その夜。神代家は他愛もない会話を繰り広げる賑やかな食卓を囲んでいる。
伯母はすっかり自分の旦那に対しての愚痴をこぼしきったのか、今や酒を飲んでゲラゲラと笑っている。
酒癖が悪いわけではなく、単に酒が入ると笑い上戸になるようだった。
「稔、受験勉強で忙しいのに、息子の遊び相手になってくれてありがとうね」
「いえ」
赤い顔をして、片手にビールを持ったまま伯母が稔の肩に腕を回してくる。
稔はそんな伯母の対応にも慣れていて、茶碗を持って嫌がる様子もなく黙々と食事を続けている。
「この子なら大丈夫よ。成績も悪くないし、そんなに心配してないわ」
「さすが若葉の息子! どうやったらこんな男の子に育てられるのかしらぁ~!」
「……」
母親たちの会話に、稔は対して参加することもなくを食事続けた。
そんな稔の真似をしてか隣に座っていた甥っ子も同じように食事をしていたが、ふと稔の袖を引いた。
「稔兄ちゃん、あのね」
「?」
「これ、兄ちゃんにあげる。僕の宝物なんだけど、ボールを見つけてくれたお礼に兄ちゃんに貰って欲しいんだ」
甥っ子が手渡して来たのは、どこか旅行に行った時にでも買ったのだろう。宝石に見立てた青い石と竜が象られた銀色の鞘付きの剣のキーホルダーだ。
「大事なものなんだろ?」
「ううん、いいの。僕もう一個持ってるし」
「え……でも……」
そう言って見せたのは全く同じデザインで赤い石が填まった金色のキーホルダーだった。
子供は銀よりも金の方に価値を見出すものだ。しかし、伯母が息子の為に買い与えたものを勝手に貰っていいのか戸惑っていると、それに気付いた伯母は笑いながら言う。
「あぁ、それ? 同じようなもの幾つもうちにあるし、旅行行く度に買わされてるから別に構わないわ。あ、でも、もうそんなもの持つような歳じゃないわよね?」
「あ、いえ。せっかくなんで頂きます。すいません。ありがとうございます」
「稔はほんと良い子ねぇ。面倒見もいいし、この子も懐くわけだわ」
伯母はそう言うと、今度は「稔の反抗期はどうだったのか」という話をはじめ、母と盛り上がっていた。ちなみに、父はそんな姉妹には気を取られる様子もなくテレビを観ながらやはり黙々と食事を続けていた。
「ごちそうさまでした」
「稔兄ちゃん、明日も一緒にキャッチボールしようね!」
「分かったよ。じゃあ早めに宿題終わらせような」
「うん!」
食事を終えた稔は甥っ子にそう声をかけると自分の分の食器を片付け、貰ったキーホルダーを何気なくポケットにしまって自分の部屋に戻った。
部屋に戻ると、稔はベッドに横になりながら昼間の事を思いだす。
あの不思議な体験は何だったのだろうか。あのゴムのような見えない壁は何だったのか。あの道の先はどこへ続いているのだろうか。
思い返すと気になって仕方がなく、体験したことが無い事への興味がむくむくと湧き上がりワクワクして仕方がない。他の誰もあの空き地に立ち寄らないままずっとあの状態なのだ。きっとこの大発見をしたのは自分以外他にいないかもしれない。そう思うと誰にも教えず独り占めしたくなるようなそんな気分になる。だが、その反面で誰かと共有したい気持ちもあって、とても悩ましい。
「そうだ」
稔は携帯を取り出し、たった一人にだけこの事を伝えてみようと思った。
隣に住む幼馴染の
小さなころからずっと仲良くやんちゃをしてきた仲だ。男勝りな彼女ならこのことも内緒にしてくれるに違いない。
ラインで今日の事を話すと、すぐさま彼女から返事が返って来る。
『何それ!? マジやばいじゃん! ちょっと、連れてってよ!』
なかなかな反応に、稔は一人ほくそ笑んだ。
『じゃあ今から行ってみる?』
『行く行く! 何か持ってった方がいい?』
『もう暗いから、懐中電灯とかでよくね?』
『うっそ。それだけでいいの? もしかしたらすんごい事が起きる前触れかもじゃん? しっかり準備しとかないと!』
彼女は相変わらず幼い頃のままだ。
小学校の時は学校が終わったら、駄菓子屋でおやつを買ってすぐに裏山に集まり、木の枝を振り回して冒険ごっこをしたり、秘密基地になりそうな場所を見つけてはそこを拠点にして遊んでいた。木によじ登って木の実を食んだり、カエルや蛇を見つけては得意げになってみたり飛んでいる蝙蝠に石を投げ、獲物と思って下降してきたところを虫網で捕まえたりなど、結構なやんちゃをしたものだった。
中学に上がってからは色々と忙しくなり、そんな遊びもしなくなってしばらく経つ。お互いにそこまでもう子供じみた事をするような年齢でもなくなったのだ。当たり前と言えば当たり前だと言うのに、相変わらずのこのテンションはヤバイ。
