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008

 春たちは相変わらず動くことができずに、訓練場の壁にもたれかかっていた。

 長谷川と深が倉庫から出てきた今も息の乱れているメンバーがいたが、全員が長谷川と深を興味津々で見つめ始める。


「長谷川さん……何がしたいの?」


 春が武器倉庫から出てきた2人を見つめて小さくつぶやいた。



 事の発端はわずか数分前。

 今日は礼子がかなりの時間動いていたため、遠距離攻撃を専門とする春は前半目立った攻撃をしなかった。そのおかげで、今日の最後の生き残りは春となる。

 しかしながらそんな春もすぐに体力を失った。最後に春が倒れ、それを確認した長谷川が戦闘態勢を解く。


「立てるかしら?」


 長谷川が相変わらずの笑顔を浮かべ、倒れ込んだ春の元に近寄ってきた。


「はぁはぁ……いえ……ちょっと……無理で……」


 長谷川のあまりの強さに悔しさも感じたが、まともに歩くこともできないため、長谷川の差し出した手を借りることにする。

 その後、長谷川の肩を借りる形で壁際に移動した春であるが、移動する途中に長谷川が耳元で話しかけてきた。


「ちょっと試したいことがあるんだけど、深君と手合わせしてしてみるわ。床のデコボコならすのその後でいいかしら?」


 通常は少しの休憩をはさんだ後、全員で地面の凹凸を平らに戻す。それを後回しにしても今すぐ未知の才能を試したいという長谷川の隠れた好奇心を春は感じ取った。


「はい。でも……大丈夫でしょうか?」

「大丈夫よ。形にはならないかもしれないけどね。でも、もしかすると面白いものが見れるかもしれないわ」


 意味深い長谷川の発言に、春が顔を上げて長谷川を見ると、長谷川が不敵にほほ笑んでいる。

 そして少しの時間考え込んだ後、春も不敵な笑みを浮かべる。


「確かにそうかも……ですね」



 4月にこの組織に入り、春たちはそれまで全く扱うことのなかった武器というものの使い方を1から教わることとなる。刀を使うメンバーは素振りから始まるほどの基本ぶり。春自身も最初は矢が的にすら当たらなかった。

 確かに、初めてみる男の霊能士。というか男である時点で、自分たちよりスタートラインのレベルは上かもしれない。

 これは期待せずにはいられない。深と長谷川が相対する姿を見つめ、春は思わず叫んだ。



「深君、頑張って!」



 そんな春の声援を受けながら、深は長谷川と対峙していた。

 長谷川はいつもと変わらず、あいかわらずの綺麗な顔をしている。

 しかし先程のトレーニングを見た後では、少しばかり恐怖を感じてしまうことも否定できない。

 とはいえそれほどの実力者なら上手に手加減してくれるとも期待し、とりあえず何も考えずに木刀を振り回してみることにした。


 重心を低く構え、木刀を持つ手に力を込める。

 しかしながらそれとほぼ同時に激しい霊粒子を放出し始めた長谷川に気づき、深は少したじろいた。見えない力に押されるように2歩ほど後退する。

 長谷川が深の後退に気づき、あえて明るい雰囲気を作り出す。


「木刀にも霊粒子を送り込む感じでやってみて。なんとなくでいいから。いつでもかかってきていいわよ。おいでっ! ほらっ!」


 長谷川の言葉を受け、深は頷く。とほぼ同時に走り出し、長谷川との間合いを詰めた。

 木刀を力の限り振り回し、しかしながらそれらの攻撃は紙一重でかわされる。その瞬間にも長谷川が余裕の表情を返してきたが、深は連続して木刀を振り回した。


(くっそ……あたんねぇ……どうすりゃいい? もうちょい小振りにしてみるか)


 しかしながら、木刀を小さく振った深の攻撃も長谷川の鮮やかな剣術で完全に防御された。


「くそっ」


 思わず悔しさを口にする深であったが、対する長谷川がそんな深の心境に気づいたらしく、後方に跳躍する形で距離をとった。


「そう。いいわよ。そのフォームで刀を振りなさい」


(そうか。大振りすると避けられる。これぐらいの振りで……)


