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第26話

『演習を終了します。お疲れ様でした、〈ヴァルキリーズ〉』


スクリーンに映し出されていた青海ヶ丘の街並みが溶け、グリッド状の空間に変わる。

〈ネメシス〉のメインシステムが通常モードへ移行するのに合わせて、スクリーンの映像も格納庫を眺める景色へと切り替わった。


主動力を切り、エアロックハッチを解放する。


コックピットルーム内に格納庫の冷たい空気が流れ込んでくるが、演習で汗ばんだ体にはちょうどよかった。


ハッチから体を滑り出させて、すぐ隣の高所作業車に乗り移る。

手慣れた操作で、真は作業車の籠を降下させた。


「お疲れ様、真君」

「おつかれ……さまです、真……先輩」


ちょうど降りてきた深雪とめくるが、真の前を通り過ぎて行った。


「おつかれー、まこっちゃん」


そう言って、ウィンクをくれるいく乃はもういない。


〈ヴァルキリーズ〉の中でも、いちばん友達と呼ぶに相応しい距離にいた彼女を失った喪失感を、真は未だ持て余していた。


悲しいと感じているのかすら自覚するのが難しくて、いく乃はもういないという事実だけが、ただただ自分の心を欠けさせていた。

この感覚は、5年前に家族を失った時とよく似ているようだった。


「真くん?」


アスカに呼ばれてそちらを見る。

声をかけられてはじめて、自分がいく乃の〈ネメシス〉が格納されていたカタパルトデッキのほうを眺めていたことに気づいた。


そのデッキも今はもぬけの殻だ。

大破炎上したあの〈ネメシス〉は、システムログを取り出すのがやっとの状態で到底修理のできるものではなく、コックピットルームからいく乃の遺体が運び出されたのち、然るべき処分がされた。


「お疲れ様、アスカ」

「あなたも。さ、戻りましょう」


操縦服の袖や襟元を緩めながら更衣室へ入り、気密性の極めて高いパイロットスーツから体を解放する。

と言っても、締め付けるようなものではないため着用中も窮屈ではない。


スーツに持ち上げられていた乳房に重力が戻り、ずしりと肩に重さを感じる。

本来余分であったはずのこの重さも、今はもうすっかり自分の一部として馴染んでしまった。


操縦服を足から脱いで、ハンガーにかける。


ここ数日は演習続きで学校にはあまり通えていないが、学期末テストも近いためできるだけ授業に参加するようにと保安管理部長カエデからの命令だった。


学校に行ったところで集中などできないし、テスト勉強に打ち込むこともできない。

リビングのテーブルに勉強道具を広げては、ぼうっとしたまま時間だけが過ぎるような日々だった。


「……授業、行かないと」


今日の時間割の教材を詰めた鞄を肩に担ぐ。

嫌に重たく感じる体を引きずって、真はロッカールームの戸口へ向かう。


給水機で軽く唇を濡らす程度に喉を潤してから扉を開けると、すでに制服へ着替え終えたアスカが首元に巻いた暖かそうな深紅のマフラーに顎を埋めて廊下に立っていた。


「またせた?」

「いいえ。……音楽室、寄っていいかしら。いま教室にもどっても4時間目の途中だし、時間つぶしたいわ」

「うん。行こう」


アスカと連れ立ってその場を後にする。

校舎へ上がるエレベーターの前へ来ても、深雪やめくるの姿はなかった。

すでに教室へ行ったらしい。


アコーディオンドアががたがたと音を立てながら開き、中へ入る。


「……」


ゆっくりと上昇する冷たい鋼鉄の籠の中、隣のアスカが真へ体を密着させる。


真は背の高いほうの男子ではなかったが、この体は元の自分と背丈はあまり変わらなかった。

女子にしては背が高いほうになるが、アスカは平均的な中学生の女の子の身長だ。


目線の下にあるプラチナブロンドの愛らしい後頭部が動いて、真を見上げた。


彼女は口元のマフラーを捲ると、その青い瞳をゆっくりと細める。


差し出されたアスカの唇に、僅かに体を屈めて唇を重ねた。

エレベーターが止まるまでの間、ふたりは唇を離さなかった。




校舎に戻って、真はアスカに続いて音楽室へ向かった。

授業中の学校はとても静かで、真は夏休みの補習期間を思い出していた。


「はぁ、寒いわね。やっぱり地下にいるほうがマシだわ」


冬に弱いアスカがぼやきながら、音楽室の隅からギターケースを持ち出してくる。

彼女は社宅のほうの家に帰ることがほとんどなくなったため、専ら、愛用のギターは今はここへ置いたままだ。


適当な椅子を引っ張ってきたアスカはそれに腰を下ろすと、タイツに包まれた脚を組んで膝にギターを乗せた。

ひとつふたつと弦を軽く弾きながら、彼女はチューニングを始めた。


「ステージの話、真くん聞いてる?」

「ステージ?」

「そう。いく乃のためにね。……〈ネメシス〉で戦うほとんどの子たちが、名前も知られないまま死んでしまうわ。人類のために戦ってるのに、その子たちのことを知らないひとのほうが多い」


