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第3話

8


先の章で偶に登場した「サン」という、シイの幼馴染。

彼女は、大変癖のある性格をしていた。

癖のひとつを挙げよう。

自分より「格上」だと認識した相手に対しては…自ら腹を見せ、従順を示す「犬」になるが、格下相手だと認識すると、徹底的に相手を卑しめる。

そして、その「判断」が「光速」レベルで早いのだ。

「格上扱い」と「格下扱い」の格差は凄まじく、その格差は格下された相手の恨みを増幅させるのだ。

更には…話を盛り上げる為だと解釈したいが…「話を盛りに盛る…癖がある」のだ…つまりは「大嘘つき。」

彼女を形容する代名詞は、「大嘘つき」だけに留まらない。

「マウンティング野郎」

「性格破綻者」

「サイコパス野郎」

彼女に接した人々は、彼女と自分の間で繰り広げられた「有り得ない出来事」を「怒り」又は「悲しみ」…それらの感情にプラス不信感を積立て、彼女の「有り得ない性格」を周囲に愚痴るのだ。

それは、BOSSやシイのみならず、何故かサンと関係の薄い私自身も「その対象」だ。

このシイの幼馴染であるサンに関しては「誰も彼女について、人格や仕事及び勉学を含め…良い評価を付けない」といった有様だ。

ママ◯ゾンレビューで…評価1ついており、レビュー内容を読んでみると「本当は評価1すら…付けたく有りません。仕組み上、1以上は付けなくてはならない様なので、致し方なく1を付けました。」といった感じだろうか。

因みに、サンの実父は、彼女の今現在の養父でもある私のBOSSの親友だった。

この「サンの実父」は絵に描いたような人格者であったらしい。

残念ながら、サンは実父のそう言った部分は一ミリも引き継がなかった。

「一族が滅ぼされる」という大惨禍の生き残りである「サン」と「シイ」を親友であり、「篤志家」の一面を持つ私のBOSSが、養子としてふたりを引き取ったのだ。

だからこそ、BOSSはサンの性格を嘆き、今後の彼女の生きる道に頭を悩ませていた。

ここまで言っておきながら…次の発言をするのは心が痛い。

「篤志家」でもある我がBOSSの人格を…ディスる事になるからだ。

が、一応は伝えておこう。

BOSSが生き残りである「サン」と「シイ」を養子に迎えたのには、別の意図もあった。

自分が地域一帯を治める領主様の様な存在だった彼は、政治上の駒の一部としてふたりを利用した側面がある。

前の前の章で述べた、ふたりの「政略結婚」でも、その意図は明らかである。

シイは、養父のそういった側面を「全て納得した」訳ではないが、例の…己を「無」にして対応している部分があった。

先の「政略結婚」が諸事情に依り、直ぐに白紙に戻された後…シイはBOSSの部下として側に置かれる。

が、サンはまた直ぐに「駒」として別の婚姻を結ばされた。

(先の章での「里帰りパーティ」はサンの婚姻後の話だ。)


『何で私だけ、遠くに嫁がなきゃならないの?」

『シイだけ…ずるい』

サンは、この二つのセリフを…偶に言い方を変えつつも、クレームを繰り返し…更には部屋の物を壊しながら、暴れた。

シイはこの様子を…冷静に観察していた。

頭を抱え、イラつくBOSSにシイは言った。

「サンが嫁いだ後も、向こうでこの様な『狂った醜態』の報告が届いた時に…どうするか悩んだ方が現実的なのでは?」

かくして、ふたりの幼馴染の道は…別れた。

シイが、単純にサンの性格を熟知しきっていたせいかは不明だが、サンは嫁いだ先で…お相手に夢中になり、BOSSも胸を撫で下ろす事となる。

*****

「サンが嫁いだら、落ち着くんじゃないかって…分かっていたの?」

私は先程の疑問を、シイにぶつけた。

いや…シイは軽く否定しながら、自分の視線をスマホから私に移して答えた。

「昔からではあるが…サンは他人との比較し、不満を抱いては駄々を捏ねる傾向がある。嫁ぎ先では当然だけども…比較対象の私はいない。比較対象がいないなら落ち着くかな、と思った。」

そして、再度視線をスマホに落としてこう続けた。

「暫くの間は、だけどね。」

「そうなの…」

「新たな比較対象が出来たら…分からない。が…後はしらん」

シイはそう呟くと、意識を完全にスマホへ移行させ、スマホ没頭状態になった。

ふと、私の目の前で繰り広げられた…最近の「サンのシイに対する付き纏い」が脳裏に蘇る。

それは、飼い主に付き纏う子犬を連想させた。

思わず、私は呟く。

「サンは…あなたの事が好きなんだと、思っていたわ。」

「サンが好きなのは、自分だけだよ…見た目はそれなりに大人だが、中身は5歳児だ。」

私の「呟き」をキャッチしたシイが、答えた。

「誰彼かまわずキスして…相手の反応を楽しむ所なんて、正にその歳の子供だ。」

私も何度か目撃した事のある「それ」が脳内で再生される。

「ああ、そう言えば…」

シイがふっと、思い出した様にスマホから顔を上げた。

「私からサンにキスした事が、一度だけあったな。」

「え、ええっ~!」

私のその驚き様に…シイが戸惑いを示した。

「君ぐらいの大人は…キスぐらいで大騒ぎしないもの、なんじゃないの?」

「シイ、それってまさか…例のご友人からの「色恋事」座学からくるもの?」

「だんだんと…分かってきたじゃないか!」

肯定の返事を寄越してくれたシイは、心無しか嬉しそうだった。

シイの「オーラの色や出方」が物語っている。

『自分に関係ある事を、次第に理解してもらえて嬉しい』と。

前の章で、シイが疑問を呈していた通り…そのご親友は「色恋事」に若干の偏見が…あるのかもしれない。

そう思いを巡らせていた時に、シイが「サンにキスした」時の事を…話してくれた。

「キスとは言っても…敵に囲まれて、切羽詰まった状況だったんだよね。私の両手はニトロで塞がっていたんだけど、『メンタル5歳児』の彼女はその切羽詰まった状況に…一ミリの理解も示さず、ただ喚き散らすだけ。しかも、これまた喚いている内容が…切羽詰まった状況と「一切関係ない内容」だった。」

サンのその様子が、目に浮かぶ様だった。

シイがしゃべり続ける。

「私は…サンに頭突きを食らわせて、黙らせようかと思ったが…直ぐに思い留まった。「頭突きの衝撃」がニトロへの刺激材料になってしまっては、まずい…」

そこまでシイの話を聞いて、私はピンと来た。

「読めたわ…で、自分の口で「癪な音ばかりを出し続ける」サンの口を…塞いだ訳ね?」

シイは、先程よりも…嬉しそうな表情を見せて答えた。

「我ながら…瞬時に下したにしては、良い判断だと思った。その後のサンは「借りてきた猫」の様に大人しくなって…私達は無事に生還を果たした、という訳だ。」

段々分かってきたね、ロク。

シイはそう呟き、再びスマホに視線を落とした。

私はこの話と、その後の「サンの様子とオーラの変化」に合点がいった。

よく覚えている。

ある日を境に、サンがシイを見る目つきが…ガラリと変わったのだ。

そりゃそうだろう。

シイの見た目は、王子様そのものなのだから。

それから…サンは、今まで出ていなかったピンク色のオーラを…シイに向けて放つ様になる。

サンがシイを見る度に、そのオーラの色は濃くなり増していった。

なるほど、なるほど。そんな出来事のせいか…。

もしかしたら、サンが「女性に分化」した要因のひとつに…シイに対する恋愛感情も影響しているのかもしれない。

そして、サンの「再婚」が決まったときの暴れ様を思い出す。

遠方の『顔を見た事ない相手』に嫁がされる事。

シイの『嫁ぎ先でも狂った醜態…』発言。

これらの出来事に…サンの心は抉られ、肩を落としながら嫁いで行った訳か。

しかし、サンはメンタルが幼ない故、新しい環境への馴染み方が早かった。

更には、嫁ぎ先の夫君は…運良くサンが満足するタイプの人物…だったのだろう。

「女性の恋は上書き」何処かで…そう聞いた事がある。

私の再婚は、上書きに失敗したけどね…少し自嘲気味な気分になる。

それにしても…なるほど、なるほど。

上書き完了後のサンは、元通り…いや、素の自分に戻り、幼少期から行っていたマウンティングを…今でもシイに続けているのか。

紆余曲折ありながらも…歴史は繰り返す、だ。

「なるほどって…何が?」

私の「呟き」をキャッチしたシイが、またもや尋ねる。

「いいの。何でもない。」

「ほんと?理由も無く笑っているけど?」

少し怪訝そうなシイを置いて…私は、お茶を入れる為に、ダイニングへ向かった。

シイ、やっぱり分かってないわよ、あなた…女心や色恋を。

分からない故に…その立ち位置なんでしょうけど、ね。

私は、ふっと笑いながらそう思った。

この時までは、余裕を持って笑っていられた。

この時までは、だ。


9

ニイ


さて、話の中で度々登場した「ニイ」

シイの友人である彼について…少し話をしていきましょう。

シイの養父が、シイの結婚観に大きな影響を与えた「great teacher」とするなら…ニイは、シイの恋愛観に大きな影響を与えた「great teacher」だ。


ニイの存在無くして、私とシイの恋人関係は、始まらかっただろう。

『結婚は惚れた腫れた同士のイベント』である。

ニイの教えがあるからこそ、シイは私のプロポーズを了承したのだから。

私はニイに足を向けて…寝る事はできない。

例え…私とシイの関係が「恋人」から「親友」に変化しても、だ。

*****

ニイの暮らす地域の結婚観は、異世界に暮らす貴方達に似ている。

惚れた腫れた同士が結婚し、お互いの子孫を残す。

無論、そこに細かい諸事情の違いはあるのだろう。

しかし、婚姻関係を結ばずとも、惚れた腫れた相手との間に子を成すことが一般的であり、そこにお家や一族の事情は…多大な影響を与えない。

この点に於いての、価値観は一致するだろう。

実をいうと、私自身は…「ニイの住む地域同様結婚観」を有する地域で暮らした経験がある。

その為、ニイの暮らす地域の結婚観に対し、ある程度の「慣れ」があった。

ところが、シイはニイの結婚観を最初に知った時は、大層驚いたらしい。

「それは、大層複雑な話だ!」

そう言うと、シイは軽く絶句したらしい。

「複雑って…オメエ、どの辺りがだよ?」

ニイは、シイに比べると言葉遣いが、少し乱暴だ。

うん、そうね…そちらの異世界にでは「江戸っ子」という「粋」を重んじるが、物言いは乱暴…いや失礼、「チャキチャキ」してると表現するんだっけ?

ニイの喋り方は、それに近かった。

とはいえ、ニイとシイの公用語は異なる。

シイは、ニイの地域の公用語もある程度話せた。

それ故に、ニイとの会話は常に彼の公用語である「J語」だ。

補足しておこう。

私達の世界の人々は、母国語以外にも「居住する地域が公用語」と定めた言語を話すのだ。

因みに、シイや私が暮らす地域の公用語は「E語」。

シイは「J語」を教科書等から学習した為、ニイとの会話では堅苦しい単語や、文章を多用する。

が、自身の公用語の「E語」は、砕けた喋り方をする。

補足はここまで。

結婚観に話を戻そう。

「『好き』という感情のみで結婚した配偶者が…家に関する諸々の事柄を出来ない状態では、困るのではないか?」

シイが『複雑』と発言した理由を話した。

なるほど、ね。

必ずしも、惚れた腫れた相手イコール、家の事柄を遂行する能力有り、ではないだろう。

「家事なんざあ…家電やロボットに任しときゃあ…」

ニイの反論にシイが直ぐ様、自分の反論を被せた。

「そういう話をしているのでは無い。例えばだ…君が一族の家長だとしよう。

親戚縁者の所用や、一族の財産及び運営に掛かる事柄…配偶者が、その部分に於いて無能では…諸々支障を来たす、という話をしているのだ。」

「何でえ…ひでえ言い方だな?」

シイが、ごちゃごちゃ言い出した事が面倒臭いのか、ニイはあからさまに嫌そうな顔をした。

「何を言う、貴様。もっと分かり易く言えば、だ…我々の婚姻スタイルの方がシンプルである故、上手く機能する…何故ならば、配偶者は家長を支える為にも…スマートに諸々の運用を出来る人間を据えればいい。「惚れた腫れた」に関しては、その部分に支障の無い…他の相手を自由に選択する。これが我々の世界の結婚観だ。」

シイの説明に、ニイがゲンナリした表情で言った。

「オメエさ…異世界モノに出てくる…ブルジョア貴族のジジイみてえだな…俺はぜってえ、そんな結婚ごめんだぜ。」

「複雑な事に心囚われてるのか?…君はシンプルな男だと思っていたが…そういう人間に限って、無いものに心惹かれるのだな…『無いものねだり』とはこの事か?」

「第一印象っつーのは外れねえモンだな、オイ。オメエやっぱりムカつくわ!」

私はこのふたりの「悪友同士」の会話がいつも面白くて、側でくすくす笑ってきいていた。

「…オイ、ロクさんよお!…初対面の時のアンタとコイツとの出会いって最悪だったんじゃねえか?…俺はそうだったぜ?」

*****

「おい!テメエ…何をしてんだ!!

