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(
俺、
今の時間は、しんしんと闇が運びつつある夜の8時。
確か、ここで待ち合わせのはずだが……。
「真琴ちゃん、やっほー!」
いきなり後ろ側から、若い女性らしきハイテンションな声がして、ビクッと身震いする。
「あっ、驚かせてごめんね」
振り向いた先には、パッチリとした瞳に吸い込まれそうになる、二本足で歩くメスのトラ。
「こんな場所でごめんね。南側の方が人目につきにくいし、まだ彼とは会いたくないから」
縞模様の毛皮を包むような清楚な白のワンピースが、より一層に彼女を
これは勝手な推測だが、リアルではとてつもなく可愛い美少女に違いない。
「……それに、妹にも会いづらいし……」
「へえ、
やっぱ、君に似て可愛いの?」
「しっ! 妹のことは黙ってて……」
円と呼ばれたトラは辺りを見渡しながら、俺の口を両手で塞ぐ。
「それより、とにかく目的地の
円が俺の耳を引っ張りながら、移動しようとする。
「痛てて。俺はさつまいものツルじゃねーぞ?」
「……つまらない冗談を言ってる場合じゃないでしょ。
……いいから、彼に見つかるから早くして」
円がそそくさと切符を取り出し、無人の改札口を抜けようとする。
バレたら、何か不味いことでもあるかのように……。
「なあ、何でそうまでして、コソコソする必要があるんだ?」
カメレオン顔でヒュルヒュルと細い舌を出しながら、彼女に訊いてみる。
「さっきまでの電車内での別行動といい、この人目を忍んだ南側の出入り口での待ち合わせといい、元カレの
「……何言ってるの。彼とは付き合ってないわよ。それにあんたは別に知らなくてもいいことよ」
トラが『グルル……』と、目の前の食事を害されたように、不機嫌そうに唸る。
「そりゃないぜ。今日、この異世界で出会った仲じゃないか?」
「……分かったわよ。まったく、しょうがないわね。少しここで昔話をしてあげる……」
円が近くにあった、無数の券売機が並んだ広場にある白いベンチに座る。
その隣に俺も腰かけた。
カメレオンとトラによる場違いなカップルのような会話。
どこから見ても、異様な組み合わせだった……。
◇◆◇◆
(
──私、円は自動車学校の教習所に来ていた。
ちょうど昨日で学科講習も終わり、私の八月の誕生日も過ぎた。
これで私も18歳。
いよいよ路上での実技講習ができる。
私は期待に胸を膨らまして、ブレザーのスカートのポケットから、教習所のスケジュールが書かれたコピー用紙を取り出す。
そこには、この前に予約した私の番号が記入されていた。
──時間は夜の7時。
昼間は水泳部の部活通いのため、この時間しか予約が取れなかったが、昼のゴタゴタした時間帯に教わるのも気が引ける。
それに、噂によると夜に教習を受けた方が、昼間より視野が狭くなり、危機感が増すため、将来、より安全な運転技術が身につくらしい。
(……よし。私、精一杯頑張るぞ。繁ちゃんと遠出したいもんね!!)
私は気分をウキウキと
「今日は、よろしくお願いします」
「はい、よろしくね」
私が挨拶すると、女性教官は穏やかに微笑んだ。
「じゃあ、早速、エンジンをかけて路上に出ましょうか。
あと暗いからライトもつけてね」
「はいっ!」
私は今までの教訓を思い出しながら、ハンドルを握り、ゆっくりと車を走らせた……。
◇◆◇◆
──路上は雨で濡れていた。
おまけに日も落ちたせいで、視界も限られる。
前方を照らす二つのハイビームのライトだけが、唯一の道しるべだった。
ふと、こちらへすれ違いそうになる、対向車線の運転手に対して、ライトを下向きに変更する。
そして、目が
私は学科の教科書で得た知識を思い出し、着実にコースを進んでいく。
「では、次の交差点で左に曲がりましょうか」
「はい、分かりました。左に曲がります」
左方向のウインカーをつけて、左側の交差点へと曲がる。
その左側へと進み、上向きにライトを向けた瞬間、横断歩道にいきなりサッカーボールが飛び込み、それを追いかけて飛び出す男の子がいた。
「わっ、危ない!」
「ちょっ、
私は急ブレーキを踏み、教官の呼びかけにも問わず、すぐさま車のドアを開けて、男の子の元へ駆けつける。
「君、危ないじゃない!」
真っ暗な道路で、先に転がったサッカーボールを男の子に手渡し、その手を取り、そのまま歩道へ進もうとする。
「ボウヤ、お家は近く?」
『うん、そうだよ。ありがとう』
