「さあ、夕飯の時間だ。出ろ!」
牢屋の中で、
「そうか、もうそんな時間か」
カチコチと鳴る部屋の壁時計は、夕方の六時を指していた。
俺達は、重い腰を上げて、食堂へと向かう。
横には、牢屋のカギを開けたドシドシと歩く男が付きっきりだ。
ガッチリとした男の腰には、天井の電灯の光を反射する、きらびやかな大量の鍵の束がくくりつけてある。
──各部屋には
扉を開けると、頑丈な扉。
その扉を開けると、また厳重に扉。
まさに分厚い壁に仕切られ、鍵によって管理された牢獄のような施設である。
やがて、4度目の扉を開けると、洞穴の土壁の背景から、灰色のコンクリートに変わり、幅広いリノリウムの床のフロアへと出る。
ヤニで黄ばんだ年期ものの白い壁紙が貼ってあり、いくつもの白く長いテーブルが並び、大勢の人々が、食事を
……ここは俺達が共同で食事をする場所、つまり食堂だ。
俺は頼朝に座る席を探してもらい、カウンターへと足を運ぶ。
それから今日の夕食の
「おばちゃん、こんばんは。今日の晩飯はなに?」
「あいさ、今日の夜は満月だからね。牛ステーキだわさ」
「へえ、そうなんだ」
「ちなみに安心しな。あんたらが苦手なニンニクは入れてないだべ。
──さて、今から焼くから、ちょっと待ってえな」
フライパンからのジュウジュウと香ばしい焼いた肉の香りが、食欲をそそる……。
──そう、俺達は、吸血鬼のウイルスを
今日のような満月の夜になると、血が欲しくなり、様々な動物を襲ってしまうらしい。
だから、その被害を防ぐために、満月の夜には、このニンニク無しの牛ステーキを食べて、症状を抑え込む。
この施設ならではの対処法だった。
だが、そんな吸血鬼の
肉をナイフで切ると、断面は半生で、中から血が
ちなみに、この東京の都市での施設や共同住宅の衛生基準法によると、配食での生肉の提供は基本的にはできない。
その理由として、生肉についたウイルスには、例外もあるが、熱を加えなければ、死滅できず、食品提供の際、食中毒を防止するために、よく焼いた安全な肉を提供するのが、調理の
なら、基準に従い、血肉を欲した相手が、吸血鬼としての本能で周りの人々を傷つけたらどうするか……。
そんな信用問題を背負いながらも、今日もおばちゃん達は、調理場でテキパキと働いていた。
****
「あっ、
白いプラスチックのトレイにおかずの皿を載せ、年季の入った薄汚れた炊飯器から、お茶碗山盛りにホカホカな白米をよそおっていると、俺に対して、一人の女の子の声がした。
ピンクのゴム紐で髪を後ろに纏めた、赤のジャージ姿の
この施設では万が一の事を想定し、男女は別々に暮らしており、何かの合同のイベントや食事の時でしか、一緒に会えない仕組みになっていた。
つまり由美香とは、この
「おう、由美香。朝飯以来だな」
「ごめんね。お昼は
「そうだな。もうすぐクリスマスだもんな」
冬使用の上下のジャージを着ている由美香が、俺の持っているトレイを、じーっと
「あれ?
若いし、食べ盛りなのに、そんな量で足りるの?
