(
「もう、何やってんのよ。このドジ!」
「ごめん。油断してたぜ……」
ゴーレムから吹き出した煙を浴びて、真っ黒に染まった
彼女の性格上、この場合、彼を案じるのが普通ではないのか。
それにさっきから、あれを使う様子がない。
(いや、もしかして……)
「ねえ、円。そういえば昔、僕が飼っていた猫のミーちゃん可愛かったよね。一緒に買いに行ったこと、覚えてる?」
「ええ、ミーちゃんを選ぶの大変だったよね♪」
これは全くもっての嘘。
猫の名前はミーちゃんでもなく、にゃんちゃんが正しい。
僕が名前を付けるのに戸惑っていたら、誰にでも、分かりやすい名前を付けようと、円と話して決めた名前だからだ。
それから買ったのでもない。
あの子猫は近所に捨てられていた、野良猫だったからだ。
「お前は円じゃないな。誰だ?」
「ふふっ……」
円が不敵な笑みを浮かべ、しばらくして、体中から放たれたピンクの桜吹雪に、彼女の体がスッポリと包まれていく。
『あらあら、変装は完璧なはずだったのに、何で母さんの変装がバレたのでしょうか?』
そして、その花びらの中から、大人な体格の全身灰色タイツが浮かび出してきた。
あの顔と体のフォルムからして、間違いない。
円の正体はタケシの母親だったのだ。
「昔から一緒だったからね。何気ない仕草で分かるのさ。それに円は他人を傷つける行為をやらないし……何よりその姿で使えるはずの魔法も使わないからな」
『ふふっ、あなたの方が一枚上手でしたか』
タケシの母親が納得のお辞儀をする。
「アタイもうすうす気づいてたよ。姉妹だもん」
「
なるほど、昔ながらの仲間だけのことはある。
「……おい、これはどういうことなんだ。何で円ちゃんじゃないんだ?」
『円さん本人にお願いされて、昨日の宿泊先で入れ替わったのですよ……彼女自身、何やら試してみたいことがあるとか……』
「何だよ、それなら一言言ってくれよ……」
何も知らないのは、円と古くからの接点がなかった、真琴だけのようである。
──そこへ、あの巨大なパンチが真琴を襲う。
「真琴、危ない!」
一足先に
そこを庇う女性の姿。
あのタケシの母親だった。
『お母さん、大丈夫!?』
真琴がタケシの母親に何度も感謝の礼をする中、何かを察したのか、タケシがいきなり空間を引き裂き、母親の
タケシの母親は左足を負傷していた。
血は出ていないが、その箇所は赤く腫れ上がっている。
痛みで一人では立ち上がれない姿から、深い傷を負ったかも知れない。
そこへ忍び寄る黒い大きな影。
あの倒したはずのゴーレムだった。
「何で動けるんだよ?」
「まさか、自動制御装置が働いたか!?」
僕が疑問点を投げかけると、真琴が説明する。
「操縦者の緊急時に備えて、自動で動く仕組みになってるが、こいつはヤバいぜ……」
『……赤く輝いた目からにして、バーサーカーモードのようですね……』
片足を引きずるタケシの母親の話によると、このゴーレムのモードは昔の冷戦中に作られた機能があり、発動すると一心不乱に殺戮を繰り返す破壊兵器になるらしい。
一度発動したら最後、ゴーレム本体を粉々に粉砕するまで狂気を繰り返すとか。
まさに狂った戦士の踊りのような、バーサーカーモードである。
『ああなったら最後、誰にも暴走を止められません……』
「なんてこったい……」
真琴が地べたに座り込み、両手を広げて観念のポーズを取る。
「簡単に諦めるなよ。まだ打つ手はあるかも知れないよ。炎よっ!」
僕の放った炎がゴーレムの頭に命中する。
