突如戦場に現れたいく乃、彼女の戦いぶりはまさに圧巻だった。
エネルギー残量にまだ僅かばかり余裕のあるアスカと深雪が支援を行ってはいるが、ほとんどひとりの力で力天使級を押し返していた。
『今ので全部撃ち切ったわ!これ以上、私にできることは……』
『だいじょうぶ!ありがとう深雪ちゃん、安全なところまでまこっちゃんと下がって』
深雪に逡巡が見えた。
しかしまともな近接戦闘兵器を持たない自分の機体では足を引っ張ると判断したのか、すぐに〈天使〉から距離を取り、後方へと退避した。
『アスカは?だいじょうぶ?』
『……誰に言ってるのよ!』
二刀状態のチェーンソーを左右に広げ、〈天使〉の腕を躱しざまに切り付け、機体を反転させながら一刀へ戻し、別の腕を切り飛ばす。
機体の全長と変わらないほどの大きさの重量兵器を操り、それでいてその機動は軽やか、アスカの操縦技術にはやはり目を見張るものがあるが、彼女の〈ネメシス〉も稼働限界は近いはずだった。
内臓スピーカーを除く全ての機能を停止させ、〈ネメシス〉の胸部装甲を展開して真はただふたりの戦いを見つめた。
スクリーンが故障した際に有視界戦闘を可能とするための機能だが、〈ヴァルキリーズ〉の通信を生かしておくため今はこの機体のエネルギー消費を最小にしたかった。
『見守りましょう』
すぐ近くに後退してきた深雪が、外部拡声機能でそう言った。
『私のRenegadeも限界!』
『ありがと。あとはいく乃にまかせていいから!』
『まかせてって、あなた……』
『わたしが……援護、します……』
真たちの頭上を越えて砲弾が飛び込み、アスカの脇を抜けて〈天使〉の腕を撃ち抜いた。
それを合図に、アスカの〈ネメシス〉が二刀状態のチェーンソーを背中へしまい、後退する。
『今ので、榴弾を使いきり……ました、次弾からはすべて……徹甲榴弾です』
『いく乃ちがいがよくわかってないけど、りょーかい!』
最前線をいく乃に任せ、真たち3人はそれを見守った。
いく乃自身の状態、精神汚染によって、誰もが全く予期しないタイミングで意識が途切れてしまうということを知っている真は、今はそればかりが気掛かりだった。
いつまた彼女が意識を失うか、この戦闘中にそれが起きてしまった場合、それはまさに、最悪の事態を招くことになる。
「いく乃……」
人類がどうとか、そんなことよりも、純粋に真は友人として彼女のことが心配だった。
『行くよ!』
〈天使〉を切り付け、振り上げたバケットホイールの切断兵器が彼女の掛け声に合わせ、
直列していた3つの巨大なホイールが武器の先端部分へ移動し、それはまるでハンマーや斧のような形態になった。
その状態の超大型近接兵器を振り回し、迫り来る怪物の腕をいく乃は弾き飛ばす。
重心が前に移ったことでより強い遠心力を纏った打撃は〈力天使級〉の巨大な腕を、抉り取りながら叩き落していく。
そして、隙のできた〈天使〉の体へとめくるの徹甲榴弾が撃ち込まれる。
体内で
しかし、浅い。
力天使級の体内の可燃性ガスに引火を引き起こすには至らない、その砲撃に怯むことなく〈天使〉がいく乃へと腕を伸ばす。
いく乃が空中でそれを躱す、ビルの上に着地し、再び飛び上がろうとしたところで、彼女の〈ネメシス〉は膝をついた。
『う___』
真は全身の血の気が引く思いがした、恐れていた最悪の事態がまさに起きようとしているのだ。
「いく乃っ!」
コックピットルームの前の方まで身を乗り出して、開いた胸部装甲の隙間からいく乃を目で追いかける。
「あっつ……!」
吹きつける冬の風が熱い。
可燃性のガスを内燃させる力天使級の生体熱は極高温になる、それによって、一帯の気温が上昇していた。
『いま___は、だめ___まだ___』
いく乃の〈ネメシス〉が再び跳躍する。
どうにか〈天使〉を躱してはいるが、彼女の動きは先ほどに比べて明らかに鈍く、重たい。