私のおかず、少し分けようか?」
「いや、気持ちは嬉しいが、由美香も食べないと。このままじゃ、痩せ細るぜ」
──あの衝撃な事件から、二週間が経った。
彼女は精神的ショックのせいか、あまり食事を口にせず、頬はこけて、徐々に痩せていった。
だから、俺に出来ることはないかと、自問自答しても、結局返ってくる決断は、いつも一緒の考えで、無闇に傷口には触れず、『今はそっとしておこう』という気持ちだった……。
「──それにさ、今日は、あの満月の日だから、ちゃんと血の
「その時は
「おいおい。食らいつくとか、俺はチキン
──それじゃあ、朝から飯を食ってない腹を空かしたゾンビだぜ……」
「ふふっ、血に飢えたゾンビの美少女ほど、男として、そそるものはないんじゃない?」
「それ、何の性癖さ?」
「ふふふ、だよね~♪」
由美香が悪態気味に笑いながら、トレイに熱々なステーキの皿を載せる。
「まあ、竜太から心配されないように、少しでも食べますか♪」
「ああ。モリモリ食べて、はち切れんばかりの巨乳を目指せよ」
「……何、浮かれて調子に乗ってるのよ。
……相変わらずデリカシーがないわね。誰に似たのやら……」
「本当だよな。
……じゃあ、俺は頼朝と食べるからさ」
「うん、私も友達の席に戻るね」
由美香がピンクのボアスリッパをパカパカと鳴らしながら、女子仲間の座る窓際の奥の席へと戻っていった。
****
ここの施設は闇を忍ぶ吸血鬼という理由で、恋愛なんてご
もし友達としてから、恋仲になり、お互いに愛を深めていると処罰の対象になる。
今まで、それにより何人の仲間が、地下奥深くにある牢獄へ消えたことか……。
──その牢獄から、ここへ帰ってきた者は、俺の知る限りでは誰もいない。
別名、『帰らずの牢獄』……。
いや、俺の知る中で過去に一人だけ戻ってきた者がいた。
服があちこちと切り裂かれ、体に大量のムチで叩かれた
また、眼鏡を無くした目は、焦点が合わずにさまよっていて、この調理場に弱々しく着き、その場でばたりと倒れこんだ一人の男。
──それが、あの頼朝であった。
何でも噂によると、一人の女性と恋仲になり、あげくのはてに、己の欲望に踏みいったのがバレて、地下の牢屋に監禁されたらしい。
それから3日も経たずに、彼は牢屋で発狂して、暴れ狂い、気になった30代くらいの女性の看守が中に入り、声かけをした時に、今度はその女性が危ない目にあったとか……。
頼朝は何やら叫びながら、身近に隠してあった、割り箸サイズの先を尖らせた木の棒で、持ち前の紐で縛った彼女にそれを
『コイツの片目を、この割り箸棒で潰すのと、大人しく俺をここから出すのと、どちらがいいか?』と……。
それを知った婚約者と同年代な男性の見張り人は、女々しく
……
いつものナイフやムチを使って、力ずくでヤツから女を取り戻せと……。
こうして、その女性は無事に解放され、頼朝はここに戻ってきたのだ……。
だけど、彼はその牢獄であった出来事を話そうとしない。
普段は、おちゃらけて楽しい彼なのに、なぜ、そこまでして非情になれたのか……。
実際に、その現場を見たわけではなく、ただの噂を耳にしただけだが、頼朝には秘密が多かった。
唯一、ここの連中から聞いて知っていることは、去年のクリスマスに、ここに入る前に、自身の母親を刺して殺害未遂にさせ、それが理由で、この施設に入所した事くらいだ……。
「……おい。何、ボケーとしてんだ。肉が冷めるぜ」
「ああ、そうだった。いただきます♪」
俺は慌てて現実世界へ意識を戻し、パクパクと白米を
……すると、ゴリっとした異物が歯に当たる。
おそるおそる、口から取り出してみると、それは虫のような固まりで……。
よく見ると、緑のカナブンの玩具だった……。
「また、アイツらのイタズラか。竜太、俺がとっちめてやる!」
「待ってよ、また牢獄行きになったら困るだろ?」
「そうか、竜太がそう言うなら、しょうがないな……。
でも、あまりにも嫌がらせが多かったら、すぐに言えよな」
頼朝は、ご飯の上にバターの香ばしい匂いのするステーキをのせながら、なぜか残念そうに呟く。
「しかし、何でご飯にステーキのせてんだ?」
「ステーキと言えば、和牛ステーキ丼に限るだろ。ほが○っか弁当店の人気な定番メニューを知らないのか?」
「いや、
「な、あの弁当屋が近所になかった?
なんてこったい……。
まあ、
頼朝が全ての肉をご飯に敷き詰めて、顔にそぐわない分厚い眼鏡(外すとほとんど見えないらしい)を指先で支えながら、ハグハグと美味しそうに食べている。
そんな彼を見て、余計にグーとお腹が空いた僕は、無心でステーキを、そのままがぶりとかじる。
柔らかくて、肉汁がジューシーで美味しく、白米との相性は最高だ。
でも、ご飯の上にステーキをのせる度胸はなかったが……。
****
しばらくして、食事を終え、眠気を感じた俺達は再び牢屋に戻らされ、満月の夜さえも忘れて、そのまま眠ったのだった……。