「さあ、早く。もう暗いからママの元に帰りなさい」
『は~い!』
暗闇の交差点での二人の会話は、ありえないほど、のどかだった。
「紅さーん、後ろっー!!」
向こうでは凄い形相な教習官が車の窓を開け、何やら大声で叫んでいるが、よく聞き取れない。
「くっ、くれないさーんっ!!」
突然、私達の背後から、『ガガッー!』という強烈な音と、ギラギラな眩しいライトとともに、予期せずに現れた大きくて四角い障害物。
狂ったようにスピードを上げて迫りくる、銀色のダンプカーだった。
しかも、暗闇の中で運転席に目を見開くと、正面のフロントガラスに写る運転手のおじさんは眠りこけていた。
恐らく、常に業務で追われる毎日で、土砂や産業廃棄物の荷物の運送を休む暇もなく、徹夜で運んでいたのだろう。
だが、それは言いわけで、交通ルールを犯して良い理由にはならない。
それから、私達に向かって凶器の
もう、繁ちゃんとは、
仲良くデートできないということに……。
「君、ごめんね!」
私は男の子を歩道に勢いよく突き飛ばし、その鉄の餌食になり、体が宙を舞った。
そのまま、鉄の塊の大型ダンプカーに跳ねられた私は、濡れて冷たいアスファルトの路肩へと無造作に転がっていった……。
◇◆◇◆
……ここはどこかな?
とても暖かい。
それに何だか心地よい。
まるで、母体の中に包まれたような優しい感覚。
──そこへ、見覚えのある、全身灰色タイツの男の子がやって来る。
隣に似たような姿な、大人の背丈ほどの女性を連れて……。
『ごめんね。お姉ちゃん』
「君、良かった。無事だったんだね。ところで名前は?」
『……ボクはタケシだよ』
私の頭の中で紡がれる声。
タケシ君の口は動いているのに、私の耳には聞こえない。
それは不思議な感覚だった。
「それより、ここはどこなの?」
周りを見渡しても、何もない白一色な空間。
さらに足元からは、ドライアイスを水に浸して気化させたような、煙の立ち込めた空間。
まさしく、ここはテレビドラマで、よく流れていた
『ごめんね。お姉ちゃんは死んだんだよ』
「やっぱりそうなんだ。ここは天国なの?」
『……違うよ、ここは天国と地獄の、枝分かれする一歩手前の魂の休憩所。
今、ボクがどちらかへ行こうとする、お姉ちゃんの魂に直接話しかけてるんだ』
そうか。
私はこれから、あの世へいくんだ。
だけど、私は一人の命を救ったのに、逆に私が命を無くした。
このリスクが、大きすぎるギャンブルのような賭けの感触で、何だか納得がいかない。
それを考える度に胸が悔しくて、感情が情緒不安定でもやもやする。
何で人間は、弱肉強食の上を行く生き物と言いながらも、こんなにも体も心も
地球上で最強の哺乳類の名が
あと、ごめんね。
繁ちゃん。車で楽しくドライブする約束、守れなかったよ……。
『お母さん、この人がボクを助けてくれたんだ』
ふと、隣にいる一際大きい灰色の女性に語るタケシ君。
『わざわざありがとうございます。あなたが助けてくれたお陰で息子は無事ですよ』
「……いえ、何かが起こったら助けるのが、人としての義務です。私は当たり前の事をしたまでで……」
『いえいえ、立派な心掛けで勇気ある行動ですよ』
タケシ君の母親が、にこやかに私を褒めたたえる。
「……でも、死んでしまっては意味がないでしょ!」
──しかし、私にはその言葉は嫌みにしか聞こえなかった。
私が
そのあまりの反応に、つい出会ったばかりの他人に、感情的になってしまったことを反省する。
『……ああ、言わなければ良かった』と、後悔だけがつのる。
『あなたなら、そう言うと思いました。とりあえず、これからの判断基準のため、今の下界を見て下さい』
すると、タケシ君の母親の目が光り、殺風景な白い部屋に映像が写り出した。
◇◆◇◆
「……円、どうして、どうしてこうなるんだよ!?」
セミがミンミンと鳴きわめき、太陽が照りつける真夏の昼下がり。
そこには火葬行列で並び、私自身が安らかに眠る棺桶にしがみつき、涙を流す繁ちゃんが写っていた。
「君は僕の生き甲斐だったのに……。
……それにもっと、二人で遊ぼうと約束したじゃないか!」
「……置き去りにされた僕の身にもなってくれよ!」
ひたすら小さな幼子のように泣きじゃくる繁ちゃん。
端から見ている周囲の大人達の表情は、動揺と哀れみで覆われていた。
「……繁たん、よしな……らしくないわよ」
そこへ棺桶から、繁ちゃんを引っ剥がす妹の
「うるさい、
お前らに何が分かるんだよ!!