『あたし、とりあえず懐中電灯と飲み物とお菓子持って行くわ』
『分かった。じゃあ俺も何か適当に見繕ってく。家の前で待ってて』
『了解!』
そう言うと画面を閉じ、稔は小さめのボディーバッグに携帯の充電器を入れて部屋を出る。
何とも言えないこの高揚感は久し振りだ。中学3年にもなってこんな何でもないことにワクワクしてしまうとは、まだまだ自分は幼い子供と変わらないのかもしれないと思った。
リビングに立ち寄り、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して鞄に捻じ込む。
「用事が出来たから、ちょっと美空と出掛けて来る」
「いいけど、あんまり遅くなったらダメよ?」
「あらぁ~? 何々? こんな時間からデート?」
「違うよ」
からかう伯母に、稔はさらっと返すと「つまんないわ~」と言葉を漏らす。そして家を出ると美空が準備万端な状態で待っていた。
美空の格好は、白いTシャツに下は学校のジャージを着て腰にジャージの上を縛り付けていると言う色気も何もない格好で、稔と同じようなボディーバッグを身に着けている。
肩までの髪に長い前髪をポンパドールにしているのはまだ分からなくはないが……。
「……お前、ほんとに女?」
「失礼な! どの口が言ってんの?」
「いや、だってジャージだし」
甥っ子と遊んだ時のスタイルのままの稔は、フード付きの半袖パーカに膝丈のショートパンツを履いて出て来ている。そんな稔に、美空はぷっと頬を膨らませた。
「だってジャージのが動きやすいんだもん。それにすぐそこの空き地でしょ? 別にこのぐらいの格好で良くない?」
「まぁ……別にいいけど」
「よし。じゃ、しゅっぱーつ!」
稔と美空はすっかり暗くなった広間の前にやってきた。
二人の家からここまでの道のりは単純で、大通りを挟んだ向かい側にあの広場はある。扉からこちら側は街灯で明るいが、向こう側には真っ暗な闇が広がっていた。
「こりゃ久し振りにワクワクする!」
「人に見つからないようにしないとな」
周りに人がいない事を確認してから、二人は鉄格子を乗り越えて塀の中に入った。
真っ暗な中でライトを点けて地下に続く階段を目指す。
「ヤバくない? この雰囲気! 昔冒険ごっこした時のこと思い出しちゃった!」
「お前声デカい。もし人に見つかったらヤバイぞ」
そうは言うものの、稔の興奮も冷めやらぬ状態だった。
二人が階段の前に来ると、ライトで入り口を照らしてみる。昼間見た時よりも物々しい雰囲気な気がして、一瞬怖さを感じたのも嘘ではなかった。
「真っ暗~。まさにダンジョンって感じ」
「どうする? 帰るなら……」
「行くに決まってるでしょ! まさか怖気づいたの? 男のくせに」
その言葉にムッとしたのは言うまでもない。「誰が帰るって言ったよ」と先陣を切って中に入る。
ゆっくりとした歩調で先に進むと、自分が透明なゴムの壁にぶつかった付近にまで辿り着いた。
「ここからなんだよ。透明な分厚いゴムの壁に阻まれて全然進めなかったの」
「え~? ここ? だってまだ先続いてんじゃん」
「そうなんだよ。先は続いてるのに全然先に進めなくてさ……」
そう言いながら手を差し出して壁に触ろうとすると、思い切り肩透かしを食らって倒れ込んでしまう。それを見ていた美空は一瞬ぽかんとしてしまうが、すぐにお腹を抱えてゲラゲラと笑い出した。
「やっば! ダッサ!」
「う、うるさいな!」
「壁なんかないじゃん。どこにあんの?」
「昼間は確かにあったんだよ。全然先に進めなかったんだ」
手をブンブン振り回す美空に、稔は顔を顰める。
確かに壁があったはずなのに何故ないのか。それとも場所を間違えてもっと奥の方だったのだろうか。分からないまま立ち上がった稔は首を傾げる。
「とりあえずさ、もうちょっと奥行ってみようよ。久し振りに冒険ごっこ楽しまなきゃ。あ、どっちかって言うと肝試し?」
美空は怖気づく様子もなく、この状況を楽しんでそう言うとスタスタと奥へと歩いて行く。稔もその後を追いかけて行くと道は二手に分かれていた。どちらも懐中電灯で照らしてみるが奥までは見えない。
「道、分かれてるね」
「そうだな。どっち行ってみる?」
「おおっと! その前に。ダンジョンに入ったら道に迷わないようにきっちりマッピングしとかないとね! ここにこうやって印を付けてっと……」
鞄からノートとペンを取り出し、簡単に書き留める美空はすっかりゲームの冒険者の気分になっているようだった。そしてマスキングテープを取り出すと冷たいコンクリートの壁にぺたりと貼り付けた。