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第15話

学園祭を翌週に控え、市立青海ヶ丘中学はどこか浮き足立った生徒たちでいつも以上に賑やかだった。


一般には『青海祭』と略称で呼び親しまれるこの学園祭は、生徒だけでなく一部教員やPTAによる出し物や出店もあり、期間中は毎年かなりの来校者がある。

加えて、今年は人気アイドルグループ〈ヴァルキリーズ〉のライブステージまであると来ている。

県外客も見込まれ、例年を上回る人が押し寄せると思われた。


「まこっちゃんもそのステージ、立つんだよ」

「そうなんだよね、実感なさすぎてこまってる」


華やかに飾り付けが進んでいく校内をいく乃と並んで歩く。

10月を迎え、冬服の着用が認められるようになったもののふたりは長袖のブラウスを、袖を捲って着用していた。

真は相変わらず黒のブラウスに赤のネクタイ、いく乃は白いブラウスにリボンという組み合わせだ。


学園祭の準備期間中は授業がほとんど休みになるため、いつもなら静かなはずの廊下も駆け回る生徒や先生方で忙しない。


「知ってた?青海祭って、会社がエンジョしてるんだって」


いく乃の言う会社というのは、もちろん、コジマ・エレクトロニクス社のことだ。


「そうなんだ、どおりで毎年豪華なわけだね」

「正門のおっきなあのゲートとか、体育祭のヤグラとか、たてるのぜんぶうちの会社らしいよ」


そんな話をしながら、いく乃と向かうのは体育館。

体育館の舞台を使うクラスや部活動の生徒たちが順にリハーサルを行なっており、そろそろ〈ヴァルキリーズ〉の時間だった。


「そう言えばステージの音響設備も、会社のほうでやってくれたんだよね?」

「そうそう」

「なんでもできる会社だなぁ」


いく乃とこうして話をするのは、先日の演習以来久しぶりだった。

あの時のいく乃の様子が心配だった真としては、直接会えて話して、いつものいく乃であることを確認できたことに、内心でほっと胸を撫で下ろしていた。


「いく乃は〈ヴァルキリーズ〉のステージどう?ばっちり?」

「ばっちり!まこっちゃんのおかげだよ」

「僕の?どうして?」

「3曲目、まこっちゃんでしょ?いく乃たち、曲が減って休憩取れるようになったから、かなり楽になったんだよ」


メンバーの貴重なステージの時間を奪ってしまったのではと密かに考えていたりもした真だが、いく乃にそう言ってもらえたのには、素直に安心した。


校舎から体育館へ接続する渡り廊下を通る。


あの日、飛び出すようにここから駆け出して〈ネメシス〉に搭乗したのが、もうずっと昔のことのように思える。


「まこっちゃん?」

「ごめん、なんでもない」


思わず足を止めて、あの日土砂降りの中を走っていった中庭のほうを見つめていたところを、いく乃に顔を覗き込まれて我に返る。


体育館のエントランス、ここも実行委員が主体となって飾り付けが着実に進んでいた。


「やっほ、おふたりさん」

「あ!ヌッキーじゃん、久しぶり!」

(ヌッキーかぁ)