ニイが初めてシイに掛けた言葉は、正に最悪だった。

初対面の相手であるシイに…ニイは、いきなりくってかかったのだ。

「君こそ、何だ?…初対面の相手に話をする際は『己の自己紹介と声を掛けてきた目的』を告げる事が先であろう?」

「ああ?!」

「おまけに、ここの公用語は「E語」だ。『郷にいれば郷に従え』という言葉を知らないのか?」

後でシイから聞いた話だが、シイはこの時、かなり機嫌が悪かった。

シイも…多少の八つ当たりの感情を以て、ニイに反撃したのだ。

ふたりが初対面で衝突した場所…そこはマリモの生息する湖のほとりだ。

シイは、亡くなった知人のマリモを…湖へリリースする為に湖へやって来た。

その行為を、ニイに咎められたのだ。

先程、シイがニイを『シンプルな男』と断言した理由は、ニイが咎めた理由にある。

『外来種のリリースは、在来種の絶滅に多大な影響を及ぼす。』

何処ぞで仕入れたこの理屈は、ニイの心に素直に刻まれていた。

シイはニイのその話を知り、『シンプルな男』と判断したらしい。

だが、『ありのままのシンプル』であるせいだろうか…ニイは『マリモリリース』に…杓子定規的な判決を下したのだ。

シイを、「外来種か、在来種かの区別の付かない種をリリースする悪者」と。

シイは後に…この出来事について、こう語っている。

『私がリリースしたマリモは…元は湖の在来種だけども…あの場ではその主張は意味をなさないのだろうね。証明の仕様がないから。』


しかし、やりとりが進む内に…喧嘩とは元の原因が置き去りとなり、別の攻撃材料が次々と「顔を出す」ものだ。

この時のシイとニイも例外では無かった。


『外来種と思しきモノのリリース』

『名乗り上げすら出来ない無礼者』プラス『郷にいれば…を知らないバカ者』

と、クレーム対象は次々と登場した。


ここまで来ると、置き去りにされるのは『元の原因』のみならず、『理屈』も加わる。クレームが口から発せられる度、中身が「感情的」部分にシフトする事も喧嘩というモノの特徴とも言える。

こうなると『泥仕合の様相を呈する』という状態になる。


ニイはこの時の事を、こう回想している。

「金髪の地元野郎に、完璧な「J語」で反論され…おまけにそいつは、エライくスカした態度…気に食わなかった。」

この喧嘩で…ふたりに「褒められた部分」がある。

「泥仕合の様相を呈する」をダラダラと披露する所を…潔く、「力による解決」にシフトさせた事だろう。

最終的に行われる…短絡的且つ、シンプルな解決方法は「力」だ。


かくして、ふたりは殴り合いの喧嘩に…ならなかった。

いや、殴り合いと呼べる代物では、無かったらしい。

その事実は、ニイに同行していた友人からの情報だ。

ニイは、シイから一発殴られ…10メートル程吹っ飛ばされた後、戦意喪失した。

以下、ニイの友人の回想。

*****

「ああ、俺はゴウ。あの時はね…ニイの悲鳴を聞いて、俺は、慌てて声のする方に行ったんだ…そしたら、腰を抜かすニイと、白けた表情を浮かべるシイがいてさ。で、ニイを急いで病院に搬送したの。あ、ニイを運んでのは、俺じゃなくてさ…シイだよ。ニイは身長高いから、俺ひとりだと運べないでしょ?だから、『白けた表情を浮かべるシイ』に、俺は「お願い」したんだ。「一緒に運んで欲しい」って。あ、ニイはね…腰を抜かした時に、ギックリ腰になったらしいんだ。シイは、渋い顔をしながら…ニイをお姫様抱っこしてね…ひとりで病院まで運んでくれた。『悪いから俺も運ぶよ』って申し出たら…シイに言われたんだ。『ふたりで、この大柄な男を運ぶとなると、一方が『頭』、一方が『足』を持つ事となる…この大男の足元は、湖の泥でかなり汚れている。私は今回の件で自分自身が泥で汚れる事は御免被る。しかしながら、君が泥で汚れる事も、良しとは、しない。この大男と、私の身長差は20センチ以上、30センチ未満と言ったところだ。その差分ならば…この様な運び方は可能だ』そう言ってシイは、ニイをお姫様抱っこしたんだ。それからシイは、俺に向かってこう言った。君の身長差では、この大男は『嵩張り過ぎ』だ。幸いにも、私はこの大男をひとりで運べる程の力持ちだ…って。だから俺は、シイに甘えてニイを病院迄お願いしたの…ニイが何で、湖にいたのかって?…うーん、確か「出稼ぎ」だったかな?で、偶々湖迄ね…遊びに来てね…それで、後は話した通りだよ?」


そこから…そのニイの『お友達のゴウくん』?


ちょっと困った様な、だけども、何処かしら可笑しそうな表情でこう言ったの。

「でもね、でもね…何と言ったらいいか…シイに『お姫様抱っこされているニイ』が、ニイの頬っぺたがね…段々と…りんごみたいになっちゃってさ…シイがそれに気付いて、ニイに向かって尋ねたの。『顔色が先程と違う。何処か具合が悪いのか?私が運び始めた時は、「臆病な犬」を思わせる様にあれこれ喚いていたが…次第に無口になっていった…君の事は『既に今の時点でも、かなり嫌いだ』しかし、この変化は心配だ。」


私はそこまで話を聞き終わると…ゴウくんに、尋ねてみたの。

顔色と言っても『頬だけが、薔薇色に染まった感じ…じゃない?』と。

ゴウくんは、少し照れた様な微笑みを浮かべて、こう答えたわ。

「うん。そう。よく分かったね。俺はレストランや街中で、ニイが知らない女の人に…嬉しそうに声を掛けているのを…よく見るから、何となく分かったんだけど。うーん…上手く説明出来ないけど…シイに、お姫様抱っこされている時のニイは…それに関係ありそうな雰囲気を…感じ取ったんだよね。でもさ、それってあれだよね?…あ、思い出した。ナンパだ!ニイが街中で声掛けているのは『ナンパ』ってヤツなんだよ。」


以上、回想終わり


最後に「ナンパの話」で締め括った…ゴウ君は、引いているけど、ちょっとだけ「興味深い雰囲気」を出していた。そのオーラには『知りたいを表す知識欲』の緑の中に、『恋愛を表すピンク』が内包されていた。


私も人のオーラが解読出来るし…それなりの恋愛経験あるから、分かる。

なので、ゴウくん『引いているけど、ちょっとだけ興味深い雰囲気』が何かはわかるのだ。

むろん、それは『頬っぺた薔薇色』のニイの感情に「恋」を感じ取ったのだろう。

因みに『恋を感じ取った件』は、この後も発生する。


それは、シイが引っ越しをした時の事だ。

ニイと私が、引っ越し先にお邪魔した事がある。

シイの部屋は、広くない部屋だった。

それもそのはずだ。

何故なら、物がほとんど無かった。

革のソファーに机と簡易ベットがあるだけだった。

そして机の上に、本が雑多に積まれていた。

更に少し異様な事に…机の上に「木彫りの漠」が数体置かれていた。

雑多な…机の上だけ『みっちり』。

それ以外は…生活感無く『がらんどう』

「なんかよお!凄まじいものを…感じんな!!」

ニイが、早速感想を喚き立てた。

「そう?どの辺りが?」

シイが、掘り下げて来た。

「そのよ…机の上だけ、『物ぎっしり』なのに、『他はがらんどう』なとこだよ。ある意味、バランスいいぜ…」

無論、ニイは…皮肉を込めて答えている。

自分の少し引き気味の気持ちを、皮肉で表している事が、オーラの色や出方からも、わかった。

「簡易ベット?…何だオメエ、これ…使ってねえじゃねえか?」

ベットを包むビニールが軽く埃を被る様に…ニイが素っ頓狂な声を挙げた。

「私は、ソファーで寝ている。簡易ベットは一応は買ってみたが…やはり当初の予想通り…使用する事も無かった。」

シイの返答に対し、ニイの声色に、驚きの音がより加わる。

「熟睡、出来んのか?!」

「問題無い。日中眠くて仕方が無い…という事は無い。」

「寝心地良いのか?このソファー?試していいか?!」

シイの返事を待たずに、ニイがソファーへ腰掛けた。

ソファーにニイの体重がかかり、重苦しい『ギュー』と言う音が…鈍く部屋に響く。

その音をを遮る物が…元より部屋に存在しない為、鈍い音がやけに部屋中に反響した。

「座り心地は、悪かあないけどよお…ちゃんと寝た方が良くね?…オメエ、どうやって寝てんの?」

ニイの質問に、シイは言葉答えずに…ニイの隣に座った。

またもや『ギュー』と言う音が、鈍く部屋中に響く。

シイが、雑多に置かれた本の上に…綺麗に畳んである毛布を広げ、それを自分に掛けた。

「座ってたまま寝てんのか?」

「『座って寝る』『横になって寝る』それぞれ半分程の割合だな。」

「俺は寒がりだからよ…毛布でしっかり包まれてねえと…寝れない派。座った状態だと難しくね?」

すると、隣に座るシイは、またもや言葉で答えずに…行動で応えた。

自分に掛けてる毛布を、ニイ迄伸ばして掛けたのだ。

一瞬だけ、ニイが驚いた表情を見せた。

「何か…結構温ったけえな…オメエと…ぴったりくっついている、からか?」

「革のソファーだ。保温性は高い。」

シイはニイの問いに対し、直接の否定も肯定もせずに答えた。

そしてそこから、ニイとシイは無言のまま…お互いをジッと無表情で見つめ合う状態となった。

すると次第に…ニイのオーラに変化が出て来たのだ。

薄いピンクの色のオーラが発現し、その色と量が増して来たのだ。

私は驚きと戸惑いで、絶句した。

あれ…?ニイは『典型的な女好き』だった…はずでは?

『美しい女性がいたら声を掛ける事は礼儀』

『美しい女性に声を掛けせずに、スルーするのはバカ野郎』

彼の暮らす地域の男性は総じて…そういう国民性なのだそうだ。

彼はその『国民性の申し子』だった。

だからこそ、ニイは自分に特定の恋人が存在しても、他の女性と仲良くする。

私はニイを面白い人と思ってはいるが、恋人や夫にはしたくないタイプだった。

ここまで思いを巡らせたところで、更に私を混乱させる発見があった。

これは…私の『オーラが見える』故の、発見ではあるが。

ニイのオーラに…赤色が出現したのだ。

その分量が、ピンク色オーラの出現時と比較にならない勢いで…増して来た。

そう例えると、ホースから勢いよく噴き出す水、あるいは噴火する火山、それらの表現がぴったりだった。

が、この変化に一番驚いていたのは、ニイ本人だった。

「やべえ…やべえっ!!」

そういうと、慌ててソファーから立ち上がる。

「どうかした?」

シイがキョトンとした表情で、慌てふためくニイに声を掛けた。

「どうすしたも何もっ!…反応…やべえっ!動悸とかっああっ…俺っ!帰えるわっ!!」

ニイは…三秒も経過しない内に、部屋から出て行った。

後は、ひとりだけ『事情を分かりたくない程わかっている私』と…『事情を一ミリも理解してないシイ』が取り残された。

「ニイは、何故…慌てて出て行ったの?」

当然、シイは私に尋ねて来た。

私はなるべく…無表情を装って答えた。

「さあ、私もよく分からない、わ。」

君でも、読めない事あるんだね、シイはそう呟くと毛布を畳み始めた。

「分かりたくない、が正解かしら」

私は心の中で呟く。


それから、ニイとシイのふたりは、基本はただの「悪友」同士として接する日々が続いた。

それはもう…普通に何処にでもいる『悪友同士』

そうね…例えば…私や、シイの暮らす地域では「ママンドラゴラン祭」と言う奇祭がある。

「ママンドラゴラン」とは、こちらの世界でのみ、生息する植物だ。

ドラゴンの形に似た根菜だが、どれも一つとして同じ顔や形が無い根菜。

土の中に埋もれている間は、寝ている為、当然大人しい。

しかし、土から引っこ抜かれた瞬間、大声で泣くのだ。

母の胎内から出て来た胎児が、胎外の空気に驚き…産声を上げる様なイメージだ。

この「ママンドラゴラン祭」は、祭り参加者が2チームに分かれ「抜き立ての

ママンドラゴラン」を相手に投げてぶつけるのだ。

「ママンドラゴラン」の泣き声と泣き顔、更にはぶつけられた痛みに耐えかねて…参加者が、次第に離脱していく。

制限時間内に、多くの参加者が残っていたチームの勝ちなのだ。

最後は引っこ抜いた「ママンドラゴラン」を調理し、参加者全員で食べるのだ。

ニイがシイを誘って参加し、シイは喜んで参加するのだが、お互いに投げる予定の「ママンドラゴラン」に喜んで食用色素でペインティングを施す…そんな調子の「悪友」だ。

余談だか、ペインティングされている時の「ママンドラゴラン」ときたら…擽ったいのか、息絶えるまで…ずっと笑っていたわ。土から引っこ抜くと…数分しか生きられないの。

私はその「奇祭」には、参加せずに…屋上から見ているだけだったけど。

「ママンドラゴラン」が息絶える瞬間を思い出すと…ちょっと悲しくなって来るから、「ママンドラゴラン祭」の話はここで終わるわ。

何はともあれ、『ソファー事件』以降のふたりは、そんな典型的「悪友」だ。

が、偶にアクシデントの様に『ソファー事件』に似た出来事が発生する事はある。

『悪友』と言っても、少しづつ関係は変化して行ってたのかしら?

