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003

 深はベッドにうなだれた。

 先ほどの変な2人組とはあの後すぐに別れ、自身の住むアパートに帰ってきたところである。


 うなだれながらテレビの電源を入れると、学生らしい24インチの液晶テレビがプツンと音を立てた。

 時刻は午後4時過ぎ。チャンネルを回してみるが、危惧していたニュースは流れていない。

 深は心の底から安心する。そのまま天井を見つめ、冷静に考えをまとめてみようと試みた。


(そもそもあの2人組は何者なんだ? 防衛省所属? それらしい身分証は提示していなかったよな。

 いや、今の時代、警察手帳だって偽造できる世の中だし……)


 他に考えなくてはいけないことは多々あるような気がしたが、心が浮足立っており、落ち着くことができない。


(ふーう……)


 横になったまま1度大きく背伸びをし、再び思考に入る。


(ふっ、何かのいたずらだ。ものすげえ手の込んだ趣味の悪いいたずら。

 俺の知りあいの誰かが仕組んだドッキリか、またはあいつ等自身がそれを生きがいにしている変な輩か……)


 そして今後も同様の嫌がらせを受ける可能性について。


(あの2人は俺の連絡先を聞いてこなかった。住所はもちろん、携帯番号も……。

 今回だけか?

 まぁいい。ばれないにこしたことはない。家まで来られたらそれこそ警察を呼んでやる。大学の中でまた絡んできたら、学生課に言えばいい。

 もううんざりだ。

 うーん、なんだか疲れた。今日はバイトもないし、少し寝ようかな……)


 自分なりの結論を無理矢理でっちあげ、そのままけだるそうに瞼を閉じると、深はすぐさま深い眠りに堕ちた。




「あっつい……」


 そして数時間後。夕日が部屋に差し込む頃合いに、深は寝言のような声を出して起きる。

 西向きの深の部屋はこの夕方が最も気温の上がる時間帯であり、エアコンも扇風機も回さずに眠りについてしまったため、その暑さがより一層強くなっていた。


 汗で濡れたTシャツを脱ぎ、それを洗濯機に放り込もうと立ち上がる。その前に、エアコンの電源を入れ、開けっ放しにしていた部屋の窓を閉めておく。

 その途中も寝るときに消し忘れたテレビからは、中年の男性が何やら謝罪のようなものを記者たちにしていた。


(また、政治家の不祥事か……? 関係者全員まとめてオリに放り込めばいいだろ)


 そんな風に思いながら洗濯機に向かい、居間に戻る途中に冷蔵庫から飲み物を取り出した。

 しかしコップを持ち出し、テーブルに置いた瞬間に深は固まった。


(ちがう。こいつは……総理大臣だ……!)


 いやな考えが頭に浮かぶ。時計を見ると、午後の7時10分を少し過ぎたところである。


(まさか本当に政府が会見をしてるのか? いや、落ち着け。チャンネルは国営放送局。この時間はいつもニュースをしている)


 心を落ち着けて、会見の内容に集中してみる。


「いえ、ですから……ふざけているのではなくて。われわれ政府がこれまで内密に行動していたのですが、来たるべき『大詔時代』に対する……」


 深はすぐにチャンネルを変えた。しかし、どのチャンネルも微妙に角度こそ違えど、首相のインタビューを中継していた。

 すぐさまテレビを消し、深は頭を抱える。


(うそだろ。いや、まさか……>)


 もう1度テレビをつける。

 やはりどこも首相の話。たまにコメンテーターらしき人間が何かを語っているが、そのチャンネルも右下には小さなウィンドウで首相の顔……。


(いやいやいやいやいやいやいやいやいや……)


 深は慌てふためき、再びテレビを消す。

 そして頭を抱えて少し考えた後、現実を確認するためにテレビの電源を入れた。


(落ち着いて……そう、落ち着いて。お茶でも飲もう……)


 その時、スマートフォンのバイブ音が低い音を発する。


「ちょーびっくりしたぁっ! くそっ! 誰だよっ!」


 いらいらしながら携帯電話の画面を確認する。


(知らない番号……いやな予感するんですけど……)


