目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第3話 弱き双連の句字




(ん? なんか変……?)


 祭壇を眺め始めてわずか数秒、礼は視界に生まれた小さな変化に気づく。

 他のメンバーとの挨拶のために意識をそらしていた数分の間に、祭壇の照明が少し暗くなっていた。


(いや、違う……かな)


 祭壇の各所に立てられた数本の蝋燭は全てがしっかりと灯をともしており、その勢いが弱まっているわけではない。もちろん、蝋燭の長さがこの短時間に不自然な勢いで短くなっていたわけでもない。

 ただ暗く――どちらかというと、部屋の空気が濁ったせいで光の伝わりが弱まり、礼の瞳に入る光が少なくなっているという感じである。


(うーん……でもでも……)


 それも違う。

 濁ったというよりは白く霧が立ち込め感じ。山奥という場所柄、そして気密性の低そうな古い建物の関係上、建物の外で発生した霧が部屋の中に入ってきたとも考えられる。

 というか心の中まで綺麗に洗われるような純白の空気は、汚れの類とは明らかに違ったものであった。


(うーん。でも……やっぱり……?)


 それも違うような。

 ここまでくるといい加減いらいらし始めた礼であるが、気を取り直して観察を続ける。

 建物の外から入ってきた霧ならば、部屋の中に均一に広がりそうなものであるが、その白い空間は祭壇の中央あたりに濃く集まり、そこから礼たちの座る位置まで濃度を下げながら同心円状に広がっていた。


(どういうこと?)


 結局、お手上げになってしまった礼は腕を組みながら首をかしげるが、ここで寿原が大きく声を上げた。


「よし。そろそろだな。お前らぁ? 用意しろ!」


 寿原の言葉に反応し、あるものは頭を下げ、あるものは両手を合わせる。さらには、それぞれが低い声でお経のようなものを唱え始めた。


「え? え? えぇっ!?」


 物々しい雰囲気を察知した礼が怯える。

 おどろおどろしい雰囲気が一気に部屋に広がり、ついでに先ほど注意を向けていた祭壇の霧のようなものからもまがまがしい気配が放たれ始めた。

 礼が後ろによろめきながら寿原に助けを求める。


「ちょっ! 寿原さんっ!? な……なにこれ……?」

「落ち着け。いいか? とりあえず頭下げとけ。それで……後はお前の好きに答えろっ! いいか? お前の『言葉』で答えるんだぞ?」

「お……俺の言葉っ!? はぁっ!?」

「そうだ。お前の『言葉』。わかったらとりあえず頭下げろっ! あと……お前のこと、信じてるからな」


 最後に思いっきり不吉な言葉を投げ捨て、寿原がいそいそと部屋の隅に逃げる。そのまま列に加わる感じで小幡の隣に座り、綺麗な正座をし始めた。


(おいぃー!? ことはらさーんっ!! なにそのすんげぇあっさりした切り捨てぇっ!

 それはそれはなかなか見事な見放しっぷりで……いや、寿原さんのこと褒めてる場合じゃないっ!

 何この気配っ? マジで鳥肌がすごい……)


 気配というにはあまりに恐ろし過ぎるほどの空気が肌を突き刺し、礼は頭を下げたまま体を硬直させる。挙句の果てには、瞳から涙がとめどなく流れ始め、体もぶるぶると震え始めた。

 ついでに、祭壇に置かれていた各種神具もぶるぶると震え始めた。


(なに……? なに……?)


 恐怖が極限に達し、テンションのおかしくなった礼がこの場からダッシュで逃げだそうと思い始めたその瞬間――



 うぃーーーぃ……



 威圧的な声が空間に響き渡る。


(なんか出たぁーっ!! ちょっ、怖いってっ!! なんか出たってばっ! 寿原さんっ?)


