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第28話

青海ヶ丘に巨大樹が___厳密には樹木でないが、その形状からしてと形容する他なかった___現れてから数日、街は厳戒態勢となっていた。

無人二脚機は以前の倍近い数が配備され、銃火器を搭載した装甲車が街の至る所を堰き止めており大規模な交通制限が敷かれていた。


誰も想像すらし得なかった事態を前に、青海ヶ丘にはしばらくの間混乱と動揺が広がったものの、あの巨大樹がすぐに何か起こす訳ではないと分かると、物々しい防衛兵器に見守られながらも少しずつ元の日常を取り戻していった。


「……くん、真くん!」

「えっ」


アスカの声に顔を上げると、カットクロスに包まれて驚いた表情をした自分と目が合った。


目の前には殆ど全身の写る鏡台があった。


「えっと……」

「寝てたの?」


少し曖昧な記憶の糸を辿る、今日はアスカに連れられて美容室に来ていたのだった。


少し困った顔の店員の奥で、壁際の待合ソファに腰掛けたアスカが、鏡越しに怪訝な視線をこちらへ向けていた。


「寝てた……かも」

「終わったそうよ」

「あ、うん」


この体で目覚めてから既に半年が経つ。

夏前から秋を跨いで季節はもう冬の本番、その間、美容室には通えていなかった。

元々の髪質なのか、適当に選んでいるつもりのシャンプーやらコンディショナーやらがたまたま適していたのか、あまりヘアトラブルを感じることなどなかったのだが、視界に占める前髪の割合が大きくなってきたと感じ始めた頃、ちょうどアスカが美容院へ行くそうだったので自分もヘアカットをお願いすることにした。


