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第20話

その日、真は中心街の少し外れにある、緑に覆われたとある喫茶店に来ていた。


「いらっしゃい、真君……かな?」


笑顔で出迎えたのはこの喫茶店のマスター、丈旗たけはた優佳ゆうか

年齢は20代前半、若くしてこの店を切り盛りする女性店主だ。


「ごぶさたしてます、おねえさん」


真も微笑み返す。

優佳とは親しい間柄だった、それもそのはずである、彼女は親友である優之介の実姉だ。


「見ない間に、ずいぶん可愛くなったね」

「あはは、いろいろ……あって」


この店は元々、優佳や優之介の祖父母が経営していたもので、内装や照明器具、調度品、深い赤色のコーデュロイ生地のソファなどからレトロな雰囲気を感じる。


祖父母が引退してからは、優佳が店を引き継いでこうして経営していた。


「奥の席、みんな来てるよ」


バーカウンターの向こうで食器を洗う優佳が視線で一番奥の席を指す。

目をやると、優之介を含め私服姿のいつもの3人がソファ席に集まっていた。


「いつものにする?」

「あ、えっと、コーヒー。ブラックで」

「あら、メロンソーダは卒業?」

「味覚かわっちゃったみたいで……」

「そうなの。ホットで、いい?」

「はい」


優佳にお礼を言って、珈琲の香りが染みついた店内を奥へと歩いて行く。


「おまたせ」


先に席に着いていた3人へ声をかける。


「おう、真」

「主役のご登場やな!」

「やあ、真君」


そのまま空いている優之介の隣、通路側のほうに座ろうとして、優之介に止められる。

席を立ち上がった彼は、真へ窓際を勧めた。


「いいの?」

「俺、姉ちゃんに手伝わされるから」

「そっか、じゃあ、奥すわるね」


優之介と交代して、ソファの奥へ座る。

間もなく、優佳が優之介を呼んだ。


「優之介〜、取りに来て〜」

「はあい、姉ちゃん」


カウンターへ向かって行った優之介を見送って、正面に座る顕吾が口を開いた。


「4人で集まるのも、かなり久しぶりやな」


最後に4人で過ごしたのは、1学期の中間テストが明けた翌週の昼休み。

忘れられるはずもなかった、その日の夕方に〈天使〉の捕食に巻き込まれ真の運命は大きく変わってしまったのだから。


「真君、いろいろ大変だったみたいだね」


俊平が分厚い眼鏡の奥から真を見る。


確かに何もかもが目まぐるしい毎日だった、 あれからもう何ヶ月も経つだなんて、にわかには信じられない気分もする。


「たいへん……だったと思う」

「真には何度驚かされるか分からんわ。女の子になったと思うたら、〈ヴァルキリーズ〉に入ったって聞いて、ほんでこの前の文化祭や」

「あれびっくりしたよね。なんか忙しそうにしてるとは思ってたけど、ステージの練習してたんだ」


サプライズ、というつもりなどもちろん真にはなかったが、結果として、仲のいい3人へはそうなってしまった。


「うん。熾ヶ原さんに誘われて」


楽な練習ではなかったが、けれど、あの期間を通してアスカとの関係は深まった。


死と隣り合わせの戦場でチームワークの良し悪しは生存率に関わる、前衛を任されるふたりとして信頼関係を築くことができたのは、大きなアドバンテージだと言えた。


それはそれとして、単純に彼女との距離が埋まっていくことに、心の中のどこかで、真は高揚感を覚えていた。


「あの歌って、〈ヴァルキリーズ〉のデビュー曲だろ?」


カウンターから戻ってきた優之介が、真の前にソーサーに乗せたコーヒーカップを置く。


「ありがと」


濛々と湯気が昇るカップを、着込んだカーディガンの袖越しに両手で持ち上げる。

冷えた指先にじんわりと温みが伝わって、甘やかな香りとともにひとくち啜った。


「あちち」

「アコースティックアレンジって言うのか?すげぇよかった、お前の歌もな」

「え〜、うれしい」

「熾ヶ原さんて、ギター弾けたんだね」

「うん。たまに音楽室で弾いてるみたいだよ」


二口目を啜ろうとカップのふちに唇をつけたところで、顕吾が会話に割って入ってきた。


「待て待て、今日の名目は真の復帰祝いやろ、まずは祝杯せな!」


真を待っている間に飲んでしまったのか、もう半分ほどしか残っていないオレンジジュースのグラスを顕吾は掲げる。

それに倣って、優之介もクリームソーダが泡立つグラスを手に持った。


「ああ、そうだな。俊平、お前も」

「うん」


俊平も、彼がよく飲んでいるジュースの注がれたグラスを持つ。

真も、カップを体の前に掲げる。


「遅くなっちまったけど。真、復帰おめでとう」

「ぃよっ!」

「おめでとう、真くん」

「あはは、ありがと」


グラスの端どうしを軽くぶつける。

小気味のいい音が響いて、銘々、飲み物を一口煽った。


「まあ、こんなんはカタチが大事やからな。事情は変わってしもうたが、真がまた教室来れるようになって、ワイは嬉しい。お前らもそうやろ?」

「そりゃあ、なあ?」

「うんうん」


こうして、またこの4人で集まれるようになったことは、真自身も当然、嬉しく思っていた。


