「さてさて、
マンテが指さした先の牢屋の上側を見やると、土の壁に設置された満月のような時計が俺の前方に映る。
秒針がカチコチと鳴りながら、時計は夜の9時15分を指していた。
「ああ、はっきりと分かるぜ」
「あの秒針が次の12になったら、戦いの合図デス」
10、9、8……。
俺は深呼吸して、剣の柄を掴む。
なるほど、手に吸い付くようにフィットした中々の握り心地。
マンテが好んで使う日本刀だけのことはある。
──7、6、5……。
だが、無理に血を血で争って、マンテを倒す必要はない。
俺に出来ることは、この室内にある唯一の武器でマンテを退けること。
今は余計なことは考えないようにしよう。
──4、3、2……。
そうやっていかにして、
俺達の幸せな未来を
「1、ゼロデス!」
マンテのその合図とともに殺気を感じた俺は、その場所から素早く離れた。
その足場を離れた隙間をついて、すぐさま肉眼では見えない真空の刃が、俺の居た地表をえぐりとる。
「危ないな。不意討ちとは、
「フフフ。それは聞き捨てならないデス。不意討ちも殺し屋が得意とする手法の一つデスから。
──でも、この技は避けきれるデスか?」
マンテが天井に刀をかざし……、
「……いざ、参るデス!」
……そのまま刀を、地面へと降り下ろそうとする。
それに対して逃げようとした途端に、俺の周りの景色がグニャリと歪み、身動きが取れなくなる。
違う、これは彼の得意の居合い抜きではない。
俺に見せたことがない技、もっと別の何かの技だ。
それよりも、居合抜きの他にも技があることに驚きだった。
しかも、俺自身の動きを
これは場合によっては、命取りになるかも知れない。
明らかに、俺の判断ミスであった……。
「……かかりましたデスね。
──妖刀、狂い咲く夜に!」
マンテの叫びにより、深紅に砕けた石が俺の周囲を舞い散らせながら、頭の上で固まり、高圧洗浄機からの噴射のように俺を襲う。
『ザクザクザク!!』
「ぐああああっ!?」
俺は、あまりの痛みに耐えきれなくなり、床をゴロゴロと転がる。
「グフフ。この刀はただの刀じゃないんデスよ。
──幾億の吸血鬼を殺してきた、血塗られた呪われた刀なのデスから。
……しかも、わたしが少しだけ本気になったら、簡単にやられるさま……ほんと話にならないデスね」
マンテが刀を下げて、俺を見下すような視線を浮かばす。
「……くっ、ただの刀と思って油断したぜ」
「いや、ただの刀が真空波を起こしたりできないデスよ。普通に考えて分からないデスかね?」
「悪かったな。
のしのしとローブを震わせ、俺の元へと刀を地面にズルズルと引っかけながら、大股でやって来るマンテ。
そして彼の影で、俺の体が覆いつくされる。
「さて、終わりデスよ……」
「──ふっ、まんまとかかったな!」
俺は寝転がったままで、体の力を振り絞り、持っていた刀でマンテの腹をズブリと貫いた。
思いもよらない顔つきになり、ガブリと血を吐くマンテ。
「グハァ、そんなはずはないデス!?」
「……まったくだな。こんなお粗末な手にかかるなんて、お前らしくもないぜ。考えが甘かったな。
俺はダメージを受けて、傷ついたふりをしていたんだぜ……。
──しかし殺し屋風情が、一般の生徒から
俺は起き上がり、シャツの切れ目から見える黒い生地を隠そうとするが、それは天地がひっくり返っても無理だった。
「なっ、服の下に防刃ベストを着ていたデスか!」
それを見たマンテが驚いたのか、とんでもない声を張りあげる。
「何か、防具で防がないと隙は作れないと思ってさ、このベストを着ていた繁から、念のために
「まさか、あの宇宙人に加担していた繁が、再び、人間に協力するとは思えなかったデス」
「人の心は移ろい変わりやすいのさ。
……いや、違うか。亡くなった体から奪った物だけどな」
「そうデスか……でもわたしにとっては、都合のよい行動デスよ」
マンテが俺の体に、刀を横文字に切り裂こうとする。
「おわっ、危ねっー!?」
俺は刀を引き抜き、何とか、その斬撃を地面に伏せてかわす。
頭上に風を切って、刀が通過するのを肌身で感じた。
「惜しいデスね。しっかり捉えたと思ったのデスが?
