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第23話

それはまさに悪夢のようだった。

倒したはずの〈天使〉が再び動き出し、それどころか、上位の位階へと進化したのだ。


『こんなこと、今までなかったわよッ!?』


圧倒的リーチで迫る魔獣の腕を掻い潜りながら、アスカが叫んだ。

彼女の〈ネメシス〉は力天使級に対してすでに背部滑腔砲を撃ち切ってパージしていた。


彼女のその後方から、深雪が機関砲を浴びせる。


『主兵装、副兵装、共に残弾30%を切ったわ!』


こちらも大型弾倉への改修が為されているが、連戦の上にその相手が力天使級ともなれば、それは頼りないものだった。


『ジリ貧よ、深雪!』

『わかってるわ!アスカと真君は前へ出過ぎないようにして、絶対に焦らないで!』


表示された〈ネメシス〉の稼働時間は、残り約半分。

焦るなと言う深雪の言葉も分かるが、優勢とは決して言い難い戦況に真は顔を顰める。


汗ばんだ手のひらでスティックを握りしめ、スクリーンを占める白い怪物を睨んだ。


『次のめくるの砲撃で飛び込むわ、私がターゲットをとるから、なんとかして!』

『待ちなさいアスカ!』

『このままじゃ街に入るわよ!?』


アスカの言う通り、青海ヶ丘を南北に分断する境界線、つまり、この放棄区域と住民の生活区域の境目は、もうすぐそこだった。


避難は終えているだろうから、このまま街に突入したとしても人的損傷率は低い、だが、この怪物を暴れさせてしまえば多くの人が住む場所を奪われる。


妙案もないままではあるが、ここで考えあぐねていたところでアスカはいずれ力天使級へと突撃するだろう。


息を吐く、部隊の全回線へ向け叫んでいた。


「僕が行きます!」

『ちょ……、真くんっ!?』


一条の火線が〈天使〉へと伸びて、着弾し爆発、炎を降らせる。

呼び止めるアスカを無視して、それを合図に思い切り踏み込んだ。


跳躍。


〈天使〉が振り回す幾本もの腕の間をブースターの推力で一直線に駆け抜け、その胴体へパイルバンカーを撃ち込んだ。


巨獣の咆哮。

内蔵スピーカーが音割れを起こし、コックピットルームすら振動するほどの音圧が襲いかかる。

たまらず耳を塞ぎたくなるが両手を放すことなどできない、目の前に迫る野太い腕を機体を捻って回避、空中でブレードを抜刀しながら次に迫る腕を切り飛ばした。


ブースターとスラスタを細かく噴かしながら不規則な機動を繰り返しつつ、〈天使〉を引き付けてその進路を街から逸らす。


伸びてきた腕を蹴って飛び上がる。

次の腕を躱したところで、さらに大きなが近づいてくることに気がついた。

力天使級の背中から生える翼だった、ギリギリ回避の間に合わない距離。

真の〈ネメシス〉を捉え、12t超の機体をほとんど水平方向に吹き飛ばした。


横への凄まじい荷重に、胃の内容物を無理やり引っ張り出されそうになる。


そして次の瞬間、激しい衝撃が真を襲った。


スクリーンも真自身の視界も何もかもがシェイクする、揺れがおさまった時には〈天使〉は瓦礫のずっと向こうになっていた。


「ぅ、ぐ……っ」


どろりと熱いものが額を伝う。

汗でないのはわかった。


痛がる余裕もなければ、そもそも痛みすら感じなかった。


ノイズの走るスクリーンの座標情報を確認する、力天使級との距離は数百メートル。

コントロールスティックを握り直し、〈ネメシス〉を起き上がらせながら素早くステータスウィンドウに目を通す。

いくつか死んでいる機能はあるようだが、いずれも戦闘が継続できないものではなかった、あの衝撃でまだ動くのだから呆れるほどの耐久力だ。


「はぁ……はぁ……っ」


明滅しそうな意識を、頭を振って繋ぎ止める。

スクリーンに飛び散った雫は赤かった。


『真くん!』