私はそう思った。

『性別の分化』

シイやサンの一族の特徴のひとつについて、ニイがその事実を知ったのは、『ソファー事件』から暫く経過してからの事だ。

「自分の周囲に男性が多いと女性…逆も環境だと男性に分化する事が多い。とは言え、周囲の環境要因が分化の絶対的な決定打ではないが…」

「特殊体質」の章で、シイが私に打ち明けた「一族の身体的特徴」を、シイは悪友であるニイに対しても、打ち明けた。

ニイは、シイの話を非常に驚いた表情で聞いていたが、少し口をパクパクさせた後、努めて…軽口を叩いた。

「クマノミ……みてえだなっ!」

ニイの軽口に対し、シイは軽く肘鉄を『悪友』に食らわせた。

ニイがそれに対し、大げさに「防御」の姿勢を取る。

そこから、ニイは「防御」姿勢の状態でシイに言ったのだ。

「もしもさ…」

「もしも?」

「も、も、もしも…」

「も、も、もしも…?」

ニイの「どもり」を真似しながらも、シイが話の先を促す。

「も、もしも…オメエ、女に分化したらよ…」

シイが両眉を上に持ち上げて、話の先を促す。

「女に分化したら、俺が嫁に貰ってやろうか?」

「ない。」

シイに秒で返された無機質な返事に…ニイはガクリと…肩を落とした。

ニイを纏うオーラの量が、クレープ皮一枚程度の分量に減ってきた事実からも、彼が『本気で凹んでいる』事が分かった。

「おい、君。万が一にも、私が女に分化してもだ。君の『国民性』によるナンパの類の気遣いは不要だ…と言うよりも、今のがナンパの類なのか?勘弁してくれ。今の恋人を大切にしろ。それが『君の地域の結婚観や恋愛観なのだろう?」

ニイは恋人が居るが、他の女性ともよく浮気をしていた。

シイも私も『ニイと恋人…プラス偶に浮気相手』の修羅場は、何度か目撃している。

シイのオーラが物語っていた。

『余計な揉め事は御免被る』

無論、シイのオーラには…ピンク色や赤色オーラは微塵も無く、「ドライ」な色を放っている。

そこからも、ニイの心情に…シイが一ミリも気付いていないのは、確かだった。

相手が男性でも女性でも…シイは「恋」も感情が分からなかったのだ。


10


present day2~エピローグ続き


「I don't like you, but I love you」


『この部分の何が気に食わなかったの?』

原稿内にある…問題と思われる部分を指差して、私はシイに尋ねた。

しかし、私の質問にシイは答えなかった。

シイのオーラは、複雑な感情同士が絡み合っていた。

「戸惑い」「怒り」「悲しみ」「不安」「羞恥」「愛情」

それ等が…其々絡み合い『知恵の輪』の様相を呈し、解けそうも無さそうだった。

それから、其々の感情のオーラが、ゆっくり溶けて混ざり合い…なんとも言えない色と波紋を描いている。

その様子を見て、私は悟った。

『知恵の輪』状態になっている状況が、シイの感情を表している。

「自分でも分からない」のだ、と。

私は戸惑った。

『知恵の輪』が解かれる迄に、一悶着も二悶着もありそうだと感じたからだ。

私は戸惑いながらも、苛つきながらも落ち込むシイを宥めた。


*****

シイの静かな寝息が、もたれ掛かった私の肩にかかる。

私が「戸惑い」に対して、思いを巡らせる事に夢中になる中、シイはいつの間にやら…私の隣に移動していたらしい。

恋人時代と変わらないこの様子に、私は軽く笑う。

全く…人の気持ちも知らないで。

こんな場面を報道側にスクープされたら、それこそ「好き放題」「勘ぐり放題」の記事が出る危険があるだろう。

ああだけども…。

シイの穏やかな寝顔を眺めていると、「そのままにしてあげたい」気持ちが強まってくる。

その気持ちは、「寝る子を起こしたく無い」母親の気持ちに似ていた。

母親。

母親、ね。

『あなたの母親役なんて…望んで無い』

恋人同士だった頃は、そこも『別れ』の原因だったのだ。

だが、今はどうだろう?

成り行きとは言え、それを引き受けている。

おかしなものだわ、恋人同士の時は『母親役を無意識に求める』シイに対し、ちょっとした憎たらしさを…感じていたのだ。

そのシイの寝顔を、私はじっと見つめる。

すると…妙な気持ちが湧く。

その気持ちは、じわっと水面に佇む光に感覚が似てた。

私はシイを起こさぬ様、気にしながら溜息をついた。

ああ、そうね。

認めざるを得ないわ…。

シイと別れした後も、私はシイに対して何らかの『情』を持っている。

その情の名前は何だろうか?

『家族愛』

『友人愛』

ピンとこない。

だが、その情の根底にある『慈しみ』を、自分自身でも感じ取るのだ。

これが『愛』なのだろうか。

きっと、だぶん、そう…なのだろう。

シイへの『恋』は無くなったが、『愛』は残ったのだ。

今のシイも、きっとそうなのだろう。

『恋』は元より無く『愛』だけ残っている。


今はお互い『愛』しか残ってない。

だから、恋人同士の時よりも上手く言ってるのかな?


シイは、何かにつけて私を頼るのだ。

私を頼りにしてくる時のシイの中に、『幼子』を感じ取る事がある。

その時の彼女は、ほんの少し『オドオド』している。

もしかしたら、自分のそんな状態を『頼りなくて恥ずかしい』と思っているのかもしれない。

シイは、母親というものを…知らずに育った。

その影響だろうか?

『無条件で他人を頼る』という事が、苦手な様に感じる。

色々と、思いを巡らせていた時だ。

シイが、ハッと目を大きく開いた。

「起きちゃった?」

「…うん、いや…」

シイはそれだけ言うと…自分の手を髪の毛の中に入れ、地肌をくしゃくしゃと揉んだ。

そのせいで、被っていた頭巾らしき物がずれた。

私は軽く笑いながら、ずれた「頭巾らしき」被りものを直してあげた。

全く、これでは本当に「母親」だ。

シイの顔を覗き込む。

シイは浮かない表情をしていた。

「また、良くない夢でも見たの?」

「………うん」

私の質問を、シイが鈍く肯定した。

相変わらず、ね。

私は心の中で呟くに留めた。

『良くない夢』

言ってしまえば「悪夢」だ。


シイは幼少期から、この悪夢に悩まされてきた。

私はシイのメンタルを心配し、セラピーやら、カウンセリングやら情報収集しては、シイに勧める。

しかし、シイは頑固だった。


『悪夢を見るって事は…寝れてはいる。睡眠は取れてるから気にしないで』

そう言っては、悪夢を放置するのだ。

無論、恋人同士でいた頃からシイは『頑固』な一面があった。


「心許し合った愛するふたり」が寄り添いながら眠る、素敵な夜。


「悪夢」はそんな私達の毎日に、容赦なく顔をのぞかせた。

ふと、夜中に目を覚ます。

すると、シイが、ベットの向こう側で腰掛けながら…ぼーっとしている事があった。

その時のシイは『疲れた』表情を見せていた。


そして時折、シイは疲れた顔をしながら、自分が彫った『木彫りの漠』を…力無く眺めているのだ。

『悪夢を食べると言われる漠』

シイが漠に何かを縋っていた事は否定出来ないだろう。

シイの机に飾られた何体もの『木彫りの漠』達がそれを物語っている。


シイは私より年下だ、多分。

シイは、自分の生年月日が分からない。

それは、シイが生い立ちが複雑な事が要因だ。

シイの公式の生年月日は、シイが『一族の一員であると認められた日』になっている。

その事について…私はサンから一方的にだが、以下の通りに聞かされている。

無論、サンが一方的にシイの生年月日について語り出した理由は…『十八番』の「マウント」だ。


「知っている?今この世で…「私しか知らないシイの秘密」のひとつ!シイが公開している自分の生年月日って…本物じゃないの。私は本当のシイの生年月日を知っているよ!占星術的な生年月日ね!…シイが言っていたの『お前が生まれた日は、青いオーロラが見えた』って。本当のお父さんが、そう言ってたんだって!。で、私の父さんにその事を言ったら、『珍しいオーロラだ、滅多に出ない。確か、何かの記録にあったな』って。…で、調べたら、××年×月×日だったんだ!だからそれがシイの誕生日!父さんにもそれ言ったらさ…「戸籍登録はもう終わってしまったから…残念だ」だってさ!でもやっぱ、公式の登録のままでいいや!…だってさ、だってさ!…ホントの生年月日だと、私と同い年になっちゃう!私、シイは自分の子分だと思っているから、年下の方が扱いやすいや!!」


本当の生年月日であれ、公式の生年月日であれ…シイは私より年下だ。

そしてその年下のシイを、私は昔から「老成した子」だという印象を持っていた。

乗り気でないタスクを『己を無にして取り組む』姿だけが、私にそう思わせたのではない。

悪夢から目覚め、その余韻を引きずるシイの『疲れた表情』。

この印象の強さも「年の割に老成した人」というイメージを持った理由だ。


悪夢を見る事に悩む本人が、それに対して真剣に向き合う気が無い。

その内、私自身が夢の中で『悪夢とワルツを踊るシイ』の夢を見る様になる。

私の夢の中に登場した悪夢は、顔の無い『ドロドロの個体』だった。

それは、例えれば、チョコレートファウンテンに似ていた。

王子様であるシイが…『ドロドロ個体の悪夢』とワルツを踊り続ける。

そして最終的には、「悪夢」のドロドロに、シイが取り込まれる…という、何とも後味の悪い「悪夢」であった。

因みに、シイの毎日の「睡眠のお供」状態である「悪夢」は、毎回違うバージョンらしい。

「そのせいかな?…今だ、「悪夢」に慣れない。「悪夢」は「悪夢」でも毎回同じなら耐性が出来て、平気になるかもしれないのに…困ったものだ。」

その内、私は大好きな「チョコレートファウンテン」を気持ち悪いモノに感じ、自分の視界に映るのさえ、拒否反応を示す様になる。

それだけでなく「他人事」の様に「悪夢を見る自分」を語るシイに対して、私は堪らなくなり…シイのそういう部分から距離を置く様になった。

それが良くなかったのだろうか?

