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第8話 2度目の出会い

(え……?)


 ぱた……


 まずは礼の期待を裏切るほどの意識の霞み。

 脱力感と眠気、そして先ほどまで感じていた不快感の消失を感じ、礼は抵抗することができずにその場で崩れ落ちた。

 一瞬何が起きたのか理解できないぐらいのわずかな時間――反応を声に出すこともできないほど短い時間であったため、礼はかろうじて心の中で一言だけリアクションをとることが出来たが、抵抗むなしく礼の視界と思考はすぐに暗闇へと滑落してしまった。

 その後、体感時間で数秒ほど意識が混濁する感覚を味わい、礼の視界は再び明るさを取り戻す。


 しかし、次の瞬間に礼の視界に入ってきたのは、本能のレベルで異世界と認識してしまうほど、はっきりした違和感を感じさせる光景であった。


(ここは……?)


 目の前の光景は意識を失う寸前まで視界を覆っていたあの部屋である。

 しかし、記憶に残っているあの部屋が古めかしい寺の一室であったのに対し、目の前に広がる部屋の壁や天井の真新しさは、まさに新築のそれであった。


(どういうこと?)


 儀式を行う時に準備されていた祭壇と、その祭壇の各所に灯されたろうそく。

 ここまではかろうじて礼の記憶に残るものと一致し、天井の高さや部屋の広さといったこの部屋の作り自体には変化はない。

 しかし、隅々まで行き届いた手入れを考慮しても、建設から百数十年の年月を経過していたであろう壁や柱の汚れは綺麗さっぱりと消え、木材の艶は新築のような輝きを放っている。

 それらを観察しながら、礼はゆっくりと体を起こす。


(いや、あの部屋……じゃないのかも……)


 徐々に意識がはっきりし、周りの状況の把握も進む中。意識がはっきりしたことで、礼はいくらかの不安も抱き始める。

 とはいえその不安感は烙示たちと初めて会った時のような圧倒的な恐怖心に匹敵するほどでもないので、礼は騒ぎ立てることはせず、頭をかきむしりながら改めて建物の観察に集中した。


(うーん……やっぱ違う)


 注意深く周りを見渡すと、心なしか柱の1つ1つが若干太いようである。もちろん、この部屋を訪れたのは今回が2回目であるため、礼自身建物の造りを細部まで記憶していたわけではないが、全体から感じる違和感が礼の考えを後押しし、礼は目の前に広がる部屋がさっきまでの空間と違うということを結論付けた。


(うーん……違う部屋。ってことは、俺……瞬間移動した? それともタイムスリップ……?)


 単純に考えて、さっきまでいた部屋からこの部屋にわずか数秒で移動したとすると、空間を移動したにせよ時間を移動したにせよ奇跡のような現象である。

 しかし、それらもひっくるめて『儀式のせい』としてしまえば、日頃から奇跡のような存在にまとわりつかれている礼にとっては日常生活の範囲に収まってしまう程度のものでもあった。


(まぁいいや)


 なので礼は自分の身に起きた超常現象については深く考えないことにしつつ、しかしながら自分がこの部屋に飛ばされた理由についてはよくわからないのでその原因を探るべく、引き続き観察を続けることにした。


(うーん……まずは……やっぱここかな……?)


 とりあえずは目の前に用意された祭壇の調査。

 思えばこの祭壇をじっくり見るのはこれが初めてであり、この際階段状に並べられた数々の神具がどういったものなのかを詳細に把握しておくのも悪くはない。

 そう思った礼は祭壇のある部屋の奥の方向に向けて足を進める。


 とその時――


 礼が祭壇に移動するその途中、突然礼の左右の空間が黒くゆがみ始めた。


「うぉっ!」


 礼がその現象に驚き後方に倒れると、ワンテンポ遅れて黒い空間から烙示と鎖羽が勢いよく飛び出してきた。


「おぉっ! あぶねっ!」

「ん? 礼様? 烙示っ! 危ないっ!!」


 そして、ここでちょっとした不幸が起きる。

 礼が倒れ込んだ地点にちょうどよく烙示が突入し、烙示の大きな肉球が礼の腹部にするどくめり込んでしまった。


「かはっ!」


 五臓六腑を吐き出しそうなほどの重圧を感じ、礼は苦しそうに声を出す。烙示たちの着地点と黒い空間のゆがみに驚いた礼の回避先の位置を考慮すれば、どちらかというと回避行動をとらなかった方が安全だったわけであるが、そのことに気づいた礼は(あぁ、ビビりの俺、バカぁ……)とか思いつつ、顔をゆがませた。