〈天使〉の背後から現れたアスカの〈ネメシス〉が、怪物の背中へと飛びつくように切りかかった。


「だめだ……アスカ……」


絞り出した声は届かない。

コックピットルームの内蔵マイクが壊れていた。


果敢に化け物へと挑むアスカ。

その助けに行かなければと思っても、思考がまとまらない。

現状における戦闘機動の最適解が掴めず、武器を構えたまま、ぼうっとする頭でスクリーンを睨むばかりだ。


「……!」


一際大きな〈天使〉の絶叫が轟いた。


崩れたコンクリートビルの間から、空へと伸びる巨大な手が崩れ落ちて塵煙が舞い上がった。

アスカが力天使級の翼を切り落としたのだ。


『真くんっ!返事をして、返事しなさいったらッ!!』

「アスカ……」


ぼんやりと考えていられる状況ではもはやなかった。

頭部センサが計測する〈天使〉のエネルギー反応がスクリーン上でみるみる上昇していく。


力天使級の持つ凶悪な生態でありこの生物をまさに怪物たらしめる最大の武器、あの火炎を吐き出す前兆だ。


『ああ……もうッ!』


苛立ちを露わにしたアスカの声が聞こえた。


『落ち着きなさい、アスカ!』

『落ち着いていられるわけないじゃない!』

『死ぬわよッ!?』


深雪も、いつも冷静な彼女らしからず声を荒げていた。


ビルの瓦礫を足場に跳躍。

普段ならなんてことのない着地と跳躍の衝撃、そのひとつひとつに意識を持っていかれそうになる、激しい吐き気を催す。


「ぅ……うぇ"……う"っ……、ん……っ」


周囲で一番高い建物の上に飛び降りて、たまらずその場で〈ネメシス〉の膝をつく。

あらゆる感覚が遠のくような朦朧とする意識の中で、口の中に込み上げてきた胃酸を飲み下す。


激昂した状態の〈天使〉、そのグロテスクな口の端から炎が溢れる様子が見えた。

もういつあの炎を吐くかわからない。


以前の演習では手放してしまった主兵装のブレード、今はまだしっかりと手に持っている。

ブレードを構え直して立ち上がった〈ネメシス〉の両肩が忙しなく上下する、浅い呼吸を繰り返す真の様子を人機一体システムがトレースし、機体が再現していた。


前へと踏み出し、再びビルの屋根を蹴って〈天使〉との間合いを詰めていく。


『Revenant!真くん……』


真の〈ネメシス〉の接近に気づいたアスカが、安堵の声を上げた。

その頭上で、怪物が大きく口を広げる。


『アスカッ!』


深雪が叫ぶ。


『……くッ!』


アスカも〈天使〉の行動に気づいて機体を後退させるが、あの距離では確実に炎に飲まれる。


気づけば、手に持っていたブレードを投げつけていた、〈天使〉の口腔内に炎の光が見えた直後、真の投擲した単分子ブレードがその野太い首に側面から突き刺さる。


無我夢中で〈ネメシス〉を走らせた、ビルの屋上から飛び上がって、力天使級の体の凹凸を足場に一気に駆け上がる。

突き刺したブレードを掴んで、容赦なく水平に一閃した。


怪物の絶叫、機体の稼働限界が近づくアラートがけたたましく鳴り響く中、空中で体勢を反転。

血と炎が真の切り裂いた場所から噴き出し、さらにそこへ、めくるの長距離砲が撃ち込まれる。


爆発。

焼け焦げた肉が炎と飛散するが、角度が浅かったためかそれほど大きなダメージには至ったようには見えなかった。


「……まだっ」


喉元から真っ黒な煙を上げながら、その片翼を、上体を大きく仰け反らせて〈天使〉が振り上げる。


手近な建物の屋根に着地した真、再び飛び上がろうと踏み込んだところで、〈ネメシス〉の全ての機能が停止した。

機体の全ての関節が強制的にロックされ、コックピットルームが、一時的に暗黒に包まれる。


「ッ!?」


無情にも、最悪のタイミングで〈ネメシス〉の稼働限界が訪れたのだ。


予備電源に切り替わり、暗転したスクリーンと計器類が再び点灯する。