僕の気持ちも知らないでっ!!」
「……だからもう、いい加減にしなっ!」
『バチン!』
何もいざ知らず、八つ当たりをする繁ちゃんのその無神経な台詞に、カチンときた舞姫が彼の頬をひっぱたく。
突然の痛みに、
強気な態度を見せながらも、瞳からどんどん涙がこぼれ落ちていた。
「
……アタイらにとっては、大事な家族なんだよ……平然でいられるわけないじゃない」
「舞姫……」
「……それに円姉は少年の命を救ったんだよ。最後まで勇敢で正義感が
「……そうだな、泣いていたって始まらないな。取り乱してごめん」
「そうだよ。繁たんがそんなんだったら、円姉も安心して成仏できないじゃん」
「……そうだな。円、ごめんよ、本当にごめん……」
◇◆◇◆
そこで、タケシ君の母親が発していた瞳からの映像が、プチリと途切れる。
『……ごめんなさいね。これ以上は力が維持できなくて……』
タケシ君の母親が、申し訳なさそうに答える。
「いえ、ありがとうございます。
……もう結構です」
私は、
あんなに取り乱す、繁ちゃんを見たのも初めてだった。
そうか、繁ちゃんは、私のことを心底に好きだったんだ。
私と同じで相思相愛だったんだな……。
『お望みとなれば、あなたをまだ、この世に留める事もできます』
「……えっ、今なんて?」
タケシ君の母親が
『息子を助けてくれたので、お礼がしたいのです』
「どういうこと? これから私の肉体は無くなるのに?」
『……実は、あなたの魂のみを留めれる異空間がありまして……そこへ行けば、成仏したい時まで、現世に留まる事も可能です。
……また、見た目も別人になるので、問題はないはずですよ』
「はあ? あなた達二人は何者なの。
もしかして科学者?」
『……いえ。そんな大それた輩ではありません。ただの何の変哲もない宇宙人ですよ』
「はあ? 何が言いたいの?」
今、この人、私達は宇宙人とか、妄想の爆弾宣言をしたよね。
それはそれで、十分に問題ありなのだけど……。
まあ、ギョロリとした大きな瞳といい、灰色に彩られた怪しいルックスといい、カエルのような顔つきで、することなすこと、おかしい感じは言うまでもないけれど……。
でも、一つだけ心残りがある。
最後に、もう一度話がしたい。
世界で一番好きな繁ちゃんと……。
「……分かったわ。詳しい話を訊かせて」
私は強く決意した。
それが可能ならば、彼にまた会えるなら、あがけるだけあがこうと……。
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(真琴side)
「……なるほどな。円ちゃんにはすでに肉体はなくて、魂のみでこの異世界にいるわけだ……。
……しかし、噂には聞いていたが、まさかあの舞姫ちゃんの姉が君だったとはな」
「そう言うこと。分かったら急ぐわよ」
「……おいおい、さっきから何で、そんなに
「繁ちゃんの本当の気持ちを確かめたいのよ」
彼女は一体何が言いたいのだろう。
俺には意味が分からない。
「……それにあなたと繁ちゃんは、ワケありで追われている立場。
だから、今会うわけにはいかないの」
「……円ちゃん、すげえな。そのワケありのことを知ってるのか?」
「ふふっ、女の勘ってやつよ」
何と、最近のおなごは色仕掛けの他にテレパシーも使えるのか。
これはもう、アンスタグラムやLINAの時代は終わりかも知れない。
「分かった。こうなりゃ、最後までとことん付き合うぜ」
「了解。聞き分けのよいボーイで助かったわ」
「ふっ、ボーイか。なら俺は君の専属コックで決まりだな」
「バカ言ってないで、さっさとして。
とりあえず今日はもう遅いから、宿をとるわよ」
それから、俺達二人は『トンデンランド駅』から広い道路に出て、泊まれる宿を探すため、繁達に見つからないように素早く行動を再開した……。