「はい」


 小さい声で返事を返し、深は再び距離を詰める。

 その後、いくらかシャープになった深の攻撃を長谷川が延々と防御し続け、15分が経過した。

 深の攻撃はたまに避けられ、それ以外は完璧に防御されていた。しかし体力そのものはまだまだ余裕があったため、深は継続して木刀を振り回す。

 そんな深の斬撃を右手のみで後方に受け流しながら、長谷川は脳内で分析を行っていた。


(意外と体力あるわねぇ。最初のペースのままここまで続いている。しかし変ねぇ。少しずつ攻撃が重くなっているような……気のせいかしら?)



 そしてさらに5分。

 深は無我夢中で攻め続ける。しかしながら長谷川の防御を打ち崩せないままの時間が延々と続き、ついに疲労が出始めた。


(だめだ……やっぱり勝てねぇ……つーか疲れてきた……木刀も重いし。つーか、なんで俺こんな長いの選んだんだ? 振りにくいし……)


 握力も低下し、今にも木刀が手から抜けそうな状態であるが、深は木刀を両手でがっちりと握り、長谷川に向かって必死に振り回す。

 しかし、ここで深は1つの違和感に気づいた。


(いや、本当に重い……なんだこりゃ?)


 最初は疲れてきた影響で木刀が重いと思っていたが、その認識が違うという感覚。一振りごとに木刀の存在をはっきり感じ、まるで木刀が何かを主張しているような気配を感じ取った。


(なんだ? この感じは……? まぁいいや。よくわかんないけど……)


 さらに木刀を振り回すと、一振りごとに木刀の主張がよりはっきりとしたものになり、次の動きを深に要求しているように感じた。


(ん? ここか?)


 試しに木刀の要求に従うことにする。


「くっ!」


 その攻撃を受け、長谷川が苦しそうな声を発した。


(おぉっ! もしかして長谷川さんのこと押してる? いや、わかんねぇけど…… この意志に従っていけば……)


 そして次の動きも木刀の意志のままに。深の猛攻が開始された。




 一方、深の攻撃を受けながら、長谷川は深の観察を続けていた。


(やっぱりおかしいわ。この子、武器に霊粒子を送り始めている。攻撃が重い。それに攻撃の流れもスムーズになってきている。スピードも上がっているわ。

 でもどうやって? 体からは相変わらず霊力が感じられない)


 長谷川は完璧に深の攻撃を防御しつつも、無駄によける余裕が徐々になくなり始めていた。深の攻撃に態勢を崩されることも次第に多くなった。


(やっぱりおかしい。攻撃が重すぎる。この威力なら多分……)


 20分程度の短時間で剣道有段者のような動きを見せ始めた深の才能もおそらく天才と分類できるほどであるが、霊粒子を放出していない深の攻撃の威力が戦闘術士のそれに近づきつつある理由がわからない。

 深自身はその現象に全く気づいていないようなので、試しに地面を攻撃させてみることにする。


 深が木刀を真上に振り上げつつ、それを素早く降ろした瞬間。その動きを待っていたかのように、長谷川は無理をして横に避ける。

 振り下げた木刀は大きな音をたてながら地面に当たり、それと同時に縦1メートル、幅20センチメートルほどの亀裂が地面に残った。


「うそ?」


 深が口をあけて固まっているがそれは無視するとして、長谷川が亀裂を見ながら考え込む。


(やっぱり……でもどういうことかしら? 木刀からも霊粒子の放出は見られないのに……)