攻撃を受け、ゆらりと揺れるゴーレム。
だが、それの足止めは一瞬だけだった。
『ゴオオオオー!』
厚くゴツゴツとした胸板を叩きながら、ゴリラのような雄叫びをあげるゴーレム。
次の瞬間、ゴーレムは素早い移動でジャンプして降り立ち、舞姫と咲ちゃんとの輪に襲いかかっていた。
「何やね。早すぎやろ!?」
舞姫に絶望をもたらすゴーレムのパンチ。
誰もが今度こそは駄目だと、絶体絶命にさらされた。
「舞姫っー!!」
咲ちゃんが青白い表情で叫ぶ。
****
「もう、大丈夫だよ……」
そこへ、どこからか流れてくる心地よい音。
ちょうど夏の青空にそよいでいる清涼感。
あの涼しげな風鈴の音色に似ていた。
「
舞姫が驚く中、あの弥生さんが体全体から風の魔法壁を放ち、ゴーレムのパンチを受け止めていた。
「……これ以上、私の大切な友達に危険な思いをさせたくないからね。気になって戻ってきたら、
さらにそのままの体勢で、ゴーレムをありったけの強風で吹き飛ばした後、弥生さんは、僕に素早く詰め寄る。
『バチーン!!』
「あいて!?」
それから僕に、物凄い音の強烈なデコピンをおみまいする弥生さん。
「これでツケは返したからね。
今回はこれで多めに見てあげる。
彼女は舌をぺろっと出して、イタズラっ子のように笑っていた。
さっきまでの悲痛な顔つきとは、まるで違う。
それは別人のような凛々しい姿だった。
散々泣き叫んだせいなのかは分からないが、少なくとも彼女を覆っていた心の闇は晴れ、彼女自身も吹っ切れたようだ。
「……繁君、さっきは取り乱してごめんね」
「……でも私、やっぱり繁君のことが好きだから諦められない」
「……だから私のことで頭が離れないように、これからも色々な想い出を作るんだ」
まるでLINAのチャットのように、次から次へと言葉を紡ぐ弥生さん。
端から聞いていると、第三者からでも恥ずかしい台詞の連続で、まさに風の魔法による告白の嵐だ。
僕にはそんな彼女の姿が凛々しく見えた。
彼女の新鮮な一面にトキメキを覚える僕の鼓動……。
だけど、それは一瞬だけだった。
肝心の弥生さんは僕の目線から消え、ゴーレムの激しい攻撃を潜りながら、反撃の機会を待っていたからだ。
この一撃で相手を倒さないと終わる。
そう、彼女の背中が物語っていた……。
◇◆◇◆
(
「繁君、どうしてよ……」
繁君と喧嘩した私は、一方的に繁君から離れて、見知らぬ灰色の景色の大地を走っていた。
ふと、走っていて、不思議な感覚が胸を過る。
どう走っていても、このアスファルトの道が分かれていない一本道だったからだ。
これはおかしい。
現実では、あの学園の外の周囲は、多彩な道があるからだ。
交差点に裏通りの抜け道、さらに獣道のように広がる砂利道などなど……。
しかし、ここにはそれらのルートが一切ない。
ただの何のへんてつもない、一本道が続いている。
『ようやく気づいたかい?』
そこへ風船ガムのように膨らみながら、灰色の少年が出現する。
「また、タケシ君の仕業? 今度は何をしでかしたの?」
『彼、繁君のことが知りたいんだよね?』
「……もう、彼のことはいいの。だから……」
『まあ、そんな冷たいことは言わないで。彼には、人には言えない秘密があるみたいだよ』
「……そんなの、私には関係ない」
『まあ、いいから黙って、この道をついてきてよ。僕でよければ教えてあげる』
さっきから何なんだ、この宇宙人は。
失恋で傷ついた乙女を、散々挑発して楽しいのか?