 しかし、ただ今絶賛怯え中の礼が頭を上げられるわけもなく、意味不明な存在をただただ感じるだけである。

 時を置かず、祭壇の方向から会話が聞こえてきた。


「ここは……? あぁ……由多祢(ゆたね)寺か……?」

「そのようですね。うーーーん……久しぶりの降臨……いいものです」


 前者は低くざらついた声。後者はそれよりも少し高めの声であるが、不敵な笑みと裏切りが似合う癖のある声である。

 というか不可思議な存在が会話を始めたということで、その存在は2体現れたものと推測できるが、礼は今もなお頭を畳にすりつけたままなので、確認しようもない。

 礼本人の体はもちろん、頭を付けている畳、そして両脇の障子、ふすま。それら全てを震えさせるような迫力で、その存在は会話を続ける。


「あぁ、それにしても……今回は急な話だな……」

「それは仕方ありません。そもそも私たちが揃ってこの世に来るということが……それなりに急な理由があるのでしょう」

「そりゃそうだな。それで……」


 ここで2体の会話が終わり、突き刺すような視線が礼に集中する。


「我は古より国を守りし高貴な力。その力を欲するのはお前か?」


 自分のことを『高貴』とか言っちゃう点について、小さなツッコミ魂が湧きあがるのも当然。しかし、ぶるっぶるに震えていたこの時の礼にそれを実行する度胸があるはずもなく、礼は綺麗な土下座を維持したまま、小さな声で答えた。


「は……はい。多分……」

「ん? 『多分』ってどういうことだ? お前、俺らのことをなめてるのか? はっきりしろやぁ!? あーんっ!?」

「え、あ、いや……」

「ふっふっふ。烙示? よく見てごらんなさい。まだ年端もいかぬ小童。そのような高圧的な態度をとらなくてもいいではないですか。それに……我々を謀ろうとするのなら、息の根を止めてやればいいだけのこと」


 この時点で壁際に並んでいた寿原たちが笑いをこらえきれない様子でプルプルと震え始める。

 しかしながら礼はもちろんそんな違和感に気づくこともできず、脅迫まがいの言葉を耳にしたことで、体をさらに強張らせた。


(えぇ……俺、殺される……?)


 腹の底まで響く声で告げられた殺人予告は、本当に礼を殺してもおかしくはないぐらいのプレッシャーである。今もなお礼の体を襲う異様な気配も加味すると、その発言内容の信ぴょう性は限りなく高かった。


(こーとーはーらーさーん……)


 ここで礼は土下座をしながらばれないように頭だけこっそりと後ろに向け、寿原に助けを求めようと試みる。

 しかしそれを実行しようにも、何百本もの日本刀の切っ先が体の表面にびっしりと当てられているような感覚が邪魔をし、微動だにすることができなかった。


 なので礼は寿原に助けを求めるのを諦め、あらためて意識を前方に向ける。寿原たちの助けを期待できない以上、自分の力でこの場を乗り切ろうと覚悟を決め、礼は出来る限りはっきりとした口調で言葉を発した。


「いえ。殺すのはやめてください。僕も何が起きているのか。

 失礼ながらあなた方のこともよく存じ上げませんし、僕自身がなぜここにいるのかもわかりません」


 14歳の少年にしては上出来過ぎるほどの言葉遣いと説明である。


「ぷっ」


 大したことではないが、寿原たちがこの言葉を思わぬ収穫と見なしたため、並んで座っている部屋の一角から押し殺したような笑い声が生まれるが、もちろん礼の耳に入ることはない。

 震えるような声で言葉を返した後、礼は額をさらに強く畳に押しつける。


 結局のところ相手が求める質問にイエス・ノーで答えることが出来ていないという意味で、礼の返答はちゃんとした答えにもなっていない。

 とはいえ相手の問いに答えようにも今の礼には状況が分からな過ぎたため、この時の礼に出来ることは自身の状況を相手に伝え、そして相手の次の出方を待つのみであった。


「……」


 礼が黙りこみ、沈黙に耐えること数秒。その時期はすぐに訪れた。


 ……


 ……


「試してみるか……」



「え? まさか……本当に殺す気ですか?」

「このガキにその力量があるなら死なないだろ?」

「でも……この程度の小童にあなたの攻撃を防げるわけが……」


 とてもじゃないが理解したくない会話である。低い声がさらに低い声で短くつぶやき、その相手の声色は反対していながらもまんざらではない様子であった。


(嫌な予感……)


 会話の流れからよからぬ未来を想像してしまった礼はさらに体を震わせ、会話の行き先を見守る。

 しかし、次の瞬間に死刑宣告に等しい台詞が礼の耳に入ってきた。


「えぇーい! うるせぇぞっ、鎖羽っ!? こちとらこの世界に来たばっかりで力が有り余ってんだ! 少しぐらい暴れさせろっ! クソガキの1匹や2匹、食っちまったところで何も問題なんかねぇだろぉっ!」