私達の関係に、変化が発現したのだ。

それを語るには、シイ「現在の結婚相手」について述べる必要があるだろう。

11


キュウ

シイの戸籍上の配偶者の名前は「キュウ」という。

彼を、一言で言えば「変わり者だ」。

「変わり者」とは言っても、シイとは違ったタイプの「変わり者」だ。

シイは第一印象では、他人から「取っ付きにくい」印象を持たれることが多い。

それに対し、このキュウという人物は、「飄々とした」印象を持たれる。

「彼の『童顔』の『飄々とした部分』これ等にコロっと騙されるのだ。だが、中身は抜け目ない。『抜け目が無い』という表現はややもすると、狡猾なイメージをもたれる。だが、不思議と彼にはそのイメージはない。茶目っ気があり、細かい事に気づくヤツだ。私は彼を気に入ってるよ。シイも見る目がある。」

シイが、「政略結婚」のお相手にキュウを選んだ事を知ると、BOSSはそう言った。

BOSSのキュウに対する評価は、概ね間違い無いだろう。

BOSSの仲間内でも、皆が彼に向けるオーラに「ネガティブ」なモノは感じない。

しかし、私は…何となく彼に苦手意識を持っている。

彼と私の間に、何か苦手意識を持たせる出来事があった訳ではない。

私の彼に対する苦手意識は、彼のオーラだ。

基本、彼のオーラは色の変化、オーラの自体の変化が乏しい。

変化が全く見られないという訳でないが、変化に乏しい状態では当然「読み辛い」のだ。

愚痴である事は自分でも百も承知だが、言わせて欲しい。

オーラが「読み辛い」。

「辛い」のだ。

それ故に解読に苦労する。

これが仕事の案件ならば、私自身の「メンタルの負荷」と「報酬」及び「分析結果への評価」が釣り合わない、「お断り案件」だ。

それは、シイとの「政略結婚」の話を初めて耳に入れた時も、キュウのオーラの変化は無かった。

シイは仕事の役目上、「既婚者」である必要がある状況だったと…6の章で述べた。

それは「既婚者」でないと「箔がつかない」

だから「既婚者となる必要があるという都合」に理解を示す「自分の都合の良い」相手と婚姻関係を結ぶ。

白羽の矢が立ち、「キュウ」が「都合の良い相手」に選ばれたのだ。

彼が選ばれた理由は、次の通りだ。

この婚姻関係に互いの両家の財産を含む、諸々の権利に干渉しない事。

シイの養父の一族と、姻戚関係が皆無である事。

この二つだ。

おまけに、このキュウという人物はシイと出会った時点では既に「既婚者」であり、既に「二人の妻」が居たのだ。

これもシイとの婚姻に有利に働いた。

『既に妻がふたりいるのだ…三人目と多少離れても寂しいとクレームを出される可能性は薄い。」

人というのは相手の状況を、自分の都合良く解釈する部分がある。

この「自己中な解釈」が「政略結婚」に対し、また有利となる。

更には、これまでに何度も登場した「結婚観」。

キュウの暮らす地域一帯は、「結婚観」が、「家族と一族の結びつき」だ。

つまりは、「シイの暮らす一帯と同じ結婚観」だった。

更に都合の良い事に、キュウには「二人の妻」及び、「婚外子」の『ゴウくん』以外、家族や親戚と呼べる人物は居なかった。

つまりは、三人目の配偶者との結婚に「ああだ、こうだとウルサイ親戚縁者が少ない。

これも「有利に働いた」のだ。

余計な補足ではあるが…キュウのふたりの妻は、シイよりも幼かった。

そこも「ウルサイ親戚縁者」ナシ…素晴らしい!と解釈されたのだ。

これらの要素から、キュウに対して婚姻の話が申し込まれたのだ。

しかも、これら状況を見極め、婚姻の申し込みを下したのは、シイ本人だ。

シイは、養父の部下でもあった為、BOSSの知り合いでもあるキュウとは、ある程度の面識はあった。

仕事で関わった事も…それなりにある。

仕事でキュウと接したシイ自身の「キュウ」に対する評価…それはBOSSと同じだ。

「彼、変わっているね…だが、飄々としている様は、物事へのこだわりが強く無く、柔軟だよ。仕事でもそれが出てるね。」

シイにしては、良い評価をキュウに対し下していた。シイのセリフからも、仕事上でだが…キュウの「柔軟」な部分に助けられた部分、これが大きかったのだと思う。


さて、柔軟な対応。

この部分について、シイから…ひとつ聞いたエピソードを下記の通り。

シイの養父は「地域一帯を治める領主様」的存在である、と前に説明した。

と言う事は、ある程度の想像がつくだろう。

養父同様、「他の地域を治める領主様」も存在するのだ。

領主様同士の関係は…「あちらの領主様とは仲が良い」が「こちらは仲が悪い」が当然ある。

BOSSの「親しい知人達、領内の部下及び親戚縁者」が集まった席での事だ。

宴もたけなわ、となった辺りで「誰と誰が同盟関係で、誰と誰の間が敵同士」…といった類の話題で大いに盛り上がり、ヒートアップしそうな雰囲気が醸し出してきた頃だ。

BOSSがヒートアップする様に、少々困った顔を見せ始めた。

BOSSは、基本穏やかな性格をしているのだ。

そういう類の人間にありがちな…「怒るとちょっと厄介」な部分はあるが…。

そのBOSSの……困った顔を見て、キュウが言った。

「領主様も人間だからなあ~そりゃ、馬があう合わないは…あんだろうな~お、鳥姿が段々増えてきたな…「鷹狩り」一番ベストタイミングだ。だよな?」

BOSSは嬉しそうに、宴を締めて「鷹狩り」に皆を促した。

彼の「柔軟」は「出る杭は…」的が要素が薄い。

そのせいだろうか?彼はBOSSを含め、様々な分野の人々と交流があった。

一応は断っておこう。

私は彼の「柔軟」な部分を「賞賛」する為に、この話を出したのでは無い。

『あちらの領主様とは仲が良い』が、『こちらの領主様とは仲が悪い』

こういう類の事は「領主の代替り」でも変化が起きる。

そして、この比較的近隣の「領主の代替り」が発生した時、困った事が起きた。

「代替り後の新領主様」が、BOSSに対し、あからさまな敵意を示して来たのだ。

代々より、そこの領主様とBOSSの治める一帯は「姉妹都市」と呼ばれる程、友好的な関係だった。

おまけに、BOSSは「新領主様」と、幼い頃は「仲の良い幼馴染」といった間柄だった。

BOSSがストレートに尋ねても、「新領主様」は、マトモに取り合ってくれない。

マトモに、とは言ってもだ…「新領主様」は、礼儀を欠いた行動をする人でないそうだ。比較するものでは無いと分かってはいるが、その点は、同じ「幼馴染」とは言っても…サンとは大違いだが。

「新領主様」は、マトモな返事を寄越さない代わりに、形式ばった「挨拶文書」を、BOSS宛に送り付けて来る。送り付けられた「挨拶文書」は、当然の如く家紋入であるが、ご丁寧にも「香水」が振られていた。

「新領主様」の「ぶっきらぼう」だが「丁重」であるという…矛盾を感じる対応に、BOSSは大いに悩んだ。

「新領主様」への表敬訪問をBOSSが望んでも、にべもなく断られる有様に…BOSSの治めるこの領内では、「新領主様」に対して妙な噂まで出始める。「新領主様」は「引き篭もり糞ニート」と。

「新領主様」がそう言った状況では、私の「オーラ分析」は「役立たず」だ。

*****

「この香りに…意味があるんじゃない?」

思い付きに近い口調で、シイが言った。

シイの手には、「新領主様」が送ってきた「挨拶文書」が握られている。

「ほら、これ…「新領主様」に代替りしてから、BOSS宛に送られた文書の第一号。…香水無しだよ。対する…第二号の「挨拶文書」は、香水有り。」

シイが二枚の文書を、私の顔の前に突き出した。

「本当だ」

第二号目の「挨拶文書」から放たれる、独特の香水の香りが私の鼻腔を擽ぐる。

しかし、私とシイの「ふたりだけ」で分かったのは、ここまでだった。

「ダメ元で、「キュウ」に何か分からないか聞いてみるか。偶々仕事でこっちに来てるんだ。『三人集まれば、文殊の知恵』と言うし。」

一瞬だが、私の中で…シイの提案に対して躊躇が生まれた。

一ミリ程度の躊躇ではあるが…。

だから、シイの案を私は受け入れた。


*****

「ミモザ…だな、これは。」

キュウは「香水」の匂いを嗅ぐと、その種類を即答した。

「君は花に詳しいの?」

「今は少し落ち着いてきたが…一時、亜種中の亜種探しにハマっていた事は、あった……ああ、コイツのビニールハウスに…招き入れられてな。そういや、珍しいミモザの亜種について…嬉しそうな顔で語っていたな、ああ…覚えている。すげえ珍しい亜種だった。花はステレオイメージの黄色だが、葉が虹色なんだ…お前の目と同じだな…うん、そうだ覚えている。この強い匂い。」

鼻を軽くひくつかせて呟くキュウ対し、シイが尋ねた。

「コイツ呼ばわりしていいの?…「新領主様」は、君の好奇心を快く満たしてくれた相手じゃないか?」

「お前にだから言ってんだよ…」

キュウが低い声でつぶやいた。

「話が見えない。理解出来る様に言ってくれないか。」

シイのクレームに対し、キュウが組んでいた足を組み直した。

それから、顔をシイに近づけて言った。

「コイツ…お前達が「新領主様」と呼んでるヤツは、女だって事…お前知ってんの?」

そう言うと、文書に印刷された「新領主様」の名前を、シイの目の前に突き出した。

「いや…知らな、い…。正確に言えば、先入観を以て男性だと思っていた。名前も男性に良くある名前だ…しかし、偶に女性でも…この名前の人間はいる。うん、確かにいる、な。」

シイのオーラに、少しばかりの驚きの色が浮かぶ。


私も、シイと同等程度に驚いていた。

「って事は、オチチウエ様(BOSS)も…「新領主様」を女性と認識してないって事?」

キュウの目が、シイと私を交互に見た。

「知らないだろうね。『彼は何故…』と繰り返し呟いては、頭を抱えていたからね。」

シイは、抑揚の無い口調でキュウに答える。

それから、シイとキュウは「挨拶文書」を挟んだ状況で、お互いを見つめ合う状況となった。

私も「その状況のふたり」を見物する格好となる。

ふと、私は不思議な感覚に襲われた。

次の瞬間、シイのオーラが、変化の兆候を示す「予兆」的動きを示した事を…私が、自分の目の端に捕らえた…その時だ。

シイが、キュウの手から「挨拶文書」をシュッと取り上げた。

「どうもありがとう。」

キュウに礼を述べると、シイは颯爽と部屋を後にした。

私もキュウにお礼を述べ、シイの後に続こうと…口を開きかけた時だ。

「アイツって、結構…強烈なキャラだろ?」

「え?」

思いがけない質問に…私がキョトンとしてると、キュウが言った。

「『虹色葉っぱのミモザ』みてえに、あいつからは…独特の強烈な香りがプンプンするよ」

「不思議に似るんだな…虹色しか共通点ないのに」

変わった事を呟くキュウに対し…私は、リアクションに一瞬困った。

が、シイの後を早く追いかけたい気持ちが強かった為、キュウへの直接お礼の言葉を口にせず…頭を『ぺこり』とだけ下げて、シイの後を追いかけた。

*****


「これを養父に渡して、こう伝えてくれる」

キュウのアドバイス…と表現して良いものか不明だが、そこから数時間も経過しない内に、シイが私に頼んできた。

シイの手には、ミモザの小さな花束が握られていた。

無論、その葉は虹色ではなく…緑色。一般的なミモザの花だ。

「この件は…一旦、私にお預けけださい。そして「新領主様」との表敬訪問のお約束が叶った際は…BOSSが幼馴染同士『水入らず』のお時間を設ける事を…お約束下さい、と。」

シイの意図が不明だ。

私の中で不安が膨らむ。

私が正直にそう伝えると、シイは不思議そうな顔をして…前置きから始めた。

「これまでもそうだったが…君の方が、私よりも『恋愛事』の勘が働きそうだなものだけどね…私と君は『ツーカー同士、これで何が言いたいか…わかるよね?」

私は全くわからなかった。

シイに伝えると、シイは少々諦め顔を見せた後、先程の「『新領主様』が女である話」を語り始めたキュウ同様に足を組み直し、ぐいっと…顔を私に近づけて言った。

「過去の終わった恋は大っぴらにするものではない。未だ引きずった恋なら尚更そうだ。認識間違いない?」

そのセリフは『今までのシイ』を知る私に、驚きを与えた。

シイの口から告げられた「次のセリフ」は、私の驚きをより大きくするモノだった。

「養父は分からないか…『新領主様』は、今までの過剰な反応から推察するに、養父を男性として慕っていた可能性が高い。ああ、だけども…養父は自分の幼馴染が、女性だと知らない可能性が高いな…でなければ、「新領主就任祝」の品として「シルクトップハット」なんて贈らないだろうから。その贈答品を贈った後、『新領主様』の反応が神経質になった…拗ねてる、という表現が正しいかな…以上の事から新領主様は、養父に恋愛感情を持っていた可能性が高いし、今でもその感情に未練を引きずっている可能性が…ん、どうかした?」