アスカの言う通り、この青海ヶ丘の歴代の陸戦強襲部隊でさえ、真はその全員を知らない。

春華がかつては〈ネメシス〉のパイロットであったことを知る人間が限られているように、ごく近しい者しか彼女たちの戦いを知らないのだ。


「私は……覚えていてほしいのよ、みんなに。私たちを救ったヒーローのことを」

を使うことにしたのは……、それが理由なの?」


アスカは、あの時いく乃が使用した新型戦闘兵装の実戦搭載機に志願した。

ここ数日、演習が続いているのはその新兵装の調整をするためだった。


演習によって、排熱効率が悪いことや過重による〈ネメシス〉の稼働時間を著しく低下させるという問題が次々と明らかになり、あの日、いく乃がどれほどの無謀な賭けに出たのかを真たちは思い知らされた。


その後のブリーフィングで、カエデから随分と以前からこのユニットの試作を繰り返してたことを聞かされた、結局は、想定を超える問題や様々な課題に直面して実戦への投入はずっと先送りとなるはずだったらしい。


いく乃は彼女自身を対価にしてあの武装が〈天使〉との戦いにおけるゲーム・チェンジャーとなり得ることを証明したのだ。


しかしながら、依然として不安定な兵器であることに変わりはなく、条件が重なれば排熱機構から炎上を起こしかねない危険な代物だ。

事実、ここ数日の間ですでに何度か排熱のシミュレーションエラーを起こして演習を中断せざるを得なくなった事態を引き起こしている。


アスカがそれら全てを承知の上であの兵装に固執したのは、彼女なりに、失った親友に報いるためだった。


「あの子の戦いを、むだになんかしたくない。同じだけの気持ちで戦わないと、友達としてかっこわるいじゃない」


真にアスカを止めるつもりはない。

ただ、あの燃え上がる〈ネメシス〉を思い出すたびに恐怖を覚える。


アスカを失いたくなかった。


それだけは、何に代えたとしても許すことはできない。


「守って、くれるんでしょ?」

「うん。……今度こそ、僕がアスカを守る、ぜったいに。約束したから」


アスカの伸ばした手を取る。


「キスして」


その手を繋ぎ直して、真は、アスカへキスを捧げた。




『ブリーフィングの内容を確認します』


オープンチャンネルでオペレーターの葛木がそう言った。

彼女の話に耳を傾けながら、真は〈ネメシス〉の起動準備を進める。


『青海ヶ丘南方にて力天使級一体の堕天を観測。〈ヴァルキリーズ〉は直ちにこれの対処を行なってください』


メインシステムを戦闘モードへ移行、マニピュレーションシステムをマニュアルに設定。


『カエデだ。この通信が有効であれば返事をしてくれ』

『有効です』

『……有効、です』

『聞こえてるわ』

「はい、聞こえてます」

『各機応答を確認。……アスカ君、君のRenegadeに搭載しているユニットはまだ調整段階だ。近接兵装のほうは比較的安定しているが、デトネーション・ライフルの使用は可能な限り控えてくれ』

『了解……と言いたいところだけど、状況しだいね』

『……君達自身が、生きて帰って来ることを何よりも優先するように。これは命令だ。健闘を祈っている』


カエデからの通信がクローズする、真は〈ネメシス〉の起動準備を終えたところだった。


『さて。部長の言った通りよ、アスカも、真君も。絶対に無茶はしないように』

『必要がなければね』

『アスカ』

『冗談よ、死ぬつもりでなんて戦わないわ。そうでしょ、真くん』

「……うん」


アスカには肯定を返したが、正直、真にはその言葉を違えずにいられるかは自信がなかった。

もしアスカの身に危険が及べば、彼女を失いかねない事態に陥れば、きっと自分は、彼女を守るために戦うだろう。

アスカのことになるとこの体は真の制御を失う、いや、胸の内から溢れ出す情動の奔流が真をすら呑み込んで、突き動かそうとする。


コントロールスティックを押し込み、人機一体システムを起動する。

同調媒体物質がコックピットルームを満たし、ターミナルインターフェースに表示された〈ネメシス〉との同調率が見る見る上昇していく。


目を閉じて、深呼吸。


『〈ヴァルキリーズ〉!レディ___?』


深雪の掛け声に一斉に応えるのと同時、垂直カタパルトデッキが一気に機体を押し上げる。

体感にしておよそ数秒、真上からの加重が消え、機体が空へと飛び上がる。


スクリーンに映し出された青海ヶ丘の街は、鉛色の分厚い雲に重たく覆われていた。



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