腹の子の性別が女の子である事を知った。



「娘は、初めてだ」



更夜は、何気なしにそう口にした。


つまり、息子は、初めてでは、無いらしい。


興味は無かった。


ある日、更夜は、私に言った。


「白夜は、俺の最初の子だ。 異母兄妹になる」


白夜?


私が、要領を得ない顔をしていると、青年が姿を現して、私に言った。


「白夜は、僕だ。 あなたは、僕の継母だ」


ん?


そうなのか。


「白夜のお母さんは?」


「僕のイノチと引換えに、僕が産まれる時に死んだよ。 元々、子の産める強さの無い人だった」


感情の込もらない言葉でそう告げて、また、すうっと姿を消した。






「お前は、まだ、死にたいのか?」


更夜が居ない時に、白夜と言う名だと知った彼が現れて、臨月になった私に尋ねた。



「どちらでも、良い。今は、そう思っている」



本音だった。



「子供の事も、か?」


そうだな。


無理矢理、妊娠させられて、産まれる子供についての複雑な心境を思いあぐねて、結論を求められても、まだ言葉にできないが、


その犯罪行為を幇助したお前に、尋ねられるのは、そもそも、解せないと思った。


ただ。



「人間は、生まれる時に、イノチと死を両方持って産まれて来るからさ。 いつか、必ず、死がおとずれる。 生まれる時に、私はそもそも、イノチだけでなく、死も授けるんだよ。 産まれて来る子は、幸せになるかも知れないし、不幸になるかも知れない。 愛されるかも知れないし、愛されないかも知れない。 人を助けるかもしれないし、人を殺す道具にされるかも知れない⋯⋯だからさ」



私は、大きく深呼吸して、白夜を見つめて言った。


「君の価値観で、私と私の娘をはからないで」


「⋯⋯所詮、君も娘も、人の子だ。 僕とは、違う。 そうだ。 理解しようと思う事自体、無理だ」


人の子とは、違うって、何の子だよ。


そう思った。



ずっと、考えて来た。


ずっと、準備してきた。


決して口には出さず、文字にも書き起こさず。


ただただ、心の中で、何度も何度も、組み立ててきた。


出産予定日前に陣痛が始まり、私は夕方入院して、22時過ぎに、娘を出産した。


「まりあ。よく、頑張ったわね。可愛い、女の子。 更夜さんには、申し訳ないけど、親バカだと思って許して。本当にあなたの赤ちゃんの時、そっくり、生き写しみたいだわ」


出産を終えて、暫くして、最初は更夜と対面して、後から、私の両親がやって来た。


私は、この二人の最初の子だった。


わがままで、意固地で、意地っ張りで、傲慢で、横柄で、あまり誉められた事をして来なかった。


それでも、育てて貰って、愛してくれた事を心から感謝している。


だからこそ、自分の犯した過ちを、このままにしては置けなかった。


私は、二つ、大きな過ちを、犯した。






両親が面会を終え、帰る際、更夜は私の両親を見送り出た。


私は、【今だ】と思った。



「一緒に眠ろう」


短い言葉だった。


こんな短く、何の恨みも、未練も無い、呪詛を考え付くなんて。


そして、それに縋るなんて、思っても見なかった。


私は、娘を抱き締めて、泣いた。


涙が目元で石になり、床に落ちると砕けて散った。




目が覚めたのは、大鏡公園の雑木林の中だった。


どれくらい、眠っていたのか、今、何年何月何日かも分からない。


でも、後少し、だった。


この子と一緒に、大鏡に身を投げたら、良い。


そうすれば、まだ、間に合う。



まだ、やり直せる。


私の二つの過ちは⋯⋯。


1つは、誰にも助けを求められ無かった事。


もう1つは、敵の脅迫に乗って、それに屈して、敵を受入れてしまった事だ。




六封じの人間は、何人が何人ともも、例えソレが何人の何人のイノチであっても、それをやり取りしてはいけない。



若葉の教えを思い出しながら、大鏡を目指した。


全てを龍に委ねて、裁かれるなら、私だけで良い。


そう、思っていた。



胸に抱いた、娘が急に泣き出して、足を止めると、眼の前にもう白い虎が立っていた。


「やっと、自分の過ちに気付いたのか⋯⋯」


白い虎は、更夜に姿を変えた。


「白い虎は、更夜だったの?」


「違う、身体を借りただけだ。 お陰で間に合った。 残念だったな。 折角、気付いて、思い直せたのに。 お前は、ここまでた」


更夜は、私から、娘を奪って、白夜に渡し、私を抱き上げて自宅に帰った。


大鏡に身を投げ、龍に、前に途方も無い程愛想を尽かされた、彼に助けを求める事は、叶わなかった。



思い出せば、みんなの事が好きだった。


生徒会のメンバー全員。


人生で一番充実した毎日だった。


私に負けない性格破綻者の氷室君に。


いつも優しく思慮深い憧れだったあきらさん。


なよなよして、虫も殺せないような顔して、とびきり凄い神持ちの菅原君。


いつも、あきらさんを兄の様に慕う、可愛い後輩の雄飛。






自宅に帰ると、胸が張って痛かった。


娘を取り上げられ、白夜を嫌がって泣いているのを聞くと。


余計に胸が硬く張っていく気がした。


「娘を抱かせて⋯⋯」


私の言葉に、更夜は言った。


「良いが。 もう、それが⋯⋯最後だ」



言葉の意味が、何となく分かった。


もう、後がないのだろう。


私は、娘を受取り、乳を吸わせた。


そう言えば、レンズサイドで、飲まず食わずだったが、大丈夫か? と不安になったが、夢中で飲んでいる様子に私は安堵した。


そして、授乳を終えて、ゲップさせて、娘を抱き締めて、私は泣いた。



生まれて初めての、謝罪の意を込め、娘に託した。


いつか、自分が犯した過ちに気が付き、それを払拭する熱意を胸に溜め込み、今日この日、この子にそれを託して私の最後の悪あがきは終わる。



「愛してる。 愛せるか、分からない。 そう思ったけど、ちゃんと愛せた。 愛してるわ」



娘にそう別れを告げて顔を上げると、更夜は私から娘を取り上げて、白夜に渡し、そして、私の魂を砕いた。






「私、もう子供が産めないのね」


二人目不妊で、受診を受けた医院で、原因不明の機能不全出、妊娠が絶望的であると言われ、落ち込む私に、夫は言った。


「俺達には、もう充分可愛い娘が居る。 何も気に病む事無いだろう?」


「嘘。 今まで、ずっと頑張って来たのに、そんなの⋯⋯」


「あぁ、だったら、子供が欲しかったんじゃない。 君を抱きたいから、だ」


「⋯⋯。えっ?」 


「子供が欲しいから、じゃない。 君を毎晩、抱けたら、もうそれで満足だ」


美波が生まれて物心着いて、夜はまだ一緒に寝ていたうちは、娘が幼稚園に行っている間で、一人で眠るように子供部屋を分けてからは、寝室に鍵を付けて、毎晩、身体を求めて来た。


全く避妊してないのに、全く妊娠できなくて、件の事実に絶望したが、本当に、子供を望んでなくて、ただ、私を抱きたいだけだと、理解した。


愛されている。


そう心から、夫の愛を実感出来るのに。


時々、それが悲しく思えた。


左の小指が動かない。


いつからか、私は、左の小指が全く動かなくなってしまった。


病院に行こうとも、思ったが、何故か無性に誰にもそれを悟られては行けないと思って、私はそれを誰にも秘密にして過ごしている。





第四部 有象無象の嘘と無双 【了】


2025年 3月29日

































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