瓦礫が宙を舞い、塵煙が渦巻いて砲火が煌めく。
咆哮と共に振り下ろされた力天使級の背中の
慣れない銃火器のリコイルに照準が上手く定まらない、それでも眼前の
スクリーンに映し出された怪物の、灰白色の体から赤い液体が数箇所、迸った。
真の〈ネメシス〉を追い立てる〈天使〉の胴体から、さらに黒煙が上がる。
深雪の機体へと換装された上下二連装短砲身滑腔砲による至近砲撃だ。
そして間髪入れずに深雪はグレネード砲、散弾砲を素早く持ち替えながら叩き込む。
焼け焦げた肉片が飛び散った、巨獣はものともせずに雄叫びを上げその体を突進させた。
朽ち果てた廃ビルの群れが、波に呑まれた砂城のように崩れ去る。
巨体に引き摺られる両翼が、さらにその破壊の規模を広範にしていた。
巨獣の突進を躱し深雪が後退する、入れ替わるように、その脇をアスカの機体が駆け抜けた。
3つのバケットホイールが直列に並んだ対天使用大型近接掘削兵装を、次の攻撃の予備動作を始める〈天使〉へと振り下ろす。
千切れた怪物の腕がきりもみしながら空へ飛んだ。
錆びた金属を擦り合わせるような絶叫を上げ〈天使〉はすぐさま別の腕を振るう。
重厚な背部装備を背負ったアスカの機体は空中で身を翻して紙一重でその腕を回避、近接兵装を斧形態に変形させその腕を弾き返す。
『真くんっ!』
「うん、まかせてっ」
単発式ライフルを肩部エクステンションへ仕舞い、〈天使〉の側面へ回り込む。
真は背中から単分子ブレードを抜刀し、足場にしたビルの屋上を目一杯の力で踏み締め、跳躍。
力天使級の背中を飛び越えながらその背に生える翼の片方へブレードを一閃、切り落とした。
冬の大気に蒸気を上げるほど高温の血を噴き出させながら絶叫、〈天使〉は上体を仰け反らして真の切断した方とは逆の翼を振り上げた。
その頭部にめくるの長距離榴弾砲が直撃する。
体勢を崩しながら振り下ろされた力天使級の巨大な
そこへ再びアスカが飛び込む。
斧形態の近接兵装を振り被って、榴弾に燃える〈天使〉の横っ面を殴打。
顔と呼ぶべき部分の肉が削げ落ちた怪物は、飛び退っていくアスカの〈ネメシス〉へと腕を伸ばすが、深雪の滑腔砲がそれを阻む。
苛立たしそうに咆える〈天使〉、その直後、コックピットルームにアラートが鳴り響いた。
スクリーン上に赤く点滅する警告文が表示される、外気温計測器が急激な温度の上昇を捉えていた。
『炎よ!ふたりとも下がって!』
深雪が叫んだ。
各々が〈ネメシス〉を走らせ、手近な建造物の上へと飛び上がる。
真は廃れた高架道路に飛び上がると、全速力で機体を後退させた。
〈天使〉を視界に捉えたまま、スクリーンにハイライトされたアスカの〈ネメシス〉を目で追う、彼女も急いで後退していた。
そして、天を仰ぐように仰け反った〈天使〉の口腔から、火炎が吐き出される。
魔獣の吐き出す業火が灰色の街を呑み、真っ黒な煙が空を覆い尽くしていく。
この光景だけは、何度見てもこの世の終わりとすら思える壮絶なものだった。
「アスカ!」
『大丈夫よ!でも、デトネーション・ライフルは使えそうにないわね』
『どの道まだそれを使う段階とは判断しないわ。アスカは一時後退、支援するから真君がメインに!』
「了解ですっ」
『めくる、私に合わせられるわね?』
『はい』
依然として排熱の問題を抱えるアスカの兵装では、炎の海と化した現環境下での戦闘は相当なリスクを伴う。
展開させた背中の排熱機構を忙しなく稼働させ、深雪の後退指示に従いアスカが離れていく。
その様子を見届け、真は再び〈天使〉へと〈ネメシス〉を走らせた。
頭上を飛び越えるめくるの牽制砲撃が〈天使〉の体で爆ぜ、それを合図に飛び上がる。
スラスタを繰り返し噴かしながら迫り来る怪物の腕を躱し、ライフル弾を撃ち込んでいく。
ワン・マガジンを叩き込んで、弾倉を交換、手を緩めることなくトリガーを引き続ける。
炎に赤く照らされたこの怪物の姿は、5年前のあの日を思い出させる。
黒崎真という人格に穿たれた恐怖の楔、この化け物は、まさにその根源だ。
だがあの日と決定的に違うのは、今の自分には戦う術があること、そして、恐怖に立ち向かう力と自身を突き動かす揺るぎない理由がある。
予備弾倉まで撃ち切ったライフルを肩部エクステンションに仕舞って、左腕兵装のパイルバンカーを構える。
パイルを引き絞って、眼下の巨獣、その頭部へと撃ち下ろした。
撃発されたパイルが灰白色の外皮に覆われた肉を貫き、先端の炸薬が爆発する。
耳を
巻き込まれないよう真はブースターを使いながら一度退避、その後方から、深雪が滑腔砲を放ち、機関砲を浴びせる。
さらにその深雪の攻撃の隙間を埋めるように、めくるの長距離砲撃が支援する。
しかし。
『押し切れないわよ、深雪!』
アスカの言う通りだ。
真や深雪、めくるの連携は決して悪くないが、決定打に欠けていた。
力天使級はじりじりと、放棄区画を青海ヶ丘市街へ向け迫りつつある。
『デトネーション・ライフルを使うわ、文句ないでしょ!』
『……っ、だめよ!』