驚きにポカンと口を開く私を、シイが心配そうに覗き込んだ。

「…いえ、何でもないわ。気にしないで。」

何故、「何でも無くない」癖に、「何でもない」という「嘘」が出たのか…。

自分でも分からない。

分からない。

変だ、変だ…だっていつも「分からない」という反応を示すのは、シイの役割だったはずなのに。

今回は、分からないという反応を示しているの…は私の方だ。

とはいえ、私が分からないのは「新領主様」の恋愛感情ではなく、シイの急激な変化なのだけれど。

私の戸惑いを置いてけぼりにして、シイはしゃべり続ける。

「養子とは言え、子である私からこの件を伝えるよりは、ロクぐらいの立ち位置の人物から言われた方がいいかと思って…君にお願いした次第だ。」

「………………承知したわ。」

承知したけど、承知してない。

不思議な気持ちで、私は伝書鳩を引き受けた。

*****


「BOSSが言っていたわ…『シイの心遣いに感謝するって』」

私のセリフに、シイが満足気に頷いた。

シイの表情もオーラも、自分の予想通りに事が運んだ時に見せる「満足」が見て取れた。

先程の「分からない件」の違和感を引きずりながら、私は言葉を続ける。

「香水」が「ミモザ」である事と、あなたの憶測を伝えたら、BOSSは少し涙ぐんでたわ。そしてこう言ったの。『そういえば、ミモザの庭園で幼い頃によく遊んだ。何故それを…忘れていたんだろう』と言ってたわ…BOSSは、幼馴染である『新領主様』が女の子だという事を…当時から知らなかったらしいの…幼少期の『新領主様』は、髪の毛が短くて、ズボンばかりを着用していた子だったらしいわ…BOSSは『新領主様』を、男の子だと思い込んでいた事を反省してたわ。」


*****

「キュウ、先日は世話になった。君の力添えのお陰だ。問題は解決したよ。」

シイがキュウにお礼の言葉を伝えた。

その日は、奇しくも、「BOSSが『新領主様』である『幼馴染殿』との『水入らず』の会談」を果たした日だった。

シイにお礼を述べられ、キュウは一瞬キョトンとした表情を見せた。

彼の表情が言っている。

『何を言っているか分からない』と。

彼にとって「ミモザの件」は忘却の彼方である事は、オーラが見えなくても表情で判別できた。

そのキュウに対し…シイが屋敷の入り口に飾られた花を、顎で指した。

「おっ…おおっ!あれは…あれだな!つまりあれって事かっ!」

見覚えのある「亜種ミモザ」に、キュウの顔が少し綻ぶ。

話が通じた状況に、私も思わず笑顔になった。

「亜種ミモザ」は「新領主さま」…つまりは、BOSSの「幼馴染殿」手土産だ。

「キュウ、ひとつ教えて欲しい。」

亜種ミモザを微笑ましく見つめるキュウに、シイが声を掛けた。

「亜種のミモザの話のをした時の事だ…君は急に『コイツ…女だってお前知ってんの?』と、急に尋ねて来た。」

キュウが視線を、亜種ミモザから遠くへ遣って答えた。

「ん、ああ…そうだったけ、な?…あんまり覚えてない。ま、言った事にしておこうか…で?」

「養父の幼馴染が女性だという事が、今回の問題解決の糸口となったのだ…そこで、改めて君との会話を思い返し、疑問が湧いて来たのだ…もしかして、君はそこが解決の糸口だと…匂わせていたのか、と。」

シイの質問に…キュウはふっと笑った。

その笑い方は、いわゆる「少年漫画」に出てくるキザ役担当の見せる「フッ」という笑い方では無く、「思い出し笑い」に近かった。

「ああ、あれな!強烈なキャラなんだよ…ほら、噂をすれば、ほらっお出ましだ。」

今度はキュウが、顎で「噂」の人物を指した。

踊り場の大階段から、「幼馴染殿」をエスコートしたBOSSが降りて来た。

「こんな日が来るなんて…幸せ、もうっ…いや~ん!!」

「幼馴染殿」がBOSSのエスコートする手を解き、BOSSの腕に自分の手を絡ませた。

「初日だから、頂いたシルクトップハットの為に~燕尾服う~着ちゃったけど~明日は、あたしのお気に入りの「白いワンピ」にするの~それはね、バルーンスリーブのレースが~もうヤバいっ!って感じのお気に入りなの~。それ着るから普段のあたしを~MY sweet HEARTの目に…焼き付けて!うふっむふふっ!」

シルクトップハットを被る初老の紳士…「幼馴染殿」は冷や汗を浮かべるBOSSにしなだれかかった。

BOSSを愛おしそうに見つめつつ、微笑みを湛えた唇は赤い口紅が塗られ、白い化粧から青髭が浮き上がっていた。

シルクトップハットからは、溢れんばかりの「縦巻きロールヘア」が「しだれ柳」を連想させるかの如く、飛び出している。

シイは絶句して…その様子を見つめていた。

『思ってたんと違う』

シイの表情とオーラが、そう物語っている。

まあ、私も同じ事を思っていたんだけど。

「女だと言っていたではないか!」

シイが、キュウに向かって言った。

シイの声色には「驚き」の感情が、満タン状態だった。

そして「知りたい」を示すシイの緑オーラが…物語っている。

『君が「女性だと言った理由を説明しろ」と。』

「…性格が、女って意味だ…強烈なキャラって言ったろよ。」

キュウの言葉に…シイが溜息を吐いた。

シイのオーラに、戸惑いと悩みが発現している。

「シイ、何を悩んでいるの?BOSSに「あなたの幼馴染は女性だと」間違った情報を与えてしまった事?」

「いいや。」

シイは私の予測を即座に否定し、素直に悩みを披露した。

「養父にそこを咎められたとて…そこは今更だ。そこの正答は「謝る」以外ない。…BOSSの「幼馴染殿」を「ムッシュ」と呼ぶべきか…「マダム」と呼ぶべきか…それが問題だ。」

「男女問題」「恋愛事」となると…シイはやはり「分からない」のだと思った。

にしても、少しズレるわ、シイ…。

私は、自分の知っている「安定のシイ」に胸を撫で下ろす。


しかし、「変化」は既にそこまで迫っていたのだ。


*****

「おお、そういや例の…婚姻の申し出の件だけど、な…いいぜ。」

キュウが帰り際に…思い出したかの様に、シイに話しかけてきた。

「承諾と、いう事?」

キュウの返答を知り、尋ねるシイのオーラは見慣れたビジネス色の「グレー」だ。

キュウもまた、いつもの如くオーラから感情が判別出来ない。

が、表情や声色は、雑談する時に見られる「平常心」そのものだ。

一般的に言われている「人生の一大イベント」である結婚。

ふたりとも…この調子で大丈夫だろうか?

私の中に、一抹の不安がよぎる。

「私は長くこの仕事をしない。私が引退したら君の都合で「結婚」を「解約」していい。」

「契約だな…ホント。お前さ、ファンクラブ作ってファンの誰かに…それお願いした方が簡単だぞ。」

飄々とした口調で、キュウがシイに提案した。

軽いジョークか?

クレームか?

彼がどう言った心境で、そのセリフを言ったかは不明だ。

が、彼のオーラは常に平常心状態である。

更に私は、今迄…彼のオーラの変化を目にする事が全くなかった。

変化が無いイコール平常心と判断したい。

が、トーク内容それ自体は「シリアス度強め」の内容だ。

オーラは嘘つかない。

それだけに「心が見えない」事は、ある種のもどかしさと不安を感じる。

「君の提案を採用したとしてもだ…ファン全員の身辺調査を行うのか?それは非効率だ。」

「だから…親戚縁者が薄く、「メンドクサクナイ俺」に白羽の矢が立ったんだろ~ちゃ~んと理解してるよ…つーか、お前、自分のファン多いって…ちゃんと認識してんのか、憎いねえ」

このふたりの会話は稀に…「悪友」同士のニイとシイの間の会話を、彷彿させ物がある。

だが、「ニイ、シイ悪友コンビ」の時と同様に…私は無邪気に彼等のやり取りを楽しめなかった。

楽しめない「何か」があった。

それは、このキュウという「変わり者」の…読めないオーラのせいだろうか?

「まあいいさ、承知してやる。…お前さ…女に分化したら、俺の子産めよ?」

キュウがさらり、と「ぎょっと」する事を言った。

彼等の周囲に偶々いた人々も、一瞬キュウとシイに対し「チラっ」と視線を遣った。

シイやサン一族の特殊体質事情は、「特別なシークレット扱い」ではない。

とは言え、全ての人間が知っている訳ではない。

『なんか、変わった会話してんな~ジョークか?』

キュウとシイに視線を遣った人々のオーラは、そう物語っていた。

「俺は女に分化すると思う。」

キュウはそれだけ言うと、サヨナラの挨拶も無しに…キョトンとするシイに背を向け、屋敷を後にした。

「大丈夫、シイ?」

『はてな一色に染まるオーラ』を放つシイに、私は声を掛けた。

「やっぱり、変わっているね、彼。」

シイは、私の問い対し、直接の肯定も否定も示さず応えた。

「え?」

「恋愛」「男女の事」というのは一般的に秘めるモノ…認識合っているよね?」

シイの『はてな一色のオーラ』の中に…「過去」を表すオーラが、皮一枚分ではあるが…薄らと出現した。

それを見て私はハッとした。

「ニイの座学」

「うん…ロクとは『ツーカー』で話が通じていいね。「結婚」は公式なモノだが…これは「公式認定前」だよね。だからこそ、私は養父と『幼馴染殿』の会談は『水入らず』と言う『人払い』をさせたんだ…キュウは人前で「秘めるモノ」を平気で口にするんだな…私には難しくて『正答』が分からない分野の座学だよ。」

シイのセリフの後半部分は「独り言」に近かった。

が、今度こそ私は何の言葉も発する事が出来ない程、固まってしまった。

だってやっぱり……この人分かってないんだもの…。

「変化」

さっき私が感じ取ったシイの「変化」は、やっぱり…気のせいだった。

「変化って…何が?」

私の独り言は、思わず口から飛び出していたらしい。

「気にしないで。」

私は笑顔を作って、シイに言った。

『あなたはやっぱり私の知っている『安定のシイ』だわ。』

私は心の中で呟いた。


それが、「大いなる私の思い違い」である事を、私は次章で知る事となる。

12


Present day ~回想1


シイの控室のドアを前に立つ。

先程の静けさと打って変わり、そこには騒がしさがあった。


ヘリコプターの爆音。

吹き荒れるダウンウォッシュの風。

それらが、控室のドアを「ワイドオープン」状態へと展開している。

目の前には、私とシイが、先程迄一緒に腰掛けていたソファがあるが、肝心のシイが居なかった。

その状況に驚き…私はシイに飲ませる為に手に入れたミネラルウォータを、思わず床に落としてしまった。

私は控室を見渡す。

ソファの左側に位置する部屋の…引き戸が開いていた。

引き戸のある部屋へ向かおうと、私は体を左側へ向けようとする前に気付いた。

「引き戸と平行線状態に設置された鏡」に映った…ある人物に。

キュウだ。

そして向かいにシイもいた。

私は驚き、鏡のリフレクションを凝視した。

ふたりは、何かを言い合っていた。

ヘリコプターの轟音のせいで、会話の内容は聞こえない。

だが、ふたり共「鏡越し状態で、私に見られている事」に全く気付いていなかった。

その時だ。

突然、ヘリコプターの轟音が止んだ。

それと同時に、ふたりの会話が私の耳に届く。

「なんて事を…してくれたんだ!…君は院長に、何と申し開きをするつもりだ!」

シイの動揺した声が、私の耳に届いた。

「こうでもしないと…お前は、俺と話をしようともしないだろ!」

少しだけ声を荒げたキュウが、シイに反論している。

キュウは声を荒げてはいるが、鏡越しに映る彼のオーラは、平常運転だった。

対するシイのオーラは、「驚き」「戸惑い」「怒り」で構成されている。

その時、キュウがシイにゆっくり近づいた。

シイが後退りする。

シイは、聖職者が着用する丈の長い衣装に…完全に慣れていなかったのだろう。

キュウが近づいてきた事に「明らかに戸惑ったシイ」は、後退りしながら…自分で自分の裾を踏んでしまう。

当然、シイは軽くよろけた。

シイが床に膝を着く前に、キュウがシイを軽く抱き止める。

そのふたりを目にして、私は軽いデジャヴを感じた。

私は記憶の中から、デジャヴの正体を探した。

私の記憶が答えたデジャヴの正体は、「舞踏会のシイと美女」だった。

美女にキスされ、驚いたシイが後退りした。

シイに後退りされ、バランスを崩して倒れ込む美女。

王子様のシイが、美女を抱き止める。

「聖職者の衣を纏った」シイは、「舞踏会の王子様」のシイの時と比べて、完全に立ち位置が逆転している。

それを認識した瞬間、私の中で何かが塗り替えられた。


『ああ、王子様は…美女になってしまった』のだと。


あの時、私は自分は女だが、美女に好きだと迫られれば…同性とはいえ、テンション爆上がりだと言った。

だが、この時思った。

美女が躓いた時、迷いも無く抱き留めてやれるか?

