目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

007


 マンションに帰宅し、深はシャワーを浴びてジャージに着替えた。

 その後楽な体勢に落ち着き、テレビの電源をつける。番組は相変わらず似たような題材に特番を組んでいた。

 そんな番組を眺めながら食事を終えた後、部屋の電気を消してベッドに横になる。


 時間はまだ夜の10時。

 眠くはないが、何となく静かな雰囲気にしたくなった。


 あれから日を追うごとに様々なことが起こり、そして様々なことを知った。

 濃い1週間だった。

 いや、まだ1週間もたっていない。


 これから自分はどんなことに巻き込まれていくのだろう。

 ゆっくり考える時間が欲しい。それに似合う場所も必要だ。

 そう、あの河川敷のように……。



 しんみりと考えにふける深であったが、ふいに携帯電話が鳴る。

 せっかくの時間を邪魔されたような気がしたため、深はいらついた気持ちで起き上がり、携帯電話を操作する。

 花南からのメールであった。


『おつかれ! 長谷川さんから聞いたよ。倒れたんだって? 大丈夫?』


 深は少し笑顔を浮かべながら返信を返す。


『俺もびっくりしたけど、今はもう大丈夫。花南さん、まだ仕事か?』


 5分ほどしてまたまた花南からの返信。


『うん。もうちょっと仕事!

 でも、深君がもう大丈夫だったら一安心だわ。でね、今ちょうど長谷川さんからメール来たの。今日の出来事の関係でこないだ話してた深君の儀式(?)が今週中に出来そうなんだって。長谷川さんが結界術班の方と日程調整してくれたらしいよ。でも、急いでも金曜日になるってさ。そういうことだからヨロ!』


 昨日、長谷川の部屋でサイと長谷川が話していたことを思い出す。

 昨日の時点では、儀式とやらを来週以降に行うとか言っていた。それがどういったものか詳しくはわからないが、今日のようなことが起きなくなるなら願ったりである。

 少し安心した気持ちになりつつ、その後も何度か花南とメールをやりとりし、深は眠りにつく。花南とメールをしたことで、いくらか気持ちが軽くなったことにも感謝していた。



 そしてその日が訪れた。

 深は朝の9時に霊能局の6階にあるサイの部屋に呼び出される。

 エレベーターの中で長谷川と一緒になるが、あいかわらずの綺麗な笑顔を投げかけ、軽やかな口調で話しかけてきた。


「どう? 緊張してる? 昨日はちゃんと眠れた?」


 深がエレベーターの階数表示を見ながら答える。


「いえ、緊張はしてないっす。これから何すんのかもよくわからないですし……昨夜も爆睡でしたよ」

「そうね。ちょっと大変かもしれないけど頑張ってね」


(すんごい不敵な笑み……この話をすると、みんな大変だって言ってくるんだよな……マジできついのか…? つーか誰も説明してくれないし……)


 長谷川が不気味な笑みを浮かべ、そんな視線を受けながら深が不吉な考え事をしているうちに、エレベーターは6階に着く。


「失礼します」


 長谷川の後に続いてサイの部屋に入ると、そこにはサイの他に30代から60代と思われる女性が4人いた。


「おう、来たな」

「あら、まなみちゃん、久しぶりね。元気してる? まなみちゃんが教官になってから、いい新人がたくさん出て来てこっちも助かってるのよ」

「おひさしぶりです。塩田さん。今日は無理言ってすみませんでした」


 長谷川が1人の女性に挨拶した。どうやら顔見知りらしいが、話を察するに長谷川の教官具合はなかなかの評判らしい。


「いいのよ。私達も早く東京帰ってこれてうれしいのよ。そして……この子が中川君ね」

「はい。中川深です」

「ほんとに男の子なのねぇ。やっぱ驚きね」


 深がこの組織に入ってから何度このリアクションをされたことやら。そろそろ丁寧に受け答えるのに飽きてきたので、深は軽く答えるだけ。


「はい。一応男っす。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくね」


 そのやり取りが終わると、サイがタイミングを見計らっていたように話を進めた。


「それでじゃ。早速始めるか。恵子、どうすればいいのじゃ?」

「じゃあ、中川君……」

「深でいいです。みんなそう呼んでますし」

「そう。じゃあ、深君。こっち来て」


 そして深は部屋の奥の方に促された。

 サイの個室は広く、軽く見積もっても20畳ほどはある。その中央にある応接用テーブルと部屋の奥にあるサイ専用の机の間に向かって歩き出した。


「そう、ここ。ここに座って」


 促されるままに深は床に座る。その周りを4人の結界術士が囲むように立ち、深は興味深い様子で周りを見上げた。

 周りを囲む4人が深を見降ろしているこの状況は、本当に儀式みたいな雰囲気である。


(若干……いや、結構マジで怖いんだけど……すんごい不安……)


