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第D−20話 LOVEなカードを手前に並べて(2)

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 ──こうして、無事に華やかな結婚式を迎えてから、一週間が過ぎ去った2月中旬。


 今年も、あの大事なイベントがやって来た。


 内気な恋する乙女でも、年に一度だけ、積極的に愛を告白するチャンスをくれる日。


 そう、2月14日はバレンタインデーである。


 ……とは言ったものも、由美香ゆみかこと、私は今までお菓子作り──手作りチョコを作ったことがなく、途方にくれていた。


 いつものようにデパートで、お洒落なチョコをプレゼントしようと思っていたが、一週間前に婚姻した旦那様に対して、それは失礼ではないかと、薄々感じていたのだ。


 また3月には、北海道への三泊四日の新婚旅行も控えている。


 その前に私からの日頃の感謝を込めて、おばあちゃんになっても、ずっと好きという想いを伝えておきたかった。


 そう思って、行動を起こしたのだけど……。


「駄目だ、さっぱり分からない……」


 近所のスーパーで、スマホのレシピ片手に食材を探しているのだけど、ただ溶かして固めるだけの素材集めに、どうしてこんなにも苦戦するのだろうか。


 板チョコのブラックまでは分かるけど、食塩が入っていないバターに、コーンスターチ、ココアパウダーと材料が並び、さらに甘酒にラム酒のお酒関係まで……。


 今までプレゼントに避けてきた、お酒の入ったチョコ。


 缶ビール一本飲んだだけで、ベロンベロンに酔っ払う竜太に食べさせて、大丈夫だろうか?


「──もう、由美香さんは、男心が分かっていませんわね」

「うーん。美希みきちゃんにそう言われても、私にはさっぱり……」

「いえ、由美香さん、この意味が分かりますか?

旦那が酔った先に、その彼から囁かれて愛を深めあう、人として生命の神秘。そしてお互いに言語を理解しながら、高めてゆく愛の結晶。人として生まれてきて、とても素晴らしいことですわよ」

「でもそれが何か、いまいちよく分からないのよね……」


「はあ。いつもあれだけラブラブなのに、お二人とも、そちらの経験がまったくないなんて信じられませんわ」

「うん、だから頼朝よりとと仲良くラブラブしてる、美希ちゃんを呼んだんだよ……早く、竜太りゅうたとの子供が欲しいから」


 私はほっぺたが熱くなるのを感じながら、一緒に、お買い物とお菓子作りの付き添いで来ていた美希ちゃんに、その想いを伝える。


「そうですね……真剣な表情で『未経験で怖いから、優しく誘ってくる方法を詳しく教えて』の発言にはびっくりしましたわ」


 美希ちゃんが、異常とも思える、ドスのきいた目でこちらを見ている。


 そんなに珍しいことなのか、本当に結婚した間柄あいだがらでしか、そのような行為に踏みきらないのは……。


 だって、いくら好きになったからと、そのような関係にいたって、もしものことがあったらどうするのか。


 男は身勝手な生き物だ。

 欲望に身を任せて、上手い言葉で女の弱い所につけこみ、優しいふりをして思うがまま。


 それで後悔の末路になり、一方的な別れを告げられ、苦労しながらシングルマザーで育てるはめになったりする……。


 よく私の周りの友達から耳にする話だけあり、私にはそれが耐えられなかった。


 まあ、例外もあり、美希ちゃんの相手の頼朝君は真面目で、もしそんなことがあったら、すぐにでも結婚しようと発言してるけどね。


 ──でもね、生まれてきた子供に、育ててくれる実の父親の姿が見当たらないほど、子供にとってつらいものはない。


 昔からだが、養子として拾われた、竜太の気持ちが痛いほど分かる。


 きっと竜太は、肉親がいなくて、寂しい想いをした時もあっただろう。


 だから、これまで心を許せるパートナーは私は作らなかった。


 最愛で血が繋がらない、義弟ぎりの竜太以外は……。


****


 ──さて、感傷に浸っている暇はない。

 折角せっかくのイベントに、辛気しんきくさい顔をしていたら、何もできないから、話を戻そう。


 それよりも、肝心な手作りチョコを作らないと。


 私は近くのスーパーから調達した商品をスマホアプリで確認しながら、レジ袋から出して、分かりやすくキッチンの台に並べていく。


 ──さあ、準備は整った。

 制限時間は、竜太が仕事から帰宅するまで。


 いざ、新世界の調理に挑むため、白いフリルのエプロンの腰ひもをぎゅっと縛る私。


「みやって、みやってー。

レディー、ふぁいとー!!」


 美希ちゃんによる相撲力士を闘わすような号令の合図で、私はてきぱきと手を動かし始める。


 まずは木のまな板でチョコを刻む。

 サクサクサク……あれ、まな板ごと切れたよ?