 地獄のような数秒を過ごし、痛みがいくらか収まってきたあたりで、礼は異変を感じとる。


(あれ? 烙示ってこんなに重かったっけ?)


 このとき礼が感じた烙示の体。それは自宅での睡眠中で感じる生温かい感触などではなく、まさに大型獣の重さであった。


「げほっ! かはっ……うぅぅ……いったい何が……」


 おかしな空間に強制移動された礼の意識。そしてその世界に突如乱入してきた烙示たち。

 礼の頭を混乱させるにはこの2点で十分であったが、ここ1週間一緒に過ごした烙示の体重が急に大きく増加していたことは、この時の礼にとってとても不可思議なことであり、礼は苦しそうながらもその点について質問をする。


「なんで……重……いの?」


 しかし礼の言葉は肺の奥に詰まり、烙示はその意図に気づかない。


「大丈夫か? ぺろ……ぺろ……」


 烙示は腹部を押さえる礼の両手を鼻先で無理矢理こじ上げ、礼のTシャツをまくるかたちで腹部を直接ぺろぺろと舐め始めた。

 そして、礼はまた新たな変化に気づく。

 烙示の舌の感触も、いつも以上に生々しいものである。


「うぅ……なんで……?」


 ここはどこなのか? 何故ここに烙示たちが現れたのか?

 そして烙示の重さ――


 聞きたいことは山ほどあるが、腹部の鈍痛に耐えているこの状況でそれらの疑問を全て投げかけるのは不可能である。

 結果、このとき礼の口から出た言葉はそれらの疑問を全て含んだ短い一言であった。


「それが……2人の……姿……なの?」


 目の前にはっきりと見える烙示たちの姿。

 それを目の当たりにした礼は低い声で短く問い、と同時に礼は再び頭の中での分析を進める。


(ぐぅぅ……腹いてぇ……折れた音はしなかったけど……そんで……烙示たちが見えてるってことは……? この世界は?)


 そして礼は今現在自身を包む世界が現実の世界ではないという結論にたどりついた。


(どっちかっていうと……)


 意識の世界。


 もう少し胡散臭く言えば、『夢の世界』といった感じであるが、寿原による儀式により礼の意識はこのような場所に引っ張り出されたのだろう。

 この部屋が現実のものではなく、また、部屋の小奇麗さや建物の微妙な違いを考えるれば、もしかすると時間すら違うのかもしれない。

 烙示の記憶に残っていたものか、または鎖羽の記憶か――


(まぁいいや。そういうのテレビとかで見たことあるし)


 この際、この場所が何時で何処なのかは大きな問題ではなく、それらをまとめてきれいさっぱり『儀式のせい』としておく。

 そしてこのおかしな空間に烙示と鎖羽が現れたのも、儀式そのものが本来そういう現象を目的としていたと考えれば特に問題はない。


(それに、烙示の体も……)


 最後に、烙示の体の重さについても、礼の魂に対する烙示の魂の比率を表していると考えると妥当な気がするし、以前から見えていた烙示の輪郭の大きさに烙示の体重を当てはめたなら、それもそれで妥当な気がする。

 実際この儀式を行った後に烙示たちと礼の関係性は強くなるとのことなので、姿がはっきり見えるということは、礼が感じ取れる烙示の重さも今まで以上にはっきり感じるようになったのだろう。


