薄暗い室内に、プロジェクターの青い光がぼんやりと反射していた。
コジマ社施設内の一室、小会議室と銘打たれた部屋には〈ヴァルキリーズ〉の面々の他、春華を含め数名の大人が集まっていた。
「先日の力天使級2体同時の堕天を受け、コジマ・エレクトロニクス保安管理部として状況の確認をしたいと考えています」
投影された映像のかたわらには、いつものフォーマルスーツを着込んだ葛木が立っており、手元には会議資料のブリーフィングファイルを持っていた。
「では、部長。お願いします」
そのそばには真っ黒な将校服をぴしりと着こなす背の高い女性が立っていて、葛木が目配せすると、ほとんど白色に近いアッシュカラーの髪を揺らして、一歩、前へ出た。
「その前に、初めて顔を合わせる者もいるため簡単な自己紹介をさせてもらおう」
将校服姿の女性はそう言うと、真のほうを見た。
「私はカエデ・フェドロツカヤ、コジマ・エレクトロニクス本社保安管理部長を勤めている。よろしくどうぞ、マコト君」
「はぇっ?」
いきなり名前を呼ばれたことに驚いて、真は思わず変な声を上げてしまった。
「……あ、はい、よろしくお願いします」
「挨拶が遅くなってしまい申し訳ない」
「いえ、こちらこそ……?」
長く伸ばした前髪で片目を覆ったその女将校、カエデは、彫の深い端正な顔を柔らかく緩めて真へ微笑んだ。
「君の活躍は聞き及んでいるよ、マコト君。人類の〈天使〉との戦いに力を貸してくれたこと、心から感謝する」
そう言って深々と頭を下げるカエデ、年齢で言えば、腕を組んで部屋の壁に背中を預けて立っている春華よりは幾つか上に見える。
そんな大人に頭を下げられ、真はどうしてよいかわからず慌てた。
助けを求めて隣に座るアスカを見たが、彼女は肩をすくめただけだった。
カエデは顔を上げると、真の様子には構うことなくさらに続けた。
「以前はモスクワ支社にて勤務していたが、2年ほど前にこの本社へと転勤してきた。見慣れない格好だとは思うが祖国のほうではこれが制服でね」
〈ネメシス〉という〈天使〉への強力な対抗兵器を保有するコジマ社は、人類防衛のため世界中に支社、拠点を置いている。
日本には、この青海ヶ丘本社の他、いくつか堕天の観測される地域には支社を置き、そして〈ネメシス〉を配備している。
真は青海ヶ丘の本社についてしか知らないもののその雰囲気はあくまで日本の一般企業だ。
国によっては独自の
「元々は私も〈ネメシス〉のパイロットだった。この前髪の下にある傷は、その当時の傷だ。……さて、話を戻そう」
プロジェクターの映像が切り替わる。
同じタイミングで、カエデの表情も引き締まり、幾人もの大人を束ねるに相応しい部長の顔になった。
「知っての通り、先日は大天使級2体が同時に堕天するという、観測史上初めての事態に見舞われた。そしてさらに、その数ヶ月前には力天使級の堕天」
プロジェクターの画面が次々切り替わり、真が初めて〈ネメシス〉に搭乗して戦った力天使級の〈天使〉を映す。
観測映像を見るだけでもその禍々しさがひしひしと伝わる。
よくもまああんな化け物を相手に自分は戦えたものだと思う。
「力天使級は現状における最悪の脅威だ、初めて観測されたのはこの青海ヶ丘で5年前、その次が昨年、そしてこの7月。その他では日本国外でもいくつかの観測の事例があり、いずれも甚大な被害をもたらしている」
カエデはそこで一拍置くと、また話を続けた。
「〈天使〉が最初に地球へ堕天したのはおよそ50年前。それまでの約45年間ものあいだ現れなかった
真がこうした会議に出席するのは今日が初めてだ、物々しい雰囲気に息が詰まる。
いく乃がいればきっと同じ気持ちを共有できただろう、こっそり視線を合わせてウィンクしてくれる様子が想像できた。
会議は続く。
「相手は地球外の生命体だ、無論、我々の常識など通用しないだろう。今後、いかなる脅威が迫るかも分からない。街の防衛戦力の拡充はもちろんだが、要となるのは、〈ネメシス〉だ」
カエデが〈ヴァルキリーズ〉の4人を順に見つめる。
新たな脅威を想定する中、やはりいく乃が出撃できないことは大きな痛手だ。
「イクノ君の事については、私も胸を痛めている。ありきたりな言葉でしか気持ちを表すことはできないが、私も、そして、
驚いて、真は春華を見た。
隠していたわけではないのだろうが、彼女が〈ネメシス〉のパイロットだったというのは知らなかったのだ。
アスカや深雪、めくるを窺うが、〈ヴァルキリーズ〉の皆は春華の経歴を知っている様子だった。
「我々に、君たちを使い捨てるような意思はない。だが現状、君たちに頼らざるを得ないのも事実だ」
カエデが画面の映像を切り替える。
〈ネメシス〉の模式図が表示され、手元のブリーフィングファイルを見つめる葛木が説明を代わった。
「Revenantには既に実装しておりますが、〈ネメシス〉各機の武装について調整と見直しを行い、戦闘が有利、かつ、戦闘時間を短縮しパイロットへの負荷を減らすための新兵装の導入を検討しております」
画面に映されている模式図は、現在真が搭乗している〈ネメシス〉のものだった。
左腕には大型近接兵器、この前の戦闘から追加されたパイルバンカーが装備されている。
「性能のほどは黒崎さんが実戦にて証明してくれております。他〈ネメシス〉についても、各機の戦闘データを元にシミュレートし、スタイルや役割に応じた兵装を順次展開していく予定です」
「こっちから撃ってでることはできないの?」
