「準備オッケー。そしたらまずは右から行ってみよう!」
すっかりリーダー気取りの美空に続いて右の路地を進む。するとどこからか水の流れる音が聞こえていた。
「聞こえた? あれって絶対命の水だよね!」
「命の水って……。地下水は腹壊すどころか下手したら死ぬぞ」
美空は興奮気味に顔を紅潮させて稔を振り返りながらそう言うが、一番最初に誘ってワクワクしていたはずの稔のあまりにも冷めた反応に、美空は思い切り顔を顰めて頬を膨らませる。
「夢がないな~。いつからそんな夢のない事言うようになったの?」
「え……」
ここに入るまでは確かにワクワクしていたのに、美空に指摘をされていつの間にか冷静になっている自分に気が付いた。確かにここに来るまでずっと興奮していたのに、なぜ急に現実に引き戻されて冷静になってしまったのか稔は自分でもよく分かっていなかったが、思い当たることはある。
中学に上がってもうすぐ高校生になる。大人になるに従って子供の頃のように単純にその場で起こっていることを楽しめなくなっていっていた。一時的には楽しんでも、すぐに冷静さを取り戻してしまうのだ。
そうなるのは現実を知っているから。夢物語のようなことを言うと「いい年してまだそんなこと言ってるの?」とバカにされて笑われることばかりだから、次第に子供心を忘れて素直さも失われていくんだと稔は気付いていた。その点、美空は未だに子供心を胸に秘め、この状況を楽しむだけの素直さを持っている。
正直、それがとても羨ましく思えた。
美空は「ま、いいけどさ」と言うとそのままズンズンと先へと向かっていくのに、気後れした稔は慌てて後を追いかけた。奥に進むにつれて、それまで遠くから聞こえて来ていた水の音が徐々に近くなり、水の匂いもしてくるが、どこから水が出ているのかは分からない。
真っ暗な空間に、たいまつに見立てた懐中電灯をぎゅっと握り締め、美空は辺りの様子を注意深く見回し始める。
「近いね……敵がいるかもしれない。気を付けて!」
「敵って……鼠とか?」
「バカなの? 敵って言ったらモンスター以外何がいるって言うの?」
この状況を楽しめと言わんばかりにこちらを睨みつけて来る美空に、稔は思わず苦笑いを浮かべた。
もはや彼女は役者だ。雰囲気作りに徹底しようとしている、ある意味プロだ。
「武器は持ってる?」
「武器? 持ってないよそんなの」
「あたし今装備してるのヒノキの棒だからね! そこんとこよろしく!」
「……」
そう言ってカバンから出して見せてきたのは、どこからどう見てもお菓子などの生地を伸ばす為の麺棒だった。おそらく自宅の台所から黙って拝借してきたんだろう。
彼女の「冒険ごっこ」は、小学校の時よりもグレードが上がっているのか下がっているのかもはや分からない。
注意深く辺りを伺いながら突き当たった先は、またしても左右に分かれた道だった。美空はまたしてもマップを書き、今度は左に行ってみることになった。
「なぁ。あんまり奥に行くと帰れなくなるぞ……」
「だからマッピングしてるんでしょ。って言うか、あのさぁ、ここに何しに来たのよ。冒険でしょ?」
またしても美空に睨みつけられる。
だがそもそも稔は「冒険」に行こうとは言っていない。どちらかと言えば「散策」に行くつもりでいたのだ。彼女ほどスケールのでかい話はしていなかったと思うのだが……。
そんな美空に引っ張られるような形で、稔も奥へと進んでいく。
彼女はすっかり冒険者になり、いつ敵に襲われてもいいような雰囲気を作り出しているが、稔は敵なんて出やしないと現実的に考えてしまう。出ても良いところドブネズミだろう。そう思っていた。
「また行き止まりだ。今度は右にしか道がないね」
「なぁ美空。そろそろ戻ろう。もう結構遅い時間だしさ。また明日来てみようよ」
「……う~ん。そうだね。じゃ、とりあえず今日はここまでってことで!」
美空は「一応念のためにマークだけは付けとこ」とマスキングテープを壁に貼ろうと手を伸ばした。その時、突然先ほどまでなかったはずの右隣から分厚いゴムの壁に手を阻まれた。
「え?! 何?」
そう声を上げる美空に、稔も呆然としてしまう。
ついさっきまでこんな壁はなかった。ライトで照らせばまだ奥に続く道が見える。だが押してみてもどうやってもそれ以上先には進めない。
「マジで……? これって、ここはいる時に稔が言ってたやつ?」
「うん、そう。でもなんで急に……」
青ざめた美空は、女らしくパニックを起こすかと思った。だが彼女はこんな状況でも至って冷静だ。
何を思ったのか、美空は真顔でこちらを振り返り親指を進むべき道の先を指さした。
「仕方ない。よく分からないから、引き返そう」
「お、おう」
二人が元来た道へ進もうと体の向きを変えた瞬間、突然二人の背後から地響きのするような大きな声が聞こえて来る。しかもそれは人の声ではない。いわゆる……グオオオオオと何か大きな怪物が叫ぶような大きな声だ。同時にいつの間にか真後ろにまで迫っていた透明な壁が突然迫り出し、二人をさらに道の先へと追いやって来る。
「ちょ!? 何ぃっ!?」
「うわあぁっ!」
迫って来る壁に抵抗しようとしてもドンドン押し出されて歯が立たない。
どうやっても後戻りが出来ないと腹をくくった二人は、少しずつ迫って来る壁の正体が何なのか確かめる余裕もなく、むしろその音に恐怖すら覚えて全力疾走で暗闇の通路を走り出した。
「うわぁああぁぁぁぁっ!!」
背後から迫って来る見えない壁の圧と、大きな咆哮に無我夢中で走るしかない。二人とも汗だくになって必死に走っているとやがて目の前に眩しい光が飛び込んでくる。
「外だぁあぁああぁっ!」
美空のその言葉と、明るい光にどこか安心感を感じて何も考えずにそちらに向かって二人は飛び込んだ。
「……へ?」
一瞬時が止まる。
足場がない。遙か眼下には慣れ見慣れたビルが並び、そのビルには無数のつるやコケに包まれていた。更にビル街はコンクリのではなく生い茂る緑の森が遥か彼方まで広がっている。
目の前に起きている出来事に違和感を覚えるものの模索する余裕などなく、二人の体は真っ逆さまに落ちた。
「ぎゃああああぁぁぁぁああぁぁっ!」
「死ぬぅうううぅううううううっ!!」
だが次の瞬間ドンッと背中に強い衝撃を受けた。地面に落ちたものだと思ったがその割に痛みは少ない。ゆっくりと青ざめた顔を持ち上げると、視界には青い空と赤い橋と上下にゆったりと動く鉾が……。
視界をさ迷わせた二人は同時に顔を見合わせゆっくりと自分の背中に当たるゴツゴツとした肌触りの地面に手を触れて上体を起こした。
視点が180度回転し、今目の前にあるのはやはり赤くて小さな山が二つと真っ青な空の青。そして白く尖った岩。どことなく見覚えがあるその光景に二人はポカンとしてしまった。
「こ、これって……」
「もしかして……」
またも二人は同時に顔を突き合わせる。
「ドラゴン!?」
稔も美空もまさかの事態に今度こそ頭がパニックになった。