やはり繁を倒しただけあり、ただ者じゃない動きデスね」
意気揚々としたマンテが、今度は寝ている俺の頭を目がけて、刀をズブリと突き刺そうとし、
「ふう、危なかったな。何で腹を突いても何ともないんだよ?……繁のような機械でもないみたいだし?」
「グフフ。さあ、何でデスかね……?
そらそらそら、話をしている余裕があるデスか!」
田植えの耕作機のように、次々と刀をザクザクと埋めていくマンテの攻撃。
俺は何とか体勢を保とうと必死に転げて回る。
だが、立ち上がったとしても、その隙をつかれ、即座に刀で切り刻まれるだろう。
マンテの攻撃を避けるたび、やられるのも時間の問題だと感じ取っていた。
「呆気ないデスね。そろそろ終わりにするデス。今度は手を抜かないデスよ」
マンテが刀の先っぽを地面に埋めて、何やら口ずさんでいる……。
大地が小刻みに震え、肌にビリビリと振動を感じる。
次に来る攻撃が半端ない威力であるのは、戦いに素人の俺でも分かる。
凡人な俺の力は、この程度なのか。
「兄ちゃん、負けるな!」
「まだだよ、立って戦え!」
「君のちからはそんなもんじゃないだろ?」
今まで意識していなかった子供達の声援。
そう、周りの鉄格子から子供達の声がするのだ。
戦わないといけないのは、頭で理解しているさ。
だが、俺とマンテは格が違いすぎた。
俺が豚汁を作れたとしても、彼は高級フカヒレスープが作れる。
それくらい差が離れすぎているのだ……。
「早くも戦意を喪失デスか。武士の情けとやら……。今、わたしが楽にしてあげるデス……」
「……でやあああー!!」
──そこへ流れ星のような人形の隕石が、いや、人間によるジャンピングキックが、マンテの横腹に、ガコンと激しい音を立てて当たる。
「グブゥ!?」
堪らずマンテは
「
「
「あまりにも心配して来ちゃった。さあ、早いとこ終わらせようか♪」
そう言った由美香が両手の拳を握り締め、マンテに正拳突きをして真っ向から突っ込む。
「グハァァァー!?」
由美香の素早い攻撃を、太鼓のようにドコドコと腹にマトモに食らうマンテ。
「マンテ先生。どう、乙女の痛恨の……じゃないや、会心の一撃は?
まだまだこんなもんじゃないですよ!」
まるで光の速度のように消えていく、彼女の動きに俺は確信した。
彼女は由美香ではないことに……。
すると、由美香はグルリと側転しながら、俺の元へと戻る。
「お前……動きに無茶があり、キレがありすぎる……はては、また由美香に変身したミコトだな?」
「さあ、何のことかな……ぶちゅっ♪」
「んぐっ!?」
由美香が俺に熱い口づけをする。
しかも頬とか、頭とかではないし、間接キスでもない。
マジで、くちびる同士が触れあっているのだ。
「むぐむぐむっ……?」
喉に詰まった餅を吸いとる吸引機のような濃厚な口づけで、すかさず全身から生気を奪い取られるような脱力感。
ぷはっと、くちびるを離した俺は軽く立ちくらみを起こして、その場でバタリと倒れこんだ。
……遠くから、洞穴に隠れている
「ごめんね。キスは初めてだったかな?
顔、真っ赤になっちゃってさ。可愛い竜太ちゃん♪」
「……由美香、いやミコト。今、俺に何をしたんだ?
──この力が入らない感覚……普通のキスじゃないよな?」
「いやぁ、少しばかり、くちびるから生命エネルギーを頂いちゃったよ。それよりミコトって誰のことかな?」
「あくまでも正体に関しては
「さあ、一体何のことかな?
それより、そこで寝てていいよ。すぐに、この戦いを終わらせるから」
由美香が両手を
やがて、その光輝いた両方の拳を
「フグ、ブハッ! こ、小娘ごときが!」
「どうかしら、その小娘から痛みつけられる気分は?」
彼女の容赦ないパワフルパンチにより、一方的にボコボコに殴られるマンテ。
「この小娘、いい加減にするデスよ!」
「おい、その攻撃にはくれぐれも気をつけろ!