『
『だったら指示に従いなさい!真君!』
「ぇあっ!?は……はいっ!」
突然名前を呼ばれた真は、驚いて変な声を上げてしまった。
呆れた様子のアスカのため息が、通信越しに聞こえた気がする。
『これから送る座標へ、〈天使〉を誘導して』
深雪からの通信と同時に、スクリーン上にマーカーが表示された。
そのマーカーの方向、深雪が示したのは、かつてこの青海ヶ丘で最も高層の建物だったビルだ。
「り、りょうかいですっ」
街のランドマークとして、且つビューポイントとしても注目を集めた人気の観光施設でもあったが、街の南半分が放棄されて以降は廃墟の一つに過ぎなかった。
『めくる、合図であれを砲撃して。榴弾のままで構わないわ』
『わかり……ました』
深雪の言うあれと言うのは、まさにその高層ビルのことだった。
彼女の考えを察した真は、〈天使〉を引き連れ目標地点を目指す。
ブースターを使っても、大きすぎる体格差では全速力で迫る力天使級にすぐに追いつかれてしまう。
目標地点と〈天使〉とを常に交互に見ながら、迫り来る怪物の腕を躱し、進路を駆けて行く。
『めくる!』
真の機体がポイントを通り過ぎ、〈天使〉の巨躯が例の高層ビルのふもとに差し掛かる。
深雪が叫んだ数瞬後、めくるの砲撃がそのビルを撃ち抜いた。
『アスカ!』
『外さないわ!』
さらに、アスカがデトネーション・ライフルを放つ。
めくるが吹き飛ばした階層と同じところを爆砕、鉄筋コンクリートの巨大な構造物がぐらりと揺らいだ。
計り知れない膨大な重量が〈天使〉目掛けて崩落する。
〈天使〉の絶叫をも呑み込む轟音、砂塵を空高く舞い上げながら鉄骨とコンクリートの塊を撒き散らす。
「うわわ……っ!?」
巻き込まれないように〈ネメシス〉を走らせる真、その前方を大きな影が遮った。
巨大な瓦礫が目の前に落下してきたのだ、咄嗟に左腕のパイルバンカーでそれを打ち砕いて、開けた視界を一気に駆け抜ける。
『真くんっ!』
「はぁ、はぁ……だ、だいじょうぶ」
横倒しになったかつての高層ビルを眺める。
辺りは、水を打ったように静まり返っていた。
『各機、油断しないように』
真の位置からは少し離れた場所に降り立った深雪が鋭く言った。
これまでのイレギュラーと、先日の位階が変化した一件を含めれば、この個体との戦闘がこれで決着したと楽観できるはずはなかった。
瓦礫の山に下敷きとなった力天使級を警戒しながら、真はブレードを構え直す。
〈ネメシス〉の稼働限界まではまだ余裕がある、機体との同調率もかなり高い水準を維持している。
ここからがこの戦いの
『深雪、ちゃん……っ!』
緊迫しためくるの声、それに続くように機体AIがエネルギー反応を感知してアラートを響かせた。
『来るわっ!』
力天使級を圧し潰した瓦礫の隙間から光が漏れ出していた。
コンクリートや鉄骨の残骸を押し上げ、その中から全身を燃え上がらせる〈天使〉が体を起き上がらせる。
『な……っ、なんなのよ!?このばかげた温度!?』
『……退避っ!これはマズいわッ!』
「っ!」
自らを炎に包む力天使級、その表面温度は1,000℃を超え、さらに上昇する。
皮膚に鋭い痛みが走った。
火傷を負った感覚に近い、〈ネメシス〉からのフィードバックだった。
『〈ヴァルキリーズ〉、聞こえるか』
オープンチャンネルにカエデからの通信が入った。
『聞こえてます!完全にあらゆる想定を超えた事態です、現場レベルでの判断を超えているため本部長からの指示を!』
『無論撤退の一択だ。従えるな、アスカ君』
『当然でしょ!』
カエデからの撤退命令にアスカが従順であったことに安堵しつつも、真は意識を〈天使〉へと向ける。
いや、それはもはや〈天使〉と呼べるかも不明だ。
そして、一際眩い光が、天へと柱のように噴出する。
『いったい……』
オープンチャンネルに、息を呑むカエデの言葉が聞こえた。
〈ネメシス〉に搭載された計器では実測可能な域を超えた熱を放つその光の柱が、少しずつ何かの形を成していく。
その姿形は依然として柱のように見えて、先ほど深雪の指示で爆撃倒壊させたビルよりも遥か高層まで伸び上がっていた。
『あれは……』
そして、空へと伸びるその光の柱はその先端を分裂させ始め、それはまるで、樹木が枝葉を広げるようにどんどん分岐と成長を繰り返す。
「なに……?」
やがて光の柱は、淡く光る真っ白な一本の巨大な
『暫定目標の、表面温度……が、急激に……低下、しています……』
酷く動揺を露わにしためくるの声がそう言った。
〈ネメシス〉の捉えた実測値は約25℃、状況は一先ず落ち着いたと言うべきなのか、けれども、〈ヴァルキリーズ〉を含めこの事態を目撃した全員が困惑を持て余していた。
「樹……?」
『いったい何が起きたわけ?』
本部のカエデから帰還命令が下されるまで、〈ヴァルキリーズ〉はその場でただ呆然としているしかできなかった。
青海ヶ丘に突如として現れた巨大樹は、さながら恒温生物のようにその体内に熱を宿して、確かに脈動を始めていた。