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第21話

召集命令がケータイに届いたのは午前の授業中だった。


マナーモードのバイブレーションが規則的な振動を繰り返すスライドケータイをスカートのポケットから取り出して、いちおう先生からは見えないように画面を点灯させる。


(召集?でも、アラートなんて……)


顔を上げると、前のほうの席に座るアスカがこちらを見ていた。


「行くわよ」


彼女の唇がそう動いた。


「先生」


アスカが手を挙げる。


「急な召集があったので、早退させていただきます」

「あ、あの……っ、僕も……」


〈ヴァルキリーズ〉のメンツがこうして授業を抜けるのは決まって〈天使〉の堕天が観測された時だ、教室がざわつき始めるのも無理はなかった。

何人かは慌ててケータイを開き、堕天警報が出ていないかを確認していた。


しかし、堕天を告げる警報はどの媒体についても発せられてはいなかった。


状況は飲み込めないでいるが、召集とあらば応じる他ない。

席を立つ真に、前の席の陽傘が振り向く。


「待ってるよ、黒崎君」

「うん。ありがとう、四月一日さん」


彼女に笑顔を返して、アスカを追って教室を出る。


廊下を小走りで進みながら、前を行くアスカに疑問を投げかけた。


「堕天警報が出てなくて召集って、あるの?」

「あるみたいね。ブリーフィングだったりしたら、学校の時間は避けるのだけど」

「じゃあ、やっぱり出撃なのかな」

「まあ、行けばわかることよ」


校内の緊急通用口の前まで来ると、ちょうど、深雪とめくるも現れた。

深雪を先頭にして順に通用口を通り、突き当たりのエレベーターへ乗り込む。


「深雪、何か知ってる?」

「私は何も。ただ、あまりいい予感はしていないわ」


コジマ社地下施設直通のエレベーターが止まる。

アコーディオンドアが開くと、出迎えるようにそこには春華の姿があった。


「ついてきなさい」


踵を返す春華、〈ヴァルキリーズ〉の面々は顔を見合わせてから、その背を追いかけた。


「先生、出撃ではないのですか?」


深雪が尋ねる。


「その必要はあるが、現在はまだ不要だ」

「なに、それ。どういうことよ」

「これから説明する。さあ、入れ」


そう言って春華が扉を開けたのは小会議室と書かれた部屋だった。


中は先日と同じで薄暗く、プロジェクターの青白い光にぼんやりと照らされていた。

映像の傍らには、真っ黒な将校服を着た長身の女性、カエデの姿もある。


「まずは現状を説明する、座ってくれたまえ」


カエデが並べられたパイプ椅子を手で指した、〈ヴァルキリーズ〉の面々がおずおずと腰を下ろすのを確認すると、カエデはブリーフィングを開始した。


「現在時刻から約38分前、青海ヶ丘南東200キロ付近の海域にて堕天が観測された」


スクリーンに映した青海ヶ丘とその周辺海域を含めた広域地図をポインタで指しながら、カエデは説明を続ける。


「堕天観測から約5分後、海中の〈天使〉が移動を開始。現在も青海ヶ丘へ向けて毎時6キロ前後で進行中だ」

「その間はどうしますか?」


深雪が尋ねた。


「単純計算でも〈天使〉が街へ到達するには丸一日以上かかる。だが、状況はいつどのように変化するかはわからない。いかなる状況にも迅速に対応できるよう、〈ヴァルキリーズ〉には敷地内での待機を命じる」

「了解」

「では次に、討伐目標についての説明を行う」


プロジェクターの映像が切り替わり、空中の何かを撮影した写真が映される。

かなり拡大しているのか、解像度が荒いため詳細がわかりづらいものの、いくつかの特徴から、それが、堕天した〈天使〉を撮影したものであると分かった。


「観測部にて撮影に成功した討伐目標だ。当該部署ではこの〈天使〉の堕天反応について使級と位階を定めた」


聞き慣れない位階に、真は小首を傾げた。

しかし、怪訝な反応を見せたのは真だけではなかった。


「能天使級ですって?」


隣の席のアスカが僅かに身を乗り出す。


「聞いたことないわよ」

「当然だろう、これまで観測がされたことなどかったのだからな」

「えっと、すみません……能天使級って……?」

「簡単に言えば、大天使級以上力天使級未満。天上位階論になぞらえるならね」


真の疑問について、アスカが答えた。

それでも今ひとつ要領を得ない真がぽかんとしていると、カエデが画面を切り替えて補足した。


「地球へと飛来するあの侵略的外来生物は、堕天に伴うエネルギー反応の強さによって大まかな分類がなされている。それを我々は天上位階論に準え、脅威の大きさを定義している」


