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B2章 リアルと非現実の狭間

第B−7話 聞き慣れない単語

◇◆◇◆


弥生やよいside)


 私は男好きなビッチで有名だった。

 高校に入学してから、その蜜を知った。


 しかし、それは噂だけで本当は違った。

 私は誰も抱かず、誰にも抱かれなかった。


 いつも男子とつるんで付き合っていたので、噂に背びれや尾びれがついたのだろう。

 未経験とはいえ、様々な男子と交際していたことは間違いなかったから……。


 ──しばらくして、私は今の私立高校へと転校した。

 前の高校では、バイトは禁止だったからだ。


 今の私には、お金が必要だった……。


◇◆◇◆


(弥生回想シーン)


 ──中学に入学してから、半月ほど時は経ち、私の両親は離婚した。


 父が母を捨てたのだ。


 ──私が中学に上がる頃、父が毎日の仕事帰りに飲み屋で酒の味を覚え、遅い夜中に帰宅するようになった。


 その異変にいち早く気づいた母が、父が入浴している隙をつき、父の身辺を毎回調べつくした。


 ……いつも、父の携帯にはロックがかけられて、中身のLINAなどは見れなかったが、ある日、ジャケットのポケットに飲み屋のロゴが白く描かれたカラフルなライターが入っているのを母が発見した。


 今日に限って、巧妙に隠していた完璧主義な父にも、とうとうボロが出たらしい。


 母は、そのライターの件から執拗しつようなく、父を問いつめた。

 だけど、男としてのプライドが高い父は、母には本心は語らずに、頑固に嘘を貫き通した。


 それよりも、父は自宅でも浴びるように酒を飲むようになり、酔った勢いで些細ささいなことでも、母に手をあげるようになった。


 世間にいう夫婦間暴力、DV(ドメスティックバイオレンス)である。


 私はそれをいつも目の前で見ていた。

 酒に酔った父が『飯が不味い』といちゃもんをつけ、食卓のちゃぶ台をひっくり返す。


 楽しみにしていたおかずが飛び散り、重力に従い、畳に散乱していく。


 体を暖めてくれる味噌汁、メインの手ごねのハンバーグ、千切りのキャベツのサラダからこぼれ落ちるトマト……。

 それらの料理が、なすがままに床へと潰れる。


 それは一種の芸術作品にも見て取れた。

 暴力という名のインクで、残虐な風景画を彩っているように……。


 ──その絵のはなの中心にいた、母の長い髮を強引に引っ張り、必要以上に乱暴な行為をする父。


 私には父が悪魔に見えた。

 実は人間の皮を被った悪魔ではないかと……。


 ──やがて、父は離婚という名義がら、私達の家から消えた。


 どうやら、このライターに表示されていた飲み屋で知り合った女と、正式に付き合うようになったらしい。


 母は父に裏切られた腹いせに、毎日、暴飲暴食を繰り返した。

 来る日も来る日も食べたり、飲んだりの無限ループに至った。


 やがて、父と別れて二年後、私が高校に進学する直前に、母がとんでもない病気にかかってしまう。


 母に降りかかった病名は生活習慣病。

 『糖尿病』だった。

 一度発病すれば半永久的に治らない病気。


 それでも食事制限を守らずに、日に日にふくよかになっていく母は、やがて仕事をしなくなった。


 こうして行く先を失った私達は路頭をさ迷い、父の新しい愛人からの慰謝料と、積立していた貯金を切り崩しながら、ボロアパートでの住まいでのギリギリな生活の毎日……。


 結局は体の健康な私が働き、生計を立てるしかなかった……。


 ……男は自分勝手で身勝手な生き物だ。

 愛する人に飽きて、次の相手を探すさま。


 だったら、どうして父は母を選んだの?

 二人は夫婦として、お互いの愛を誓って、結婚したんじゃなかったの? 


 頭の中では、いつもそんな自問自答でいっぱいだった。 


****


(弥生side)


