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第D−13話 嬉しくて恥ずかしい朝模様

「……はっ。しまった、寝過ごした!」


 俺は、ふと眠りから覚めて、ベッドから飛び起きた。

 隣には由美香ゆみかが俺の手を握ったまま、すやすやと寝息を立てている。


 俺は、しんとした薄暗い部屋から彼女から握っていた手を優しく離す。


 ベッド脇にある蛍光色な針時計の時刻は朝の4時……。


 また気を抜いたら、寝てしまっていた……。


「おお、起きたか、竜太りゅうた


 部屋の扉がゆっくりと開き、カジュアルなゆるキャラの『ようなっしー』柄のロングTシャツに、青のジーパンの父さんが由美香を起こさないように、静かにささやく。


「風邪をひいたと聞いて、びっくりしたぞ。もう体は平気か?」

「ありがとう。大丈夫。それよりも父さん。今日は日曜日だよな。潮干狩りには行くの?」

「ああ、友人と約束したからな」

「……あのさ、誰か他の知り合いの女性から、この家に居てとか、何か言われた?」

「はあ? 何言ってるんだい。特に何も喋ってないぞ?」

「そうか、良かった」


「おーい、ゆみ、支度はできたか?

そろそろ出掛けるぞ!」


 父さんが廊下に出て、母さんを呼ぶ。

 すると、薄手のピンクの花柄なワンピース姿の母さんがパタパタと居間からやって来た。


 どうやらミコトの計らいにより、一つ目の災難は何とか避けられそうだ。


「じゃあな、竜太。行ってくるからな。帰りは遅くなるから、これで好きな物を買え」


 父さんがクロコダイルの黒財布から、一枚の万札を出そうとする。


「いいよ、小遣いなら持ってるからさ。大事に使ってよ」

「……ほお、お前は変わったな。昔はゲームソフトばかり買って、金欠で、いつもお金をせびっていたのに」

「恥ずかしいぜ。それは、昔の話だろ」

「……ふーん、そうか。

──さては好きな女でも出来たか?」

「なっ、何でそうなるんだよ!?」

「さては図星か。竜太も隅におけないな」


「……そうですね。私達の子供ですもん。このくらいになったら、恋の一つや二つくらいはしますよ」


 父さんが財布をポケットにしまいながらも俺をからかい、隣に来た母さんさえも俺を茶化ちゃかす。


「俺の若い頃は魅力的な女性とならば、手当たり次第にぶつかってだな……」

「ふふっ、私との初めての出会いでもセクハラでしたものね」

「弓、タンマ。それ以上は言わんでいいから!」

「えー、私達の馴れ初めを知られるがそんなに嫌ですか~?」


 母さんが顔をニマニマしながら、茹でタコのように真っ赤になった父さんを責める。


 一見頑固そうな父さんは相変わらずで、おっとりとした母さんの尻に敷かれていた。


「それでね。出会ってすぐに私の体を手に取るように触れてね……まずはね……」

「だああああっ、その話はもういいから、弓。早くしないと新幹線に乗り遅れるぞ!」

「……あっ、そうでしたね」 


 こんなにも、手をあたふたさせながらテンパる父さんも珍しい。


 それにしても出会って、すぐにの行為か……。

 確かに、そんなセクハラまがいの話など、子供にとっては良い話ではない。


「じゃあな。由美香と仲良くな」

龍牙りゅうがさん、心配はいらないですよ。竜太と由美香は恋人のように仲が良いですから」

「……確かにそれもそうだな」


 こうして、一方的に話をこじらせた両親は、お互いに顔を見合わせながら笑い合い、二人してウキウキ気分で旅行バッグを肩にかける。


 何より、子供が生まれてからは二人っきりの旅行なんてなくて、まだ、子供の俺でも、何となく二人が浮かれる気分になるのも分かる気がする。


「竜太、じゃあな。お土産も買って帰るからな」

「ありがとう」

「では、弓、行こうか」

「はい」


「竜太、これ、家の鍵。無くさないでね」

「ああ、いってらっしゃい」


 華やかな花がほんのりと香る母さんが、家の玄関の鍵を俺に手渡して、外の世界へと消えていく。


 玄関先の花壇から見えた向日葵ひまわりが、今にも咲きそうなつぼみを星明かりへと照らし、その草木の茎が天までのびるように生えていた。


 そんな真っ暗な星空に流れる雲が一つの衛星へと向かい、その月が見え隠れしていた。


 もうすぐ静かな夜が賑やかになり、朝が明けて、人々のいとなみが始まろうとしている……。


****


「──さて、由美香を起こすか」


 俺は両親を玄関口から見送り、二人が見えなくなると、防犯の意味を含めて、玄関のドアをガチャリと閉める。


 そして、由美香が寝ている場所まで行こうとしてピタリと歩みを止める……。


