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B6章 二人の心音と波長を繰り返す願い

第B−24話 隣のハートが聞こえてる(1)

****


弥生やよいside)


(一体、どこへ行くのかな?)


 秋葉島あきばじまでの二日ばかりの休日を終えて、今日からまた学校が始まった月曜日の昼下がり。


 私は何かと理由をつけて学校を休み、お年玉やバイト先で集めたアルミ缶の貯金箱から、数万円ほどの資金を集め、真っ赤な自転車で、同じく黒のマウンテンバイクで移動するしげる君の後を、彼にバレないように距離を空けて、追いかけていた。


 今をのがしたら、もう彼を知る機会はないかも知れない。


 これは私に残された最後のチャンスと、本能でさとっていた。


 そんな彼が着いた先は、屯田駅とんでんえき


 私が思っていた通り、彼は交通機関を利用して、どこか遠方へ向かうようだ。

 念のため、それなりのお金を持ってきて良かった。


 彼は駅前の駐輪場で自転車を止めて、駅構内へ入り、白髪頭の年配の駅長さんと何やら数分間ほど話をしてから切符を買い、改札口を抜ける。


「すみません。おじさん。あの人がどこへ行くのか分かりますか?」

「……はて、君はあの子の知り合いかのう?」

「はい、恋人なんです!」

「そうか、彼は『やまなし』に行くとか言ってたのう。お金がないから鈍行で……、とも言ってたのう」

「そのルートを詳しく聞かせてもらえますか?」

「分かった。彼女さんの頼みなら、しょうがないのう」


 駅長のおじさんが手のひらサイズのメモ帳を取り出して、細めな黒い筆ペンを握り、さらさらと移動ルートを書いて、私に手渡す。


「ありがとうございます」

「なんの。ワシも嫁さんとは、こうやって駆け落ちして結ばれてのお、何だか若い頃を思い出したわい」

「いえ、別に駆け落ちでは……」

「まあ、うまくやるんじゃぞ。応援してるからの。若い衆♪」


 そう言いながら、私を実の娘のように送り出すおじさん。


 何か変な方向に勘違いされたようだけど、説明している暇はない。


吉報きっぽうを待つ!」


 おじさんが私を見送りながら、綺麗にビシッと敬礼する。

 私は何とも居たたまれない気持ちで、改札口を抜けるのであった。


****


 私は繁君とは距離を置いて、列車に飛び乗った。


 もし乗り換えではぐれても平気なように、おじさんの手書きのメモをよく確認する。


 彼は『やまなし』まで行き、何をするのだろう。

 何度、思考しても、疑問しか浮かばなかった。


 まあとりあえず、深刻に考えずに行ってみよう。

 何かあったら、着いた時に考えればいい。


 そうやって自問自答じもんじとうしながら、人気のないガラガラな座席に私は座った。


 少し硬めな座り心地だが、クッションがよく効いており、ふかふかで気持ち良い。

 これは究極な癒しに包まれそうだ……。


****


『次はやまなし駅、やまなし駅~♪』


 車内で流れた、車掌さんの流暢りゅうちょうな落語家のような声にハッと驚く。


 いつの間にか、寝ていたらしい。


「あっ、すいません」


 車窓から繁君が降りる姿を確認して、私も慌てて降りる。


 付近一帯は山に囲まれた田舎風景。

 そんな中、彼はひたすら歩いていた……。


****


(どこまで行くのよ……)