 しかしながら、深の攻撃力はすでに戦闘術士の基本レベルに達しているという自分の予想が正解だったことに満足そうな笑みを浮かべ、長谷川は再び武器を構えた。

 しかし、武器を振り下げたまま固まって動かない深の様子に気づく。


「深君?」


 長谷川の声を聞いて、はっとしたように深が言った。


「……長谷川さん……これ……?」


 亀裂を作った本人が一番衝撃を受けているようである。しかし、その攻撃に前もって気づいていた長谷川は、さも当然のように答えた。


「これが今のあなたの実力よ。それにしても驚きね。まさかこれほどとは……持久力も予想以上ね」


 そして長谷川は壁の時計を見た。開始から45分が過ぎている。

 視線を戻す途中で、周りにいた他のメンバーも視界に入ったが、彼女たちも微動だにせずこちらに魅入るのみ。


「どうする? まだいける?」

「はい。もうちょっと……」

「じゃあかかってきなさい!」


 そう言って、長谷川は深に向かって精錬された構えを見せる。




 さらに15分後。今度は長谷川が息を切らし始めていた。

 午後からずっと動きっぱなしだったので当然と言えば当然なのだが、それ以上に深の攻撃に体力を削られていたことが大きい。


(ほんとにやばいわね。攻撃が早すぎる)


 そう思いながらも長谷川は深の分析を冷静に続ける。


(威力のほうは上がらなくなってきたわね。今のところはこれぐらいで頭打ちかしら。でもスピードは……片手じゃ辛い。明らかにスピードタイプね)


 これまで右手1本で戦っていた長谷川。ここにきてそれがハンデとなってきた。


(でも……ほんとに変ねぇ。体からは霊力を感じない。かろうじて頭部から霊粒子が放出し始めている。それだけ……それだけなのに……)




 対する深は再び不可解な現象に襲われ始めていた。


(……頭が重い……)


 すでに木刀から感じていた不可解な意志とは違う違和感。悪い感覚ではないが、なぜか頭の重さをはっきりと感じるようになってきた。

 しかし、その感覚もあいまいなもの。重いという表現が一番近いが、何かがまとわりついている感触も否定できない。


(これは……多分、霊粒子ってやつだ。なんでか知らないけど頭の周りに集まっている。それで頭が重い気がする)


 そう思った深であるが、少しだけ首を横に振った。


(いや、それも違う。頭から放出されている……? 俺の頭から?)


 深自身の体の動きに沿って霊粒子が深の視界を遮っている雰囲気を察すると、どうやらこの霊粒子は深自身の頭から放出されているらしい。


(どういうことだ?)


 さらに不可解な現象。

 その違和感がはっきりするにつれて、周りの動きがゆっくりになっていく現象も認識する。

 長谷川へ向けた攻撃が空振りに終わり、木刀が地面に当たった後の飛び散る土の動き。2人が回避と追撃の為に地面を蹴った時の土の動き。


 いや、土だけではない。長谷川の髪の動き、2人の着ている服の動き。

 全ての動きが遅く感じる。


(気のせいか…? まぁ、集中力が増すとボールが遅く見えるってやつかな……でも……やっぱり長谷川さんの防御をやぶることはできそうもな……)


「うぐっ!」


 違和感について考えながら戦っていた深は、急に腹部に長谷川の蹴りを受け、10メートル近く後ろに弾き飛ばされた。着地も失敗したため、地面に打ち付けられた後、あまりの苦しさに立ち上がることができない。

 深は肺に残った空気を必死に絞り出し、小さくうめく。


「そんな……急に……」


 腹部と着地の時に負傷した右肘を抑えながら地面をのたうち周り、長谷川があわてた様子で深のもとに駆け寄った。


「ごめんなさいっ! つい……」


 この1時間、ずっと深の攻撃を防御し続けた長谷川。深に攻撃を仕掛けたのはこれが初めてである。

 受け身もまともに取れない新人相手に初日から攻撃をするのはさすがに気が引けるという理由であったが、その点は深も途中から気づき、お互いの間では暗黙のルールとなっていた。


