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005


 目の前で引越しの業者が段ボールを運ぶのを見守りながら、深は部屋の中で立っていた。


 あれから何度か花南と確認のメールをやり取りしつつ、これから東京に向かうところである。

 引越し先の住所は聞いたがこのまま業者のトラックに乗せてもらえるらしく、あちらでは花南が待っていてくれるとのこと。

 なので大変な引っ越し作業も、深の役目はここでほとんどが終わったようなものである。


 部屋の荷物のほとんどが運び出され、殺風景になっていく自室を見渡す。少しさみしい気持ちを覚えた深は、最後にゆっくりと窓の外を眺めようとした。

 しかしその時、不意に背後から話しかけられた。


「すみません。大変お待たせしました。荷物の運び出しのほうが終了しました」


 少し残念そうに深は答える。


「あぁ、そうですか……ありがとうございました。もう出発しますか?」

「はい。こちらの準備は大丈夫ですので、お客様がよろしければ」


 少し考えてみるが、このまま部屋にいるといろいろなことが頭の中をよぎってきそうだったので、深はすぐ出発することに決めた。


「はい。じゃあ、ちょっと待ってもらえますか? 大家さんに鍵を渡してきますので、その後、出発ということでお願いします」


 深は忘れ物のないことを確認し、玄関の鍵を閉めた。

 深の荷物を積んだトラックは、午後3時ごろに東京に到着する。

 東京には何度か遊びに来たことがあるが、『港区』と看板に記載されているこのあたりには来たことがない。

 周りはオフィスビルらしき建物が連なっていて、その中の1つの建物にトラックが入る。敷地の中に入る前に昇降式のゲートがあり、その隣には警備員が立っているという、セキュリティ的になかなかのマンションであった。


 そして警備員の手前数メートルのところには花南。トラックの存在に気づき、とことこと近寄ってきた。

 花南はトラックを止め、その後部座席に座っていた深に手を振ると、警備員に向かって走って行った。その後、花南が警備員に何かを話し、トラックの侵入を阻んでいたゲートが開き始める。

 花南が手招きし、トラックが建物の敷地に入った。


「よっ、ひさしぶり!」


 花南がトラックから降りてきた深に親しげに挨拶し、深も返事をする。


「うっす」


 ここ何日かのメール等のやり取りの中で、出会った当初のような2人の間の壁はなくなっていたため、そこに笑顔も混ぜておく。

 そして深は周りを一通り眺め、目の前の花南に視線を戻しながら質問した。


「出入り口はここでいいのか?」

「うん、こっから荷物入れてもらって。部屋は2階の205号室。角部屋だよん。はい、これ部屋の鍵とこの建物の入場用のカード。カードはさっきの警備員さんに出してね」


 どうやらこのマンションの住人といえども敷地に入るだけでIDカードが必要となるらしい。深は少しだけ面倒そうな表情を浮かべて花南から鍵とカードを預かった。と同時にトラックの中で待機していた引っ越しの業者に話しかける。


「じゃあ、205号室でお願いします。ここから搬入していいらしいんで」


 引越しの業者がトラックのエンジンを止め、荷物を運び始める。

 それに先立って花南と深は部屋に向かった。歩きながら深は花南に話しかける。


「ずいぶん厳重だな、このマンション。家賃はいくらなんだ?」


 花南がほほ笑む。


「まだ、国会議員が何人か住んでるからじゃない? あ、深君の同僚も何人かここに住んでるよ。今はみんな勤務中だから、ほとんどいないけどね。

 家賃は9万5000円ぐらいだったかな……でも3LDKでこの値段は格安だね。さすが公務員の寮!」

「ちょっとまって! そんなにすんの? 家賃払えねえよ!?」

「うん、大丈夫だよ。あっ、そういえば給与待遇の話してなかったっけ? 余裕だよ。多分その8倍ぐらいもらえるから」

「まじ? ちょ……それ本気か?」

「うん、詳しい話は局に行ってからね。いろいろ書類とか書いてもらうね。そん時にでも詳しく話するね」

「まじかよ……」


 単純計算で給与は70~80万ぐらいになる。深は花南にばれないように少し笑った。

 と同時に、いつだったか花南が深に言ったことを思い出した。



 ……ごめんね。これから、あなたの人生本当に大変なことになっちゃう。それに。死ぬかもしれない……危険な任務もいっぱいあるし……


 つまりは命の危険を伴う仕事。


(だから、それぐらいの給料なのか……)