 どこからかの上り坂を越えて、草木の生い茂る道に入り、森林のそびえる薄暗いルートを進む。


 ……気づいた時は山道だった。


 手入れの届かない草花の群れを突き進む。


 アザミの草に肌を切られて、チクリと痛みが走ったけど、それよりも、私の心の方が悲鳴をあげていた。


 もう歩いて、かれこれ一時間以上は過ぎている。

 肉体的にも精神的にも限界だ。


 まったく、か弱き乙女相手に容赦ない、過酷な登山ごっこ。


 繁君は私に、アマチュア登山家でもやらせたいのか……。


****


 しばらくすると、森林が開けて、青空が美しい空き地が広がっていた。


 その奥に、灰色の何かの石がいっぱい並んでいる。


 ふと、鼻に線香の残り香が広がる。

 雰囲気からして、ここはお墓の立ち並ぶ場所のようだ。


「お父さん、お母さん。ただいま」


 繁君が一つの墓石の前にしゃがみこみ、お墓に据えつけてあった線香に、持ってきたライターで火をつけた。


 そのあと、彼は背負っていた青のナップザックから、白いお饅頭を二つ備えて、目をつむり、何やら小言を話している。


 どうやら繁君は、両親のお墓参りに来たらしい。


 本当、他の女の子との駆け落ちじゃなく、内心ほっとした。


「……それから、まどか。僕は無事に帰ってきたよ」


 彼は、どこに向かって、話しかけているのだろう。


 離れて様子をうかがう私には、ただのひとりごとのようにしか、見えなかった……。


****


(繁side)


『──繁ちゃん、長旅お疲れさま』

「円、やっぱりここは電車でも遠かったよ」


 僕は真琴から貰った指輪から映し出された、天国にいる円の映像に話しかける。


『ふふっ、やっぱり電車より、可愛い女の子と仲良く、車でドライブしたかったよね』

「それは違いないな。それで途中でドライブスルーに寄って、美味しいご飯とか食べたいな」

『えっ、それ明らかに、私に向かってのナンパだよね』


 円が照れくさそうに笑う。

 そう、彼女は笑うと本当に魅力的だ。


「やっぱり、円は笑った方が可愛いな」

『なっ、繁ちゃん、何言ってんのよ? 何か悪いものでも食べた?』

「失礼だな。僕は動物園の猿じゃないぞ」

『きゃはは。繁ちゃん、猿顔だもんね』


 円がゲラゲラと笑いこける。

 端から見たら、美少女のこんな一面が見れるのも、僕だけの特権だ。


 周りから、容姿端麗ようしたんれいに見える彼女は、僕だけにしか、こんな砕けた表情をしない。


 心底に、僕という人柄を信頼しているようだ。


「……そんな、円が好きなんだよ」

『繁ちゃん、気持ちは嬉しいけど、私はもうあの世にいるの。もう抱きしめることや、支えることもできないよ』

「でも、僕は構わない。それに円に告白したのも、きちんとした理由があるんだ。

……実は僕は明日、おじさんの家がある海外へ帰るんだよ。いつまでも、あのボロいアパートで、おじさんの仕送りで暮らすわけにはいかないから」

『……そのこと、弥生さんには話したの?』


 円の問いつめに、僕は首を横にふる。


「……いや、余計な心配はさせたくないから」

『繁ちゃん、駄目だよ。今の彼女を大切にしなきゃ』

「でも、僕は円が好きで……」

『だから死人と付き合っても仕方ないでしょ。こういうことは早くしなきゃ。さあ、今から電話で伝える!』


 円にかされて、スマホで弥生さんの電話番号をかけようとする。


 しかし、そこで重大な点が浮かぶ。

 僕は弥生さんの電話番号を知らないのだ……。


『あー、こんな時に限って……。相変わらず繁ちゃんはドジだね』

「……悪かったな」


****


「……本当、悪かったですまないわよ」


 僕の視界に長い影が映り込み、せっけんのいい匂いが鼻をくすぐる。

 すぐ前には、あの弥生さんがその場に立っていた。


 明らかに不機嫌そうな表情で、僕を見ている。

 何か僕は、悪いことをしたのだろうか。


「何で海外に行くとか、そんな大事なことを黙ってたの?」

「大事も何も、そんな話はしてないよ」

「嘘つかないで。今さっきまで、円ちゃんとお話ししてたじゃん」


「……なっ、初めからここにいたのかい?