 などなど……声を出せなくなっていた礼は、混乱してたわりに意外といろいろと考えることができたため、都合のいいように解釈を進めつつ、一通りの推察を終える。

 内臓の痛みが収まったのを確認し、礼は烙示たちに話しかけた。


「やっと見えた。そんな姿だったのか?」


 その質問に反応し、礼のTシャツの中から顔を出した烙示の姿と、少し離れたところでとぐろを巻いている鎖羽の姿。

 質問というよりはリアクションに近い心境であるが、烙示たちの姿がはっきりと見えるようになっていた。


「だ……大丈夫か? 骨とか折れてねぇか?」

「烙示? 落ち着きなさい。今の礼様は魂だけの存在。骨が折れるというよりは、むしろ魂が傷つくというか……」


 なかなか真剣そうに心配してくる烙示の顔が、怒られた時の犬らしくて非常にかわい……いわけがない。

 鎖羽の言葉の最後に物騒な一言がつけられていたため、礼はあわてて声を荒げる。


「ちょっと待った! 俺の魂傷つけられたのっ! それ、骨折よりやばいんじゃねっ!?」

「いえ。それほど重要ではないですけど……魂というか意識というか。人間なんて、眠っている時の意識は消えてしまいそうなものですからね」

「そ……そう……」

「回復するまで……そだな……10日間ぐらいかな。その間ずっとテンションが地獄の底まで落ちるだけだ」


 いや、今の烙示の発言もスルーできるわけがない。


「落ちてたまるかぁ! 母ちゃん心配するわ! ただでさえ、最近うざいんだぞ! 彼女がどうとかやたら聞いてくんだぞ!」

「あぁ、そういうお年頃ですからね……でも、礼様は将来あの悪霊と契りをむす……」

「……っばないよ!? 無理だからっ! あと、鎖羽は烙示のレールに乗らないで!」

「は、はい……」


 そして一同はしばし沈黙。


 最初はこの空間に色々と警戒していた礼であるが、烙示たちのの本当の姿が見れたということでいつも通りの雰囲気を取り戻していた。

 というか今まで透明だった烙示たちの真の姿を確認できたことで、礼は何故か大きな安心感を得ていた。

 そしてその安心感から生まれる気だるさに身を任せるように、礼はゆっくりとその場に座り、烙示と鎖羽の姿をまじまじと見つめる。


「ところで烙示?」


 まずは目の前の大型犬。

 ここ数日の付き合いから、烙示がかなりの大型犬であることは予想出来ていた。しかし、烙示の体には各所にツッコミどころが仕込まれていた。

 というかもはや体全体がおかしかった。


「……烙示?」


「ん?」


「なんで……ポメラニアン?」


 ……


 百歩譲って日本犬なら、犬種がなんであろうがすべて許せる。

 そして体が見えないながらも、烙示としょっちゅう取っ組み合いをしていた礼は、烙示の骨格が日本犬のそれに非常に似ていることも知っていた。

 しかしこの時礼の目の前にいたのはくりっとしたおめめが愛くるしい、ふっさふさの体毛に包まれたあの愛玩犬であり、そんじょそこらのライオンでも捕食できるほどの体格とは非常にバランスの悪い外見であった。


「うーん……なんとなく……>」


 立ち上がった礼にわさわさと触られながら、烙示が困った様子で答える。

 この返事で何かに気づいた礼は納得したようにうなづいた。


「ん? 姿変えられるんだっけ?」

「あぁ、別に……犬だったら何でも……」


(そういえばこないだ俺の友達の犬とたわむれてたっけ。ポメラニアンになりたかったのか? いや、烙示のことだから頭に浮かんだ犬種を適当に選んだだけかも)


 結局、これ以上烙示を問い詰めても大した答えが返って来ないような気がした礼は、次のターゲットを鎖羽へと移すことにした。


「鎖羽は……うほほほほぉぉ! 真っ赤な蛇って! 気持ちわるっ!」


 鎖羽は蛇の妖怪たるにふさわしい姿。

 5メートル近い体長と、直径は40センチメートルにもなろうかという鎖羽の体格は、日本でもあまり見ることとのない大きさの蛇である。

 というか比較的都市部の中心部と言える地域に住んでいる礼にとってこれまで蛇に触る機会など皆無に等しく、意識の世界とはいえ蛇に触るのはこれが人生初であった。


「触っていい? 触って……うわっ、動かないで! びっくりするから!」


 もちろんそれなりの恐怖心もあるが、野生の蛇ならまだしも目の前にいる鎖羽が礼の体に攻撃を仕掛けてくる事などあり得ない。それどころか、鎖羽はそこら辺の大人よりもはるかに礼儀正しい人格者であるので、礼は余計な警戒心など持たずに興味津々な様子で鎖羽に近づいた。