 そういえば、まだ朝ご飯がなかった。


 看病に疲れて、俺の隣で寝ている彼女を無理矢理起こし、朝食を作らせるのは、あまりにもこくじゃないか……。


 そこで導き出された答えは……。


「たまには自分で作って驚かせてみるか」


 俺は母さんが、いつもしている猫のイラストのエプロンを着けて、厨房に立つことに決めた。


 由美香の喜ぶ顔が見たくて、俺はその妄想に胸をザワザワさせながら、冷蔵庫を開けてみる。


 中には肉に魚、野菜と色んな食材が入っていた。


 料理が得意な母さんだけのことはある。


 そんな様々な具材が、小分けしてタッパーに入った食材もあり、その中で俺が出来そうな料理は……。


「おっ、あった」


 冷蔵庫のドアポケットの隅にあった六玉入りの卵パックを取り出す。


 目玉焼きなら、日頃料理をしない俺でも簡単に作れるはず。

 フライパンに油をひいて、ジュジュッと卵を焼くだけだ。


 俺は油の入れたフライパンの中に卵を二つ割り入れ、カチャリとコンロの火をつける。


 瞬く間に色が濃くなる卵。

 ああ、液体から個体へと変化してタンパク質が固まっていく。 


 やがて、フライパンからモクモクと白い煙が上がり、ドラゴンのような姿のような物凄い巨大な炎が躍り出て、天井の高さまで舞い踊る。


 あれ、何か焼き加減がおかしい?

 どうやったら料理番組のように、見た目も美味しい目玉焼きができるんだ?


『火事です、火事です!』


 すると、天井の火災報知器から警報音と女性のアナウンスが入る。


「やっぱり、そうか」


 これが噂の本能寺の変というものか。

 今なら、炎の中で自害した信長の気持ちが肌に感じて分かる。


 明智の調理ミスにより、台所から火の手が起こり、信長が炎に包まれる。


 明智は『信長、お刺身、美味しく作れなくて、すまねー!?』と魚屋のビニールエプロンを着けたまま、転がりながら逃げるさまだ。


 あれ、刺身には火を通さないって?

 カツオのタタキがあるじゃなーい。


「俺の人生もここまでか……」


 俺が肩を落として、燃え盛る炎に生涯の身を捧げようとしたとき……、


「──もう、何をのんびりとしているの。早く火を消さないとっ!!」


 突如とつじょ、俺の隣から凛とした声の先から、真っ白な煙が吹き出す。


 フライパン周りは白い粉に包まれて、何とか燃え盛る火の手はおさまった……。


****


 すべての炎が消え去った後、目の前には空になった消火器のノズルを持った、ボサボサに乱れた髪型の由美香が立っていた。


「竜太……」


 ヤバい、これは怒られる。

 俺は身をすくめながら、彼女からの怒りの言葉を待った。


「──大丈夫、怪我はなかった。火傷とかしてない?

こっちに来て、よく顔を見せて」


 しかし、考えとは裏腹だった返答に、すてーんころりーんと俺がその場から滑りこける。


「あれ、どうしたの。怖くて足がすくんだ?

でも、もう大丈夫だからね」 


 まるで子供をなだめるような姉からの甘く優しい言葉。


 そういえば、こういう姉だった。

 でも昔は、やたらと何かある度に俺をしかっていたはず。


 いつから、彼女はこんなに過保護な対応になったのか……。


「竜太、これ油の入れすぎと極端に強い火加減で引火したんだよ。

──お腹が空いたなら、お姉ちゃんを呼んで。例え、地の果てにいても、瞬時で駆けつけるから」

「おい、無茶を言うなよ。スーパーマンじゃあるまいし」

「……違うよ、そんな呼び方じゃないよ!」


 由美香が珍しく食いついてくる。


 ついに頭のトサカが立ち、とうとう彼女の逆鱗げきりんに触れたか。


「お姉ちゃんはスーパーよ!」


 ずるっ。

 再度滑りこける俺。


 それを見て、不思議に頭を傾げる、やたらと微笑ましく、キラキラとした聖母のような表情の由美香。 


 いや、俺の読みは違った。


 俺の勝手な思い込みに過ぎなかった。

 一体、この姫さんはどこまで天然なのやら……。


 まるで、さまよいの森に入ってしまい、何回も袋小路に遭って、にっちもさっちもいかない状態。


 彼女自身の頭の中が迷いの森みたいなものだ。


 例え、無数に進路が別れていても、必ず迷ってしまう皮肉な作り。


 どのみち迷うだけ迷わせる糸口で、最初から出口なんてないのだ。

 ゴールなどさせずに、自分のフィールドで遊ばせておけば良い。


 そんな魂胆こんたんが見え隠れするが、由美香に悪気はないのだろう。

 俺の顔を真摯しんしに見つめる姿に、嘘で誤魔化す考えは、微塵みじんの欠片もなかったからだ。


「──竜太、どうしたの?