「まったく、どいつもこいつも一体何なのよ……」
どうして私に群がる男は、こんな失礼で常識がない人が多いのだろう。
私に対するあまりにも最悪な人権の無さに、苦笑いしか、頭に浮かばなかった。
◇◆◇◆
『ほら、
しばらく歩いていくと、道の終着点に辿り着く。
そこの行き止まりにそびえ立つのは、見覚えのある古びた建物だった。
まだ、何も知らなかった私が、一度だけ訪れた聖地だった場所。
胸の中から鼓膜を通じて、あの電車音が蘇る。
そう、そこは繁君が一人暮らしをしていた、あのアパートだった。
『さあ、真実を確かめに行ってきなよ』
タケシ君が空間から、真ん丸な水溜まりのような緑色のゲートを開き、私に飛び込めと目配せする。
しかも、それに対して、私がいくら抵抗を見せても、彼はそこから一歩も動かず、強制的にゲートを勧めてくるようだ。
どうやら口で拒否を示しても、通用しない性格らしい。
ここでは私の人権は無視なのだろうか。
男には逆らえない乙女に生まれてきて、後悔したのも束の間、仕方なく、それをくぐった……。
◇◆◇◆
──ふと、目が覚める。
おろしたての
あのゲートに飛び込んでから、私は気を失っていたようだ。
どれくらいの時が過ぎたのだろう。
私はその部屋から、チクタクと音を鳴らすアナログの目覚まし時計を見る。
すでに昼の12時を回っていた。
あの異世界を冒険してから、すっかり静まりかえった昼間なのに、深夜のようなこの現実世界。
あれから時は、そんなに過ぎてはいない。
その証拠にカレンダーの表記も4月のままだったからだ……。
──誰もいないはずの部屋には、なぜか電球がついていた。
そこにはちゃぶ台があり、あの豚顔の二人組が腕組みをしながら眠っていたのだ。
どうやら繁君を、このアパートで待ち伏せしていたらしい。
しかし、現実世界でも豚顔には笑える。
人間性は顔にも表れるとは、まさにこの事だ。
頑張って努力して、男を磨かないと女の子にモテないよ。
まずはダイエットからしようか。
だが、私の目線はすぐさま、あれに釘付けになる。
金色の髪型、緑の瞳、小さな鼻に控えめの唇でこちらに笑いかける表情。
等身大の紙に描かれた少女のポスターが、私の前に貼られていた。
それも一つではない。
色々なカラフルな髪型の少女のポスターが、壁一面に貼られている。
そのあまりにも理不尽な風景に、私は吐き気をもよおした。
ここは間違いなく、繁君の家の中だよね? と部屋を見渡す。
白のハンガーにかけられた見覚えのある制服に、玄関には白の運動靴……。
信じたくはなかったが、間違いなく、ここは彼の部屋だった……。
さらに、タンスの上の写真立てには、繁君本人と、隣で笑っている、もう一人の知らない女の子が写っている。
写真の端のスペースには黒のマジックで『円と遊園地』と記載してあった。
この少女が、あの円か……。
私の大きなEカップと比べて、胸はストンとぺったんこだが、顔は思いっきり美少女で、モデル並みに可愛い。
変にメイクや服装に気取った感じはなく、繁君といても、何の違和感のない普通な少女。
(可愛くて素直そうな人だな。彼はこんな人が好きなのか……)
また円には、ここいら周辺に飾られている少女のイラストポスターと一致する部分もあり、何となくだけど雰囲気も似ていた。
まるで円という人物を、永遠に心に刻みつけるように……。
そこで私が写真を目に焼きつけていると、隣にある仏壇と目があった。
『
それを目で追い、私の無意識な感情にヒビが入った。
繁君の両親は、もうこの世にはいないことは真琴から聞かされていたが、
それを改めて、現実に知った瞬間、
その気配を察したのか、豚顔の二人も目を覚ます。
私は慌てて、服の袖で涙を拭う。
「……おい、お前。あの蒼井繁と知り合いなのか!」
「まあ待てよ。相棒。よく見るとコイツはなかなかの上玉だぜ」
「……確かにええ体してるもんな。でへへ」
豚顔の二人組が、いかがわしい顔つきで、
『こりゃマズいな。立花さん、急いで戻って!』
そんな危機を感じ取ったのか、頭の中からタケシ君の焦った声がして、その壁ぎわの壁から、閉じていたゲートが再び出てくる。
「あっ、アイツ、逃げる気ですぜ!」
「相棒、急いで追いかけろ!」
「ラジャー♪」
このままでは、ただではすまないことを察した私は、迷わずにゲートへと飛び込んだ。
そこへ豚顔の二人も飛び込もうとして、ただの壁に成りはてた姿に、顔を見合わせ、
「ちっ、あと一歩のところで逃がしたぜ」
「まあ、いいや。ここしか蒼井が帰れる場所はないからな。
この家にいれば、いつでも機会はある」
「……それよりも旦那、腹がへったんで昼飯にしやそうぜ」
「そうだな。腹が減っては
相棒が台所に置いてあった、大きな緑の風呂敷の結びを解くと、中から大量のカップラーメンが出てくる。
まさにお宝ザクザク……。
そこで私の意識は途切れ、それから先の二人の言葉は闇に溶けていった……。