アスカが声を上げた。
「装備があたらしくなって、戦闘は有利になるかもしれない。私たちの負担も、減るのでしょうけど、
「確かにアスカ君の言う通りだ。〈天使〉との戦いに終止符を打つことは人類にとっての悲願。〈ネメシス〉という乗り物が不要になる未来をこそ、我々は望んでいる」
目配せするカエデに代わって現れたのは、黒い髪をぼさぼさに伸ばした小柄な女性だった。
近くのカエデがかなり背が高いためより小さく見えてしまうのもあるが、体格は中1のめくるとそう変わらない。
プロジェクターの光にうっすらと照らされたその顔立ちは、中学生どころか小学生と紹介されても真は信じてしまいそうなほど幼い。
袖を何重にも折って着ている白衣と、首から下げた社員証がなければ、到底、ここの会社員だとは思えなかった。
女性は、その小さな手に持った会議資料の紙束に目を通しながら、舌足らずな声を響かせた。
「どうも。本社観測部長の
彼女は可愛らしい咳払いをすると、画面の映像を切り替えた。
表示されたのは、天体の模式図。
読み取れたsolar systemという英単語が、太陽光発電ではなく、太陽系という意味であるのは以前俊平に教わった。
「〈天使〉については様々憶測が為されています。中には宇宙人の生物兵器だなどと言う方も少なくないですが、分かっているのは、私たちの住まうこの太陽系の外、カイパーベルトやオールトの雲のさらに外側に由来を持つということだけです」
「まさか、そんな遠くから地球へ来ているんでしょうか?」
深雪が小さく手を上げて、雨露に尋ねた。
遠く、というのは真にも分かることではあるものの、雨露の言ったカイパーベルトなどが自分の暮らしているこの地球から具体的にどれほどの距離の先にあるのかは皆目見当もつかなかった。
「おそらくですが、この太陽系のいずれかの惑星に飛来した個体が繁殖し、そこから地球へ来ているのだと考えられます。太陽系において地表の存在する惑星は多くはありません」
「つまり、目星がついているということでしょうか?」
「否定はしません。ですがそれを確認する方法は限定的です。近々、我が部署主導の下、観測衛星の打ち上げを行い周辺探査を計画しています」
この手の話にはついて行くのが難しい真はぼんやりと聞いていたが、衛星の打ち上げという言葉が耳に入って、ふと我に返った。
「ん、衛星の打ち上げ?……この会社がするんですか?」
「はい」
当然だと言わんばかりの雨露の顔に、真はそれ以上何かを訊く勇気は起きなかった。
代わりに、アスカが教えてくれた。
「あなた知らないの?この会社って、もとは宇宙開発の会社なのよ」
「そうなの?」
「アスカさんのおっしゃる通りです。〈ネメシス〉も、本来は生身では耐えられない極地での作業のために開発、研究されていたロボットです。色々あって、今では兵器として運用されていますが」
ここで言う極地とは、おそらく宇宙のことを言うのだろうと真は理解した。
その後も会議は続き、聞き慣れない言葉が耳に入るものの頭の中には残らなかった。
その夜。
会議を終え、真はアスカと並んで帰路を歩いていた。
会議の始まりがそもそも遅かったのもあり、外はもうすっかり真っ暗だ。
街へと続く下り坂からは、青海ヶ丘の夜景がよく見えた。
「〈ネメシス〉のいらなくなる未来……か」
不意に、隣のアスカが呟いた。
本部長のカエデが会議の中で口にした言葉だった。
「どうしたの?」
「ううん。……ただ、想像できないなって思っただけ」
「そうだよね」
真やアスカが生まれたときには既に、〈ネメシス〉という兵器は存在していた。
改良が加えられ、形を変えながらも、あの二本脚で自立する大きなロボットは存在していたのだ。
そして、対する〈天使〉もまた、存在していた。
真達の14年の人生は、〈天使〉という脅威に晒され、怯えるものであった。
そして、そんな真達を守ってきたのが、〈ネメシス〉という黒き守護神。
〈ネメシス〉が不要になる未来とは、〈天使〉に怯えることのない世界になるということだ。
到底実感など湧かない
澄んだ冬の夜空には星がよく見えた。
「星、きれいだね」
「そうかもね。でも、その空からあんな化け物が来てるって考えると……私には、きれいだなんて思えない」
そう言って、アスカは制服の上に羽織った上着の襟に顎を埋めた。
「でも、いつかそう言える日を私はつかみたい。そのために戦ってるんだもの。犠牲になった人にも、戦って命をおとした子たちにも、いく乃にも……そうでなきゃ報いることなんてできないから」
真はアスカを見つめた。
彼女の抱える使命は、責任感は、その小さな肩にはあまりに重た過ぎるように思えた。
いや、実際に、重過ぎるのだ。
でなければ、アスカの背中はこんなにも痛々しくないはずだ。
「___にだって」
僅かに呟いたその声は、小さ過ぎて真には聞き取れなかった。
「なら、僕はアスカのためにがんばる」
「……え?」
「人類の未来とか、むずかしいことは、あんまりかんがえられないけど……アスカがそのために戦うなら、僕は、アスカのために戦う。アスカが、想いを遂げられるように」
真っ直ぐに、彼女の青い瞳を見つめる。
「僕が、アスカを守るよ」
その言葉にアスカの顔が一瞬、強張った。
僅かに目を見開いて、何かを言いかけるように唇が歪む。
けれどもすぐに、彼女は表情を解いて笑顔を浮かべた。
「だれに言ってるのよ、もう」
顔を伏せ、真を置いて歩き出す。
その肩は少し震えて見えた。