〈天使〉の堕天から数分後、人々は現れたその黒き守護神をふり仰いで銘々に安堵の声を漏らした。
真もそうした〈ネメシス〉に救われるべき一人だが、彼は九死に一生を得た安堵よりも目の前の機体に呆気に取られていた。
「この機体……見たことない……」
軍事オタクの俊平に比べれば、兵器といったものへの真のアンテナは高くはない。
それでも、この街に配備されている〈ネメシス〉の、〈ヴァルキリーズ〉が搭乗する4機についてはその特徴を覚えていた。
〈ネメシス〉はどの機体もだいたい同じような外見をしているが、真と〈天使〉の間に飛び込んできたこの機体は彼の記憶にあるいずれの特徴とも一致しない。
『黒崎くん!何してるの、早く逃げなさいッ!』
その見慣れない機体から、聞き覚えのある声が真の名前を叫んだ。
〈ヴァルキリーズ〉のエースパイロットにして青海ヶ丘中学の同級生、熾ヶ原・アスカ・アストレアの声だ。
「し……熾ヶ原さん……?」
『死んじゃっても知らないわよ!』
それだけ言い残すと、アスカの駆る見たことのない〈ネメシス〉は再び武器を振り上げ、関節からエキゾーストを噴き上げながら〈天使〉へと突撃した。
アスカの機体が掲げる巨大な武器が唸るような駆動音をがなり立て、激しく振動する。
それは、巨大なチェーンソーだった。
まるで戦車の履帯のような極太の回転刃は、切断するための武器と言うよりもさながら対象を掘削するための大型重機だ。
その暴力性の高い大型兵器を掲げ、果敢に〈天使〉へと挑むアスカ。
応戦する巨獣の猛攻を機体各部のブースターを駆使して躱し、攻撃する。
アスカが振るい、〈天使〉の反撃を避け、反撃。
彼女は確実に侵略者を街から押し返していた。
アスカの戦闘機動はまさにステップを踏んでいるような軽やかさで、それはまるで、怪物を相手に踊っているかのようにリズミカルだ。
思わず、真はその光景に見入った。
〈ネメシス〉の戦闘の様子をこれほど近くで見たことはない真だが、素人目にもアスカが優れたパイロットであるのがわかる。
それほどまでに彼女の操縦する機体は洗練された動きを見せていた。
『黒崎君!』
また別の声が真を呼んだ。
次いで、視界に2機の〈ネメシス〉が瓦礫を蹴散らして駆け込んで来た。
どちらの機体も人間が扱う銃のような火器類を持っており、肩部エクステンションにそれぞれサブウェポンを装備し、腰部ハードポイントには予備弾倉を携えていた。
アスカの乗っていた〈ネメシス〉とは異なる機体デザインだが、少し重鈍そうに見えるこちらの2機が真の知る〈ネメシス〉の姿だった。
『だいじょうぶ?アスカに踏みつぶされなかった?』
2機のうち、片方が真の傍で肩膝を付いて彼を覗き込んだ。
声の主は、アスカと同じく同級生の天衝寺いく乃。
「天衝寺さん……だ、だいじょうぶ……」
『よかったぁ。ってか、なんでこんなところにいるの?住んでるのこっちじゃないでしょ?』
「えっと……CDを買いに……」
『えっ!CD!?ひょっとして、いく乃たちの新曲っ!?』
驚いた様子でいく乃の搭乗する〈ネメシス〉の肩が跳ねたかと思うと、ぐっと上体を屈ませてさらに真に頭を近づけた。
有人であるとは言え、無機質で無骨なロボットのくせに妙に人間らしい仕草をしてみせるものだと真は思った。
「……うん、そうだけど……」
『うれしい!あの曲いく乃たちも気に入ってて……え?あ、ごめん、そうだね!』
機体に搭載された拡声機能で真と話していたいく乃だったが、突然、もう1機のほうを向いて機体の膝を浮かせた。
どうやら、悠長に話をしていたことをもう1機のパイロットから専用回線で注意されたようだ。
『黒崎君、ここあぶないから早く……』
突然、手前のビルが爆発した。
「っ!?」
砂塵が舞い上がり、コンクリートの破片が真のすぐ近くまで飛んで来る。
真を庇うように前に出たいく乃の〈ネメシス〉の足元から、半壊した建物の上に仰向けに横たわるアスカの〈ネメシス〉が見えた。
ビルが爆発したのではなく、〈天使〉に吹き飛ばされた彼女の機体がそこへ激突したのだ。
相当な衝撃だったはずだ、アスカの〈ネメシス〉は青白いスパークを放ち、ぐったりと四肢を投げ出していた。
そのアスカの機体へと、〈天使〉が迫ろうとしていた。
『アスカ!?……だから言ったのに!』
いく乃が〈ネメシス〉を走らせた。
それを見て、もう1機の〈ネメシス〉も飛び上がる。
いく乃は両腕に持ったシングルバレル・ロータリーガンをアスカへと迫る〈天使〉へ向け、弾丸を放った。
無人二脚機の機銃など比較にならない威力の銃撃、たじろいだ〈天使〉は雄叫びを上げるといく乃へと標的を変えた。
『黒崎君!お願い、早くここを離れて!』
いく乃の〈ネメシス〉が跳躍する。
建物を足場に跳躍を繰り返しながら、〈天使〉と一定の距離を維持して弾丸をばら撒く。
そのいく乃の機体へと〈天使〉の腕が伸びる。
危うく捉えられそうなところをいく乃は回避し、その腕にもう1機の〈ネメシス〉が両手持ちの銃で散弾を放つ。