髪や毛先を触られる感触は嫌いではなく、それがプロの手つきによるものならなおのこと心地のいいものだった。

どうやら知らない間に眠ってしまっていたらしいと、真は背もたれの大きなスタイリングチェアから体を起こした。


「カット中にお眠りになるお客様もいらっしゃいますから」


会計の際に、スタイリストの女性がそう言って柔らかな笑顔をくれた。


木目の目立つシックなフローリングの店内から、外へ出る。

冬の風に自分の長い黒髪が踊った。

あまり劇的にイメージが変わる注文は敢えてしなかった、アスカが今のままがいいと言ったからだ。


「少しすっきりしたじゃない」


アスカの指先が前髪を撫でる。

ヘアスタイルにこだわりを持っているわけではないが、満足そうな彼女を見て真はこれでよかったと思った。


「うん、視界が広い」


仰いだ青海ヶ丘の空は少しばかり明るく感じる。

中心市街の高いビルの向こうには、あの巨大樹が見えていた。


「……」


真っ白な外皮に包まれ、空へと聳えるその樹上は枝のように無数に分岐を繰り返して、街の上空を占領している。

周囲に飛び交うコジマ社観測部のヘリとの対比から、それがいかに巨大であるかが見て取れた。

実際、観測部からの報告にはあれの全長が300メートルをはるかに超えると書かれていた。


どこか幻想的な風景ではあるが、それが秘める危険性についてはあまりに未知数である。


「得体の知れないものが生えたものね」


隣のアスカが言った。


「ずっとあのまま……なわけないよね」

「わからないわ。でも、あれを見ると胸騒ぎがする。さっさと対処できるのに越したことはないでしょうね」


アスカの言う通りだが、得体の知れないからこそ打つ手を持たないのも事実だ。


「ずっとああやってヘリが飛んでるけど、なにかわかったのかな」

「さあね。あれだけデカいんじゃ、何であれ〈ネメシス〉だとどうしようもないし」

「うん……」


陸戦強襲部隊である真たちだが、無論〈天使〉の生態について知悉する訳ではない。

今はああして観測部が観察・監視を行っているが、その成果がない内は、或いは、あの巨大樹が突然何らかの敵対行動を起こさない限りは、手持ち無沙汰だ。


おかげで、この年末に控えた〈ヴァルキリーズ〉のライブステージのレッスンにも専念することができた。


「今はとにかく、あのまま大人しくしていてくれることを祈るわ。ステージの日程は変えないって、カエデも言ってたから」

「やるの?ほんとに」

「できなくなってしまう前に、したいこと、するべきことはしておくべきだ……がカエデの方針よ」

「そっか」

「それに、たぶんこのライブがアイドルグループとしての〈ヴァルキリーズ〉の最期になるわ」


いく乃を失い、年が明ければ一学年上の深雪は高校受験のために部隊を去る。

真やアスカ、めくるは引き続き部隊に残るものの、〈ヴァルキリーズ〉は解体となり新たなパイロットを迎え再編成される。


ラストライブには、パート分けの都合やメンバーの負担が考慮された結果、いく乃の代役として真も何曲かステージに立つ予定になっていた。


「僕もがんばる」

「あなたの努力を疑ってはいないわ。……さ、帰りましょう?それとも、まだどこか寄りたいところがある?」

「えーと……」


逡巡する。


ほとんど四六時中アスカと一緒にいるため、ここでデートを終えてしまうことが名残惜しいという気持ちは正直、ないといって差し支えがなかった。


けれど、ふたりでこのまま真っ直ぐ家に帰るのは躊躇われた。

彼女とゆっくり外出できる機会は、次がいつになるか分からない。


直感に訴えかけてきた何かに従って、真は、アスカの手を取った。


「もう少しだけ。もう少しだけ、デートに付き合ってくれる?」

「いいけど、どこか行きたいの?」

「うん。とっておきの場所。ほら、行こう」


アスカの手を引いて、路面電車に乗り込む。

そのまま電車に揺られ、中心街から南下、街の外れへ。


座っている間、アスカはどこか落ち着きのない様子で繋いだままの手を開いたり閉じたりしていた。


電車を降りて、二階建て程の比較的背の低い建物が身を寄せ合う路地を進んで、とある店の前で足を止めた。


「……うそ」


古めかしい木造の外観、ネオンサインが店頭を彩るこの店は、青海ヶ丘では随一のギターショップ。


「来たかったところでしょ?」

「そう……だけど、どうして……」

「カエデさんが言ってたんだよね、できなくなる前にすべきことはしておくべきだって」

「ちがう!」


アスカは突然、真の手を離して、数歩後ずさった。


「だって、だって私……、ここに来たかったこと……言ってないもの……」

「あれ……そう、だっけ……」


自分の記憶では、この店のリーフレットをアスカの部屋で見つけたはずだった。

アスカはまだ行ってないそうだから、今度連れて行ってあげようと思っていて、それで___


「真くん」

「なに?」

「……」

「アスカ?」

「……なんでもないわ。せっかく連れて来てくれたんだもの……行きましょう」


釈然としない様子のアスカだったが、彼女は店舗の階段を上がってドアを開いた。

店に入って行ったアスカの背中に、真も続いた。





「姉さん、学校は?」


スクールバックを肩に背負ったアスカが、まだ部屋着のままでいる自分を見つけてそう言った。


「え?行かないよ」

「……は、え?うそでしょ」


印象的な真っ赤なブレザーに赤いプリーツスカート、白いブラウスに、赤いネクタイ。

こっちで住むようになって初めて袖を通した日本の学生服だけれど、自慢の妹には一部の隙間も見当たらなかった。


「春華さんから、聞いてない?」

「聞いてないわよ、いっしょに通うんじゃなかったの?」


アスカと共に〈ネメシス〉に選ばれたが、堕天が頻繁に観測されるこの青海ヶ丘に〈ネメシス〉に適合する子どもパイロットが1人しかいなかったため、この街の部隊への配属が下された。


今日は青海ヶ丘中学校の入学式だ。

この街は父の郷里で、アスカの通う青海ヶ丘中学は父の出身校。

ただ、海の向こうで生まれ育った自分にとっては、何の感慨もない知らない土地でしかなかった。


「ごめんね、たぶんだけど、私、まともに通う時間なさそうだから」


縁もゆかりもない土地とまでは言わないまでも、しかし、自分たちがこの街に連れて来られたのはあくまで人手不足を補うという無味乾燥な事由だったわけだが、自分にはもう一つがついていた。


それは、〈天使〉に対抗するコジマ・エレクトロニクスの保安管理部が本部を置くこの青海ヶ丘で開発された新型の〈ネメシス〉、その試作号機のパイロットとして選出されたことだった。


こっちに来てからはその新型との調整に次ぐ調整、同調率を高めるための薬物投与に、うんざりするほどの演習カリキュラム。

春休みの間は、あてがわれた社宅にいる時間よりも〈ネメシス〉のコックピットルームにいる時間のほうが圧倒的に長かった。


そんな性能の保証されていない新型機よりも、安定して使える従来機をあてがってもらったほうがありがたいというのが正直な気持ちだ。


「だからってハナから行かないなんて……」


アスカは呆れた様子でそう言った。


パイロットとしての任期は約3年間、中学3年の終わりには真っ当に試験を受けて高校へ進学する必要がある、と言うより、大人たちからそれを求められる。


〈ネメシス〉パイロットの生存率は50%を下回る。

それをクリアして生き残る意思があるのなら、せめて学校には通っておくべきなのだろう。


ただ、自分はそういうことに頓着がない。


「お姉ちゃんといっしょに学校行くの、楽しみだった?」

「……べつに、そんなんじゃ……」

「だいじょうぶだよ、アスカならすぐ友達できるから」

「……興味ない」

「そうなの?」


近づいて、その細い腰をそっと抱き寄せる。

覗き込んだ真っ青な瞳にはがっかりした感情が見て取れたが、しかし、やはり自分は、愛しい妹の期待を裏切るとしても呑気に学校なんて場所に通ってやる気にはなれなかった。


死地も同然の戦場に送り出しておきながら、子どもの真似事に興じろだなんて、馬鹿げてる。


「いってらっしゃい」


お見送りのキス。


ゆっくり時間をかけて重ね合わせた唇を離すと、妹はいくらか機嫌を取り戻したようだった。


「うん、行ってきます」


胸の重さで落ちてくるキャミソールの肩紐を直して、玄関のドアを閉めるアスカの寂しげな背中を、自分は見送った。


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