居るんだったら教えてくれよ。それに僕の後をつけてきて、下手をすればストーカーだぞ」

「別にストーカーじゃないから。繁君までそんなこと言うの?」

「だから、それがストーカーなんだよ」

「何よ、この分からず屋。もう知らない!」


 弥生さんが泣きつらで、森の方向へと戻ろうとする。


「きゃあ!?」


 ──そこで異変が起きた。

 弥生さんの足元の地面がゆるみ、彼女が誤って足を滑らせ、そのままがけがある場所に滑り落ちていく。


 それは、人間がおのれの欲のために、好きなだけ木を切り倒したがゆえにできた、地盤沈下らしき影響だった。


「し、繁君。助けて!?」


 弥生さんが声の届く限りに大声で叫ぶ。

 でも、その声を発する前から、僕は動いていた。


 ガシッと、崖の下へと落ちかかる弥生さんの手を掴む。


 彼女のいた足下の地面が崩れ去り、急な崖になった下には、無数の森林が広がっているが、その森林地帯が10メートル下にあるようで、落ちたら助からないだろう。


 木々に体を貫かれて、命を亡くすのが目に見えている。


「……くっ、弥生さん、ごめん。僕がいながら」

「……別に繁君は悪くないよ。こうして助けてくれたから」

「……弥生さん、ごめん。もう手が限界だ……」

「だったらその手を放して。私のことはもういいから」

「そう言うわけにはいかないよ。だって弥生さんが好きだから……」

「でも繁君は円ちゃんが好きなんじゃ……」

「……確かに死んだ人も大事だが、弥生さんのことはもっと大事だよ。だから、海外に行くとか言えなかった!」


「……繁君。もういいよ。ありがとう」


 弥生さんが、やんわりと僕の手を振りほどき、落下していく。


「神様、僕に力を貸してください!」


 そのまま僕は迷わずに、飛び魚のように崖下に飛び込み、落ちていく彼女の体をしっかりと抱きしめる。


 あの弥生さんも、僕の大胆な行為に目を丸くして、驚愕きょうがくしている。


「なっ、何やってるのよ。大怪我どころじゃすまないわよ!」

「大丈夫。は僕が守るから!」


 その途端、弥生をかばう僕の体が、大小の枝に叩きつけられ、あまりの痛みに、僕はこの世界の意識を閉じた……。


****


(弥生side)


「繁君、しっかりして!」


 さっきから彼の意識が戻らない。

 私は身体中に切り傷をつけた繁君に呼びかけるが、反応がない。


 胸元に耳を当てると、すぐに異変に気づく。


 胸の上下の膨らみがない。 

 今は息をしていないようだ。


 それに心音も止まっている。


 このままでは繁君は助からない。

 だったらどうすればいいか。


 選択肢は一つだけあった。


 だけど私は初めてだし、このような結果で失いたくない。


「ええーい、うだうだ迷うな、私!」


 私は迷いを勘繰かんぐり捨て、繁君のくちびるに、自分のくちびるをふさぐ。


 人工呼吸をして、胸に伸ばした腕を直角に当てて、30秒の心臓マッサージ。


 その繰り返しの応急処置。


 さっき、救急車を呼んだが、こんな山奥では救助ヘリの出番だと言われ、それなりの時間をようするらしい。


 だから、それまで彼の命を繋げてほしい。

 救急隊員からの切実な願いだった。


『弥生さん、頑張って……』


 繁君がはめていたリングから流れる、円ちゃんの指示通りに、私は救助活動をしている。


 円ちゃんの的確な指示により、私は難なく繁君の救助に生かせた。


 彼が円ちゃんを、心底に好きだった理由も分かる気がする。


「繁君、こんな所で死なせないから!」

「……ゴホゴホ!」


 私が何度も動作を繰り返すと、激しく咳き込みながら、繁君の呼吸が戻る。


 青白い顔色もなくなり、頬に赤みも出てきて、心臓も動き出す。

 何とか一命をとりとめたようだ。


「……弥生、今……」

「あはは、いやぁ~、今日もいい天気だね~♪」


 まさか初めてのキスが、君との人工呼吸だったとは、口がさけても言えない。


 私は、何とかその考えを逸らせるしかなかった。


「そうかな。空は曇ってきてるけど? でも、まあいいや。二人ともありがとう」

『いいってことよ。お二人とも、それじゃあね……』


 そう、円ちゃんが言った途端に、繁君のはめていた指輪が砂のように崩れる。


 今、円ちゃんは使命をはたし、私達の前から正式に消えたのだ。


 円ちゃんは最後まで、円ちゃんらしかった。


 死してもなお、自分の置かれた状況よりも、周りを優先して気遣ってくれた、優しい彼女の存在を私は忘れない。


 だから、今度は私が、繁君を影ながら支えていきたいと、心の奥底から感じ始めていた。


 円ちゃん、今までありがとう。

 ゆっくり休んでね……。













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