中学も2年に進級し、一学期の中間テストを先週に終えた昼休み。
遠くに海を望む市立青海ヶ丘中学校の校舎屋上には、黒崎真とその友人たちの姿があった。
「おお、かっけえ!やっぱ〈ヴァルキリーズ〉だな!」
「うるさいって、聞こえないから」
イヤホンを片耳にさしてはしゃぐ
彼らふたりが聴いているのは、現在ティーンの間で爆発的な人気を博す4人組アイドルグループ〈ヴァルキリーズ〉のニューシングルだ。
「サビやばいな」
「うん、鳥肌止まんないよ」
「アルバム出るまで待つつもりだったけど、これは
「限定盤、予約しといてよかった」
日本のアイドルでは珍しいラウドロックを主体とした音楽性で、楽曲はアメリカ人とのハーフであるというメインボーカルが自ら作詞作曲を担当している。
メンバー全員が真たちと同じこの青海ヶ丘中学校に通う中学生でありながら、楽曲も歌唱もダンスも、何もかもが高いクオリティを維持する常に期待の高いグループだ。
ローティーンのガールズアイドルグループとラウドロックという組み合わせは、デビュー当時世間に強い衝撃を与えた。
一方で、意外性やギャップに頼っているだけという懐疑的な意見も当然に存在したのだが、シングルを数枚リリースする頃にはそういった意見はほとんど消え失せた。
「熾ヶ原さんの声、マジで良い。他の3人も上手いけど、メインボーカル張ってるだけあってやっぱ頭いっこ抜けてるな」
「新曲出すたびに歌声が力強くなってる、ソロのパートとか聞き入っちゃうよね」
アーティストとしての彼女らの地位を確立させたのは、やはりメインボーカルを担当する
14歳とは思えない抜群の容姿とパフォーマンス、ネイティブイングリッシュによるロックミュージックはありがちな恋愛ではなく悲しみや怒り、葛藤を紡ぎ、動画サイトでは海外からの評価を呼ぶほどだった。
無論その彼女を引き立てる他メンバーの役割も馬鹿にできるものではなく、〈ヴァルキリーズ〉はアスカを筆頭に、一つのグループとして完成されていた。
「分かってないなあ、君たちは」
片耳づつさしたイヤホンで感動をシェアする真と優之介の正面から、そう言って水をさしてくるのは坊ちゃん刈りに眼鏡の男子、
大事そうに両手に抱えた一眼レフカメラの液晶を分厚いメガネの向こうから見つめながら、カチカチとボタンをいじっている。
「〈ヴァルキリーズ〉と言ったらやっぱり、〈ネメシス〉でしょ」
もう一つ、彼女らの存在を世間が認めざるを得ない要因があった。
それが、俊平の言う〈ネメシス〉だ。
現在から約50年前、人類はある地球外生命体との邂逅により未曾有の危機に直面した。
後に〈天使〉と呼称されるようになったその侵略的外来生物は、全長数十メートルを超える醜悪で獰猛な生命体で、瞬く間に人類を窮地に追いやった。
なぜ地球に飛来したのか、宇宙のどこからやって来たのか、そのほとんどは現在でも解明されていないままだが、ともかく、最初の〈天使〉がこの青海ヶ丘の街に飛来してから、未知の生命体との戦いという馬鹿げた人類の歴史が始まった。
〈天使〉との戦いには様々な近代兵器が用いられたが、最も効果を発揮したのはこの青海ヶ丘に本社を構える企業コジマ・エレクトロニクスが開発した全長約8メートルの人型ロボットだった。
ありとあらゆるいかがわしい最新テクノロジーをふんだんに用いて建造されたその対天使用二足歩行型陸戦兵器は、やがて〈ネメシス〉と名付けられた。
〈ヴァルキリーズ〉とは本来、アイドルグループではなく〈天使〉に対抗するための有人兵器〈ネメシス〉のパイロットのことであり、コジマ・エレクトロニクスが編成する強襲部隊を指す。
人類反攻の象徴たる〈ネメシス〉と、それを駆る〈ヴァルキリーズ〉は、まさに、〈天使〉に怯える人々の心を支える存在なのだ。
「あの無骨な機体デザイン、ヒロイックな概念が介在しない塗装。戦うためのロボットって感じだよね」
反射したメガネで彼の表情は読み取れないが、声色からその一眼で撮影した〈ネメシス〉の写真にうっとりしているのが真にはわかった。
「なんや、ま〜た俊平のオタク談義が始まったか」
そう言って、隣にいた
「ワシにゃロボットのことなんてわからんからな、花より団子や!」
野球部でもないのに坊主頭なのは寺の息子だからだそうだが、彼の好色ぶりからは到底それを伺えなかった。
「それ意味合ってるの顕吾……」
真は顕吾の使ったことわざに眉を寄せた。
実家である寺のほうでは修行もしているらしい顕吾だが、どうにもその成果は芳しくはないようだ。