『ピコピコ、ピコピコ、ピコピコ!』 


 手のひらサイズの正方形から成り立った、ピンクの目覚まし時計のアラーム音を止める。 


 時刻は深夜の2時。


 寝ぼけた頬にパチンと叩いて気合を入れ、今日もここから、私の一日の活動が始まる……。


****


 赤のママチャリで、まだ肌寒い空気を体感しながら、無と変貌へんぼうした道路を走り抜ける。


 信号機は赤や黄色の点滅ばかりで、交通機関は麻痺しているような風景にも映る。

 深夜だから、人のチェックによる細かな指示は要らない。

 不意な事故にさえ、注意しなければ自由に通行できる。


 だから、ちょっと外れて、道路側にはみ出してもとがめる人はいない。 

 私は無人のパレードをたしなむ一国の女王様のようだ。   


「今日も無事に到着~♪」


 ルンルン気分の私が自転車から降りた先には、『明後日新聞社あさってしんぶんしゃ』の看板を背負った、古き木造建ての一軒屋。


 駐輪場には自転車以外に、原付の白いカブの集まり。


 高校に進学した私は、母の昔のツテでもある、新聞の朝刊配達のバイトをしていた。


****


「おはようございます!」

「おっ、弥生やよいちゃん、お疲れ!」 

「おつー、弥生ちゃん!」

「おはよう、今日も気合い入ってるね!」


 私が元気よく挨拶をすると、先輩達の明るい返事が返ってくる。

 みんな、ちょうど新聞に折り込み広告チラシを入れる作業をしていた。


「弥生ちゃん、今日から新しいお客様宛に配達頼むからね」

「はい、分かりました」


 私はもじゃ髭を生やした店長から、新規の配達先のメモ紙を受け取る。


「しかし、今どき、この若者は感心だな。

学生で一人暮らしで、ウチの新聞も読んでくれるとはな」

「へえ、最近の若者にしては珍しいですね……」


 そう言いながら、私は店長が書いたであろう手書きの地図に目を落とす。


「……へえ、あおい……」


「……えええええっー!?」


 私が驚くのも無理はない。

 目を凝らした先には、あの『蒼井繁あおい しげる』と、名前が書かれていたからだ。


「弥生ちゃん、どうした? すっとんきょうな声をあげて?」

「あっ、すみません。何でもありません」


 私は冷静を保ちながら、紺のジャージの上着のポケットから別の紙を取り出す。


 それは数日前、あの舞姫まいひめが書いてくれた、蒼井繁の住んでいる住所のメモだった。


 近いうちに、気になる彼の家を拝見しようと思っていたが、相手は若い獣の狼のことだけあり、なかなかきっかけが掴めずに、躊躇ちゅうちょしていたのだ。

 これは彼を知る上での、絶好のチャンスでもある。


 私はメモを握り、心の中でガッツポーズをしていた。


****


 私は彼のことが気になり始めていた。

 あの時、お互いに曲がり角で衝突してからずっとだ。


 ……今は朝方の3時。

 まだ普通の学生なら、床に伏せて、熟睡中のはず。

 現場で彼と鉢合わせという最悪な展開は、未然に防げる。


 ──そうこうしているうちに、私の前方に、一軒の面長な建物が視界に飛び込んでくる。


「えっ、ここなの?」


 そこは築50年は過ぎていそうな、木造のアパートだった。


 灰色のコンクリートの床は劣化して、ひび割れた部分もあり、辺りを照らす電灯の光も、大きな木の影に遮られ、あまり、あてにならない。


 住居は全部で6室あり、二階への階段を挟んで、3部屋ずつに分かれている。


 だけど、駐車場には車や自転車は一台もなく、全ての部屋の電気すらもついてなく、生活臭さえもしない。


 本当に、人が住んでいるかどうかも怪しい……。


 ここの住民らは、健康に気を遣って、規則正しい生活をしているのだろうか……。


「すみません、失礼します」


 私は地図を頼りに部屋番号を見て、錆びついた急な階段を、静かな足取りで上がり、二階へと上がる。


 201号室。

 ドアには『蒼井』と黒マジックで丁寧に書かれた、紙の表札がかかっていた。


『カンカンカンカン……!  

次は逢坂あいさか、食い倒れ町~!、

逢坂、食い倒れ町~!』


 ふと、どこからか踏みきりの音と、年配の車窓の声が聞こえてくる。

 どう見ても、近くに電車は通っていないのだが……。


(やっぱ、電車のGA! は名作だよな)


 頭の片隅から、聞き覚えのある心の声が伝わってくる。


 間違いない。

 あの繁の心の声だった。 


 どうやらこんな朝方から、テレビゲームをして遊んでいるようだ。

 今日も朝から学校のはずだけど……。


(しかし、それはそうと、今度のアニメイドも楽しみだな。今回はどんな子に出会えるかな)


「はあ? アニメイド?」

 ……と思わず頭を傾げる私。

『アニメイド』……聞き慣れない単語でもある。


(んっ、誰か来たのかな。新聞配達さんかな?)


 その声が私自身の口から漏れていたらしく、部屋からゴソゴソとした物音と足音が、こちらに近づいてくる。


(ヤバい、この状況で出会ったら、何て説明したらいいか、分からないわ!?)


 私は動揺しつつ、郵便受けに持っていた新聞を備え付けの白いポストに入れると、一目散にこの場を立ち去った……。

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