 複雑な気分も湧き出しながら、深は花南の後を歩き、205号室と書かれた部屋にたどりつく。

 ドアの鍵を開けて中に入ると、部屋のチャイムがなり、業者が荷物を抱えながら部屋に入ってきた。

 深は引っ越し業者に荷物の指示を出し、その間、花南はスマートフォンで電話をしたりメールを送っていた。


 おそらくは、これから深が所属するという例の組織のスタッフと連絡を取っているのだろう。前に聞いた話では花南は深の1つ年上ということなので、その組織の中でも若手に分類されるはずであるが、丁寧な言葉を使いつつもテキパキとした雰囲気で指示を出す姿がなかなかかっこいい。

 花南の姿を見てそのような印象を受けた深であったが、自分が業者に指示を出す合間と花南が連絡を取る合間が重なった時を見計らい、花南に声をかける。


「花南さん。そういえば、この後俺はどうすればいいんだ?」

「うん、そのことで今メールしてたんだけど、どうする? 今日あたり局のほうにでも行ってみる?」

「まぁ、別にかまわないけど。引っ越しもなんか業者さんが全部やってくれているし。後1時間もしないうちに終わっちゃいそうだよ」


 こんな見知らぬ土地のマンションに1人で残り、組織とやらについても知らないことが多すぎる。

 花南と同行した方がそれらの疑問がいくらか解消されるはずであり、不安にかられたまま一晩を過ごすよりは、はるかにましだろうとの考えであった。


 深の返事の後、花南は腕時計を見る。時間は午後の3時半を回ったあたり。


「そうだね。それなら夕方6時ぐらいには局に行けるね。じゃあ、局に行くってことで」


 今度は深の返答を待たずに花南が再びスマートフォンを操作し始める。



 それから1時間半後、花南と深は予定よりやや早めに霊能局に到着する。


(うぅ……ここか)


 建物を囲む高い塀。深が門の脇を見ると、そこには『防衛省』と書かれた看板があった。

 内閣が正式に霊能局の存在を発表し、その拠点も公になった組織。しかし、その看板が『霊能局』という正確な名称に変わっていないことから、今回の発表はやはり急遽決定したものなのだろう。


 そんなことを考えながら深は花南の後を歩き出す。

 建物の中に入ると、前を歩いていた花南が振り返った。


「今日はまだIDカード無いから私の後についてきてね。ここのカードはさっきのマンションのカードと違うから気をつけて」


 花南の向こう側に、駅の改札機のようなゲートとその脇に立つ警備員とが見える。

 花南が警備員に話しかけた後、警備員が隣の警備室にいたもう1人の警備員に話しかけた。その後、警備室内の警備員がパソコンを操作すると、横3列に並んでいたゲートのうちの1つのランプが赤から緑に変わる。そして、警備員が花南にむけOKサインのジェスチャーをし、そのゲートを通って深は中に入った。


 それを見ながら花南が隣のゲートにカードをかざし、開いたゲートを通って中に入る。

 大したことではないが、この動作も深にとって『かっこいい』の1択。いや、実際に「かっけぇ」などとつぶやいてしまったが、小さな声だったので花南はこれといった反応もせずに、これからのことを話し始めた。


「とりあえず私の席に行こうか。書いてもらいたい書類関係があるから渡しとくね。

 それから……地下の訓練場に行くね? もしかするとみんなまだいるかもしれないし。その後、ロッカーとか机の場所とか……パソコンも準備されてるかな……あっ、制服とかはちょっと遅れるって。服のサイズの書類提出してもらってからになるから」

「わかった。ところでトレーニングって何のトレーニングなんだ? 俺もするのか?」


 その質問で花南は何かに気づく。ベタな感じで手をポンっと叩き、少し大きめの声で謝ってきた。


「あッ! ごめん! そうだった。言ってないよね?」

「何を?」

「いや、ほら、具体的な仕事内容……」

「うん。ここで働くってことしか……?」


 もちろん深はうなづくだけである。ほとんど拉致のようにここまで運ばれてきた深であったが、そもそもなぜ深がここに運ばれてきたのか、ただ『選ばれただけ』というあやふやな理由しか聞かされていなかった。