 もちろんその中心に座る深は生贄のようであり、誰からも詳細を教えてもらえなかった点も含めて、深の恐怖心が急激に膨れあがる。


「じゃあ、始めるわね。いい? ちょっと息苦しくなったりするけど、動きまわっちゃだめよ。深君のことを囲んでる4人の正方形の中からは出ないようにしてね。もし、出ちゃったら一からやり直しだからね。それはいやでしょ?」

「はい、わかりました。でも……苦しくなるって?」


 息苦しいという表現により、深は地下のウェイト室で気を失ったことを思い出す。


「あなたの霊力を目覚めさせる過程の1つよ。この陣の中はあなたの霊粒子で充満するわ。だけど、それを感じてコントロールできるようになるまで少し苦しくなるわ。理論でどうこう言える話じゃないけど、頑張ってね」

「はぁ……」


(結局何にも分からねぇ……)


 残念そうにうつむく。


「大丈夫よ」


 少し離れた所から長谷川が声をかけ、続けてサイが塩田に話しかけた。


「どれくらいかかりそうじゃ?」

「そうですね。個人差はありますが、早くて15分。長くて1時間以上かかる場合も。それ以上はこちらの判断で止めます。あまり長いと彼の体が持たなくなりますので」

「そうじゃな。頼むぞ」

「はい。式自体は簡単な結式継続型なんで、1度結んでしまえばあとは継続されます。解くのもすぐ出来ますので……」

「うむ」


 そこまでの説明を受けた後、サイが納得したようにうなづき、椅子に座った。それと同時に深の周りにいた4人が手をかざす。


「それじゃいくわね」



 深は周りを見渡す。

 結界というからにはSF映画のようにピカッと光って、音がドーン! といったものを想像していたが、そのような現象が起きる様子もない。

 深の周りにいる4人は目をつぶったまま、中央に向かって手をかざしているだけ。

 いや、口が小さく動いていた。呪文のようなものを唱えているのだろうか。

 それらを見つめながら、深は何事もなくただ座るのみである。



 1分ほどして、周りの4人はかざしていた手をゆっくりと降ろし始める。

 最後の1人が手を降ろすと同時に、深に気持ち悪い気配が付きまとい始めた。

 どこかで感じたことがある気配。


(そう、地下のウェイト室だ。あそこで感じたやつと似てる)


 しかし、今回は気を失うことはなさそうである。以前は全ての気配が深の肌を攻撃し、内臓を土足で踏みつけられるほどの不快感を感じていたのだが、今感じている不可解な気配は攻撃性を感じさせず、ただただ存在しているのみであった。

 その後、2、3分ほどぶつぶつと呪文を唱え続け、最後に深く息を吐いた後、塩田が口を開く。


「ふう。とりあえずは結び終わりました」


 他の3人も額の汗を拭い、それぞれがリラックスしたような表情を浮かべる。


「そうか。御苦労じゃったな。さて、あとはどうなるか。深、どうじゃ?」

「はい。特に……周りに何かいるような気はしますが……具合は悪くないっす」


 しかし、深の発言を聞いた塩田が首をかしげながら質問した。


「あら? おかしいわね。自分からの霊粒子放出はないのに、結界を感じることは出来るの?」

「そうじゃな。しかし、この前も他の霊粒子をくらって必要以上の反応を示したらしいぞ。不思議なもんじゃ」


 サイと塩田が顔を見合わせ、その時、長谷川がふと口を開く。


「もしかすると我々にも感じることができないぐらい微量に放出してるのではないですか? それだったら納得できます」

「そうねぇ。それもあり得るわね……どのみち彼の霊粒子は結界内に充満していくから、そのうち我々にも感じることができるかも。深君、どう? 息苦しい?」

「いえ。今んとこはまだ」

「こりゃ、長期戦じゃわい」



 それから2時間。深は徐々に周りの空気が曇っていくのを感じていた。

 目がかすんでいる。いや、何かが光っている。

 どこが光っているというわけではないが、視界全体がにわかに明るくなった。

 と同時に深の肌も異変を感じ始める。


(何かいるのか?)


 しかし、やはりそこには何もおらず、少し離れた所にサイたちが待機しているだけである。


(変な気配……この感じはどこかで経験したことがあるような……)


 サイや周りの結界術士から感じた気配とは違い、以前地下で受けた同僚の霊粒子とも違う。

 深は新たな気配の原因を見つけるため、明る過ぎて見えなくなった視線を必死に左右に振った。


(初めてサイさんと会った時? 地下で意識を失った時? 結界とやらが結ばれた時か?