ミコト……いや、由美香!」
マンテがゆらりと刀身を光らせながら、刀を上空へと向ける。
その途端に空気中の流れがピタリと止まる……あれ、何も起きない?
「妖刀、狂い咲く夜に!」
マンテがその場で、空振りの
もちろん、その刀の先には誰もいない。
何て間抜けな姿なのだろう。
「……あれ、どうしたのデス?」
「ふふっ、妖刀ね。先生、ポケットからこれを出しただけですよね~♪」
由美香が
「痺れを起こしたうえに、幻覚を見せる麻薬に見せかけたような違法薬物の粉ですね。
裏社会の海外では有名で、パートナーとより良いラブラブな関係を保つための薬物なんだけど、まさか日本でも出回っていたとは知りませんでした♪」
「こ、小娘。それを返すデス!」
「いーやーですよ、その場で百回まわって、『アホー!』と叫んだら、返してあげますけど~♪」
「この小娘、さっきから、わたしにふざけた挑発をして!
……とっととよこせデス!」
そうか、あの必殺技は幻覚だったのか。
幻覚で体を痺れさせて、普通の五月雨の連打を小石が飛んできたように見せかける。
初めから妖刀ではなかった。
もしそうならば、もう片方の刀を俺に握らせるはずがない。
それに、その刀で吸血鬼を殺してきたのも嘘だろう。
マンテはここにいる吸血鬼を大切に取り扱い、亡くなるまでここで管理をしている。
元に前回の俺の人生によるこの場所では、亡くなった吸血鬼に対して、用済みではなく、少なからず彼は
俺は、まんまと彼に騙されていたのだ。
「おのれ、このわたしをからかうとはいい度胸デスね……」
マンテが地面に刀を突き刺し、何やら言葉を紡いでいる。
「由美香、よく分からないが、凄い攻撃が来るぞ!」
「えっ? よく分からないって……何それ?」
由美香が意味不明とばかり、首を捻っている。
「地面を切り裂け、ダアアァー!!」
……しかし、身を屈めた俺達には何も起きない。
いや、正確にはしゃがんでいたのは俺だけだ。
由美香は堂々と仁王立ちをしていた。
新たに別の巾着袋を手にしながら……。
「先生も懲りないですね。同じ手は通用しないってば……」
彼女が持っているのは、また何かの薬品だろうか。
余裕の表情をしていたマンテから笑みは消え失せた。
すると、何かを思い出したかのようにマンテは、その場から洞穴の方へと、手綱を握ったターザンのように大きくジャンプする。
「しまった、美希の存在を忘れていた!」
「美希ちゃんいけない。逃げて!」
俺と由美香が、後から駆けつけるが間に合わない。
早くも美希は、マンテの腕の中に捕らわれていた。
「クククッ。手こずらせてくれたデスね。どうですか、お仲間さんを人質にされた気分は?」
「くっ……」
「ひっ……」
「何デスか。お二人とも声がか細くて聞こえないデス。分かるデス。大事な仲間だけあり、目の前で失うのがさぞかしショックなんデスね。まあ、この娘の後からすぐに楽にしてあげますから、心配は無用デス!」
マンテが美希の首を折ろうと、頭に手を差し伸べた瞬間……。
「あははっ。ひっ、ひっかかったわね。マンテ先生!」
由美香がマンテを指さし、お嬢様のような
同じく、俺と捕まっている美希もだ。
「なっ、三人とも揃いも揃って、何がおかしいデスか?」
「ははっ、おかしいのはお前だけだ。
さあ、くそ
「はい、理解ですわよ!」
今、腕の中にいた美希の武道家の魂が吠える。
美希は素早くマンテの腕をすり抜け、彼の
「グハァ!?」
「先生なら生徒のことをよくリサーチしてないと──こうなる運命ですわよー!」
「グアアアアー!?」
影で格闘系の部活に入部しているという、美希の素早い身のこなし。
見事な間接技が、マンテの上半身にガッチリと入っていた。
もう、彼がおちるのも数秒とかからないはずだ。
「グフッ……」
ガクンとマンテが頭を垂れたのを確認して、美希は巨体から手を離した。
ズシンと重い音を立てて崩れるマンテ。
「ふぅ、何とかやりましたかしら……」
美希が額の汗を自前のハンカチで拭いた時──後ろから大きな影がゆらりと揺れた。
「美希、いや、まだだ!!」
──俺は大声で、彼女の名前を呼んでいた。