 しかし、次の瞬間に花南の表情が暗くなり、それを察知した深も無意識に真剣な表情を浮かべた。

 そして花南が深の顔をしっかりと見つめながらゆっくりと口を開いた。


「実はね、深君は戦闘員としての採用なの。簡単に言うとね。霊力を使って戦う系の仕事」

「戦う系って……」


 百歩譲って霊力とかそういったオカルト的な存在は有りとする。いや、総理大臣ともあろう人物が昨日妖怪の存在を肯定していたのだから、この際何でもあり。

 そして、生死が問われるという話もすでに聞いていたのである程度の覚悟はできていた。もちろん、この世界に侵入してくる生物たちとの戦いが避けられないという話だったので、深が所属する組織の中にはそういった存在と直接ドンパチするスタッフもいて、その戦いに何らかの状況が生まれたら自分にも死の危険が迫ってくる可能性あり。という程度の認識であるが……。


 まさか自分が実際に敵と戦うなどとは……?


 そしてさらに重要なことも……。


「でも、俺、霊感とかねぇよ。幽霊とか見たことないし」


 しかし、その発言には、花南が必要以上に驚いた。


「えっ、ホントに? おかしいな。ほかのみんなは最初から多少なりとも霊感あったよ。私はまったくないけどね!」

「まじかよ。どうすんだよ、おれ……」


 試しに右腕に力とか入れてみたがそれっぽいオーラが出るわけはない。その意図に気づき花南がほほ笑みながらあっけらかんと言った。


「どうすんだろうね! あははッ! あっ、ここ! この部屋ね」


 花南が超適当に深の不安を受け流し、ドアを開ける。

 そして深は右腕を見つめたまま花南の後について部屋に入る。その時、深は横から声をかけられた。


「おっす、深。久しぶりだな。これからよろしくな」


 清高である。


「ちわっす」


 清高の顔を見たため、深も自然と笑顔になるが、清高の声の大きさに部屋にいた30人ぐらいの人間が全員顔を上げてこちらを向いていることに気づき、少し後ずさる。

 しかしそんな気配に気づく様子もなく、清高はいつもの調子で話を続けた。


「もう、お前の噂でもちきりだぞ」

「何がっすか?」

「男の霊能士が入ってきたって」

「何でですか?」


 ここで変な違和感。深たちのいる部屋全体を包み込むように静寂が広がり、少したって清高が口を開く。


「あれ? お前何にも聞いてねぇのか? 霊能士で男なの、お前だけだぞ。数百年に1人の逸材だとさ」


 深は改めて周りの全員の強い視線を感じ取った。


「はぁ? 聞いてないんだけど? ちょッ、花南さん?」


 そして花南のいた方向を見るが、深が清高と話をしている間にも花南は自分の机に向かって歩き出しており、引き出しから取り出した封筒を手に持って深の元に戻ってきた。


「んもう、清高さん。せっかくそこだけは内緒にしてたのにぃ」


 花南が残念そうに言った後、深の方を見る。


「そうだよ。深君以外みんな女の子だよ。同期の20人の霊能士も。先輩の霊能士も。

 そうだな。日本中で250人ぐらいかな。今いる霊能士は全部女性。

 せっかく驚かそうと思ったのにぃ。ハーレムだぞう!」


 しかし、深は額に手を当てて崩れ落ちる。


「そんなサプライズいらねぇから……まじかよ……」

「はっはっは。まぁ、気をつけて頑張れよ! 女の集団は恐いぞう。はっはっは」


 清高が深の肩に手を置いて励ましてくれるが、効果はない。


「わらえねぇっす」


 女性の集団の中に男1人というのは、ハーレムというより、むしろ恐ろしい。

 男といる時より余計に気を使う。1人を敵に回そうものなら、全員を敵に回す。

 かなり過剰な考えであるが、深と清高はそのような認識で一致していた。


 しかし、清高はあくまで後方支援を行うバックアップ職。そして深はまさに女性たちのど真ん中。

 にやにやとうざい感じで見てくる清高の視線を無視しようと決めた深であったが、その時、2人のやりとりを不思議そうな顔で見ていた花南が割って入った。


「そんなことないよう。みんないい子だよぅ。はいこれ、書類ね。見本も一緒に入ってるから、それ参考にして契約書を書いてね。あっ、雇用条件の書類も入っていたかも。それ見てもらえば詳しいことわかるかも。どれどれ」


 花南は深に封筒を持たせたままその中の書類をあさる。その中から数枚の書類を取り出し、深に向けて広げた。


「これこれ。ほら、基本給17万6000円に危険手当65万。他にもいろいろ書いてあるから確認してね」

「ホントだ……」


 この建物に入ってから驚くことばかりのため、そろそろ反応に疲れてきたが、金銭に関することなので今度は真剣に驚く。


(まじだ……すげぇ……いや、でも……?)