「何、この包丁どうなってるの?」 


 この想定外な事件に、美希ちゃんも青ざめている。


 どうやら彼女のイタズラでもないようだ。


『あちゃー、やっちゃったね。ドラゴンサバイバル包丁は、あのドラゴンの鋼鉄な肌も簡単に切り裂くように、切れ味がいいからね』


 突然、私の頭の中から直接、声が伝わってくる。


 この言いぶりは美琴ミコトちゃんだね。

 テレパシーが使えるなら、チョコを切る前から、そう教えてほしかった。


『まあ、これも練習だからね。これから手料理のチョコを作るのなら、慣れてもらわないと』

「こんな危ない包丁使えないわよ」

『大丈夫、慣れたら寸止めで切れるから♪』

「もはや、それ普通の包丁の扱い方じゃないよね?」


 食材に猫の手を添えて切るとは、勝手が違いすぎる。


 その一方で美希ちゃんには、ミコトちゃんの声は聞こえず、私がひとりごとを言ってるように見えるらしく、怪しげな視線で私の動きを目で追っていた。


 やがて、私はほうけた感じの天の声を小耳に挟みながら、普通の料理とは似つかない、難解なお菓子作りを再開するのだった……。


****


 さあ、最後にラッピングして完成した私の作品。


 でも、ここまで辿り着くまでが大変だった。


 お湯でチョコを溶かすと分かっていたから、鍋に火をかけて温めていたら焦げちゃって、不審に感じて、途中から学習塾のバイトに出掛けた美希ちゃんとLINAで質問したら、そのやり方は違うと言われたり……。


 私自身、チョコの湯煎ゆせんの意味って、よく理解していなかったから。


 だから、すぐにトマトの湯剥きみたいのを想像したけど、チョコには皮がついていないし、無理だろうと思っていた……。


 まさかお湯をはった深底の鍋に金属ボウルを入れて、その中で、じんわりと溶かすとはね……。


 初めてのお菓子作りも、中々奥が深い経験だった。


 ──そこへLINAの通知音がぽんっと響く。

 私の旦那様からだった。


 内心ドキドキしながら覗いて見ると、『今日は同僚と飲みに誘われたから、帰りは遅くなる。

夕飯もそこで済ますから、俺の分はいらないから。ごめんな』と書かれていた。


 また飲み会か。


 いそいそとサラリーマンとして働き、一ヶ月に五回はくだらなく、結婚してから早くも今月一回目。


『同僚とは女の子も一緒なの?』 

と聞きたい思いだったが、その気持ちを押し殺しながら、無表情でスマホを打つ。


『分かった、なるべく早く帰って来てね』


 そう、文章を並べるしかなかった。


 今日は竜太の好物なハンバーグを作る予定だったのに、拍子抜けしちゃう。


 私は冷蔵庫に寝かしていたハンバーグのタネを、冷凍庫に閉まった。


 これで竜太は、いつでも食べられる。


「こんな妻に心から愛されて、竜太は幸福者なんだから……」


 私はラッピングされたチョコを、指で優しくつつきながらポツリと呟く。


 ここは竜太を信じるしかない。

 数ある魅力的な女性の中から、私だけを選んでくれた旦那様を……。


****


「やべ、遅くなっちまったな」


 最寄りの駅から降りた俺は、真っ先に家路へと急いでいた。


 もし、同僚の女性から、あれを貰えなかったら気づかなかった。


 今日は大切な日だということに……。


 終電間際の電車に飛び乗ったが、降りた時刻はとうに深夜の12時を過ぎていた。


 もう十分に恋する乙女の有効期限は切れている。


 それでも一分一秒でも、由美香に会いたかった。

 まだ彼女は、俺の帰りを待って起きているだろうか?