「うぉっ! 意外とかさかさ。蛇ってこんな感じなの?」

「え? えぇ。爬虫類ですので。もしや礼様? カエルとかと間違えてません?」

「ん? あぁ、そう言えばそうだ。あれは両生類だっけ」

「そうです。私は爬虫類。コモドオオトカゲとかも結構かさかさしてそうでしょ?」

「確かに。それで……おぉっ! でも、意外とプニプニしてんだぁ!」

「はい。筋肉がほとんどです」

「へぇっ! これが全部筋肉って、もしかして鎖羽ってプロレスラーとかより力あんの?」

「もちろんです。私じゃなくてもこの大きさの蛇なら、普通の人間ぐらい簡単に絞め殺せますよ?」

「ほーうっ! じゃあ、試しにやってみて!」


 なぜかテンションの上がり始めた礼が鎖羽に質問攻めを行うが、鎖羽が1つ1つ丁寧に答えてくれるため、礼の機嫌はさらに激しい勢いで上昇する。

 挙句の果てには鎖羽の体を自身の首に巻き、締め付けるように依頼し始めた。


「よしっ! ぎゅっとっ! 鎖羽? 早く、ぎゅって! 苦しくなったらタップするから!」


 もちろん鎖羽がそんな危険な行為に乗るわけがない。


「いえ。やりませんってば。さっきの話忘れたのですか? 私がちょっと力加減間違っただけで、魂が引きちぎられますよ?」


「あっ……」


 最後に大切なことを思い出した礼は、自身の首に巻いた鎖羽をゆっくりとおろす。


「やっぱいいや……」


 しかし、鎖羽の体の感触を堪能することはやめることが出来ず、近くに来ていた烙示の体を右手でわさわさしながら、左手で鎖羽の体をプニプニと触り始めた。


「あぁ、意外と幸せ……」


 その後、礼は無言のまま両者の体を堪能し、突如感じた眠気に身を任せることにした。



 というわけにはいかなかった。




「おいっ! 礼っ!? 起きろっ!! おいっ!」


 少しきつめな寿原の声と、自身の体を揺さぶる手によって礼は目覚める。

 場所は意識を失う前までいた儀式用の部屋。

 どうやら意識の世界から帰ってきたようであるが、礼ははっとしたように体を起こし、周りをきょろきょろと見回した。


「んんっ!? 何の音っ!?」


 原因は、建物はおろか由多祢寺のある山全体を包もうかというほどの爆音である。

 体の中までバラバラと低く響き、むしろこの音量の中で眠りについていた自分を褒めたいと思うほどであるが、そんな音が部屋の外から鳴り響いていた。

 そして、その音にうながされるように周りでドタバタはしゃぐ烙示たちの姿も視界に入ってきた。


「いやっほう! ヘリコプター来たぁ! ヘリコプター! おーい! こっちだぁー!」

「落ち着きなさい、烙示! あなたが暴れるとその辺の精霊たちもざわついてしまいます! ちょっ……押さえてくださいっ! あぁっ! ほら見なさいっ! 興奮した風の精霊たちがいたずらで突風をっ!」

「大丈夫だって! よく見ろ! ありゃ軍用の攻撃ヘリだ。そこらへんのヘリより立派な飛行制御システムが……ほら見ろ!

 立て直した立て直した! うぉぉすげぇっ! なぁ? 攻撃してみようぜ!