 ということは、いつ死ぬかもしれないという話も現実味を帯び、深は無言で書類を見つめ続ける。




 そんな深を脇から黙って見ていた花南であったが、深の登場以来周りのスタッフがずっとこちらに注目したままだったことに気づき、花南は小さな声で清高に話しかける。


「やっぱここの人たちにも紹介しといたほうがいいかな?」

「そうだな、一応しとくか。俺がやってやろう」


 清高は周りを見渡したあと、大きく息を吸う。


「はい。皆さんちょっと作業止めてもらっていいですか? 紹介したい人間がいます。ていうか、みんなもうこっちに注目してたか」


 周りの人間がうなずきながら笑う。一通り笑いが収まると、書類を見つめたまま固まっている深の肩に手を置き、力を入れて少し前に出した。


「こいつ。噂になってた例の男の霊能士だ。名前は深。花南のグループに所属予定だ。深?」


 いきなり始まった自分の紹介に驚きつつ、深が答えた。


「はいッ!?」

「このあたりにいる人間は、お前たちの任務のバックアップをするスタッフたちだ。花南みたいな戦略士もいれば、俺みたいな通信士もいる。

 備品関係の調達とかしてくれる人間もいるし。まぁ、一緒に行動するグループみたいなもんだ。軽く挨拶しとけ」


 深も改まった姿勢をしつつ、周りを見渡しながら言った。


「あ……ただいま……ご紹介に預かりました……中川深です。よろしくお願いします」


 周りから拍手が起き、深は少し恥ずかしい気持ちを感じつつ、頭を下げながらやり過ごす。


「じゃ、次。訓練場のほうに行こうか」


 その後、花南が他の場所に移動する旨を提案したので、深はうんうんうなずいて花南の後をついて行くことにした。

 そんな2人の姿を見ながら清高が思った。


(……なんか……犬みてぇだな、あいつ……苦労しそうだな……)