行き交う生徒の向こうから、壁にもたれて腕を組む陽傘が声をかけてきた。


「おはよう、四月一日さん」

「アスカたちならもう中だよ、入ろう」

「はぁい」


扉を開けて中に入る。

照明を落として、暗幕を引いた舞台の上では演劇部のリハーサルが行われていた。


「ヌッキーいつぶり?」

「ちゃんと話すのは、たぶん2年になってから初めてじゃない?」

「去年クラス同じだったよね」

「あんたほとんどいなかったけどね……。いく乃さんから貰った、たぬきのストラップ、まだ持ってるよ」

「えー、うれしい」


四月一日、わたぬき、たぬき、なるほど。


リハーサルの邪魔にならない程度に声を落として話すふたりの会話を隣で聞きつつも、真は舞台の方へ注意を向けた。


「王よ!暴虐たる治世、赦してはおけぬ!」


声が響き渡る。

舞台の上でスポットライトを浴びるのは、真たちのよく知る女子生徒、深雪だった。


対するは、大柄な体格に強面の男子生徒、確か3年生の演劇部部長のはずだと真は頭の中の校内人物辞典を確認する。


「なれば問おう。我を排して世を統べるのは誰か、そなたか!」


シーンはクライマックス、3年生で部活を引退するその最後の舞台。

掛け合いにはより熱がこもり、そして息を呑む殺陣が繰り広げられる。


「深雪ちゃんいつの間にあんなの練習してたの?」

「本当に身体能力強者の集まりだよね、〈ヴァルキリーズ〉ってさ」


感心を通り越してもはや呆れた声を漏らすいく乃と陽傘。

真は素直に見入っていた。


演目を終え、暗転する舞台。

体育館ではそれを見ていた先生や生徒たちの拍手が起きていた。


演劇部のリハーサルが終わり、撤収のために一部の暗幕が開く。

少し明るくなった館内で、隅のほうにアスカを見つけ、3人は彼女のもとへ向かった。


「あら、来てたの」


アスカが気づいて声をかけた。

隣には真の見たことのない女性の姿があった。


「真くん、会うのははじめてでしょ?紹介するわ。葛木よ、オペレーターの」

「コジマ・エレクトロニクス社、陸戦強襲部隊オペレーターをしてます、葛木です!」


栗色のショートヘアに、オフィススーツ姿のその女性はびしっと背筋を伸ばしてそう挨拶した。

声には確かに聞き覚えがあった、しかしのそれよりもいくらか柔らかい印象だ。


「あ、く、黒崎ですっ」


頭を下げる。


「久しぶりね、ミズ黒崎」


そう言って、葛木の後ろから黒い肌の長身の男性が現れる。

短く刈り込んだ頭髪、フォーマルパンツに袖を捲った白いシャツとベストを着こなすブラックアメリカン、見覚えがあった。


「あ、えと……フューリさん」

「覚えていてくれて嬉しいわ、ミズ黒崎」


フューリは〈ヴァルキリーズ〉のダンスコーチだ、これからリハーサルなのだから彼がここにいるのは不自然ではないが、日頃顔を見ない葛木が学校を訪れているのを真は不思議に感じた。


それについてはフューリが説明してくれた。


「実は彼女、〈ヴァルキリーズ〉のファンなのよ。特別に連れてきてあげたの」

「はい!CDも欠かさず買ってるんです、通勤中も毎日聴いてて……」


言いながら、肩に下げたショルダーバッグの中をごそごそと探す葛木、取り出したのは、キーホルダーが大量にぶら下がった折りたたみケータイだった。


「あと、これ!限定のアクキーもメンバー全員揃えたんです!」


彼女が誇らしげに見せるケータイについているのは、メンバーそれぞれをイメージして描き下ろしされたSDキャラクターのアクリルキーホルダーだ。


無論、真も持っているグッズである。


「みんな、揃ってる?」


そこへ、演劇部のリハーサルを終えた深雪が合流した。

額には既に汗が滲んでいる、どれだけの熱量で挑んでいるのかが窺えた。


「いえ、めくるがまだかしら」


アスカが周囲を見渡す、ちょうどめくるが現れた。


「すみません……遅く、なりました……」


真はつい最近知ったのだが、彼女はこの学園祭の実行委員だ。

こういったリハーサルを含め、前週ともなるとあるいは当日よりも立て込んでいて忙しいのかもしれない。


「大丈夫、時間通りだわ。さっそく着替えましょうか、本番通りの手順でいきましょう」


そう言って踵を返す深雪に続いて、アスカやいく乃たちも舞台袖へと向かう。


〈ヴァルキリーズ〉が披露する全5曲のうち、真の出番は3曲目。

着替えは他のメンバーが舞台に上がってから行うという段取りだ。


実行委員と思われるメンツが暗幕を閉じ、再び体育館の中が暗闇に包まれる。


そして、一曲目のイントロと同時に舞台がライトアップされ、〈ヴァルキリーズ〉のリハーサルがスタートした。


殴りつけるようなラウドロックの、激しい音楽が音響機材から溢れ出す。

学校の設備ではこの音圧は再現できないだろう、さながらライブハウスだ。


舞台の上ではステージ衣装に着替えたメンバーが各パートを歌唱し、ダンスしている。

激しい踊りに乗せて歌っているが、真が想像していた以上にその歌声には安定感がある、厳しいレッスンの賜物だろう。

中でも抜群の歌唱力を見せるアスカ、そして、それぞれがそのアスカに喰らいつくように全力であるのが伝わる。


こちらもこちらでリハーサルとは思えない熱量だ、体育館にいた実行委員の他、前後のリハーサルで来ていた生徒たちは皆、手を止め足を止め、彼女たちのステージに魅入って歓声をあげていた。