しかし、予備の電源は戦闘を前提にしたものではない、大きな出力を繰り返せば一瞬にして尽きるものだ。


『うそッ!?真くんッ!』


アスカが叫んだ、ほとんど悲鳴に近かった。

点灯したスクリーンに映し出された〈天使〉は、まさにそのを、真めがけて叩きつけようとしていた。


サイドスクリーンにアスカの機体が駆け寄ってくるのが見える。


来ちゃだめだ、アスカも巻き込まれてしまう。


頭の中に、かつて見た情景が駆け巡った。


肉体を失ったあの日最後に見た光景。


絶望を体現する獣を前に、膝を折った自分。


それでも、再び立ち上がった。

自分自身をも棄て去る覚悟で、この〈ネメシス〉を動かした。


意識が解け、混濁する。


走馬灯のように駆け巡る様々な記憶と感情の断片、果たしてそれらが全て黒崎真のものなのかどうかはわからない。

しかしその判別は今この状況では優先すべきことではない。


このままでは敗北する。

あの侵略者に奪われる。


大切なものを。


アスカを。


「___」


守ると決めた、彼女に約束したんだ。


立ち上がれ。


胸の中で、誰かが叫ぶ。


戦え。


立ち上がれ。


〈ネメシス〉との同調率を監視するシステムがアラートを上げていた。

関係ない、自分が命令すればこの〈ネメシス〉は動くはずだ。


動け。


戦え。


動け。


コックピットルームを満たす〈ネメシス〉との同調媒体物質が、青白い発光現象を起こす。

ぱりぱりと薄いガラスを割るような小さな音が、ばちばちとスパークして激しい音へと変わる。


まるで自分の命令を拒むかのように〈ネメシス〉の機体が鈍く軋みを上げ、ターミナルインターフェースに表示された同調率が急激に低下していく。

意識の中に、ノイズが逆流してくる。


動け。

動け、動け……!


動___


『だめだよ、まこっちゃん』


意識が現実へと引き戻される。

この場にいるはずのない者の声、聞き慣れたその声は___


「いく乃……」


機体AIが戦闘域に突入してきた味方機のシグナルを捉えスクリーンに表示する。


『この信号……Mustang!?そんな、いく乃ッ!』


振り仰いだアスカのその頭上を、一機の〈ネメシス〉が猛スピードで飛び越えていく。


その〈ネメシス〉は空中で武装を展開すると落下の勢いに任せてその武器を〈天使〉の胴体へ叩きつけた。

怪物の絶叫、しかしその武装はそれにすら掻き消されることのない凄まじい駆動音を響き渡らせる。

血と肉を撒き散らし、力天使級の体を抉り取った。


『なに、あの武器……?』


武器を振り抜いて着地したその機体は即座にバックステップすると、真たちの近くのビルの上に降り立った。


『ごめんね、おそくなっちゃった』


まるで、休日の待ち合わせに間に合わなかったかのような明るい声音。


『準備に時間かかっちゃってさ』


そう言って、彼女の駆る〈ネメシス〉、その背部に搭載された巨大な排熱機構の各部が展開して羽のような排熱板が飛び出し、荒々しく放熱する。

あまりに大きすぎるその兵装の異質さは、装備していると言うよりも無理やり背負わせたと言うほうが正確だった。


そして右腕に装備した武器。

武装のコンセプトとしてはアスカの持つ大型チェーンソーに近いものを感じるが、それが持つ暴力性と破壊力の高さは、全くの別物と言うに等しかった。


〈ネメシス〉の上半身よりも大きなバケットホイールが、3つ、直列したそれは侵略者の体を容赦なく破壊することのみに特化した兵器だった。


『いく乃、あなた……』


アスカが何かを言いかけるが、動揺がまさっているのか言葉が出てこない様子だった。


『ごめんね、アスカ』


それだけ言うと、いく乃はこの場の誰もが見たことのない兵器を掲げ、力天使級へとひとり、突撃した。



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