 その後、深と花南はエレベーターを利用して地下に降りる。訓練場と呼ばれる部屋は地下とは思えないほどの空間であり、まさに体育館のような広さを持っていた。

 しかし2人が訓練場に入ると、そこには誰もいなかった。


「あっ、あっちだ。ほら、行くよ!」


 ガラス越しに見える隣のウェイトトレーニング室に人がいることに花南が気づき、促されるままに深も後に続く。

 その部屋には春と瞬、礼子の3人の他にも20名近くの女性があり、談笑したり、ウェイトトレーニングを行っていた。

 いや、むしろ疲れ果てたまま動けずに休んでいる人間が大半である。


 ウェイト室のドアを開け、花南が中を見渡す。すぐに目的の3人が見つかった。


「いたいたッ!」


 その声に10名ほどの人物が振り返ったが、花南は歩みを止めず、深も適当に会釈しながらウェイト室の奥に向かう。

 部屋の1番奥にいた3人組の近くに着くと、花南が疲れきった雰囲気の3人に話しかけた。


「ねぇねぇ、みんな! 昨日言ってた子。早速連れてきちゃった!」

「うそ。早ッ! でもほんとに男の子なんだね」


 瞬がまじまじと深を見つめ、その視線に気まずさを感じた深が花南に声をかける。


「えーと……この方々は?」

「この人たちが私の班のメンバー。つまり、深君と同じ班のメンバーだよ。この人が渡部春さん」


 黒いロングヘアーの女性が会釈をした。


「よろしくね。深君」


 深も会釈を返す。


「こちらの人が佐久間瞬さん」

「よろしく」


 今度は茶髪のショートの女性が手を挙げた。

 再び深も会釈を返す。


「この2人は年上だよ。年齢は言わないでおくから自分から聞き出してね」


 瞬が花南のすねを軽く蹴り、その場の5人は笑う。その後、花南が最後の人物を指差しながら言った。


「で、この子が新山礼子ちゃん。歳はいくつだっけ?」

「21ですぅ。よろしくお願いしますぅ」


 礼子が深々とお辞儀をし、深もお辞儀を返す。


「じゃあ、自分のいっこ下になりますね。よろしくお願いします」


 そして花南が口を開く。


「んで、とりあえずなんかあったらこの人たちにいろいろ聞く感じでお願いね。あと、この人たちは……」


 説明の最後に花南が腕を回しながら周りを示した。

 その先には彼女らを囲むようにその他15人近くの人物。10代から20代と思われる女性たちが興味津々の様子で立っていた。

 深も花南の腕に沿って振り返る。


「しばらく一緒にカリキュラムをこなすメンバー。私の担当ではないけど、もしかするとそのうち実際の任務で合同チーム組むかもね」


 深を囲んだ女性たちが会釈をし、深も一通り会釈を返す。

 その後、深の年齢を聞いたり、どこに住んでいるか、彼女はいるかといった他愛もない質問をした後、彼女たちの多くは元の場所に戻って行った。

 頃合いを見計らい、花南は3人に話しかける。


「んでね。明日からなんだけど、どうしよう。深君、いきなり合流なのかな? 誰か長谷川さんに聞きました?」


 ベンチプレスの台に寄りかかりながら、春が何かを思い出すように答えた。


「あっ、なんかね。午前中はしばらく別カリキュラムらしいわよ。講習とかなんじゃないの?

 でも、午後はどうするかまだ未定って言ってた。そうねぇ……本人に聞いてみたら? まだいるんじゃないのかな」

「そうですね。じゃ、長谷川さんとこ行ってきます。みんなはもう帰るんですか?」


 今度は瞬が答える。他の2人と違い、Tシャツから出ている瞬の両腕にところどころ青あざが出来ていることには気づいたが、おそらく訓練とやらで負ったものと思われ、深は何も聞かないことにする。


「うん。休憩終わり。やっと動けそう……今日も2時間ぐらいで全滅だったのよ。私たちはさっきまで疲れ果てて……長谷川さんは相変わらずピンピンしてるし。ほんと自信なくしちゃうって」

「そうね。深君にも会えたし。帰って寝るとするわ。もう疲労困憊で」


 春が落ち着いた声で続ける。その間に瞬がへたれこんでいる礼子の腕をつかんだ。


「ほらっ、礼子。動ける?」

「はい。なんとか……」


 礼子がよろよろと起き出した。

 そんな礼子の姿を見ながら、どんなきつい訓練なのだろうと、深は少し不安に思う。両腕におびただしい数のあざをつくっている瞬も含め、詳しく話を聞きたい気持ちが湧き出したが、花南が3人に別れの挨拶をしたため深も似たような挨拶をしつつウェイト室を後にする。


「ね? いい人たちでしょ?」


 部屋の外に出ると、花南が歩きながら話しかけた。


「まぁね。何とかやっていけそうだよ。次は? その長谷川さんって人?」

「うん。新人育成トレーニングの担当官の人。さっきの人たちをあそこまでへとへとにさせた人だよ。だけど、見てみるとびっくりするよ。すごいきれいな人なんだから」


 深は軽く笑いながら答える。


「期待しとくよ」


 その後、2人はエレベーターで上にあがり、長谷川と書かれた名札のついた部屋の前に到着する。

 花南がノックをすると中から声が聞こえた。


「どうぞ」


 その返事を待って花南が改まった声で叫ぶ。


「失礼します」

「あら、花南ちゃん。珍しいわね。どうしたの」

「はい。実は、明日から入る新人を……」


 そこまで言って、花南は長谷川の部屋にいたもう1人の人物に気づいた。


「あっ、サイさんもおられましたか。今大丈夫ですか? 新人を連れてきたのですが」


 深も続いて部屋に入るが、小綺麗な部屋をゆっくりと見渡す間もなく、サイと呼ばれた人物が笑いながら答えた。


「なぁに。ちょうどよかったわい。今まなみとそのことを話しておったとこじゃ。どれどれ? お前さんが中川深か?」

「はい……」


 深も改まって答える。戦いがどうとかいうこの組織。そんな組織に目の前の高齢な女性は不必要にも思えるが、彼女からなんとなく普通でない雰囲気を感じてしまったことも否定できない。

 なんというか。威厳というか、恐怖感というか。そういったものが少しずつ混ざり合った気配。

 不可解な空気に肌を刺される感覚を覚えながら、深は必死にサイの視線に耐えていた。


 しかし、そんな様子を察し、サイがしわくちゃな笑顔を浮かべながら話しかけてきた。


「そんな怖がらんでもええで。わしはサイと申す。しがない占い師じゃ」


 その自己紹介に花南が付け加える。


「日本で1番のね。深君の勧誘もこの方の占いの結果だよ。実際いたでしょ? あの時、あの図書館に『シン』っていう青年が」


 深がうなずく。

 うなずきながら、何故自分がこの老人に恐怖感を覚え、それを彼女に悟られたかを考えていた。


「それで、こちらの方が長谷川まなみさん。明日からお世話になる人」

「よろしくね。深君」


(確かに綺麗だ)