おおーい、帰ってこーいぃー!!」


 そこへ、どこからか大人の二つ頭くらいの黄色の巨大メガホンを持ってきて、俺の傍に向かって張り叫び、大きな声を出す。


「はががっ!?」


 無心に考え込んでいた俺はパニック状態になり、キーンとなる右耳を押さえて、その場にドミノ倒しのように、ばたんと倒れ込む。


「……おい、由美香。耳元で大きな声を出すな。下手をすると鼓膜が破れる」

「ごめんね」


 由美香がイタズラ子猫のように、あまちゃんな舌を出す。


 神は、何て理不尽なんだ。

 可愛ければ、何をしても許されるのか?


「そんなことより、これじゃあ、ご飯は作れないね……あっ、そうだ!」


「こんなこともあろうかと、大学のサークル仲間から、モスドハンバーガーの割引券貰ってたんだ」


 由美香が、いつも愛用している手提げバッグから、大量の紙切れを見せてくる。


 どうやらファーストフード店のクーポン券のようだ。


 ざっと、見た感じで二十枚くらいは余裕にある。

 こう見えて、意外と由美香は知り合いも沢山たくさんいて、社交的なんだな。


「──何やら泣きながら、これで君の大切な人を食事に誘えって。

本当、変な男性陣だったね。

──何だろうね、割引券を渡すのに泣く必要とかないよね。でも、無料でくれるからラッキーだよね~」


 ……いや、由美香。

 それ、完全に好意を寄せてデートに誘って、フラれた男たちの悲しみの末路だぞ。


 この調子で、何人の男をフッたのだろうか。


 モテる女性はつらいかも知れないが、相手からの恋心に気付かない女性も辛い。


 もしかしたら由美香は誰か、意中の人でもいるのだろうか。


 その相手は誰なんだ。


 ひょっとして……。


「のわっ!?」


 そんな恋愛じみた考え事をしていた俺の眼前に、由美香が迫り、俺の後ろにある壁に勢いよく片手をつける。


 俺の自室だからと油断した。

 どうしよう、彼女に壁ドンされた……。


 追い詰められた獅子ししが、血気盛んなウサギに攻められたら、いくら計算しても逃げ場はない……。


「ねえ、竜太。いこうか?」


 これは不味い。

 二人っきりで、それは非常にヤバい。


 いつもより、真面目な彼女が俺の上着のえりを掴んで、甘い誘惑をしてくる。


 目の前に近付く潤った唇と、呼吸で耳元から漏れる息づかいで上下する豊満な胸。

 俺は慣れない緊張のあまり、生つばをゴクリと飲む……。


「……私となら、一緒にいけるよね」

「……だから、それはだな。お互いのことをもっとよく知ってから……」

「だから、私とモスドバーガー」

「はぁ!?」


 あれ、何か話が噛み合わない。

 俺は頭を冷やして、物事を把握はあくするのに必死だった。


 待てよ、モスド……。


「──もしかしてハンバーガーのことか?」

「そうだよ。だから、さっきからそう言ってるじゃん」


 俺はみだらで恥ずかしい妄想をした、自分自身の思考にゆっくりと蓋を閉じた。


「一度でいいから、弟とこういうハンバーガーデートしたかったんだよね……貧乏学生の憧れみたいな」


 由美香が俺の頬をツンツンして、屈託くったくもなく笑う。 

 俺は間近で見た彼女の美しさに、思わず見惚れていた。


「さあ、だとしたらデートコーデしないと。30分後に玄関に集合ね」


 そう言うと、彼女はトントンと階段を降りていた。


 いや、待て、由美香の部屋も二階だから、階段を降りたら、着替えられないのでは?


 俺がそうこう思考している間に、水の流れる音が聞こえてくる。


「何だ、シャワーを浴びているのか……」


 恐らく寝汗をかいたままの姿では、不衛生と捉えたのだろう。 


 例え、姉弟とはいえ、これは大事なデート。

 立場上関係がない第三者から見ても、俺に対して不愉快な想いはさせたくないのだろう。


 女の子も身支度などに忙しく、色々と大変だ。

 俺も後からシャワーを浴びようと考え、身支度を整えることにした。


 いくら相手が姉でも、赤の他人から見たら、恋人通しに見えるだろうから……。


 だから、由美香の彼氏に恥じないように、俺はひたすら脳をフル回転させながら、そそくさと外出着に着替えていた……。


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