「もしもし……」

「あっ、先程はどうも! 誰だかわかる? あたしよ、あ・た・し」


 かちん。


 深の完全な思い込みであるが、電話の相手のあまりにむかつく声色に、脳内で何かが壊れた音がした。


「あんたか。ヒトの携帯の番号、勝手に調べたな。いつだ? 俺が気ぃ失ってた時か?」

「そんな冷たいこと言わないでぇ。うふん!」

「人の携帯、勝手に見たら犯罪なんだぞ。わかってんのか!」


 一瞬電話の相手に回し蹴りを受けた記憶がよみがえっていたが、電話越しなので正々堂々とブチ切れてみる。


「人聞き悪いこと言わないで。あははっ! それね? 調べたのよ。うちのスタッフが。

 ホントというとね。さっきまで、あなたのことは下の名前と顔。あと今日の昼にあの場所にいることしか知らなかったのよ。

 その後、私たちがあなたの存在を確認してから、局に連絡して……それでうちのスタッフがいろいろ調べたのよ。あの大学の4年生なんだってね。私のいっこ下だね。

 あとね! 住所でしょ! 携帯とメールでしょ! あっ。そうそう! 実家は石川のほうなんでしょ? なんでも知ってるよん。残念ザンネン!」

「ふざけんなっ!! そんなことしてただで済むと思ってんのか!」

「いいに決まってんじゃん。だって、そういうのも許される組織だし。ま、わかっちゃったものはしょうがないよね!

 ほら? 私らの上は防衛省だよ? その上は政府だよ? よく考えると、出来て当たり前だよね。

 それにね、そういうのを許可される法律もあるんだよ。国会ではそういうのもこっそり通してるんだって。メディアには流れませんけどね。うふっ」


 深は言葉を失う。なぜか電話越しでも圧倒的な不利な状況に追い詰められている気がした。


「さてさて、それでは本題に入りましょうかね。深君? テレビ見たでしょ?」

「あぁ、見たよ」

「じゃあ、私たちが言ってたことが本当だってこともわかったでしょ?」

「あぁ、まぁ……」

「いいこいいこ。それじゃあ覚悟を決めなさいね。2日間あげる。その間に引越しの準備しておいてね。大学関係はこっちで手続きしておくから。

 あっ! あと、住所とか郵便局とかさ。電気とか水道とかもこっちでやるから大丈夫だよ。引っ越しの費用も気にしなくていいからね。荷物まとめるだけでいいからね。

 いったんこっちに引っ越してもらって、でもその引っ越し終わってから実家に戻る余裕もあるから、その時帰ってもいいよ。私も行こうかしらね。ご両親に挨拶しちゃおっかなぁ! あはっ!」


(こいつ……)


 思わずこぶしを握るが話の主導権も相手側に握られており、花南の説明の分かりにくさと、しかしながらとんとんと話を進める展開の速さについていけず、深は何も言えなくなってしまった。

 しかしその時、花南の声が急に低くなり、真剣なものに変わる。


「ごめんね。これからあなたの人生本当に大変なことになっちゃう。それに……死ぬかもしれない……危険な任務もいっぱいあるし……。

 私たちも精一杯のサポートするからね。力を貸してちょうだい。まずこの2日間で頭の中も整理できるようにがんばって。それじゃあね」

「いや、ちょっとまっ……」


 こうして電話は切れた。相変わらず深の頭の中は混乱から抜け出すことができないままである。

 ただ、何となくわかったこと。

 会話の最後の部分は、花南が今日一番深に伝えたかったことのようである。


 静かな、そしてやさしい女性の声――謝罪と気遣いの気持ちのこもった声――


(どうしたいんだ?)


 深は頭をかきむしりながら、だるそうに立ち上がった。




 そんな花南の電話から2時間後。深は近くの河川敷に場所を移し、混乱と戦っていた。

 センチメンタルな気分であった。

 普段はこのように独りでボーっとしながら、風景を眺めることはしない。


 しかし、今日は違った。


 あの電話の後、深はもう1度テレビの電源を入れ、チャンネルを回し始めた。

 相変わらずのそれらしい映像……なかには古い絵画のようなものを映して解説してる番組まであった。大方平安時代の資料か何かを引っ張り出してきたのだろう。


 そんなテレビの現実に向き合うことができず、深は知らずとアパートを出てフラフラと歩き出した。

 頭の中は受け止めきれない事実があふれていた。

 無意識に近くの河川に向かう。目的地は普段大学までの通学路につかっている道沿いにある土手である。

 見慣れた光景今日も風景は変わっていない。

 よく、ドラマとかで使われそうな――綺麗な、だけどありきたりな河川敷。遠くのほうに東京の高層ビルも見えた。

 夜空には満点の星……。


 とはいかない。

 関東圏の夜空は、汚れた空気で月といくつかの明るい星の光がかろうじて地上に届くのみである。そのことに残念がったのか、はたまた今日の出来事に向けたのか、深は軽く舌打ちをした。


「俺にどうしろっていうんだよ」


 いつか、どこかのドラマでみたように、深はけだるそうに小石を川へ投げつける。





 一方、奇遇にも花南は同じ時間に月を見ていた。

 深と別れてから、清高と東京に戻ってきていたが、それに先立ち『埼玉科学大学』の『しん』という人物についての情報を集めるように局の人間に依頼していた。

 東京に戻る頃には一通りの情報が集まっており、それらの資料から上司である福井にあげる報告書を作成していた。

 その作業の途中に時間は19時となり、花南は内閣府の会見をテレビで見ることとなる。


 首相の表情は覚悟を決めた男の顔だった。

 メディアから浴びせられる馬鹿にしたような質問にひとつひとつ丁寧に答えていた。

 その途中、深についての資料の中から携帯電話会社の資料を探し、彼に電話する。最後はなぜか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。


 自分はそれなりの覚悟を決めてこの道を選んだ。



 しかし、彼は……?