 しかし、この時の長谷川は無意識に反撃を繰り出してしまった。深の攻撃が防御しきれないほど激しいものになり、長谷川が自分の身の危険性を感じたためである。

 案の定、防御に関して初心者に等しい深は長谷川の攻撃に対して何の対応も出来ず、その威力をたっぷりと受けることとなる。

 深の元に到着し、長谷川は申し訳なさそうに言った。


「大丈夫? ほんとごめんなさい。攻撃する気は……」

「……うぅ……ひどい……っすよぅ……いきなり……」


 この組織に入って、何度このように長谷川にかかえられたことか。

 そう思った深であったが、身体へのダメージが大きいため自力で起き上がることはできず、深を支え上げようとする長谷川の腕に甘えることにした。

 その時、右腕で深を起こしながら、長谷川が深の負傷に気づく。


「ほんと、つい……あらっ? 大変っ! 腕から血が……」

「大丈夫っす。折れてないっす……」


 深が無愛想に答える。この頃には腹部のダメージがいくらか和らぎ、深は自力で起き上がろうとした。

 しかし、それを黙って見守っていた長谷川が急に叫んだ。


「きゃっ!」


 深もその声につられて驚く。


「うおっ! えっ? なに? なにっ?! どうしたんすか?」

「いえ……別に……なんでもないわ。ごめんなさい……大丈夫? 起きれる?」


 なにもなかったかのように深を起こしながら、長谷川は深の腕の傷を見つめる。傷口の中、皮膚の底から高密度の霊粒子を感じとっていた。


(なんなの? この子……なんでこんな霊粒子を持っているの?)


 一瞬、驚いた理由を深に伝えておくべきか迷った長谷川であるが、長谷川自身も深に対する疑問の多さにお手上げだったため、今は何も言わないことにする。

 その後、長谷川が深の上半身を起こし終えたところで、周りで見ていた他のメンバーたちが集まってきた。片手で深を支えていた長谷川に代わり、瞬が深の背中を支える。深の訓練開始直前は疲労で倒れそうだった瞬も、この頃にはいくらか元気を取り戻しているようである。

 瞬が笑顔を見せながら深に話しかけた。


「大丈夫? すごかったわね!」

「何がっすか?」


 深自身は先程までの自分の所業に気づいていないらしい。瞬が長谷川の顔を見るが、長谷川はそんな瞬の視線に気づきもせず、何かを考え込んでいた。


(長谷川さんが困ってる……この子の動き……やっぱり尋常じゃないわよね……?)


 見学していたメンバーのほとんどが驚愕し、さらには恐怖感すら感じた深の能力。俊敏さを得意とする瞬がぎりぎり捕捉できるほどのスピードで動き回っていた。

 おそらく他の新人では何が起こっていたのか理解できていないだろう。訓練初日でありながら、深はそれほどのスピードを発揮していた。


「まっ、最初にしてはなかなかってこと!」


 結局、瞬も余計なことは言わないことにする。ここは新人担当である長谷川に一任した方がよさそうだ。


「そんなもんすかねぇ……よくわかんないっす」


 深が最後にあっけらかんとつぶやき、その後、見学していたメンバーが順に深を誉め始める。

 その光景を見ながら、長谷川は先程の訓練を振り返っていた。


(なんて才能の持ち主……しかし、あの現象は……? この子の能力は少し複雑そうね。サイさんに聞いてみようかしら)


 そんな長谷川のすぐ脇、最後に春が深に話しかけた。


「とりあえず、治療室行きましょう! 深君? 私が連れて行くわ! ね? 長谷川さん? いいですよね? 他の子は床ならしお願いね」


 というか春のテンションが若干高い。どうやら真剣に深を応援していたらしく、スポーツ観戦後のような爽快感を漂わせていた。

 微妙に変な春のテンションに驚きながらも、長谷川が笑顔を浮かべながら答える。


「そうね。春ちゃん、お願いするわ。私は用事があるからこれで部屋に戻るわね。みんなも床ならすのよろしく」


 長谷川の言葉に他のメンバーもうなずき、その場は解散となった。




 その後、深は春に支えられながら、治療室に向かう。

 腹部の痛みは引いたものの、歩くことがおぼつかない。体中の筋肉がプルプル震えていることから、疲労が頂点に達しているようである。


「どうだったっすか? 俺、ほんとにちょっといい感じでした?」

「えぇ。信じられないぐらいすごかったわ! しかも持久力もあるし! やっぱり男の子だからかしらね。あなたの攻撃はもう私たちより上よ。防御の仕方さえ覚えたら本当にかなわなくなっちゃう」