弾丸の束を叩き込まれた〈天使〉の腕がちぎれ跳び、地面に落ちてのたうった。
激昂した〈天使〉が振りかぶって複数持つ腕を次々に振るった。
まさに怒り狂った猛獣、でたらめな攻撃だったがだからこそそこには純粋な暴力がある。
ショットガンを持つほうの〈ネメシス〉は寸前で回避したが、いく乃は着地のタイミングを狙われて直撃、機体を吹き飛ばされた。
総重量約12トンの機体がきりもみしながら宙を舞い、路面に叩きつけられる。
アスファルトが砕け散り、土煙が上がった。
「天衝寺さん……ッ!!」
『逃げて!黒崎君ッ!』
立ち上がり、ロータリーガンを構えるいく乃の〈ネメシス〉へ〈天使〉が追い討ちをかける。
彼女の武器が弾丸を吐く前に、〈天使〉はいく乃の〈ネメシス〉を押さえ付けてその腕を引きちぎった。
いく乃はもう片方の腕のロータリーガンを放つも、激昂した〈天使〉は至近距離の銃撃に怯むことなく機体を投げ飛ばした。
背中からビルに突っ込んだ彼女の機体は動かなくなった。
〈天使〉が、再び真の存在を捉える。
真はすくむ足を踏ん張り、立ち上がって駆け出した。
散らばった瓦礫に躓きそうになりながらも、必死に足を前へと踏み出す。
地響きと共に大きな足音が追いかけてくるのが聞こえていた。
血だらけの怪物がその巨躯を震わせて追いかけてくる姿が頭に浮かび、戦慄する。
足音はもう真後ろまで迫っていた。
このまま〈天使〉に捕食されるのだろうか、絶望が胸の中で膨らむ。
それでも足を止めることなどできなかった。
その時、真の視線のはるか先で何かが煌いた。
それは真っ直ぐにこちらへと火線を引き、高速で真の頭上を越えて背後の〈天使〉に直撃し、爆発した。
衝撃で体が浮かび上がり、数メートルほど飛ばされる。
地面に叩きつけられ、肺の中の空気が圧し出された。
「あうっ!」
鈍い痛みが体を駆け巡る。
膝をついてなんとか上体を起こすが、それが限界だった。
この場にいない4機目の〈ネメシス〉による遠隔支援射撃、〈天使〉はその体を炎に包まれて真っ黒な煙を上げていた。
辺りに立ち込める臭いは、人間が燃えるそれとよく似ていた。
肉が削げ、腕をひとつ失い、炎に焼かれてなお、目の前の巨獣はその凶猛さと人類への敵意を失っていなかった。
そこまであの生き物を駆り立てるものは何なのだろうかと思った。
意思の疎通を図れない怪物には、地球へ現れた理由など尋ねることは叶わない。
理不尽だと思った。
自分が、人類が、あの地球外生命体に対してどんな罪があると言うのだろうか。
どうして、こんな目に遭わなければならないのだ。
「……どうして、こんな……っ、どうして……ッ!!」
絞り出した声に答える者はいない。
茫然と立ち尽くす真へ、三度〈天使〉が迫る。
怪物の背にショットガンを持つ〈ネメシス〉が銃撃を浴びせるが、集弾性の低い弾丸はほとんどが逸れて地面やビルに当たった。
いっそ、この絶望を受け入れてしまえばいいのかも知れない。
視界は滲んでいた。
少年は自分が泣いていることに気づいていなかった。
そこへ、ビルの壁を突き破ってアスカの〈ネメシス〉が現れた。
「……っ!」
青いスパークを放つ機体はほとんど倒れ込むようにして〈天使〉と真の間に割って入ると、鈍い動きのままあの大型チェーンソーを振りかざす。
そのチェーンソーを、〈天使〉は手で掴んで制した。
刃の回転が手のひらの肉を削ぎ、血と肉片を散らすが、その出力は明らかに衰えているようだった。
『……諦め……じゃないわよ……!』
押し相撲のような状態で、〈ネメシス〉の外部スピーカーから声が漏れ聞こえた。
『諦めてるんじゃないわよッ!』
アスカの声だった。
チェーンソーの回転出力は低下し、その刃はすでに停止していた。
自身の倍近い体躯の怪物に、黒い巨人は掲げた武器ごと押し潰されそうだった。
〈ネメシス〉の膝が地面につく、路面に機体が沈み込む。
全身から迸る青白い電光が、まるで機体の悲鳴のようだった。
『私はイヤよ!こんな怪物に運命をゆだねるなんて、ぜったいにっ!』
「熾ヶ……原さん……っ」
「こんな___理不尽___になんか___ッ!ぜったい……ぜったいに屈して……やらないん___だからっ!」
途切れ途切れのアスカの言葉。
まるで
「……っ」
自分には、彼女たちのような抗う力はない。
〈天使〉に怯え、逃げ惑い、少しずつ日常を壊されていくだけだ。
もし自分に、戦う力があったなら。
彼女たちのように立ち向かう力があったとしたら。
自分はアスカと同じ言葉を言えただろうか。
〈天使〉が、掴んだチェーンソーごとアスカの〈ネメシス〉を持ち上げる。
軽々と浮かび上がった機体は、そのまますぐそばのビルに背中から叩きつけつけられた。
外部スピーカーから短くアスカの悲鳴が聞こえた気がするが、それは建物の倒壊する音に飲まれて消えた。
真の視界いっぱいに迫る瓦礫と〈ネメシス〉。
〈天使〉の咆哮を最後に、少年は静かに瞳を閉じた。