 いや、どれも少し違う……でも……懐かしい感じも……? なぜだ?)


 少しずつ呼吸が乱れる中で深は考えた。



 そしてすぐに気づく。



 これは……間違いない……夢の中で……



 急に呼吸が出来なくなり、深は胸を押さえて苦しみ始める。


「ついに始まったな。恵子! 頼むぞい!」

「はい、でも。2時間以上たって。それまで何もなかったのにいきなり?」


 にわかにその場が緊張に包まれ、塩田が驚いた様子で深に話しかける。


「深君、聞こえる? 大丈夫?」


 だが深は声を出さずに、ただただ苦しむのみ。

 しかし、深は無意識に分かっていた。これが夢の中で感じたあの苦しさなら、もう少し苦しくなっても耐えることが出来る。目を覚ます瞬間のあの苦しさまでは達していない。


 この考えに根拠はないが、深はかろうじて親指を立て、OKサインを出す。

 しかしそんな深のあまりの苦しみ具合に、長谷川がいても立ってもいられずに駆け寄った。


「まなみちゃん、中に入らないで!」


 塩田の声がサイの部屋に響きわたり、それを聞いた長谷川がはっとしたように後ずさりする。


「すいません。深君? 大丈夫ね?」


 深は首を縦に振る。もうちょっと耐えることが出来る。



 そう、もうちょっとで……



 今までのたうちまわっていた深が5秒ほど動かなくなり、塩田が急きょ結界を解こうと近寄ったその時――長谷川が塩田を体ごと後ろに押し倒す。


「塩田さん! 危ない!」

「な……まなみちゃん、何を……?」


 そう言いかけて塩田は目を疑う。

 目の前に座っていたはずの深が苦しみながら宙に浮き、球体を形どる空気の渦がものすごい速さで回転しながら深の体を包み込んでいた。

 さらには、そこから漏れ出る風も部屋の中を吹き荒れ、サイの机に置いてあった書類が部屋中を駆け回る。


「そんな……こんなこと……」


 塩田をはじめ他の3人の結界術士もあっけにとられたような表情を浮かべ、全員無言で深を見つめる。


「恵子。これはどういうことじゃ?」

「わかりません! こんなことは初めてです。とりあえず結界を解きます。まなみちゃん? ありがと」

「え、えぇ……」


 塩田が長谷川の手を取って起き上がり、あらためて空中に浮かぶ深の姿を観察する。


(なんて例外……いや、男であるという時点ですでに立派な例外だけど……結界術に対抗しているってこと? 術者の私にも…?)


 塩田たちが発動した結界術に身の危険を感じ、本能のレベルで対抗している深。

 空中でもがき苦しむ深の姿とその周りをめぐる空気の壁。

 そしてその壁が近寄ろうとした塩田に攻撃を仕掛けていたことで、このような推察にたどり着く。


 しかし、それはそれで1つの悪い事実を誘発しているということでもあった。


(どうやって解除するのよ……>)


 近づけば攻撃を受け、しかしながら、対象にある程度接近しないと結界術は解除できない。

 最悪、苦しみながら息を引き取る深の姿を黙って見続けることになるため、塩田の焦りが急激に膨れ上がったが、その時静かに座っていたサイが突如立ち上がり、部屋の中に鳴り響く風の音に負けないような大きい声で叫んだ。



「結界はもう破られておるようじゃの! こやつの霊粒子が結界術を飲み込み始めたわい!!

 見てみい! こやつ、B級の結界をやぶりおったぞ!

 かっかっか! 凄いっ! 凄いのう! どういうことじゃ!? 後で調査する必要があるのう!!」



 しかも、楽しそうに……



(サイさん……あなた……)