画面に映した天上位階論に記載の存在する階級一覧を、カエデが順にポインタで指していく。


「これまで観測された〈天使〉は、天使級、大天使級、力天使級だ。そして今回観測された能天使級は、大天使級と力天使級の間にある位階。アスカ君の言った大天使級以上力天使級未満というのはそういう意味だ」

「な、なるほど……」

「現状における脅威の最大は力天使級であることに依然変わりはないが、今回の観測事例から他の位階の〈天使〉についても存在が懸念されることになる」


カエデはポインタを仕舞う。

最後に、〈ヴァルキリーズ〉ひとりひとりの目を見てこう言った。


「君たちの活躍と帰還を、心から祈っている」




ブリーフィングを終えた後、〈ヴァルキリーズ〉は待機命令に従ってコジマ社敷地内の宿舎へとそのまま向かった。


この宿舎から、更衣室、そして〈ネメシス〉格納庫までの導線は確かに最短。

自宅や出先から向かう場合よりも、はるかに迅速に出撃できる。


木造部分を多く残すどこか古めかしい建築様式のこの宿舎は部屋数は多くはなく、利用する者も、利用される頻度も、そう多くはなさそうであった。

そのため基本的にはどこの部屋でも好きに使って問題はないそうだが、今日に限っては2人1組で部屋を割り当てられた。


「あ……相部屋、かぁ……」


簡素な部屋に備え付けられた木製の2段ベッドは、小学校で体験した林間合宿を思い出させる。

当時は優之介と同じ部屋だったが、今この空間を同じくしているのはアスカだった。


「なに、不満?」


クローゼットを開いたり鏡台を覗いたりして部屋の設備を確認していたアスカが、真へ振り返る。


「ふまん……じゃない」

「冗談よ。気にしてるんでしょ?」

「うん……」


コジマ社の従業員規模はこの青海ヶ丘の本社だけでも100人を下らない、無論その全ての従業員が真の事情について把握している訳はないが、少なくとも〈ヴァルキリーズ〉の所属する保安管理部とその周辺部署は真について周知が為されていると春華から聞いていた。


外見的には女の子に違いないが、内面的には少年である真とアスカを同じ部屋にしようなどと誰が思ったのかと、真はつい考えてしまうところだ。


「私は気にしないわよ。それとも、なにか下心でもある?真くん」


プラチナブロンドの髪を揺らし、悪戯っぽい笑みを浮かべて、真を覗き込むようにアスカが顔を近づける。


「……っ」


間近に迫る彼女の真っ青な美しい瞳に、息が詰まる。

ふわりと漂う甘やかなアスカの香りが、真の鼓動を否応なく高鳴らせた。


手を伸ばせば抱きしめられる距離にアスカがいる、それを意識するだけで彼女に触れたいという衝動が不自然なほど急激に、自分の中で膨らんでいく。


油断すれば、この腕は彼女を抱き寄せてしまいそうだった。


「どうしたのよ」

「あ……えっと……なんでもない」


アスカの唇へと吸い寄せられる視線を引き剥がして、どうにか誘惑から顔を背けることに成功した。


真自身にも解さないくらいに大変な苦労を要したが、誘惑に屈しなかった自分を褒め称える声よりもあのまま衝動に任せてしまうべきだったと自分を責める声のほうが、胸の中ではるかに大きく聞こえる気がした。