「いけない、僕も着替えないと……っ」


貴重な機会、始終見ていたいところだが、自分もこの後に出番を控えている。


舞台袖に入ると、先に着替えを済ませていた陽傘が手招きした。


「こっちこっち」

「四月一日さん」


ドレス姿の陽傘が、壁に掛けていた別のドレスを手に取る。

先日採寸をした、真が着るドレスだ。


「さ、脱いで」

「へ?」

「着替え、手伝うからさ」

「えー……っと」

「着方、分かる?」


分からない。

このドレスには今日初めて袖を通すのだ。


むしろなぜ陽傘は着方を知っているのかと思った。


「コンクールとかで着慣れてるからさ」


納得である。


「時間ないからさっさと着替えちゃうよ、大丈夫、変なことしないから」

「…じ、じゃあ、お願いします」


ここでもじもじしていても仕方のないことだ、真は観念して、ネクタイを外しブラウスを脱ぎ始めた。


「着痩せするほう?」

「自分じゃわかんないけど……」


襟元から肩を大きく露出させるオフショルダードレスのため、ブラまで外さなければならなかったのだが、半裸になった真の胸を見下ろして陽傘がその眼鏡の向こうで目を丸くした。


「大きいとは思って見てたけどさ、脱いでも大きく見えるってズルいよ」

「いや、そんなこと言われても……?」


そうして着替えを終える。

簡単だがヘアメイクも陽傘がしてくれた。


姿見の前で、右へ左へと体を振ってドレスに着飾られた自分の姿を確認する。

想像以上に可愛らしい仕上がりになって、驚いていた。


「長くて綺麗な髪なんだけどね、オフショルダーのドレスと合わせて襟元スッキリ見せたいから、アップヘアアレンジ。可愛いでしょ」

「うん……びっくりしてる」

「本番もこれでいくから」


そこへ、前半2曲を終え汗だくになったメンバーが駆け足で戻ってくる。

本番同様のタイムスケジュールで進行しているため、慌ただしくアスカの着替えを始めた。


「めくる、そっち持って」

「はい。アスカ先輩……腕、上げて……」

「ヘアメイクするから、あんまり頭うごかさないでね、アスカ」

「はあ、まるでお人形ね」


自分の着替えはがっつり陽傘に見られたわけだが、とは言えアスカの着替えを見ていい理由になるはずもなく、背中を向けてそのやり取りを聞いていた。


布が擦れる音や、汗ばんだ女の子の甘い香りが狭い控え室に満ちていく。

内心むずむずしながらも、真は平常心を言い聞かせて、その時を待った。


「よし、お待たせ」


その声に振り向いた真は思わず言葉を失った。


そこにいたのは、スカイブルーのドレスに身を包んだまさに西洋人形そのもののように美しい女の子だった。


ヘアアレンジしたプラチナブロンドの長い髪、アイメイクでより印象強くなった青い瞳、膝にギターを乗せて座るためドレスは脚を組みやすいフィッシュテールタイプだが、前側が脚をほとんど見せるかなり大胆なミニ丈。


彼女のスタイルの良さが際立つドレス姿、真は見惚れた。


「わお。どっちが主役かわかんないねこれじゃ」


陽傘もたまらずこの一言である。


「言うまでもなく、あなたが主役よ、真くん。リハだからって手加減はいらないわ、体育館にいる全員、あなたの虜にできるはずよ」

「うん、がんばる」


暗転した舞台には、すでに実行委員たちがマイクスタンドやピアノ、アスカのギターなどを定位置に並べている。


目を閉じて、深呼吸。


真はステージへと上がった。



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