答えは「NO」だ。


私がここまで自分の思いを巡らせている間、ふたりはじっと見つめ合っていた。

抱き留められたシイは、驚きの表情でキュウを見つめている。

「シイのオーラ、シイ本人の表情も」互いに一ミリの乖離も無く、「驚き」を浮かべている。

が、次の瞬間、そのオーラに変化が発現する。

シイに、ピンクのオーラが出現した。

そして…ピンク色が次第に濃くなる。

その変わりゆく速さは、上昇気流が「竜巻」に変化する様に似ていた。

シイの様子に、影響を受けているのだろうか?

キュウが吸い寄せられる様に、シイに顔を寄せた。

それから、キュウはゆっくりと…シイの唇に自分の唇を重ねた。

その出来事の影響だろう。

更なるオーラの変化がシイに現れた。

シイがこのような短時間で、オーラに沢山の多く変化を見せた事は初だ。

私はその事実に驚き、自分の体を固まらせたまま…シイのオーラを凝視した。

その時だ。

シイの「濃くなる赤色のオーラ」の色の中に、金色が薄らと発現した。

私は再度驚き…シイの「金色オーラ」を見つめる。

「金色オーラ」は、薄らとした光にも見えた。

それは唇を重ねたキュウをも、包み込む形で広がる。

キュウが自分の両手で、シイの頬を包みこんだ。

それからキュウは、自分の顔を少し傾け…より深くシイと繋がろうかとする様に、自分の唇を深く重ねる。

シイが、それを受け入れるかの様に、薄っすらと目を瞑る。

それは私が初めて見た…シイの表情だ。

少なくとも私とキスをした時には、シイが見せてくれなかった表情だ。

シイのその「何とも形容し難い表情」

私はその表情に、吸い込まれる様に魅入っていた。

何処かで見覚えのある表情だ。

初めて見ると言ったくせに、見覚えがある…この矛盾。

見覚え。

そうだ、それは…何かの絵画で見た。

私も脳が、その記憶を探り当てた後、それを全面に押し出してくる。

その正体は、ある有名画家の絵画だった。

そちらの「異世界」で有名な画家「クリムト」の「抱擁」だ。

恋人からキスを受け、うっとりとした表情を浮かべる女性。

彼女の表情は、「うっとり」の一言では説明できない…「恍惚」としたモノが浮かんでいた。

そして、私はその絵画を「何と美しくも、羨ましい」と思ったのだ。

なんとも、妙な感覚ではないか。

元恋人が、別の恋人とキスする姿を…「羨ましいと感じた絵画の女性と同じだ」と認識するなんて。


キュウが、シイの頬を包んでいた手を撫でる様に動かす。

シイはその手に…頬を擦り寄せている。

それからシイは、自分の手を伸ばし…キュウの首元に回す。

シイは、ゆっくりとキュウの首に抱きついた。

そして、私の心臓が…口から飛び出そうな程、「ドキリ」としたセリフを…シイは言った。

「…私は…本当に…ロクが好きなんだ…本当な…」

シイは最後迄、セリフを言えなかった。

キュウが、シイの呟きを自分の唇で塞いだのだ。

キュウが邪魔くさそうに、シイの被り物の聖職者の頭巾に手を掛けた。

と、その時だ。


『ガチャーン!』


派手に「何と何か」がぶつかる音が響いた。

「何と何か」の正体は、「キュウとコート掛け」だった。

「キュウとコート掛け」だけを見ていたら、『ガチャーン!』というクラッシュ音が発生した原因は分からなかっただろう。

私は直ぐ様、シイに視線を遣った。

シイの着用する衣の長裾から、シイの足が伸びていた。

その形を見て、私は直ぐに理解した。

『シイが、キュウを蹴飛ばした』のだと。

その事実を認識し、私は驚き固まってしまった。

キュウも、私同様に固まっていた。

だが、誰よりもこの「事実」に驚いていたのは「シイ自身」だった。

シイは自分の大きな目を、皿の様に大きく開き「事実」を凝視して…固まっていた。

その時だ。

再び、ヘリコプターの轟音と共に…ダウンウォッシュの風が部屋に入り込んだ。

それらが、合図と言わんばかりに「私達三人」は、金縛が解けた様に体を動かした。

シイが、よろりと立ち上がる。

それから、シイは恐る恐る…キュウに近づき、尻餅をつく様に座り込む彼を抱き起こした。

『キュウを抱き起こすシイの姿』を私は認識し、再び私の中でデジャヴが顔を覗かせる。

私のデジャヴがちょろっと囁く。

『王子様のシイは、まだ健在だと』


「…すまない、キュウ。………許してくれ。」

言葉少なめに、謝罪と許しを乞う『王子様のシイ』を…キュウは無表情で凝視していた。

それからキュウは、自分を抱き起そうとするシイの手を振り払い…逆にその手を掴んだ。

再度、驚きの表情を浮かべるシイを、キュウが抱き寄せた。

それから、キュウはシイを己の胸に抱き留めた状態もまま、乱暴に引き摺る様にして…引き戸のある部屋から共に出た。

シイは、驚きの表情を浮かべ、キュウに引き摺られるがまま…自分の足をもつれさせながら、ついていく。

いや、連れて行かれてるという表現が正確だろう。

そしてキュウは、ヘリコプターが「ホバリング」するバルコニーに…シイを引き摺って行く。

ああ、何という事だろう。

美女は、王子様に戻る事はできなかった…私のデジャヴが、「OMG」と嘆きながら…影を潜めた時だ。

シイを抱き留めて、引き摺るキュウ。

キュウに引き摺られながら、部屋を出るシイ。

このふたりと、私はガッツリ鉢合わせした。

当たり前である…。

ふたり共、驚いた顔を見せた。

先に口を開いたのは、キュウだった。

「あんたも、一緒に来るんだ…ママ。」


キュウは私に向かってそう言い放つと、シイを拘束する手を片方だけ解いた。

それから、足の不自由な私を…ヘリコプターに乗る手助けをするかの様に、私に手を差し伸べた。


********


二年以上、前の事だ。


「ロク…すまない。君とは、結婚出来ない。」

ある日の事だ。

何の前触れも無く、シイから私は告げられた。

その言葉を耳にして、ドライで冷たい「何か」が…私の心の中に流れる。

心中に流れた感情の名を見つけられないまま、私はシイに尋ねた。

「私に悪い所があるなら言って、直すわ。」

「違う、そうじゃない。」

「最初から、私の事は遊びだった?…私の田舎の『はとこ』みたいに?」

「そんな事はない。「純粋な好き」が結婚への発動条件なら、君以外居ない。」

「他に『気になる人』が出来たの?」

「違う。君より『気になる人は居ない』君が一番大事だよ。」


私の質問を重ねる度に、シイの答えが「情」に深いものになって行く。

シイの「情」に溢れた言葉で紡ぐ回答は、私の心を抉った。

シイが「情」に溢れた言葉を紡ぐ度、それに比例するかの様に私の「堪らない気持ち」が私の心を一杯にする。

シイの回答には「嘘偽り」が全く無かったのだ。

間違い無く、シイは私が一番好きだ。

この時ほど、私は自分のオーラが見える能力を…呪わしく思った事はない。

いいや、この時だけに限った事ではない。

最近では、「見たくもない」モノを見るのだ。

シイの中に発現し始めた、ピンク色のオーラ。

偶にピンクから、赤よりのピンクに変わっていく様子。

これらは、私に対して発現されたオーラじゃない。

私が、シイの顔にキスをした時の「カケアミ」状の白黒オーラ。

これは「戸惑い」と「違和感」を表していた。

どれも、最近から出始めたオーラだ。

冷たくドライな何かが、私の心の中で何かを崩していく感覚に襲われた。

心の状態を表すかの様に、冷たい声色が私の口から発せられた。

「二度、恋愛に失敗してきたわ。」

シイが少し目を見開いて私を見た。

「二度とも、「愛」を知らないクズ男達だった。」

言葉にしてみると余りの「情けなさ」に、我ながら涙が出て来る。

思いの外、過去を乗り越られてない事を…自覚したまま、私は言葉を続けた。

「二度とも、自分を責めたわ。私が「子供」過ぎて…人を見る目が無かったのだと。」

シイが私に接する時の…様々なシーンが脳内再生される。

仕事で自分に余裕が無い時でも、何処かで私を…気していた。

それは「戸惑い」と「違和感」を意味する「アミカケ」のオーラを発現させていた時…でさえもだ。

今では嫌と言う程、分かっている。

それは、私へのベースに「愛」があるからだ。

だからこそ、私を気にかけてくれる。

「だから、クズ男達の「「サヨナラ」を受け入れたわ。浅はかな自分への罰と思って」

「ロク…」

間違いなく、シイは愛情深い人だ。

今度こそ、本物を見つけてたと思った。

「今度も、私は罰を受けなきゃならないの!?」

「ロクっ…!」

「触らないでっ!」

私へ伸ばしたシイの手が、ビクッとなった。

私は…ポロポロ涙を流した。

シイは嗚咽を漏らす私に、ハンカチを差し出したり、水を差し出したりと、やはり「気にかけて」くれる。

何よりも、シイのオーラや表情が物語っている。

『心配だ。』

『申し訳ない』

私の嗚咽が落ち着いた辺りで…シイが言葉を紡いだ。

「『君が一番好きだ』その言葉に嘘はない。」

シイは先程「続きだ」と…言わんばかりに語り出した。

「都合の良い事ばかり、と言われればそれまでだ…結婚は、出来ないけど…」

シイが一度、言葉を切った。

シイのオーラに緊張の色と模様が発現した。

それは「氷の女王」を飾る「霜の結晶が勢いよく伸びる枝」の如く、シイから伸びる。

「君とは、繋がっていたい。」

笑い声が…部屋の中にこだまする。

おそろしくネガティブ且つ、攻撃的な感情を含む笑い声だ。

私の中で、過去にシイの言った言葉が顔を覗かせる。

交渉事の主導権の話しだ。

「主導権を握られる」イコール「生殺与奪の権を渡す」」なのだと。

自分に都合の良い要求を口にするシイに、厚かましさを感じた。

私は、今迄仕事上で…「シイの交渉事」は沢山目にしてきた。

中には、強い反感を示す相手も当然、居た。

今の私は正に、その立場なのだ。

私は、シイを見つめる。

シイが黙り込み、俯いた。

その顔とオーラは怒られ、モジモジする子供そのものだった。

そこにきて私は、笑い声を発しているのが…自分だと気付いた。

それに気付いてからは、更に可笑しくなった。

無性に可笑しくて可笑しくて、仕方なかった。

私は腹が捩れる程笑い、笑いが収まる頃には…シイは私から見て顔が見えない程、頭を垂れて俯いていた。

「今まで通り、「あなたのママ」をやれ、と?」

笑い声の余韻を引きずった、上擦った声で私はシイに尋ねた。

シイがゆっくり顔を上げる。

「ロクっ……………!」

「これ以上っ…!私に何を望むの⁉︎」

私の言葉に…表情を強張らせたシイが、ぎこちなく口を開いた。

だが、シイが言葉を発する前に…私が言葉を発した。

「それが了解できるならっ…ふたり目の夫と別れてなんか、いないっ…」

シイが再度、頭を垂れる様に俯いた。

その様子は、判決を待つ被告人を彷彿させた。

「あなたとの間に「鎹の子」が居ない私に何を…望むの!?」

またもや、シイとの過去のやり取りが脳内再生された。

そう遠くもない過去だ。

私がシイの唇に触れ、ハグをする。

その度にシイは、癒されオーラを放った。

そのシイのオーラが「アミカケオーラ」に変化したのは、最近の事だ。