真のいる位置からでも、いく乃の機体の周囲に青白いスパークが発生しているのが見えた。
『不味いわ、叛転現象が起きてる……!』
深雪がそう呻いた。
『いま___、おねが___』
真には聞き取れないほどの声で、いく乃が繰り返し何かを呟いていた。
『おねが___、みん___を、まも___っ』
〈天使〉の振り払った腕が彼女の機体を掠める。
ぎりぎりで躱したが、空中でバランスを崩したいく乃へ、三度怪物が迫る。
『おねがい、いっしょに___みんなを守って』
そして、いく乃の絶叫が響き渡った。
『これが___私の最期の戦いだから!』
いく乃の〈ネメシス〉が纏っていたスパークが消え失せ、機体に出力が戻る。
目の前に迫っていた〈天使〉の拳を、機体を翻していく乃は回避、機体を反転させながら左腕の脇下へと背部兵装から大型のタービンジェネレータが付いた長砲身の多薬室大口径砲を引き出した。
『うそ……ッ!?デトネーション・ライフル!?』
アスカがそう呼んだ武器のジェネレータが猛烈な速度で回転、タービンブレードと薬室部分が赤熱する。
そして、チャージとも言えるわずかな間隔の後、その砲口が火を噴いた。
めくるの榴弾砲を含め、真の知る〈ネメシス〉のいずれの銃火器よりもその弾頭ははるかに威力を持っていた、驚異的な速度で放たれたその砲弾は〈天使〉に着弾し爆発、めくるが徹甲榴弾を撃ち込んだ場所へ追い討ちをかけて、力天使級を
「すごい」
その光景に、思わずそう呟いていた。
スピーカーを除いて全ての機能を停止させているため聞こえているはずはないが、しかしアスカはこう言った。
『あんなもの、そう何発も撃てるものじゃないわよ!?背中のバカデカい排熱機構でも冷却が間に合ってない……多用すれば、機体がもたないわ』
「そんな……っ」
〈天使〉が腕を振るい、その巨躯を動かすたび、大気が複雑にうねり、気流を生み、熱波が離れた真のもとまで吹きつけた。
あれほど大袈裟な排熱機構を必要とする兵装なら、外気温による影響差も決して小さいものではない、冷却効率が低下するまま酷使すればどうなるかなど、真は考えたくもなかった。
いく乃のデトネーション・ライフルの砲口が、さらに二度三度と火線を放つ。
砲身に取り付けられた薬室やタービンジェネレータだけでなく、背部排熱機構もその排熱板が赤光するほどに熱を帯びていた。
「……っ」
機体が放つ熱で大気が揺らめく、いく乃の姿が歪む。
アスカとふたりで彼女の見舞いに訪ねたあの日、いく乃へアスカが言った言葉が胸の中に浮かんでいた。
「……だったら、なに?〈天使〉と戦って死んだほうがマシだって言うの?」
あの時のいく乃の表情がどうしても忘れられないでいた、今のいく乃の戦い方は、どう見たって、
「……ッ!?」
〈天使〉の咆哮が轟く。
背中の翼を地面へ叩きつけると、その直後に火炎を吐き出した。
「わぁっ!」
思わず手で顔を覆ってコックピットルームの奥へ身を引いた。
かなりの距離があると言うのに、火傷するかと思うほどの熱だ。
『いく乃ッ!』
アスカが叫んだ、真も慌てて身を乗り出す。
怪物の吐き出した炎で周囲は包まれ、どす黒い煙が空を覆う。
網膜の水分が熱で蒸発する痛みを堪えながら、いく乃の機体を必死に探した。
『いく乃!いく乃ぉっ!』
近くにいたアスカの〈ネメシス〉が一歩前へ出る。
片手は背中にしまったチェーンソーに伸びていた。
『だめよアスカ!今あなたが行っても死ぬだけよ!』
『だからって……、これじゃあの子がっ!』
『……っ』
すぐにでも飛び出してしまいそうなアスカだったが、なんとか踏みとどまってくれた。
ふたりの歯痒さは真にも痛いほど分かる、同じ気持ちだった。
そして、赤い光が炎の中から空へと飛び出す。
いく乃だ、兵装の過度な排熱によって、機体が、その背中の排熱機構から炎上を起こしていた。