 とてもじゃないが笑える光景ではない。そう思った長谷川が引きつった顔で叫ぶ。


「サイさん! 笑ってる場合じゃないですよ! 本当にっ……本当に彼は結界術をやぶっているのですか?」

「そうじゃそうじゃっ! わしの占術を甘く見るなっ! 小僧の周りの風も少しずつ穏やかになってるぞい」


 サイの言葉に塩田と長谷川が深を見ると、サイの言う通り、風がいくらか穏やかなものに変化していた。深の体も徐々に高度を下げ、ゆっくりと床に近づく。

 それから1分後、室内を走り回っていた風は完全に収まり、深の荒い息づかいのみが響く静かな部屋に戻った。

 危険が無くなったことを察知し、塩田と長谷川が慌てて深に駆け寄る。その後ろからサイが話しかけた。


「気分はどうじゃ?」


 長谷川に起こされながら、深は何とか答える。


「……はぁはぁ……サイアクっす……げほっ……」


 深の呼吸が元に戻るまで、その場の全員が静かに待つ。しかし、その雰囲気が逆に耐えられなかった深が自ら口を開いた。


「サイさん、すいません……自分、この部屋めちゃめちゃにしちゃいました」

「そんなことは別にどうでもええ! いいもん見れたわい! それよりどうじゃ? 何か感じるか? 今までとは違う何かを」

「はい。そうですね……何にも変わらないような……」

「むう。確かに霊粒子の放出はしてないようじゃが……さっきは違ったのじゃが……どうしたものかのう」

「あっ、でもサイさんから感じてた……その……変な気配っていうか……そういうのが……なんつーか……はっきりとしたものに感じられます。長谷川さんも塩田さんのも。あと、他の方々のも。

 今までは……その……ちょっと……あまり良くない気配だったのが、今はそんなこともなく普通に……」

「じゃあ、やっぱり式は成功したのかしら……?」

「でもまさか、こんなことになるなんて……」


 深の言葉を受け、長谷川と塩田が順に口を開く。

 しかしながら先程の事件が収まったこの状況でも、塩田は申し訳なさそう顔で深を見つめていた。


「かっかっか! 恵子よ。そんなに気にするな。こやつは例外じゃけぇ、こんなこともあるじゃろうよ。なぁ、まなみよ?」


 サイが長谷川に話しかけたのだが、ふと気付いたように深が割って入る。


「そうっ! 長谷川さん、ありがとうございました。あの時、もし塩田さんがあれ以上近づいていたら、俺、多分塩田さんに怪我させていたかも……」

「いえ。なんとなく塩田さんが危ないって思って。同じ戦闘術士だからかしら? 深君の霊粒子の流れがちょっと攻撃的だったのよ」

「そうね。まなみちゃん、ありがとう。まさか結界がやぶられるとは……」

「すいません。俺……結界やぶっちゃいけませんでした?」


 深の心配そうなその発言にその場の全員が笑い、サイの部屋を後片付けして一同は解散した。




 そして午後。

 その日の午後から、深は他のメンバーと同じ時間に地下にいることを許された。

 実際、ウエイト室にいても体調が悪くなることはなく、むしろ、ガラス越しに伝わってくる彼女たちの霊粒子がはっきりと感じられるようになっていた。

 そのため、深はこの時初めて彼女たちのトレーニングを目にすることができた。


「すげぇ……」


 20人近くいる訓練室の人物たちからとてつもない霊粒子の放出を感じ取る。

 全員がそれぞれ微妙に異なる放出の激しさと量。さらにはそれらの性質も微妙に個性を持っているため、誰がどういった霊粒子を放出するのかを暗記してしまえば、瞳を閉じても相手の動きがわかりそうである。


 深の視線の先ではそんな気配を放つメンバーがそれぞれ多彩な武器を持ち、長谷川に攻撃を仕掛けていた。

 武器自体は木刀であったり先の丸い矢であったりと、全員の武器が訓練用の疑似的なものなのだが、それでもこの人数ともなると見た目の迫力も十分である。


 そしてまなみの反撃が開始されると、全員の体から放たれる霊粒子がさらに激しさを増し、戦闘そのものも一段階激しいものとなる。

 その光景を興味深く観察していた深であったが、観察が進むにつれてさらなる衝撃を受けた。


 まずは礼子。身の丈ほどもあろうかという西洋風の巨刀をぶんぶんと振り回し、彼女が長谷川に攻撃を仕掛けると、決まって床に2メートルほどのクレーターが出来ていた。


(だから床が土なのか…?)


 どうでもいいことと思われるが、この訓練室の床は一面土だらけ。コンクリートや木の床を敷き詰めても1週間と持たずにぼろぼろになるため、訓練後に整備のしやすい土が敷かれているのだろうという、本当にどうでもいいことまで思ってみた。


 そして春。礼子の攻撃の合間を縫うように矢を放っていたが、その威力はとてもじゃないが人力で発射する弓矢の範疇を超えており、長谷川に弾かれた矢はそのままの勢いでコンクリート製の壁に突き刺さる。さらには矢が刺さった箇所を中心として、直径30センチメートル大の綺麗な円が出来ていた。


(ライフル銃みてぇ……)


 細腕の春にそれほどの腕力があるとも思えないので、やはり霊粒子とやらが作用しての威力と思われる。


 最後は瞬。

 しかしながらその姿はなかなかとらえられず、必死に目を細めて見渡すと、瞬と思われる黒い影が空間を行き来しているのを確認できるだけであった。


(何やってんのかわかんねぇよ!!)