変化をもたらしたのは「悪夢」の存在だ。

「悪夢」は、シイに影響を与えただけじゃない。

私にも影響を与えたのだ。

私は、シイに手を伸ばした。

両手でシイの頬を包む。

シイが顔を上げて、私見つめた。

強張った表情とオーラには「覚悟」があった。

「どんな裁きでも受け入れる」

そう物語っていた。

『生殺与奪の権を…』

そう話していたシイが再度、脳内再生される。

今のシイは全く真逆だ。

『生殺与奪の権を…』私に、握らせているじゃないか。

私は世界中の誰よりも今、この人を地獄に落とす力を持っている。

そう認識した瞬間、私の中の「攻撃的なモノ」がポトリと落ちた。

「シイ…あなた…あなた………苦労するわ…この先…とても」

シイは無言で、私の両手に手を添えて目を瞑った。


*****


「何で、ロクさん来なかったのお!?」

ニイが明るい調子で、私に尋ねてきた。

シイと私が、「恋人関係終了」後、暫く経過後の話だ。

「私が仕事を引退したら、ニイの地元へ…ワンシーズン滞在する話になっている。ロクも一緒に行こう。子連れも歓迎だと彼は言っている」

私を長めのヴァカンスに誘う「懐かしいシイ」が、私の脳内で再生される。

「別れた、だの…くっついたのってのはよお…俺の地元じゃあ平常運転だぜ。だから、シイのヤツの事は気にしねえで…遊びに来てくれよ!」

私に気を遣う様に、ニイが私をヴァカンスに誘ってくれた。

実際、今の彼は…私に物凄く気を遣っている。

彼のオーラにも、それが「あちあり」と出ている。

ニイは普段から、ぶっきらぼうな「べらんめえ」調の話し方をする。

そのせいで誤解されがちだが…ニイは、シイと比較にならないレベルの「気にし屋」である為、物事をあれこれと考え、それに起因する不安を抱え込む「根暗」だ。

むしろ、シイの方が自分の中で、自然発生した「不安」や「クレーム」は一ミリの遠慮もせずに、それらをアウトプットする。アウトプット後、それ等はある程度忘却の彼方となるようで、その一分後には、他の事で「はははっ」笑っている様な「根明」タイプだ。

シイは、「それはそれ、これはこれ」とでも言う様に、私が同行しないヴァカンスをニイの地元で過ごしているらしい。

これが、ニイと逆の立場ならば…ニイはひとり部屋に引き篭もり、ウジウジと「別れ」を引きずっていたのだろう。

とはいえ…ニイは、例の「ナンパ」文化が根付いた地域性で育った人間だ。

ある程度の「失恋減価償却期間」が終了すると、回復期に突入し、そこからの浮上は光速レベルだ。そしてニイは再度「ナンパ文化」を前面に出して、次の恋に邁進するのだ。


「相談事があって私の所来たんでしょ?」

私の指摘にニイは、分かりやすくも「ギクリ」とした表情を見せた。

「オーラの色、ピンク1:赤:4ネイビー:5…赤がネイビーと絡み合い、一部が溶けている…色恋絡みの心配事?シイの話題が出たって事は、シイが絡んでる?」

ニイが、冷や汗を掻いて項垂れた。

「怖え…ロクさん、お、お見通しぢゃっ…ねえか…。」

「そうよ。あなたが偶にシイに対して『友達』以上の感情を抱いていた事は、知っているわ…私が気になるのは「元カノ」である私に「元彼」と表現していいのかな…「元彼シイ」の事を相談する…あなたの心境、ね。」

ニイが遣り辛そうに…目の前で組んだ自分の手で、自分のを隠す。

「あなた程の『恋愛大先生』が『専門分野』で他人のアドバイスが求めるなんて…しかも相談相手に選んだのが、「恋愛経験があなたよりも少ない私?」あり得ないでしょ?自分では色々と背負いきれないから、シイママに泣きついてきた?…みたいな感じ?どんな事でシイは…あなたを困らせているの?具体的に言って。」

「…お見通し過ぎて怖え…ちょっ、ちょっと待って。」

ニイは数分間黙っていたが、やがて意を決したかの様に話始めた。

その話の内容は、私も予想だにしない「斜め上の展開」だったのだ。

回想2


「実は、シイのヤツ…今、相当弱っていて…でも病院に行こうとしねえんだ…妊娠悪阻ってヤツだと思うって…俺の子持ちのダチは言っている。」

さらりと、ニイから出た『妊娠悪阻』と言う言葉に驚き、私は口に含んだアイスティーを…吐き出す寸前だった。

「ちょっ、ちょっと…待って!展開がっ…に、妊娠って、私と別れた時は…分化なんてっ、」

私は、そこで絶句した。

今度は私の方が、顔を両手で覆う番だった。

私は重いため息を吐き、両手で顔を覆う。

恋愛経験の少ない私は、完全に勘違いをしていた。

ニイの相談事…それは、完全に「シイと恋仲になるにはどうすれば良いか?」と言った類のものだと、疑いもなく思い込んでいたからだ。

それに対し、「お見通しよ」という態度をとった自分も情け無い。

顔を覆いながら、ここに来て私は勘づいてしまった。

シイの置かれている状況を「私は斜め上の展開」と言った。

だが、ニイから今し方受けた話は…おそらく、相談事の「序章」でしかない。

ここで、度肝を抜かれている場合では無いのだ。


私がずっと、黙っているせいだろうか?

ニイは少し心配そうな、それでいて気遣う様に…軽く微笑みを湛えながら、私の顔を覗き込み、相談事の続きを話した。

「実はよ…俺もさ…シイが、いつ女への分化が始まったって…はっきりした事は、わかんねえんだ…シイのヤツも何も言わねえし。」

以下は、ニイの言葉の要約だ。

シイが「ヴァカンス」として、ニイの地元で滞在し始めた当初…ふたりは「悪友」としての毎日を、楽しく過ごしていたらしい。

例えば…魚釣り、畑仕事、日々の料理作り、近隣で開催される祭りへの参加…それはもう…様々なイベントを満喫した。そこには、「入れ替わり立ち代わり」ふたりの知り合いも混ざりながも、賑やかだったらしい。私の知らないニイの友人や親戚…知っている顔では、ゴウくんや、キュウ。

シイは、皆でワイワイ遣り合う以外は…ニイに割り当てられた部屋で、読書や、例の「漠の木彫り」を制作して過ごしていたらしい。

私の耳元で、一瞬だが、シイが「漠の木彫り」をナイフで削る時の音である「シュっシュっ」という音が蘇る。

私と一緒に暮らしていた時も、シイは偶に「漠の木彫り」を作っていたのだ。

しかし、「ヴァカンス先」でも「悪夢」は、シイの側を離れなかったのだ。

私が、シイの「悪夢」の話をすると…ニイは「知っている」と言わんばかりに頷いた。

「俺んとこ…田舎だからよお…虫多いんだよ。けどさ、蚊帳が…ひとつしか無えから、寝床はシイと一緒だったんだよ。畳に布団二組並べてよ。「夫婦みてえだなぁっ!」ってふざけて言ったら、シイから肘鉄くらった。」

ニイは、シイと「一緒の寝床である事」を言い辛そうに告白し、照れ隠しを誤魔化すかの様に、シイの乱暴なエピソードを披露した。

ニイのオーラが、ピンクと赤の比重が次第に多くなっていく様が見て取れた。

ニイのピンクと赤のオーラの出方が、前よりも濃く出ている。シイと一緒の寝床で夜を過ごす環境が、ニイのシイに対する「恋愛意識」に影響を与えた事は確かだ。

ニイは、シイに対する「恋愛意識」を落ち着かせようと試みているのだろうか…自分の組んだ両手を互いに「グリグリ」揉みながら、話を続けている。

「夜中、ふっと目を覚ますとよ…シイのヤツが、上半身だけ起こして…ぼーっと外を眺めてんだよ。俺んとこって「畳」ってトコで、布団敷いて寝ているってさっき言っただろ?シイのヤツさ…わざと品を作っている訳じゃねえ、と思うけどよ…毎日「横座り」して外を眺めている…アイツの姿を見て気付いたんだ。女に分化してるって」

私は目を瞑った。

不思議な事に、まるで今し方「横座り」するシイの姿を…目にしたかの様に、私の脳裏に、そのシイの姿がありありと映る。

「『分化は環境要因』も大きいって、以前シイが言っていたけど…あなたと一緒に過ごす事が多かった事が…シイの「女性への分化」に影響を与えたのかしら…。」

私が呟くとニイが、慌てふためいた。

「いいや、俺はそうは思わねえ。…その、ここからは唯の勘だよ。…シイのヤツが「横座り」してん時の表情をよ…俺、毎日見ていたから分かるんだ。多分、アイツが原因なんじゃねえかな?」

ニイが目を伏せながら話を続ける。

「俺、一度しか見てねえけどさ…シイのヤツが、居間で本読んでて、居眠りこいてたんだ。アイツがよ…シイの側に来て膝掛けを、そのっシイの肩に乗っけて…ただそれだけの事だけどよ、なんかピンときたんだ…」

「ニイ!ちょっと待って!アイツアイツって…名前をはっきり言ってよ!」

私のクレームに、ニイが自分の濃い眉を下げて言った。

「ロクさんもよ…「悪夢」から覚めてぼーっとしてる、シイの顔…ずっと見続けてたんだろ?」

ニイの表情が言っている。

『だったら見当つくだろ?』

そしてニイの表情は、こうも言っていた。

『名前を出す事に躊躇いがある』と。

そこに来て私は気づいた。

私とニイは「同志」だ。

「キュウ。」

ニイが口にする事を躊躇った相手の名前を、私は口にした。


『女に分化したら…俺の子産めよ』

キュウが、シイに向けて放った「このセリフ」が、私の耳元で蘇る。


14


回想3


私達は、お互いに数分間黙った状態だった。

先に口を開いたのはニイだ。

「俺、見ちまったんだ。」

ニイは私にそう告げた。

ニイの纏う…ネイビーのオーラが、次第に濃くなっていく。

どうやら、ここから先が…ニイの「悩み」の核心らしい。

私は思わず、向かいの席から身を乗り出し、ニイに顔を近づけた。

ニイに現れた波紋状のオーラ模様、それの層が細分化されると…中心部分にいるニイに向かって激しく動き出した。

「クライマックス」を意識した時に出る、このオーラの波状…ニイの最大の関心事が、今から語る内容である事を物語っていた。

それからニイは、数秒間だけ「貧乏ゆすり」らしき行動を見せると、「クライマックス」の話をし出した。

彼の話は以下の通りだ。


「あの日はよ…俺、蚊帳に来るのが…遅れちまったんだ。」

クライマックスの出だしはそこから始まった。



ニイの「クライマックス」の始まりは、「縁側」で会話を弾ませる「キュウ」と「シイ」の様子から始まった。

縁側で、仲良く語り合うふたり。

特に珍しい事ではない。

「さっきも言った通りよ…蚊帳は、ひとつしかねえんだ。俺はあの日…妙に眠くて…ほらよ、そういう日あんじゃん?理由もなく眠くてしょうがねえ日…でもよ、気い遣っちまったんだよ。俺が入って来て、ふたりの話の腰を折っちまってもっ、てな…その気遣いが、良くなかったんかな…」

そこそこに夜も更けてきた辺りで、ニイの眠気の限界がきた。もう勘弁…寝かしてくれ~調子で、ニイは意を決して、蚊帳のある寝室に入ろうとした。そもそも、俺の寝床に「蚊に喰われてしんどい」と泣き言を言い、勝手に俺の寝床に転がり込んだのは…シイのほうじゃねえか。何故故に、俺は遠慮してんだ!っと、勢いよく寝床の襖を開けた…その時だ。

「そのよっ、寝床はっう、う、薄暗い手元の灯りぐらいしかねえから…はっきりとは、わかんねえけどよっ!だから、俺は思わずか、か、蚊帳のアイツらを長い事、そのっ見てたんだけどよ…数分…いや、そんなになかったかも…数秒、み、短すぎたっ数十秒っ!」