 長谷川と呼ばれた女性を正面から見つめ、その後、軽く頭を下げながら深は思った。

 一瞬、サイに対する恐怖心はどこかに行ってしまうほどの外見。軽やかな声色が華を添え、同性・異性を問わず魅了するタイプのようである。

 それと同時に長谷川の左腕が肘から下がないことに気づく。生まれつきなのか、任務とやらで負った傷なのか。


「それでじゃ。深について、どのようにカリキュラムを進めていくかを話していたとこなんじゃが」

「それはちょうどよかったです。自分も長谷川さんにその件で話をしようと思って、紹介の意味も込めてここに」


 そう言いつつも花南が安堵した表情を出した。花南にとっては、2人の話し合いの邪魔をしたかどうかが気がかりだったらしい。先ほどのウェイト室とは違い、いくらか緊張しているようである。


 長谷川がふと立ち上がる。


「まぁ、つっ立ってないでこちらに座りなさい。お茶でも入れましょうか?」

「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えて」


 そして深と花南はサイと向かい合うように座る。しかし、くつろいだ姿勢とは逆に、深は警戒心を強めていた。

 初対面の人物が2人。深自身人見知りする性格でもなく、特に、先ほどのウェイト室で20人近くの人間に囲まれたことに比べれば大したことはない。

 もちろん花南の緊張が移ってしまったわけでもなかったが、深は警戒心と緊張感を強めてしまった。


 原因は1つ。サイと呼ばれる老人から感じる異様な雰囲気。

 さらに、サイが座った後の深をじっと見つめてくる行為も深の警戒に一役買っていた。

 視線の置き場所に困る深を観察するように見つめていたサイがゆっくりと口を開く。


「驚いた。確かに占いで見た顔じゃが、霊力はまだ備わってないらしい。というか全然じゃな。

 深よ、今まで心霊体験的なものに会ったことないじゃろ?」

「はい。まったく」

「でも、今わしから得体の知れない気配を感じてる。違うか?」

「はい。たしかに」


 そう答えながら深は笑顔を浮かべる。深が今感じているこの嫌な気配は心配する必要がなく、むしろ感じるのが当たり前のように言ってくれたことで、サイに対する警戒心が薄まった。


「そうじゃろ。まぁよい」


 サイがそう言うと同時に、長谷川が花南と深にお茶を差し出した。


「それで、今サイさんと話してたのね。実際会ってみると、本当に霊力ないのね。これは明日からの合流は無理ね……」


 長谷川が座りながら言った。と同時に困ったような顔を浮かべ、それもそれで綺麗なものであるが、深は長谷川の言葉を聞きながら1つだけ気づく。


(このばあさんから感じる気配がそうなのかもしれないな……)


 霊力などといったものがどういったものか全く想像できないが、サイから感じる――いや、もしかするとサイと長谷川の2人から放たれているのかもしれない気配がそういったものなのかもしれない。


「はぁ……」


 深がなんとなくといった様子で適当な返事を返し、しかし、そんな深の反応には見向きもせずにサイが長谷川に話しかける。


「まなみ、あれはどうじゃ? 結界術班の儀式。すぐに霊力に目覚めるやつあったじゃろ?」

「はい……確かにありますけど。四方結界になりますから……結界術班のメンバー4人必要になりますね。最短で……そうですね……1週間はかかるでしょうか」


 途中から深にはまったく理解できない話になっているが、深が隣を見ると花南も似たような心境に陥っているらしく、ぽかんと口をあけていた。


(おーい……花南さん…? しっかりしてくれ。あんたがそんなんじゃ……)


 サイが理解できない会話を続ける。


「そうじゃな、今東京には1人いるかいないかじゃろ?」

「はい。恐山に数人。富士山に数人。あと、島根の出雲に10人ほど。ちょうど監視当番の交代時期ですので。来週には半分が戻ってくるのですが」

「じゃあ、その後になるな。まなみ? 手配を頼むぞい」

「はい。うふふ! 深君? きついわよ。覚悟してね」


 深がはっとした感じでうなづきながら反応する。


「はぁ、でもいったい何を?」


 その質問にはサイがお茶を飲みながら答えた。


「まぁ、心配すんなて。死にはしないわい。ちょっと強引なやり方なだけじゃけんのう。かっかっか!」

「それじゃあ、今週はどうしましょ? 午前中に講義。午後は筋トレでもしてもらおうかしら。私も午前中は深君に時間を当てれるわ。午後はちょっと他の子たち訓練しなきゃね。それでいいかしら、花南ちゃん?」