「……じゃあ……好きにしてください。ふーう……せっかく降臨したのに……」

「くっくっく。じゃあ、お言葉に甘えて。俺らの力が欲しけりゃ、それなりの生贄も必要だってことだ。はっはっはっはっ! それじゃ早速!」


 低い声の持ち主の口調が言葉の最後に機嫌良さそうなものに変わり、その殺気は再び礼に集中する。

 対する礼はその視線を後頭部のあたりで感じるや否や、頭を上げ――



「殺られる前に殺ってやるっ!!」


 混乱の極みに達っすることで正常な判断力を失い、礼はあろうことか不可思議な目の前の存在に対して戦いを挑む覚悟を持ってしまった。


「うらぁーーーーっ!!」


 その覚悟の促すがまま、礼は相手に向かって突撃を開始する。


「ちょ……礼っ!? いったい何をっ!」


 叫び声をあげながら前に向かって助走を始める途中、後ろから寿原の声が聞こえてきたがこの際無視しておくとして、とりあえずかっこいい決め台詞を放つところから、礼の戦いは始まった。


「とーりゃーっ!! 覚悟ーーーっ!!」


 叫ぶと同時に両手のこぶしを握り、それっぽいファイティングポーズを構える。もちろんただのパンチが相手に効くとは思えないが、なんとなくここに連れられてきただけの礼が武器の類を用意しているわけもなく、この時の礼が出来る攻撃方法は両手のこぶしを振り回すだけであった。

 しかし、4歩、5歩と足を進めたところで、礼はその足を止めてしまう。


「あれ?」


 その原因は敵の姿。

 視界が土下座の低さから徐々に上昇し、本格的な走行体勢に入って上下のぶれも小さくなった瞬間。視界も開けたことで礼が殴りかかろうとしている敵の姿をとらえようとしたタイミング。

 そのタイミングで、礼は目の前の光景に違和感を感じた。


「……どこ?」


 礼の目の前には先ほど見た祭壇がその場にあるだけであった。


(消えた?)


 現実離れしたこの状況を踏まえると、最悪の場合、妖怪や幽霊のような姿をした生き物が礼の瞳に入って来てもおかしくはない。敵の姿を見ることで礼の心に生まれるであろう恐怖心に対する心の準備もしていた。

 ところが礼の視界に肝心の敵の姿は無し。


(逃げた? いや、それは……)


 ありえない。

 特に礼が今も心に留めている覚悟が、逆に相手との圧倒的な力の差を示していると考えると、そのような力関係の中で有利な側に位置する敵が礼に恐れをなして逃げたとは考えにくいことである。

 もちろん礼が本能で感じている『敵との差』とやらが、生物的な力の差なのか心霊的なものなのかもいまいちわかってはいないが、敵が敗走してくれたという可能性を否定した礼はここで足を止め、警戒しながらあらためて周りの観察を始めた。


(うわっ! わかりづらっ! もうこれ煙じゃん!)


 部屋に立ち込めていた霧は礼が頭を下げていた短い時間にさらに濃さを増し、この時点で礼の視界は2~3メートルほどになっている。

 いや、霧が濃くなっていようがそんなことはどうでもいい。

 『かすんでしまう』ということは、逆に『かすんでいるがなんとか見える』という意味でもあり、祭壇は確かに礼の前にしっかりと確認できている。

 しかし祭壇と礼の間、または祭壇の上かさらにその奥にいると予測していた2体の不可思議な存在の姿はどんなに目を凝らしてもやはり確認できない。


「おいっ! どこだ!? 卑怯だぞ!」


 試しに思いっきりベタな台詞を放って、相手の居場所を聞き出そうとしてみる。

 その台詞を放つ間にも礼は周りを見渡し、相手の姿を探し続けた。

 しかしここで事態は急転する。



 まずは礼の背後から聞こえる笑い声。

 と同時に首筋のあたりに生温かい感触を覚え、礼は体を硬直させた。


「いやいやいやいや……俺たちが荒ぶりキャラと礼儀正しいキャラやってんのに、お前が両方やってどうすんだよ……キャラ被らせんな」

「え?」

「そうです……キャラ設定被ってます。というかキャラがブレてます……まさか……そんな残酷な反撃するなんて……」

「え?」

「あぁ。ネタかぶせとは非人道的この上ねぇ。お前、おとぎ話とかもう一回ちゃんと読んでおけよ? 倫理観が非常に低い。将来が不安だぞ?」

「え?」


 何故かやたらと悲しそうな声が耳に入り、一瞬の後に首筋のあたりをぺろりと舐められたかのような気持ち悪い感触。というか感触にまかせるなら、この時の礼の首筋は確実にどちらかの存在によって舐められていた。