「さて、時間あまっちゃったわね」


真のそばを離れて、アスカはベッドに腰かけた。

木製のフレームがほんの少しだけ軋む音を立てた。


「こういうとき、どうするの?」

「そうね……待機命令がでてる以上は、あまり離れることもできないし」


堕天した能天使級が街へ到達するのは早ければ明日、時間はあるものの、しかしその間に他の〈天使〉が堕天しないとも限らない。


いずれにせよ、何らかの出撃命令が下される以外ではこの宿舎から離れることはできそうになかった。


「入ってかまわんかね」


ドアをノックする音がして、続けて、春華の声が聞こえた。


アスカと顔を見合わせて、近かった真がドアを開ける。

両腕にスクールバッグを持った春華がそこに立っていた。


「失礼。教室に置いてあった君たちの鞄等を持ってきた」


春華が差し出した鞄二つを受け取る。


「ありがとうございます」

「深雪たちのは?」

「先に渡してきた。何か、他に必要なものがあれば取ってくるが」

「替えの服。体操服でいいわ、シャワー浴びたあとに着るものがないの」

「黒崎君も必要かな?」

「おねがいします」

「待って、春華」


踵を返して部屋を出て行こうとする春華をアスカが呼び止めた。

振り向いた春華目掛けてアスカが何かを放り投げる、胸の辺りに飛んできたそれを、春華の手が受け止めた。


「これは?」

「社宅の鍵。ギター、持ってきてくれるかしら」

「いいだろう。待っていなさい」


眼鏡を指先で押し上げ、春華はふたりの部屋を後にした。


その後数十分ほどで再び春華が現れて、着替えやアスカの頼んだギターを運んできてくれた。


「いつから使ってるの?」


脚を組んだ上にギターを置いてチューニングを始めるアスカへ尋ねる。


「使いはじめたのは……たしか、小学校3年生からだったかしら。パパが、誕生日にプレゼントしてくれたのよ」

「アスカって、小学校……」

「そう。日本(こっち)じゃないわ。ママが日本人のパパと再婚して、それで……」


アスカの手が止まった。

視線は手元を眺めているが、いま彼女の目が映しているものは、もっとずっと遠くのもののように見えた。


「アスカ……?」


音楽室で真に歌って見せたアスカの姿を思い出す。

あの歌を口ずさむ時も、アスカは、今と同じ目をしていた。


「ううん、だいじょうぶ。適当に弾くけど、うるさかったら言いなさいね」


そう言って、アスカは窓の外へと視線を投げ出して、ギターの弦をはじき始めた。

徒然なメロディが部屋を満たし、立冬の空へと溶けていく。


身体を僅かに揺らしながらリズムをとって、真にも聴こえないくらいの小さな声で何かを口遊むアスカ。

そのまま彼女を眺めていてもよかったが、せっかく春華が鞄を回収してきてくれたので、真は座卓を引き寄せてその上に勉強道具を広げた。


出撃や演習などで授業に遅れが出てしまっていることは否めないが、真は単に、勉強が好きな少年であった。


アスカの演奏をBGMにすれば思いの外はかどり、気がつけば外は暗い時間になっていた。


宿舎は手洗いや風呂は共用のため、他3人の後に真もシャワーを浴びて、また春華が持って来てくれた夕食を簡単に済ませた。


夜。

最小限の設備しか持たない宿舎ではすることも多くはなく、時計を見ながら少しの間だけアスカと勉強を進めて、適当な時刻でそのまま布団へ入った。


「ん、ふぅ……」


2段ベッドの上段、さして広くもないスペースで軽く伸びをする。


どうにも、今夜は目が冴えてしまう夜だった。

瞼を閉じてじっとしていても、眠気は一向に訪れず、寝返りを打つ回数ばかりが増える。


明日に出撃を控えた緊張感、と言うよりも、ずっとアスカのことが気になって落ち着かない気分だった。


声をかけようかとも思ったが、寝ていて起こしてしまったら悪いと思ったし、何を話したいでもない。


睡眠不足で明日が危うくなってしまう前にさっさと寝てしまうべきだと、真は今一度瞳を閉じる。


そうしてまた何度か寝返りを打ちながらどれくらいの時間が経ったか、1時間、あるいは10分ほどだったかもしれない。


下段のベッドから毛布を捲る音が聞こえて、梯子の軋む音が静かな部屋に響いた。


(アスカ?)