 花南もはっとした感じで答える。


「あっ、はい。わかりました。あと……それでしたら……まだ、事務的な作業も残ってますので、もしこちらから彼に用事があった場合は……午後……なら……そうですね。午後なら彼のことお借りしてもよろしいですか?」


 長谷川がやさしく答える。


「やっぱり花南ちゃんはしっかりしてるわねぇ。そうね、午後だったらいつでも彼を連れて行っていいわ。サイさんもそれでよろしいですか?」


「おう、わかったわい。まなみ、よろしく頼むぞ。深もな」


 深がうなずいた。


「それじゃ。わしゃ占術班の会議があるけぇ、失礼するわい」


 サイが立ちあがり、部屋を出ようと杖をつきながら歩き始める。他の3人も立ちあがり、花南が部屋のドアを開けた。


「それじゃあ、花南ちゃんもまたな」

「はい」


 最後に花南が頭を下げ、サイがいつの間にか廊下に待機していた数人のスタッフとともに姿を消す。


(すげぇ。あのばあちゃん、黒ずくめの護衛って……重要人物っぽい……)


 そう思いながらもこの建物に入ってから諸々のことに圧倒されっぱなしだったため、深は何も言わない。花南がドアを閉めた後、3人は再び席に着いた。

 やたらと緊張していた様子の花南がため息をつくが、長谷川が変わらない様子で口を開く。


「しかし、ホントに驚きね。男の子とは……やっぱこれぐらい潰しがいがないと! 腕がなるわね!」


 そして綺麗な笑顔。しかし、サイがいなくなったことで緊張の取れた花南は、いくらか危険な発言をする長谷川にツッコミを入れる。


「長谷川さん。怖いですよ。壊し屋じゃあるまいし……」

「あら? 人は潰れてなんぼでしょ? ねぇ? 深君?」


 しかし、長谷川の言葉により、地下で感じた不安を思い出していた深は長谷川の質問には答えない。

 逆に不安を長谷川にぶつけてみた。


「あの、長谷川さん。他のメンバーは今どういったトレーニングを?」

「あら? じゃあ、まだメンバーには会ってないの?」

「いえ、ここに来る前に地下に行ってきました。みんなヘトヘトでしたよ。そういえば、深君は何も知らないっけ?」

「あぁ。みんな、あんなに疲れ果てて……」


 深が本当に不安そうな雰囲気でつぶやき、それを面白いと思ったのか、長谷川が少し笑いながら言った。


「今みんなは実戦訓練の第2段階に移ったわ。私相手に、全員自由にかかって来いって感じかしら。まだまだ負けられないけどね!」

「はっ? 全員…? あの人たち全員相手に戦ってるんですか?」

「まぁね。あの子たちはまだ2時間ぐらいしか体もたないけどね。チームワークもまだまだだし。今んとこ、その2時間はずっと戦闘よ」

「ずっと…?」

「やっぱり、長谷川さんはすごいんですね」


 深が信じられないといった表情を浮かべ、花南は感心したように言った。


「私だって昔はB級霊能士だったんだから。左手こんなになっちゃったけど、まだまだD級の新米には負けてられないわ」

「その、BとかDとかっていうのは?」

「まぁ、後で講習で教えるけど、新人はとりあえずD級なのよ。CからAになるに従って、位が上っていうか、強いっていうか。そういう風にランクづけられるわけ。

 戦闘術士だったら上に行くほど強いし、占術士だったらより詳しく正確な占いが出来るのよ。ちなみにサイさんはA級よ。日本で10人もいないわ」


「はぁ……」


(せんじゅつし…?)