そんなことは意にも介さず、顕吾は俊平の肩を揺すりながら話を続ける。
「あんなゴテゴテしたもんより、柔らかくてかわいい女子のほうが見とって楽しいやろ」
「……このロマンを理解しないなんて男子失格だよ」
カメラを落とさないようにして、顕吾の腕の中で俊平がぼやく。
「とか言って俊平、お前ちゃっかりそのカメラで〈ヴァルキリーズ〉の写真隠し撮りしてんの知ってんだぜ!」
「ああっ、ちょっと!」
俊平のカメラを取り上げた優之介が、乱暴にそれを操作する。
慌てた俊平が伸ばした手をするりと躱し、優之介は目当ての写真を見つけるとカメラの液晶を俊平の鼻先に突きつけた。
「ほらこれ!」
「ゔっ!?」
「なんやコレェ!?」
「ん?」
そこに表示されている画像を見せつけられ絶句する俊平と絶叫する顕吾。
真もそれを覗き込んだ。
一眼レフカメラで撮影されていたのは、長いプラチナブロンドの髪の女の子。
今し方話題にあった〈ヴァルキリーズ〉のメンバー、真たちと同じこの市立青海ヶ丘中学校に通う同級生、
「うわぁ。」
思わず声が漏れてしまった。
いつしか前に望遠レンズを手に入れたとウキウキしていた俊平を思い出したが、まさかこんな使い方をしていたとは。
「そそっ、それは……っ!」
「めちゃくちゃいい一枚撮ってんじゃねえか」
振り返るアスカを校内で撮影したもののようだったが、優之介の言うとおり、隠し撮りであるということを除けば確かにそれはいい写真だった。
「やっぱ熾ヶ原さんって美人だよなー、ハーフってのもあるけどさ」
手元に戻したカメラの液晶を見下ろしながら、優之介がしみじみとつぶやいた。
それには真も全面的に同意する他ない。
制服のスカートから伸びる長い脚や細いウェスト、ブレザーの上からでもわかる形のいい胸の膨らみ。
白磁のような肌に映える唇と、長い睫毛が覆う青く澄んだ瞳。
14歳にしてモデル顔負けのプロポーションと大人びた容姿、正直同級生だなんて信じられないし、そんな子が同じ学校に通っているということにもイマイチ実感を持てない。
「うん、ほんとに綺麗だよね」
「なんや、お前らわかっとらんな」
「あ?」
「アスカちゃんも確かに美人で捨てがたいが、〈ヴァルキリーズ〉言うたらやっぱりいく乃ちゃんやろ!」
顕吾の言う、いく乃というのはアスカと同じく〈ヴァルキリーズ〉のメンバーである
グループとしてそもそも人気は凄まじいのだが、男女ともに支持されるアスカに対し、いく乃は男子の人気圧倒的1位。
というのも。
「いく乃ちゃんのあのおっぱい……ホンマたまらんで……!」
彼女もまた、ここにいる面子と同じ中学2年なのだが、アスカとはまた違った意味で14歳とは思えない容姿だった。
それというのが顕吾が鼻の下を伸ばして語る
クラスどころか上級生を合わせても学校で一番の巨乳。
弾けるような笑顔とプロポーションで男子の熱い眼差しを独り占めにする女の子だ。
「ミュージックビデオでゆっさゆっさしとるあの巨乳……最っ高やわぁ……」
「お前はいちいちスケベなんだよ顕吾」
「優之介かてあのおっぱいには魅力を感じるやろ。それに、ここにも美少女を隠し撮りしとった助兵衛がおるやないか、なあ俊平」
「ちが……っ、僕はあくまで〈ネメシス〉のパイロットである彼女たちを尊敬して……」
「そいつはスケベじゃねえ、ただの盗撮野郎だ」
「なぁっ!?」
そんな話をして昼休みの時間が過ぎる。
いつも通り、男どうしのバカな会話だが、真はこういう時間が好きだった。
しばらくして午後の予鈴が鳴り、真たちは屋上を後にした。
「あ〜、やっぱこの曲いいな……」
屋上から戻る間も、優之介は真から借りたミュージックプレイヤーで〈ヴァルキリーズ〉のニューシングルを聴いていた。
よほど気に入ったらしい。
顕吾ほどではないが、真や優之介ももちろん彼女たちの容姿やダンスには魅力を感じる。
ただ、彼らはどちらかと言うと〈ヴァルキリーズ〉の制作する楽曲のファンであった。
「どうする?買いに行くなら放課後付き合うよ」
「……よし、今月の小遣い全部使っちまうけどこれは行くしかねえよなァ!」
耳から引っこ抜いたイヤホンのコードをぐるぐるとミュージックプレイヤーに巻き付けて優之介は真へ返す。
「そう来ないとね」
「このシングルも買って、アルバムも、出たら買う。これが俺らの推し方ってもんだ!そうだろ真!」
「あはは。お小遣い、とっておかないとね」
推し活に命を燃やす男、優之介。
しかしながら。
「悪い、真!サッカー部の助っ人頼まれちまった」
放課後になり、いそいそと帰りの支度を始める真の前には両手を合わせて頭を下げる優之介の姿があった。