 ──この前、結婚したのにこんな感じだ。

 その歓迎会で有頂天うちょうてんになり、酒で酔っ払って寝込み、同僚から心配されるさま。


 一言、彼女に謝らないと。


 だが、最近覚えたLINAで通話しようとしたが、運が悪くスマホは充電切れ。


 コンビニで充電器を買おうかと思ったが、意外と値が張り、それをしたら三日分の昼飯代がなくなってしまう。


 三日間、あんパンとコーヒー牛乳だけでは腹にこたえるし、何より周りからの視線が痛い。


『この前、式場で大量のお祝儀貰ったはずなのに、何、その食生活?

そんなに苦しいのなら、身内だけで式をあげれば良かったのに……』


 借金生活の中で、借金を返済するために盛大に行った式……何てデマが、周りから飛びかねない。


 ──そんなマイナスな思考をもぐらしながら、俺は無我夢中でゼイゼイと息を切らしながら、由美香の元へ向かった。


****


 家に帰ると、部屋の電気は消えていて、真っ暗だった。


 だけど、どこからか人の話し声がする。

 俺は声の主を探して、リビングへと踏み入れる。


 ──彼女はそこにいた。


 恐らく、お風呂上がりなのだろう。

 濡れた髪に白いバスローブ姿で、ソファーに腰かけて、テレビを見ていた。


 今にも溢れそうな胸元がセクシーで、リップクリームを塗ったつややかなうれいを帯びた唇に、思わず見とれてしまう。


「ねえ、竜太、私達、これでも夫婦なんだよね……?」


 由美香がテレビ画面から目をそらさずに、俺に問いかける。


 しかし、『何がそんなに夢中にさせて、面白い番組なのか?』と画面を見ると、見覚えのある映像が、俺を捉えて離さなかった。


 それは、つい一週間前に行った、俺達の結婚式の映像だった。


「竜太、私達、幸せだよね……?」


 今度は由美香は、帰宅してから初めて、俺の顔を真剣に見つめる。


 彼女の頬は、鮮やかに火照ほてっていた。

 手前の木のテーブルには、空となった茶色の細長い瓶とグラスが置いてある。


「……なっ、由美香。ワインを丸々一本飲んだのか?」

「だってこうでもしないと、竜太から誘ってくれないでしょ……」


 由美香が、そのまま俺にバタリともたれかかる。


「ねえ、忘れられない夜にして……」


 そうやって、俺の腹に顔を埋めて……、


 あれ?


「ぐー、すやすや……」


 あーあ、一丁前にグースカと寝てやがる……。


「しょうがないお姫様だな。湯冷めして風邪ひくぞ」


 俺はお姫様抱っこをして、彼女を寝室へと運び、彼女のおでこに軽くキスをする。


「そんな誘惑しなくても、お前は十分魅力的な女だぜ。それにまだ、夫婦になって間もないんだ。これからいくらでも、愛を育めるチャンスはあるさ」


 二言、彼女の耳元でキザな言葉を発して、俺はリビングへと戻る。


 そして、ふとテーブルにあるワイングラスの横に置かれた、ピンクのハート型の包装紙が目に飛び込んだ。


 その横には、可愛らしいピンクの便せんが一枚。

 紙をめくると、大きな文字で『竜太、大好き♪』と書かれてある。   


「ははっ、これを渡すために、酔っ払いながらも、こんな時間まで起きて待っていたのか。由美香らしいな」


 俺は包装紙を破って、大人の拳並みの1センチほどの厚みがある平たいチョコを、ガブリとかじる。


 ほのかに広がる、ココアとミルクの食感。

 市販の物に比べて味は劣るが、由美香の一生懸命さは存分に伝わってくる。


 台所のゴミ箱に炭と化した、大量のチョコレートだったものらしき残骸ざんがいを眺めながら思った……。


 こんな俺なんかのために、苦労して作ったんだなと……。


「めっちゃ甘いな……でもうまいぜ。

いつもありがとう」


 由美香の手作りチョコをバリボリと食べながら、彼女の真っ直ぐな想いを噛みしめ、揺るぎない妻への愛を誓った……。



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