全身を炎に包まれながら、いく乃の機体が素早く動き、力天使級の背後に回り込む。
バケットホイールを直列状態に戻した近接兵装をめいっぱい振り抜いて、巨獣の背中に生える翼を切断した。
怪物が悲鳴を上げ、同時に、振り向きざまに横凪に腕を振り払う。
それを回避しながら、いく乃はさらにその腕を両断。
「……ッ」
鬼気迫る戦いぶり、真はただ、息を呑んだ。
地面に着地したいく乃が〈天使〉の正面へと走り込む。
跳躍。
近接兵装を直列状態から斧形態へと再び変形させると、それを〈天使〉の胴体へと叩きつけた。
そして、バケットホイールの回転によって引っ張り上げられるように巨獣の体を〈ネメシス〉が駆け上っていき、空へ飛び上がる。
『ごめんね、アスカ』
激しく燃え上がる機体が炎の尾を引いて宙を踊る、熱で剥離した装甲が燃焼して煌めいていた。
『もう……、つかれちゃったんだ』
デトネーション・ライフルを引き出し眼下の〈天使〉へとその砲口が向けられる。
タービンジェネレータが回転、炎に包まれるその砲身から、砲弾が放たれた。
1発は〈天使〉の胴体を掠め、もう1発は腕を貫く。
3発目が彼女が抉り取った傷から体内へ入り込み、爆発、力天使級の首から上が千切れ飛ぶ。
『いく乃……っ』
『だいすきだよ、みんな。まこっちゃん……アスカのこと、おねが___』
4発目を放った衝撃でついに機体が耐えられなくなり、支えていた左腕ごと砲本体が吹き飛んだ。
同時に、いく乃の〈ネメシス〉の信号が途絶える。
彼女の放った砲弾は〈天使〉の胸へ飛び込み、傷口から体内深くへ、そして内部の可燃性ガスに引火、大爆発を起こしてその分厚い肉を、堅牢な骨を、まとめて吹き飛ばした。
がくり、といく乃の機体が空中で崩れ落ちる。
『めくるッ!』
咄嗟に深雪が叫んだ。
倒れていく〈天使〉の体へと火線が伸び、露出した生体核のど真ん中を撃ち抜いた。
〈天使〉は、二度と起き上がらなかった。
『いく乃ッ!』
アスカが〈ネメシス〉を走らせた、真も〈ネメシス〉を動かしてビルを飛び降り、あとは自分の脚で瓦礫の上を追いかけた。
アスカの〈ネメシス〉が、落下したいく乃の機体を抱え上げ背中の排熱機構を無理やりパージさせる。
高熱に晒されたその装甲は塗装が剥がれ落ちて、複雑な鈍色に変色していた。
融着しきったコックピットハッチにアスカが〈ネメシス〉の指をねじ込んで、力任せに引き剥がす。
「アスカ!いく乃は……」
『来ないでっ!』
外部スピーカーでアスカがそう叫んだ。
驚いて、思わず足を止める。
『だめ……来ないで』
「アスカ……」
『見ないで、あげて……』
その言葉で、アスカが目にしたものを真は察した。
〈ネメシス〉の全身が包まれ、ところどころに溶解したあとが見て取れるほどに大炎上していた機体のコックピットルームで、中のパイロットが、無事であるはずがなかった。
「そんな、いく乃……」
愕然として、その場に膝をついて座り込んだ。
『ありがとう……いく乃。とっても……かっこよかったよ』
優しくそう語りかけるアスカの声はひどく震えていた。
目の前の現実に茫然自失とする真は、自分が泣いていることにすら気づいていなかった。
「……真君」
深雪の手がそっと真の肩へ触れた、涙が流れ落ちるままの顔でゆっくりと彼女を振り仰ぐ。
歪んだ視界に映る深雪の表情も、泣いているように見えた。
真の肩を触れたまま深雪はひとつ深呼吸すると、アスカへ向かって声をかけた。
「降りてきて、アスカ。後のことは、神門先生たちに任せましょう」
『……うん。でも、ごめんなさい……もう少しだけ、もう少しだけでいいから、この子のそばにいさせて……』
ぽつぽつと、冷たい雫が頬を打つ。
立ち込めていた雲はすでに分厚くなって、真っ暗な空から冷たい雨を降らせ始めていた。