「そんなもんっすか……実感湧かないっす。それより、すいません……手伝ってもらって。やっぱちょっと疲れちゃった……」


 そんな会話をしながら、2人はエレベーターに乗りこむ。


「治療室で少し寝ていくといいわ。あそこは24時間体制だから」

「それはありがたいっすね……そうさせてもらおうかな……」


 すぐに2人は治療室と書かれた部屋にたどり着く。しかし治療室のドアが開いた瞬間、深は目の前の光景に圧倒された。


「ここ? 病院? え?」


 治療室の設備は総合病院の救急外来並みの医療機器がそろっていた。それはもはや『治療室』と言えるレベルではなく、一瞬入口で立ち止まってしまった深であったが、春は慣れた様子で部屋に入り大きな声で叫んだ。


「すみませーんッ! 戦闘術士なんですけどぉ! 怪我の治療お願いしまーす」


 その声に反応して医師と数人の看護師が2人の元に近寄ってきた。


「すみませーん。この子なんですけど右腕怪我しちゃって」

「珍しいですね。男性の患者さんは」


 やはり深は男性の戦闘術士として珍しい存在らしい。もちろんこの反応にも深は適当な受け答え。


「はい。自分、レアな生き物らしいっす」


 医師が少しだけ笑い、すぐに診断が始まった。


「ちょっと腕見せて。動かせる?」


 深は右腕を差し出し、肘を曲げて見せた。


「折れてはなさそうだね。レントゲンは必要ないかな。他に痛いところはありますか?」


 医師の言葉の最中にも、1人の看護師が手際よく消毒を始めてくれた。


「そういえばお腹は? 蹴られたでしょ?」


 春が気づいたように話しかけ、深が腹部をさすりながら答えた。


「腹は大丈夫っす。もう痛くないです」

「うん。じゃあ、肘の治療だけでいいかな。ここには初めて来たよね? カルテ作るから、後で書類書いてもらっていいですか?」

「はい。あと、ここでちょっと休んでいっていいですか?」

「この子、まだ1人じゃ歩けなくて。今日のカリキュラムが少しハードだったんです」


 深の言葉に春が説明を追加し、医師が何かをカルテに記入しながら答えた。


「いいですよ。点滴はいりますか?」


 どうやら意外と融通も利くらしい。感心しつつ、深が答える。


「そこまではしてくれなくていいです。ちょっと眠いだけなんで」

「じゃあ治療が終わったら看護師がベッドまで案内しますね」


 その後、深は肘にしっかりと包帯を巻かれ、看護師に連れられてベッドに横になった。


「じゃあ、私戻るわね。お大事に!」

「あっ、ありがとうございました。お手数かけたっす」


 最後に春が挨拶を済ませ、看護師と一緒に部屋から出た。と同時に深はベッドの中でもぞもぞと動き、最適な寝相を確保する。


(うぅ……なんだ…? すんげぇ眠い。こういうもんなの?)


 その後、深はすぐに深い眠りについた。





 一方、長谷川は着替えを済ませ、3階の自分の部屋に戻っていた。すぐさま電話を取り、サイの部屋に内線をかける。


「うーん……」


 内線をかけてから30秒。サイは不在らしく反応がないため、長谷川は1度受話器を置き、すぐに総務部にかけなおした。

 ちなみにサイはメールを使うことが出来ず、さらには携帯電話の類も使うことができないので、サイの業務は総務が管理していた。サイとアポイントを取るためには本人に内線を入れるか、総務に調整してもらうのが通例である。