あれだけ息巻いていたというのに、どうやらその出鼻を挫かれたようだ。
「いや……僕はいいんだけど、どうする?早めに行かないとたぶん売り切れるよ」
「だよなぁ……」
がっくりと優之介が肩を落とす。
帰宅部なのだから断ったっていいものを、頼られると弱いのは彼の一長一短だと真はしみじみ思う。
「お金持ってるなら代わりに買ってこようか?」
こうして約束がドタキャンになってしまうのは、優之介には珍しくないことだ。
真も慣れてしまっているため特に気を悪くすることもない。
「毎度すまねえな……託すぜ俺の全財産!」
「いや、必要分だけでお願いしたいんだけど」
優之介から代金を預かって、真は鞄を背負って教室を出た。
俊平は写真部に出ているし顕吾は寺の修行。
よくつるむことの多い4人だが四六時中一緒というわけでもない。
真っ直ぐに帰宅する生徒や何人かで遊びに向かう生徒に混ざって、真はひとり正門を出た。
青海ヶ丘は扇状地に発展した街で、街全体が海まで続く緩やかな傾斜になっている。
真の通う中学校は街の一番高い山肌にあって、通学路の坂からは青海ヶ丘の街と、街の名前となった青い海が見える。
一見すると景観の良い街だが、至る所には〈天使〉に対抗するための防衛設備として迫撃砲や対空砲、機銃を搭載した二脚無人機などが配備されており、それは学校周辺も例外ではない。
迎撃装置の数々が物々しく佇む長い下り坂を街まで下りると、〈ヴァルキリーズ〉のメンバーが表紙を飾るティーン向けの雑誌や、メインボーカルであるアスカがモデルを務めたファッションブランドのポスターがそこかしこに目立つようになる。
夕方の人混みを掻き分けながら街を進むと、やがて、一際目を引く大きな懸垂幕が張られた建物の外壁が、ビルの隙間から見えてきた。
外壁を彩るその四つの懸垂幕は、〈ヴァルキリーズ〉のメンバーひとりひとりが写された特大の広告ポスターであり、この建物は、彼女らをプロモーションキャラクターに選んだ青海ヶ丘で最大規模の商業施設だ。
真が昨日立ち寄ったCDショップはこの施設の一角にある、まずはそこを覗いてみることにした。
「うわぁ……売り切れてるなぁ……」
ここは現在の青海ヶ丘における中心街、まさにそのど真ん中。
学生を含めて多くの客が訪れるため流行り物はすぐに売り切れてしまうが、人気絶頂のアイドルグループの新曲なら尚更だった。
特設コーナーには当然のようにSOLD OUTと書かれたラミネートカードが、無情にも商品の代わりに陳列されていた。
メンバーの地元というのもあるのが、やはり恐ろしい人気だ。
「うーん、どうしようかな」
盟友から託された数千円を握り締めて鞄を担ぎ直す真。
売り切れだったと言って明日そっくりそのままお金を戻そうかとも思ったが、時間もあるため真はもう一件知っている店に行ってみることにした。
〈ヴァルキリーズ〉の外壁ポスターに見送られながらショッピングモールを後にする真、近くの駅から路面電車に乗って街を南下する。
電車に揺られながら、中心街の高層ビル群を抜けて、郊外へ。
南へ1区画も下れば、窓から見える建物もその背がずいぶんと低くなる。
程なくして電車を降り、2〜3階建ての建物が身を寄せ合う入り組んだ街路を慣れた足取りで進む。
中心市街から離れているためか、この辺りの防衛設備は比較的手薄と言えた。
迫撃砲などの重火器は少なく、代わりに二脚無人機などがよく目についた。
真は古びたCDショップの前で足を止めた。
ネオンの店名がなんとも時代を感じさせる外観だが、この店の品揃えはなかなか悪くない。
ガラスの回転扉を押して、真は店内へ入った。
演歌や古い歌謡曲のCDが放り込まれた叩き売りの大きなカゴの横を抜けて、およそ買う側のことなど考えてなさそうな乱雑に並んだ棚の間を進む。
レジカウンター近くの一角で、真はついに目当てのものを見つけた。
「あったあった。中心街で手に入らなくても、ここならあったりするんだよね」
顔見知りの店主に優之介から預かった代金を渡し、店を出る。
日がずいぶんと長くなったことを実感する時節だが、陽はもう傾いていた。
約束の品を大切に鞄の中へしまい、真は家路へと足を踏み出すが、南から吹き抜けた冷たい風に思わず足を止めた。
じっとりと湿度を孕んだ風が真の頬を撫で、街路樹を不吉に騒めかせる。
その時、学生服のポケットにしまっていた携帯電話がけたたましい音を上げた。
「えっ、あ……だ、堕天警報っ!?」
それは、一瞬にして日常を破壊する死の警告だった。