「好きなの頼めよ、真」

「いいの?」

「お前の復帰祝いやからな!」

「僕らの奢り」

「じゃあ甘えちゃおっかな〜」


しかしながら、以前のように無邪気に彼らとの時間を楽しむことはもう、できなかった。


死地に身を置くアスカたちのことを知ってしまった今では、この時間が、誰かの、何らかの犠牲によって在るのだということを考えてしまう。


アスカの決意が胸に浮かんだ。

あまりにも大きくて重たい使命と責任を背負うあの背中を思い出すたびに、胸が締め付けられそうになる。


いく乃は精神汚染に蝕まれながらも戦い続け、けれど、ついにはこうした日常すら送ることができなくなった。


「いらっしゃいませ〜」


ドアベルが鳴って、優佳の挨拶が聞こえた。

店の扉のほうを見ると、そこには真たちのよく知る女性の姿があった。


「神門先生?」


青海ヶ丘中学保健医、春華が偶然居合わせた。


「ん?君たちか」


声に気づいた春華が、しなやかな指先で眼鏡を押し上げた。


「優佳、いつもので頼む」

「うん、すぐ持って行くよ。好きなところ座っていいから」

「ありがとう」


優佳と親しげな様子で言葉を交わすと、春華は真たちの向かいの席のソファに腰を下ろした。


「私のことは気にしなくていい、好きに団欒を楽しんでくれたまえ」


それだけ言うと、春華はコートを脱いで持参した小説をめくり始めた。


彼女は学校で見るのと変わらない格好をしていた。

ノリの効いた黒いシャツに、黒いフォーマルパンツ、ベージュのパンプス。


休日に喫茶店へくつろぎに来たと言うよりも、彼女の風体は休み時間を味わうオフィスレディーだ。


「神門先生、美人やけどなんか変わっとるよな?」


顕吾が言った。

真も全面的に同意ではあるが、本人の聞こえそうな距離で言うこの少年の無神経さには呆れてしまう。


「バカか。聞こえるだろ」

「聞こえているぞ、少年。まあ、否定はしないが」

「美人なんも?」

「否定すべきか?」


顔を上げてこちらを見る春華。

ちょうどそこへ、優佳が彼女の注文したものを運んできた。

この店の人気メニューであるティーセットだ。


「中学のときはすごいモテたんだから、春華は」

「それについても否定はしない」


真たちは顔を見合わせた、学内でも不思議と生徒からは人気を集める先生ではあるものの、それといわゆるモテるというのは違って見える。


異性からちやほやされる春華など、本人の様子からは想像できなかった。


彼女もまた青海ヶ丘中学の卒業生だ、真はあることを思い出した。


「先生って、〈ネメシス〉のパイロットだったんですよね……」


この前のブリーフィングで、保安管理部長のカエデは確かにそう言った。


「そうなの、先生?」

「お前、そんなん誰から誰から聞いてん」

「えっと……」

「機密に関わる話になる、詳しくは教えられない。だが、私が〈ネメシス〉のパイロットのだというのは事実だ。会社の人間や同窓生でも、ごく一部の者しか知らない」


春華の傍らに立つ優佳は、その話題に真が触れてしまったことにとても悲しげな表情を浮かべた。

その反応からして、彼女もまた春華の経歴について知っているらしい。

優佳は春華の同級生でありかなり親しい間柄だ、知っていても不思議ではなかった。


「私が入隊した当時はまだ、人機一体システムが導入されたばかりだった。いかがわしい新技術など、確立には程遠かったものだ」


春華は訥々と語った。


「最後の出撃は5年前……18歳になる年だった、〈ネメシス〉と同調できる少女が、なかなか見つからなかったというのもあったが、その当時は任期を18歳までに定めていた。もっとも、そんな歳まで生き残れた者など……ほとんどいなかったが」


彼女はそこで一度呼吸を挟むと、また言葉を続けた。


「当時の陸戦強襲部隊を生きて退役できたのは……日本では私がはじめてだった」


いつも抑揚の少ない喋り方をする春華だが、その言葉にだけは、嘆き尽くせないほどの深い悲しみを湛えていることを、真だけでなく、誰もが感じ取っていた。


「みんな、あの化け物と戦って亡くなったんだよ。毎年ね、春華とは……献花に行くんだ」


春華の傍らに立つ優佳が言った。


「学校の裏にある高台の慰霊碑ですね、コジマ社が建てた……」


俊平の言った慰霊碑と言うのは真も知っていて、もちろん行ったこともある。

学校行事の一環として、必ず訪れるようになっているのだ。


「生き残ったのが、なぜ自分なのかと考えない日などなかった。相応しい者は……もっといたはずだ」

「そんな……先生がいたから真は助かったんだろ!」

「せや、そんなこと言わんでな!」


優之介や顕吾がそう言った。

確かに彼女がいなければ、今の自分はここにはいなかっただろう。


自分を取り巻く環境が変わってしまったとは言え、春華は、やはり真にとっては命を救ってくれた恩人に違いないはずだった。


春華が真を見つめる。

けれどすぐに、彼女は視線を切ってこう呟いた。


「いいや……。すまなかった」



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