 そもそもこの部屋に入って初めて『占術士』という単語を聞いた深。他にも理解しにくい説明が続いたため、またしても何も言わずに頷くのみである。


「まぁ、詳しくは明日から教えるわ。そうねぇ……ちょっと待って。明日から午前中に予約できる会議室探してみるわね」


 長谷川は席を立ち、パソコンの置いてある窓際の机に向かった。しばらくそのパソコンを操作しつつ、長谷川が口を開く。


「明日から朝の9時に第7会議室に来て。そこで講習するわ。今週いっぱいは第7で予約できたから」

「あ、はい」


 深はちょうどお茶を飲もうとしてたが、先に答えてから湯呑に口をつけた。


「あと、そうねぇ。午前中は講義をして、午後は1時から筋トレあたりになるわね。筆記用具の他にジャージとか運動靴とか持ってきてね」

「そういえば、通勤の時の服は? スーツ?」


 今度は花南が答えた。


「ううん。私たちはスーツだけど、深君たちは私服で大丈夫だよ。長谷川さんも今私服でしょ?」

「あぁ、わかった」

「まぁ、明日明後日あたりは花南ちゃんの方の用事もあるでしょうし。どうしましょ……?

 まぁ、深君借りるときは花南ちゃんのほうから私にメールちょうだい」

「はい。わかりました」


 そして長谷川はさっきまで座っていた席に戻り、3人は同時にお茶をすする。



 その後、長谷川の部屋でしばらく談笑し、深は花南に連れられて自分の席に案内された。

 部屋に入ると、4~5台ずつに区切られた机が20台ほど置いてあった。

 ここが『戦闘術士』とやらの集まる部屋らしい。


 しかし、似たような部屋は建物の中の各所に散在し、この部屋の席はほとんどがD級戦闘術士とのこと。つまり、さっき地下で会ったメンバーの席がほとんどであり、すでに帰宅しているため部屋には誰もいなかった。


「ここ。この机使ってね。隣の席と目の前の席2つはさっきの3人の席だから」


 深のものと指差された机には、ノートパソコンが1つ置いてあるのみである。

 その他の3つの席には書類や筆記用具のほか、かわいらしい写真などが置いてあり、女の子の席らしい雰囲気が見て取れた。


「このパソコンは?」

「それも深君のパソコンだよ。パソコンは得意?」

「まぁ、それなりに」

「じゃあ大丈夫だね。後でメールのアドレスとか、ネットワークに入るパスワードとか教えるね。それないとネットワークにはまだつなげらんないからね」

「あぁ、わかった」

「じゃあ、次」


 花南は深を出口に促した。廊下に出てから花南が両腕を組む。


「そだな。あと……そう。ロッカー」


 そして2人は男子更衣室へ。今度の部屋は同じ階にあったため、30秒とたたずに到着した。


「ここが男子ロッカールーム。着替える時はここで着替えてね。多分中に入ると、もう『中川』って札のついたロッカーあるから。シャワーもあるよ」

「至れり尽くせりだな。準備の早いことで」

「本来、霊能士は一般職と違うロッカールームなんだけどね。深君は男1人だから一般職と同じなのね。残念ね、春さんたちと一緒に着替えられなくて」

「あぁ、そうだな。ホントに残念だな……」


 いろいろと精神的に疲れていたので適当に流す感じで……。

 とその時、深は不意にふくらはぎに痛みを感じる。


「いてっ。何すんだよッ!」


 どうやら深の態度が気に入らなかったらしく、花南が蹴りを入れていた。


(いや、本当にいてぇよ……手加減しろよ。あんた、回し蹴りで俺の体回転させたこと忘れてねぇ?)


 しかしながら、花南は氷のような冷たい声で短い言葉。


「別に……じゃあ次」


 花南は歩き出し、例によって深は花南の後をついて行く。


「あと食堂ぐらいかな。食堂は1階ね。下降りるよ」

「……は……はい」


 なぜかは分からないが、花南の背中からもサイに似た不可解な気配を感じ取り、深は出来るだけ静かに後をついていく。


(マジでちょっといてぇ)




 その後、花南に食堂の場所を教えてもらい、2人は建物の入り口に戻った。

 最後に花南が口を開く。


「じゃあ、今日はこのぐらいにしておこうか。ごめんね。ずいぶん遅くなっちゃった」

「いや、こっちこそサンキュー」

「それじゃあ、あたしちょっと仕事残ってるから」

「おう、俺も帰って書類書くことにするよ。ありがとな。じゃ、明日」

「うん、おやすみ」


 ここで2人は別れた。




 それから2時間後、部屋に戻った深は書類を一通り書き終え、ベッドに横たわった。

 今日あったことを振り返る。

 いろいろなことがわかった。

 と同時に、自分の置かれた立場がとても大変なことも実感してきた。

 深は部屋の電気を消したあと、夜空を見ようとカーテンを開ける。窓の外は高層ビルが建ち並び、空はほとんど見えない。


「ちっ……」


 カーテンを閉め、深はまたベッドにもぐりこんだ。



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