梯子の一番上を踏む音がして、彼女の息遣いをすぐそばで感じた。


何となく彼女の方を向いてしまうことが憚られて、真は壁を向いた姿勢のまま黙っていたが、その耳に、唇が触れそうなくらいの距離感で、アスカの声が囁いた。


「……起きてる?」


少し迷って、声を返す。


「うん」

「入って、いい?」

「……うん」


毛布が捲られて、冷たい空気と共にアスカの体が滑り込んでくる。

少し温度の下がった布団の中は、すぐにふたり分の体温で満たされた。


「どうし___」


自分の知っているアスカらしからぬ行動に戸惑う真、声をかけようとしたものの、アスカに背中へ抱きつかれて言葉を飲み込んだ。


「……」


真の体へ腕を回して、しがみつくアスカ。

体操服のハーフパンツから露出した脚に、彼女の脚が絡まる。

触れ合った爪先は冷たかった。


「ごめんね……。少しだけ、少しでいいから……このままでいさせて」


真の髪に顔を埋めて呟いたアスカのくぐもった声は、震えていた。


いや、声だけでなく、真の体を抱きしめる腕も、脚も、震えている。


「さむい……さむいんだ、だから……」

「……うん」


言い訳のようにそう言ったアスカの吐息が首筋を撫でる。

気にしないつもりでいたが、彼女が泣いているというのはすぐにわかった。


「……姉さん」


押し付けられた柔らかな唇が僅かに動いた。

嗚咽の混ざる小さな声だったが、アスカがそう言ったのは何故かはっきりと聞き取れた。


おそらくほとんど無意識に漏れ出た声だったのだろう、聞いてしまった真のほうがむしろ後ろめたさを感じたが、彼女の言ったその言葉で真は多くのことが腑に落ちた。


それと同時に、その瞬間、自分の中で何かが切り替わった。

まるでスイッチを押したかのように、それは明確に胸の中で感じられた。


抱きついたアスカの腕に、手のひらを重ねる。

彼女の腕をそっと解きながら指先を絡め、身体の向きを変えて覆い被さる。


「ぁ……っ」


濡れたまつ毛に彩られたアスカの青い瞳が、真っ直ぐに真を見上げていた。

日頃は勝気な言動の多い彼女だが、今目の前にいる少女はとても儚く頼りない存在に見えた。


どれくらいそうしていたのか、苦しくなるくらいに互いを見つめ合って、けれど胸の中を愛しさが満たしていく。


結ばれた視線に手繰り寄せられるように、ふたりの距離がゆっくりと0へ近づく。


潤むアスカの瞳には、僅かな後悔と上回る期待が揺れ動いていたが、彼女はその閉じ込めるように瞼を伏せ、真へすべてを委ねた。


差し出すように顎を上げたアスカの目尻から、涙が一筋、こぼれ落ちた。




十数時間後。

青海ヶ丘南部の廃墟群、その海岸線には〈ネメシス〉3機の姿があった。


機体の目の前には寒々とした冬の海と鈍い色の空が広がっているが、最小電力モードで待機中のスクリーンには何も映ってはいなかった。


電装系のLED灯のみがぼんやりと照らす機体の中で、真は操縦服に包まれた体を軽く動かした。

ランバーサポートに腰を支えられる感触は、激しい動きを繰り返す戦闘中でなら安心感もあるが、じっとしているだけなら疲れを感じる。

ここに着いてからすでに数十分が経過していた。


「いつかな」


目標の動きは概ね予測の通りだったものの、数時間前にその移動速度が急激に上昇し、間も無く領海へと侵入。

〈ヴァルキリーズ〉にようやく出撃命令が下り、そしてこの付近での待機となった。


誰にともなく呟いたつもりだったが、開きっぱなしにしているアスカとの専用回線から彼女が返事をした。


『いつだってかまわないわ。現れたら殺す。それだけ』

「うん、そうだね」


計器類に目をやる。

外気温はセルシウス温度で約9度、例年の11月終わりと比べればやや低い気温ではあるものの、いずれの実測値にも異常はなく機体の状態は万全だった。


真は頭の中でブリーフィングの内容を復習した。

今回の標的は能天使級。

未知の相手であるし、現在はいく乃を欠いた陣形。

しかしながら、いつも通り落ち着いて対処すれば苦戦を強いられる相手ではないはずだ。


もう一言二言、アスカと何か話そうかと考えていたその時、コックピットルーム内にアラートが響いた。


『来たわ、戦闘準備!』


深雪の声と共に、機体AIが即座にスクリーンを点灯させる。

最省電力モードを解除し、素早くメインシステムを戦闘モードへと移行。


『確認、できました……有効射程内まで、誘導……おねがいします……』

『了解。作戦通りよ、みんな』

『もちろんよ』

「わかりました」


目を閉じて、深呼吸。


コントロールスティックを握り直し、顔を上げてスクリーンを見つめる。

画面にハイライトされた標的は、海の中をすぐそこまで迫っていた。


『オーケー。それじゃあ、〈ヴァルキリーズ〉!レディ___?』


深雪の掛け声にいっせいに答えるのと同時、海水面が大きく隆起する。

水飛沫を上げ飛び出した〈天使〉は、真たち〈ネメシス〉の頭上を飛び越え、灰色の街に降り立った。


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