 そんなことを考えながら、花南は作業の合間に窓の外の月を見ていた。

 かすかにわかる月の模様に集中していた花南に突然声がかかる。


「花南ちゃんや」


 花南は視線を移動させると同時に少し驚き、敬礼の準備にとりかかろうと起立した。

 そこには1人の老齢の女性が杖を片手に立っていた。


「サイA級霊能士殿、お疲れ様で……」


 すかさずその女性が答える。


「ええわええわ。そんな堅苦しゅうせんでも。この椅子つかってもええかえ?」

「はぁ、どうぞ」


 花南の周りにいた他の職員も、いささか姿勢を正して作業を続けている。


「どうせ、わしらは軍隊ではないけんねぇ」


 サイと呼ばれたこの女性は、しわの刻まれた顔をさらにしわくちゃにして笑っていた。

 右の眉から左の眼の下まで、昔負ったであろう傷の跡があるが、そんな物騒な傷すら覆ってしまうほど穏やかな笑顔である。


「はい。それで、いかがなさいました?」

「いやなに、花南ちゃんと話をしようと思ってな」

「そのことでしたら、わざわざサイさんからお出にならなくても……呼んでいただければ私が足を運びましたのに」

「まぁ、ええじゃろ。たまには運動しないとな。体がなまって大変じゃけん」


 花南がほほ笑む。


「それでじゃ。今日会いに行った人物についてちょっとな……どんな感じのやつじゃった?」

「は、はぁ。特に……普通の男の子でした。ただ……」

「ただ。なんじゃ?」

「まあ、私たちのことを不審がっていまして。それで、あの……逃げようとしましてので……少し手荒なまねを……」

「手荒なまね?」

「えぇ。回し蹴りを……」

「かぁーかっかっ! そうかそうか! 痛い洗礼ってわけじゃな。面白いのう」

「私もつい反応してしまって……悪気はなかったのですが」

「くっくっく! ええじゃろええじゃろ。どのみち我々の下で働くことになる人間じゃ。そのうち信用してもらえるじゃろうて。

 気にせんでもええわい。男は女に暴力振るわれても、許す生き物だってに」


 花南が深にした回し蹴り。それについて花南が少し後悔をしていることにサイは気づいたようだ。

 その点を優しくフォローするようなサイの言葉に、花南の顔がまた笑顔になる。


「他には何かないかのう? 性格とか、雰囲気とか?」

「我々の質問には一通りしっかり答えていました。しかし、常に警戒していたように思えます。後は……特に……そこらへんにいる普通の若者でした」

「ほっほっほ。まあ、ええじゃろ。問題なさそうじゃな」


 サイが少し考え込む。

 その様子を見て、花南が意を決したように質問した。


「あの……あの子に何があるんですか? あの子は男性です。霊能士になれるってわけじゃないのに。わざわざ国家緊急特殊組織法の対象にしてまで。

 後方支援スタッフだったら、防衛省とか自衛隊から探してくればいいんじゃないですか?