 そして、あらためて全体を見渡して一言。


「人間業じゃねぇな」


 驚愕の光景に圧倒されたながらなんとかつぶやき、深はトレーニングを始めることにする。



 そして3時間。深が満足のいく筋トレを終わらせる頃には、隣の部屋から感じる霊粒子の感覚が薄れていた。

 深がガラス越しに見ると、数人のメンバーが立っているのみである。

 しかしそんなメンバーに囲まれたまま、長谷川は相変わらず密度の高い突き刺さるような霊粒子を出していた。


「長谷川さんがすごいってこういうことか……」


 ほぼ全員を相手に長時間戦い続け、それでも彼女はまだ涼しげな笑みを浮かべているだけ。

 残っているメンバーには春も含まれていたが、長谷川の圧倒的な力を感じさせる訓練でもあった。

 その後深が腕のストレッチを始める頃には、最後まで残っていた春も膝をつき、動かなくなった。


「おっ、終わりかな?」


 そう思いながら春たちを見ていると、今日も完勝を収めた長谷川が満足そうな笑顔で全員に何かを指示し、倒れていた春の腕を支えながら壁際に連れて行く。

 その先にはすでに訓練から離脱した他のメンバー。どうやら動けなくなったメンバーから壁際によけるルールらしく、全員力が尽きたように壁にもたれかかっている。


(やっぱ訓練は終わりだな。あっち行ってみるか)


 隣の訓練室に入ると同時に長谷川が振り返り、深に向かって笑顔で手招きを始めた。


「俺?」


 深が近寄ると、長谷川が少し気分のよさそうな声で話しかけてくる。


「どうだったかしら? みんなのトレーニング。すごいでしょ?」


 少し汗をかいているが、いつものようなしっかりとした声。疲れている様子もなく、周りで倒れている他のメンバーと比べると、やはり圧倒的な実力差があるらしい。


「はい。びっくりっす。人間の戦いじゃないっすよ、あれは……」


 化け物みてぇ……もちろんそこまでは言えない。この場の全員を敵に回してしまう気がしたためである。


「でも、みんな3ヶ月でここまで上達したのよ」

「すげぇ。俺には到底無理そうなんですけど……」

「午前中にあんなことしておいてよく言うわ。どう? 試しにあなたもやってみる?」


(まじか…? 無理だろ……それに結構腕が疲れてんだよな……)


 しかしながら、深はうなづく。

 久しぶりの筋トレにかなり本気になっていたため、すでに体が思うように動かなくなっていたが、長谷川の霊粒子を間近で体験してみるのも面白そうである。


「いいですけど……俺、霊力のコントロールとかいうやつ、まったくできないですよ? 武器の使い方もよくわかんないし……」

「まぁ、いいじゃない! 思ったように私にかかってくれば。

 そうね……今日からこの時間は特別にあなたと私の1対1の乱取りの時間にしましょうかね? こっちおいで」


 そう言って長谷川が促した先は、訓練室の脇にある『武器倉庫』と書かれた部屋。深は長谷川の後について部屋に入った。


(おぉっ! なるほどっ! みんなの武器はここにあったのか)


 その部屋の中には、木刀や弓・木製の斧など、訓練に使用するいろいろな種類の武器がそろっていた。どうやらここからそれぞれのスタイルに合った武器を持ち出すらしい。

 興味津々で武器を見渡す深に長谷川が話しかける。


「どうかしらねぇ……まだこれといって自分の武器決めてないんでしょ?」

「……はい……全然……」

「自分の戦闘スタイルはね。すぐに決まる時もあれば、いろんな武器を試してやっと決まる時もあるわ。もちろん、いろんな種類の武器を扱えれば任務の時に有利になるわね」

「はぁ……」


 適当な返事を済ませ、深は物色を続ける。1分ほど倉庫内をうろついた後、深は少し長めの木刀を手にした。


「やっぱ……基本は……これかな!」


 というか弓矢を扱った経験など全く無く、礼子が用いる特大の武器も自在に操る自信がない。子供の頃に祖父と一緒に見た時代劇を思い出すことで、唯一戦い方が想像できる武器が木刀であった。


(あんな感じで戦えばいいはず……と思う……たぶん……)


「これでいいっす」

「そう。じゃ、始めるわよ」


 そして2人は倉庫を後にし、訓練室に戻った。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?