 なので礼はもちろん硬直状態。

 その様子を確認するかのように少しの沈黙が生まれ、次の瞬間に、背中一帯まで広がっていた生温かい感触が消え去る。

 その後、少し離れた所から低いの声が聞こえてきた。


「あーぁ。でも……くそっ!」

「くっくっく。そうですね」


 機嫌の悪そうな低い声と、それをなだめるかのような不敵な笑い声。

 礼にとっては未だに状況が理解できない場面であるが、部屋を包んでいた緊張感が一気に冷め、殺気のような気配も消えてなくなっていた。

 しかし、依然として不可解な気配はこの部屋に存在し、それらは次にターゲットを寿原に向けた。


「おいっ! そこのやつ。お前が宮司か?」

「いえ、私はここの宮司ではありません。……しかし、一応今回の執行者を受け持ちました。寿原と申します。位は小宮司。本家勤めです」

「ほう。見たところこのガキよりは歳を経ているな? しかし、その若さで小宮司とは……」

「私のような未熟者にそのようなお言葉は……そして……そこにいるのは、風那礼。あなた方の次の『降臨者』です。いかがでした?」

「ふっ。まさかこんなガキが俺と鎖羽の2人を扱えるとは思えんが……あっ、間違った。俺と鎖羽に仕えることが出来るとは思えんが……」


 礼にとってまったく意味不明な会話が続いているため、終始無言。というか思いっきりおいてけぼりをくらっていた。

 なので烙示たちが礼についての会話を始めても、礼は心ここにあらずの状態で天井とか眺め始めていた。


 しかし、寿原たちの会話は続く。


「しかし、あの威力……」

「えぇ。なかなかのものでしたね? 一瞬、本当に恐怖しましたよ。子供ながらに恐ろしい」

「あぁ。俺はともかく蛟(みずち)である鎖羽まで持っていこうとするとは……」

「それでは礼のことを頼んでも?」

「あぁ。わかった」

「仕方ありませんね」


 ここで重要っぽい会話は終了する。

 話題が変わるのに合せるかのように、ここから烙示の口調も少し明るさを見せた。


「あっ、忘れてた。なぁ? もしかして俺たち、薄くね?」

「そうですね。私なんてほとんど透明です。宮司さん? これはもしかして……」

「あっ、すみません。儀式用の霊道の調整、少し失敗しました。というか、まさかあなた方が2人揃って出てこられるとは……? これは中宮司クラスかそれ以上……西洋だったら主教クラスが受け持つべきものです。私なんかが司れるものとは……とはいえ、大変失礼しました」

「そうか……でも、まぁ……別にいいや。ここに来る途中ちょうど鎖羽と会って、2人で行ったら面白いかなって。ノリで来ただけだから。たまにどっちか帰ることにするし。そんで、本当の姿になるのいつぐらいなんだ?」

「礼の体のこともありますし、七つ夜の頃がよいかと」

「あぁ。じゃあそれで。鎖羽もそれでいいだろ?」

「はい。別に……そもそも私はこのような姿にぴったりな存在ですからね」


 そして会話は終了する。

 この頃には、聖なる戦いに生き残ったという間違った認識を実感し始めた礼が人目を惜しまず泣き始めていたが、そもそもこの儀式自体いろいろとやらせっぽい演出が仕組まれていたので、寿原は礼に対して(少し悪いことしたなぁ)とか思いつつ、烙示と鎖羽に深々と頭を下げる。

 部屋の雰囲気がひと段落ついたかのような流れになり、そのまま一同は解散した。



 ちなみに、烙示と鎖羽に対する寿原の態度もやらせの一環であり、寿原と烙示たちは結構仲良しであった。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?