 いろんな人に聞いてみたんですけど、男の人に勧誘かけたの初めてらしいじゃないですか? いったい……?」

「こら! 花南。失礼だぞ。サイばあさん困ってんじゃねーか。それに、こそこそ裏でそんなこと……」


 少し離れた席にいた清高が割って入ってきたが、サイがそれを制して花南に語りかけた。


「ええわいええわい。わたしゃ、花南ちゃんのそういったところがお気にいりじゃけんのう。

 疑問に思うのも自然。誰かに聞きたくなるのも自然。

 それでもわかんなかったら、本人に聞きたくなるのも自然。なぁ?」

「はぁ」

「実はな。深っていう若者じゃがな。霊能士としての資質があるらしいのじゃ。それも戦闘術士のな。わしの占術でそう出たのじゃ。

 いや、わしも最初は信じることができなんぞじゃ。だけどじゃ。何度やっても、そう出るのじゃ。

 そりゃ、わしだってはじめて聞いたぞ。男が霊能士になるなんて話はな」


 花南の顔が今度は驚きでいっぱいである。頭の中の1つの疑問が枝分かれしてどんどん増えていった。


 そんな花南が驚きのあまりポカンと開いた口を閉じるまでサイも黙っていた。ものめずらしそうに、パソコンを眺めている。

 いや、眺めているように見せかけて、次の会話を探していた。もしかすると、花南からの質問を待っていたのかもしれない。


「サイさんの占術でそう出たのでしたら……」


 しばらくして花南が小さく言った。




 サイは霊能局に所属する占い師である。それも腕利きの。

 そして内閣総理大臣に助言し、今回の会見までさせた人物が彼女であった。


 肩書きこそ1人の霊能士であるが、齢80を過ぎた今も霊能局に勤務し、その経験と能力はもはや局長以上の発言力を持っていた。

 花南に深を会わせたのもこの人物である。いや、サイは今日の昼に埼玉のとある大学の図書館に彼がいることを占いの結果として花南に伝えただけであるが、結果として花南は深に出会うことができた。


 そんな人物を前にして、いつまでも驚きを隠せない花南。今度はサイが自ら口を開く。


「んで、そのあとじゃ。わしも部下に指示を出したのじゃ。そんな前例があるかどうかをな。局の資料室と国立図書館。その他もろもろ調べさせたぞ。

 そしたらな。見つかったのじゃ。室町時代あたりの資料なのじゃが、やはり何人かの男の霊能士が実在したらしくてな。

 長い歴史の中でおそらく数人程度じゃろうが実在するのじゃ」

「そんな……」

「まぁ、あやつの才能は未知数じゃが、怪しい人間じゃなければわしらの力になってくれるじゃろ」


 サイは立ち上がる。


「さてさて。そろそろ、内閣府にいかんとな」

「え? これから行かれるんですか?」

「そうじゃ。年寄りをこき使って。あの小僧どもめ……」


 小僧どもというのは内閣総理大臣やその他関係省庁のトップたちだろう。

 そんな人物たちを子ども扱いする際に、花南はまた顔が緩んだ。

 しかし、やはりどこかすっきりしていない顔である。

 サイもそんな花南の表情にも気づき、最後にとびっきりの笑顔を浮かべながら言った。


「まぁ、今回はわしもわからないことだらけじゃけん。なんかわかったら報告してくれ。あいつは予定通り花南ちゃんの下に置くからな。

 よろしく頼むぞ。邪魔したのう。清高もまたな」

「はい。お気をつけて」


 作業中の清高も背中を向けながら手を挙げる。対照的に、花南はサイが部屋から出るまで立っていたが、サイの姿が見えなくなると、花南は清高のほうに向かって駆け寄った。


「ねぇねぇ……」

「わかったわかった。聞こえてたって。しかしまた、どういうことだ? まぁ、あのばあさんが言ってるんだから、その通りなんだろうけどな」

「だってさ……」

「おっと、それ以上は俺に何にも聞くなって。俺がわかるわけないだろ? とりあえずは、あいつが来るまでなにもわかんねぇよ」

「そりゃそうだね」


 最後に何かを諦めたかのように花南は自分の席に戻り、パソコンを操作し始める。それを視界の隅で確認しつつ、清高も通信装置らしい機械のつまみを調整し始めた。





 そして埼玉のとある河川敷では、深はまだその場にとどまっていた。

 夜11時を迎えていたが、動く気が起きない。

 ここにきて数時間。その間に何人かの深夜ランナーが深の背中を走り去って行った。まるで不審者を見るかの眼で深を見た後、ペースを上げて走り去っていく。

 深はそんなランナーたちには目もくれず、石を投げる。そして、遠くのビルを見る。月を見る。川を見る。

 この動作を繰り返していた。

 それらの動作を繰り返すことで、深の頭の中は段階を踏んで整理され、11時を回った今となっては、今日の出来事のほとんどを整理し終えていた。


 全てが事実なら今やるべきこと。とりあえず、引っ越しの準備である。

 細かいことはわからないので、それらに関してはさっきの番号にかけなおそうとスマートフォンを取り出した。


(履歴に残っているこの番号は、どうせあいつの携帯だろうな)


 しかし、待ち受け画面の右上にある時計表記に目をやり、すでに深夜となっていることにも気づく。


(いや、明日でいいか)


 何となく、夜遅くに仕事の電話をするのは失礼かと思い、スマートフォンをポケットに戻した。

 そして、深は再び空を見上げる。夏とはいえ、少し冷えてきた。


(もう帰るか。こんなところにいたら不審者に間違われそうだし)


 しかしその考えを変更し、深は再び土手に寝そべった。


(いや、もうちょっとゆっくりしよう)


 なんか……


 そう……なんか……


 月が……綺麗だ。




 日付が変わる頃、深のアパートの明かりが付き、30分ほどして消えた。



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