「すみません。戦闘術班の長谷川ですけど、今日のサイさんの予定を確認していただいてもらえないでしょうか」


 電話の向こうで中年男性の声が答える。


「はい。ちょっと待ってください。えーと……今は防衛大臣と平岡局長との3者会談です」


(うーん……)


 これほどの要職の3人が話し合っているなら、一介の戦闘術士がそれを邪魔するわけにはいかない。


「そうですか……その後の予定は?」

「18時から恐山部隊とのオンライン定期会議が入っていますね」

「それは……確か……1時間ぐらいで終わりますよね?」


 長谷川が時計を見ると、17時半を示していた。


「はい。それぐらいで終わる予定です。その後は予定が入ってませんよ。どうしますか?」

「じゃあ、会議が終わったら長谷川が1時間ほど話をしたいと言っていたとお伝えください。中川深の件と言えばわかります」

「わかりました。な……か……が……わ……し……ん……っと。確かに承りました。失礼します」

「はい、おねがいします」


 そして長谷川は電話を切る。パソコンを起動すると、春からのメールが届いていた。


『中川深を治療室に連れていきました。肘の怪我は大したことはなさそうです。しかし疲れがひどく、治療室で少し休んでから帰るそうです。』


 春からのメールを読みながら、長谷川は笑みを浮かべる。


(いきなりあれだけ動きまわったらそりゃ疲れるでしょうね)


 春にありがとうと返信し、長谷川は今日の深の成長具合を頭の中でまとめることにした。


(あの子……育てるこっちとしてもおもしろすぎる素材ね……)


 しばらくはニヤニヤする時間。

 それから2時間ほどしてサイからの呼び出しがかかり、長谷川はサイの部屋に向かう。


「失礼します」

「おう、入れ入れ」

「申し訳ございません。急にお時間頂いて」

「ええわいええわい。深のことらしいな? あやつのことはわしも興味がつきのうてのう。まぁ座れ」


 言われるままに長谷川は席に座り、サイは長谷川にお茶を出そうと立ち上がる。その動きに気づいた長谷川が遠慮したように言った。


「いえ、おかまいなく……」

「いい茶葉が手に入ったけえ、まあ飲んでおけ。してどうしたのじゃ?」

「はい。実は今日の訓練で……」


 サイがきゅうすに熱湯を入れていたが、少しでも早く自分の疑問を解決したいと思っていた長谷川は、先ほどまで頭の中でまとめていた今日の出来事を詳細に話し始めた。



「……」



 全てを話した後、やはりサイも沈黙する。


「彼は才能があります。しかし、その……能力というか……霊粒子の特性が少し……他の誰とも違いまして……」

「まぁ、確かに霊粒子の扱いは人それぞれ個性が現れるものじゃがな。どういうことじゃ? やはり一筋縄じゃいかない小僧じゃのう」


 そう言いながらも機嫌のよさそうなサイの口調。長谷川が顔を上げると、サイは笑顔を浮かべていた。深に対してかなりの興味をもっているようである。


「はい。現時点では……接近戦を得意とする戦闘術士になることは間違いないでしょう。武器も日本刀があっていると思います。今日彼が真っ先に選んだのは長めの木刀でした。破壊力よりはスピードを得意とするのも間違いないです。しかし……まだ何か不明な能力がありそうでして……」

「戦いの途中に頭から霊粒子の放出が見られたこととも関係ありそうじゃな……」

「はい。その時から攻撃が異常な速さに……」

「うーむ。本人からも聞いてみることにするかのう……何かわかるかもしれん。まなみよ、この件お前に頼んでいいかのう? わしゃ戦闘術に関してはあまり詳しくないけぇ」

「そうですね……わかりました。何かわかり次第、随時報告しますね」

「おう、頼むわ」


 その後、サイの出してくれたおいしいお茶をじっくり堪能して、長谷川は部屋を後にした。

 心の隅に突如沸き上がった記憶――あの忌まわしい戦いをわずかに思い出しながら……。





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