「ニイ、そこの細かい部分はどうでもいいの!とにかく落ち着いて?」

ニイが複雑な顔をして、小さい唸り声を上げた。

それ以上に…私は、異世界に存在すると言われている「鳴門の渦潮」を思わせる荒波が…自分の心の中に吹き荒れていた。

何故なら、私はこの時点で、既に「ニイが見てしまったモノ」の…想像がついていたからだ。


私は一度、深呼吸した。

それから、パニくるニイの代わりに、「クライマックス」の続きを、口にした。

「つまり、キュウとシイが、蚊帳の中で…事に及んで居たという事?」

言ってる自分の口の中が、苦いモノで満たされる。

ニイは小さく頷いた。

「間違いないねえ…だけどよ…次によ…あのふたりが顔を合わせた時、シイが「掘りかけの漠の木彫り」をキュウにぶん投げてちまって…その後、キュウは『胎教に悪いから、俺は暫しの間引っ込む。容態が落ち着ちつくまでは、お前の方で預かってくんない』っつって…その、思い返せばっ、か、か、蚊帳の中で、シイが抵抗してっ…暴れていた気も…しなくもないし…シイのヤツさ、ホント何も言わねえから…その内、水も飲めねえ程、つ、つわり…つーの?酷くなって…」

「…シイは、あなたの家で今も寝込んでるの?」

ニイが再度、小さく頷いた。

「い、一応…キュウのヤツには、連絡はっ、し、したんだっ…すげえ、嫌だったけどよ。でもよ、シイが『漠の彫り物をキュウに投げつけた事』を考えると…その、ロクさんに対応してもらうのが一番だと思ってよ…経産婦だし…」

そこまで言うと、ニイは困った顔を見せて…上目遣いでチラリと、私を見た。

「…キュウは、何て言っているの?」

ニイのオーラに…興奮の色が浮かぶ。

ニイの…そのオーラを目にした私は、自分がより冷静になる必要があると考えた。

「最悪の事態」を…想定した方がいいと思ったからだ。

妊娠は病気ではない。

とはいえ、命に関わるケースもあるのだ。

今、この瞬間にも…シイの身に深刻な事が起こっている可能性も…無きにしも非ず、だ。

が、ニイが口にした事は、そんな私の心配事に…肩透かしを食らわせる内容だった。

「俺、俺…蚊帳のふたりを何秒か…ぢゃなくてっ!何十秒も見てたのに、全然分かんなくてっ…俺、だから俺、そこから逃げたんだっ!…それだけじゃねえ!翌朝、シイのヤツ俺に向かって…こう言ったんだ『ニイ、昨夜は何故、寝床に来なかった?何処で寝てたんだ』…げっそりと疲れた顔でよ…その顔見てたらよっ…俺、いっぱいいっぱいになって『行ける訳ねえだろ!そんな顔で言うなよ!』って…シイに向かって、怒鳴っちしまった。ホントは、ひでえ事されたんじゃねえかって…声をかけるべき…なんだよな…それなのに俺…ああ、さっきの会話はよ…台所で俺はシイと話してたんだよ…これまた、堪んねえんだけど…「俺とシイ」は、キュウが作ったくれた朝ごはんを前にしてよ…そんな話をしてたんだ。…っくそキザな事にさっ『また連絡する』ってメモと…ミモザの花を…シイのヤツの朝ごはんのトレイに置いてて…俺、そのメモと、蚊帳のふたりと…色々思い出してっ…色々さ、本当に分からなくなっちまって…俺自身はふたりの『邪魔者』なのか『乱暴されてたダチを見捨てた最低野郎』なのか…もう、わかんね…」

私は、「話にまとまりのない」ニイに面くらいながらも…彼の「友人を心配する優しさ」と「自己嫌悪に陥った真面目さ」に少々心を動かされ、慰める口調でニイに向かって言った。

「とりあえず落ち着きましょう、ニイ。ふたりの間の出来事の真実は不明なままでいるしかないわ…今は。あなたは悪ぶっている部分あるけど、女性に暴力をふるえるタイプじゃないから、そっちの可能性を考えて自己嫌悪になったのね?」

少し間を空けた後、ニイが頷いた。

「シイのヤツさ…俺に怒ってんのかとか、考えると、もう余計にグチャグチャになってよ…」

まだ、他に何かエピソードがあるのかしら?

私は驚いて思わず、「繰り返し悩みをぐちぐちと燻らせる」ニイの言葉を遮った。

そして、気になっていた部分である「シイのヤツさ…俺に怒って…」の部分を掘り下げた。

「容態が悪いだろ…アイツ。それなのによ、アイツ死にそうな顔しながら「漠の彫り物」熱心に作ってんだよ…俺よ、その様子をずっと見てたから…堪らなくなって、シイのヤツに、しつこく食い下がったんだ「病院行こうぜ」って…そしたら、シイのヤツ怒ってよ…『私はこの漠の彫り物」を完成させるんだっ邪魔をするな』って…」

ニイはそこまでのエピソードを披露すると、黙り込んでしまった。

なるほど、ここが「クライマックス」のエンディングらしい。

兎にも角にも、ニイは色々どん詰まり状態となり、私の所まで助けを求めに来た、という訳か。

「ニイ、あなたも色々悩んだのね…分かったわ。先ずは「具合の悪いシイ」をなんとかしましょう。」

「…すまねえな…なんか。シイとダメになったロクさんに…こんな事頼んで…。」

ニイのその様子は、情けない姿を見られ…悄気返る子供そのものだ。

力無さげに答えるニイの両手を、「ポンポン」と軽く叩いて私は言った。

「いいのよ…いいのよ。先ずは行きましょう、シイの所へ。」

ニイの手を「ポンポン」と軽く叩いた私の手の上に、ニイは、己の手を重ね、こう言った。

「今更だけどよ…俺さ、シイがロクさんを選んだ理由が、ちょっとわかった気がする…ああっ、と…別に変な意味じゃないぜ…すまねえ」

「いちいち私に…断らなくてもいいわよ…私は、その人のオーラを見て、何を考えているか…ある程度はだけれども…分かるんだもの。」

私が答えると、ニイが上目遣いで「ちろっ」っと私を見て白状した。

「じゃあさ…実は気付いてた?…シイとロクさんが付き合っていた頃、俺、ロクさんを…ちょっと「色眼鏡」で見ていたって…。」

私は、勿論気づいていた。

ニイの性格は、前に述べた通り…心の中でウジウジ悩む「根暗」だ。

そして、シイは自分が興味の無い事柄に対して、「一ミリ」も余計な詮索をしない。

そんな状態だったから、私に向けて発せられるニイの「色眼鏡」の内容について、私は中身を良く知らなかった。

そしてニイは、今回の「色眼鏡で見ていた」相手に泣きつくしか「状況打破を見込めない」といった己の状況を…自分で情け無く思っているのだ。

私はわざと、恩着せがましい声色で、ニイに言った。

「今回、付き合ってあげるんだから…「私への色眼鏡原因」について、教えてくれてもいいんじゃない?」

「うっ」とニイが小さく呻いた。

それから、ニイは少し覚悟を決めた表情を見せ、白状した。

「バツイチのコブイチ女が…」

「コブイチ…初めて聞く単語だけど?」

「あっその、「瘤がひとつ…って意味でっ…!」

ああ…そういう意味ね、単語をひとつ覚えた幼児の様に…納得した私は、ニイに話の続きを促した。

ニイは、続きを言い辛いのだろう。

少し泣きそうな表情を見せた。

続きの言葉を紡ぐ彼の声は、緊張のせいなのだろう…小さくて聞きづらい。

「シ、シっ…シイみてえな…将来有望イケメン候補の「確保」必死だなって、ロクさんの事を…そう思っていイマシタ…ス、スっスミマセンっ!」

「なるほど、ね。ひとつ訂正しておくわ。コブイチじゃなくて、コブニ、よ?」

私がさらりと訂正すると、ニイは少しだけ唇を震わせた後、私に向かって尋ねた。

「お、お…怒って…ないんっすか…?」

「ないわよ。だって、あなたの想像は、間違ってないわよ?私に、そういう側面あったことは否定しないわ。私の方こそ、失礼を承知でいうわ。私は、あなたを、女の子のボディしか見てない「頭の軽いナンパ男」と思っていたから、ちゃんと分かっているじゃないニイ、恐れ入ったわ。それはそうと、『女はあざとい生き物』よ。けどね、「最高の物件」という「あざとさ」のみ、で…シイと付き合っていたら、「今からシイの所に行きましょう」何て言葉は…出てこないと思わない?さあ、行きましょうか?」

この「ぶっちゃけ本音トーク」が功を成したのだろうか。

ニイの…私に対する態度に変化があった。

以前は…お互いの間に薄皮一枚分の「得体の知れなさ」があった。

その皮が剥けたのだ。

ニイの、私への態度は「気のおける姉御」的なモノへと…変化した。

私にとっても、それは居心地悪い物では無かった。

その意識の変化が、私のシイとの「今後の新しい関係」への「新風」になったのは確かだ。


*****


ニイに家に着くと…シイは居なかった。

シイが滞在先として使用していた部屋の机の上に、「メモ」が残されていた。


「◯×病院 直通00-0000-0000 キュウ」


********


病院のベットの上で眠るシイを、私は数十秒間見つめる。

眠りが浅いのか…シイは程なくして、目を開けた。

シイは目を開けると、目の前に私の姿がある状況に大層驚いていた。


「ロク…来てくれたの…?!」


シイを纏う…張り詰めてたオーラが、一気に崩れていく様子が見て取れた。

シイはベットで横になった状態のまま、私の手を握り締めて来た。

それからシイは、安心した様に目を瞑り…寝落ちしてしまった。

私の中で、薄い不安が過ぎる。

また、「悪夢」で目が覚めてしまうのかしら、と。


案の定だった。


シイは数十分寝落ちした後、カッと目を見開いて目を覚ました。

それは、私が見慣れた…「悪夢」から目を覚ましたシイの様子だった。


私は、シイの頭を撫でて聞いた。

ゆっくりを目を開け、私の姿を認識した時のシイの様子。

安心した表情を見せて、眠りに落ちるシイの表情。

それ等を思い出しながら、シイに尋ねたのだ。

「シイ、さっき…私の手を握りながら、寝てたわよね?「悪夢」は見たの?」

シイは…ぼーっとしながら、力無さげに答えた。

「…いいや」

私はその答えを聞き、数秒間黙ってしまった。

シイのオーラが白状している。

それは「嘘」だと。


「分かったわ…今のあなたに必要なのは、休憩よ。ゆっくり寝て。キュウを呼ぶわ。」

シイの頭を撫でながら、私は言った。

シイは何も答えず、無言のままだった。

私の中で…答えが出た瞬間だった。

シイが嘘をついた理由は、わかっていた。

分かりたく無い程、わかっていた。

私とシイの関係を、終わらせた原因がそこにあるからだ。


そうだ、そうだ。

私では、ダメだったんだ。

ニイでもダメだった。

前からそうだった。

いま、比べて分かった事だ。


シイが、仕事を引退する前の事だ。

仕事で、キュウを含む仲間達と…狭い空間で夜を明かす羽目になった事があった。

気付くと…皆寝落ちしていたそうだ。

『朝日と鳥の囀りで目を覚ましたんだ…「アイツ(悪夢)」に起こされなかったのは初だ。』

シイが珍しげに、私に言ってきたのだ。


ああ、あそこから「変化」は進んで居たのだ。


「なんかよ…結果的にキュウが何んとかしてくれたな…俺達、遅かったかな?来るのがよ~」

安心した様に「ヘラっ」っと言うニイに向かって、私は告げた。

「…遅れたんじゃないわ…要らなかったのよ。」

「へ!?」

訳がわからない。

私の言葉に対して、ニイの表情とオーラが…そう物語っている。

「行きましょう、キュウの所へ…バトンを渡しに。」

私はニイに告げると、ニイの返事を待たずに…歩き出した。


そうだ。

そうなのだ。

私が積極的に「シイを突き放さなければならない」のだ。

前に、私はシイの事を「老成した人」と言った。

それは、間違いでは無いが、正確では無い。

シイは「老成」しているが「甘え」も捨て切れない「歪な子供」なのだ。

シイは、母を知らずに育った。

本人は無自覚だが…母を知らない故に、「知らないモノ…無いモノ」を求めているのだ。

シイは幼少期の頃は…サンに執着をしていた。

サンが「母代わり」になり得ないと、判断すると…パッと彼女から離れた。

そして、私に出会い…結婚の約束を交わす程、私と親しくなった。

シイが、私に執着した事は「必然」だったのだ。

私自身が…分かり易い「母のイメージ」そのものだからだ。

そして、「恋」を知ってしまった…今のシイは「藻搔いている」のだ。

私に対して、執着する気持ちの正体…「違和感」に。


そして、私は嫌と言う程、分かっていた。

シイが、自分から「私への執着」を捨てない事を。

そして、これも…嫌と言う程分かっていた。

シイに対し、「私への執着を捨てさせなければ」と言う事を。


数メートル先に、キュウがいた。

いつもの「飄々とした表情」のキュウではなく、「何かを見透かす」様な…シリアスな表情をしたキュウが、そこには居た。


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