 もしかすると、あれなら俺がここから全力で攻撃しても大丈夫じゃね? ほら、俺だったら攻撃力弱いし!」


 というか知らない間に部屋のふすまが全て全開にされており、そこから見える庭先で烙示が元気にぐるぐる回っていた。

 というか礼から見える烙示と鎖羽の姿が、先ほどまで礼の精神が存在した『別世界』の姿と同様に、はっきりと見えるようになっていた。


(なるほど……じゃあ)


 どうやら『儀式』とやらは成功したようである。


(いや、そうじゃなくて)


 この思考だけで礼の疑問が満たされるわけがない。

 部屋のふすまが全て開け放たれている点と、いつの間にか外が真っ暗になっている点。そして、そもそもこんな山奥の寺に軍用ヘリが3機も訪れ、そのうちの1機が何故か着陸態勢に入っている点。

 さらには鎖羽の口から洩れた『風の精霊たち』とやらの存在と、それらが烙示たちの気配に触発されるように起こしたという突風。

 最後に、烙示の口から放たれた『攻撃』という物騒な発言――


 諸々についていろいろと問い正したいと思った礼であるが、さすがにわからない点が多すぎたため、礼は(最近、こういうの多いなぁ)とか思いつつ、寿原の差し出した手を握る。

 体を起こされながら首をぶんぶんと左右に振り、意識がはっきりしたことを確認した礼は寿原の手を借りる形で立ち上がった。

 そして庭を駆け回る烙示を一喝する。


「烙示っ! はしゃぎ過ぎだから! 少し落ち着いて!」


 ぐっ!


 礼の言葉を受け、烙示が急遽動きを止める。

 その体の動きがあまりに強引だったため、烙示のいる方向から苦しそうとも痛そうとも思われる低い声が聞こえてきた。

 礼はその時の烙示の過剰すぎる反応に違和感を感じつつ、同時に自身の声からも違和感を感じ取る。


(声が……重なった?)


 普段、発声と同時に自身の耳から聞こえてくる自分の声が、礼の耳の中で2つに重なった感覚。


 1つはいつも通りの礼の声。そしてもう1つは――?


(なんだ? 今の……)


 これも礼の声に違いはないが、その感覚は今までに認識したことのない不思議な声であった。


(気のせいかな……?)


 次は試しに喉に手を当て、先ほどと同様の声量で叫んでみる。


「あーーーーっ!」


 その声も違和感たっぷりの声質であり、困った礼は腕を組みながら首をかしげる。


(んー……?)


 その時、礼の少し後ろに立っていた寿原が話しかけてきた。


「おい。あまり声を荒げるな。今はまだ儀式の影響が残ってるから、お前の霊気が荒れてるんだ。烙示が怪我するぞ」


 しかし礼はその言葉に反応を示さず、視線のみを烙示たちに向ける。


(ちょっと低い声が混じってる? いや、そうじゃなくて、なんか変なのが混じってる感じ……烙示の声? 鎖羽の声? いや、絶対違う。なんだろ……?)


 考え込むこと十数秒。礼は違和感の原因に到達した。


(うーん……音じゃないかも……)


「あー……あー……」


(音じゃないな。なんかこう……変なよどみが声と一緒に出てる感じ。空気のよどみみたいな……それに)


 ただ声を出しただけなのに、体中の力が肺の中の空気と一緒に口から抜け出る感じ。力が抜けると言っても礼が立っていられなくなるほどの脱力感ではないが、その感覚は間違いではない。

 さらには、発声によって生み出される礼の声が礼の感覚を乗せたまま周囲に広がり、その波が烙示にぶつかった時の衝撃も礼の体でもはっきりと感じ取ることが出来たという。

 この点については元々持っていた霊感によって街中の霊体を補足している時の感覚にも似ているが、その時と同じとは思えないほどはっきりと伝わってくる感覚の強さは、全身に熱湯を浴びせられたかのような激しい刺激であった。


(全身の皮膚が眼になった気持ちだな……少し怖いけど……)


 その時、烙示本人の感情や痛みも少し遅れて礼の感覚に伝わり、礼は驚いたような声を発する。


「痛っ!」

「大丈夫か? お前の性質が六憐のと同じなら、慣れるまで大きな声は上げるな。感情もできるだけ押さえとけ」


 寿原の声が背後から聞こえ、しかしながらその内容は疑問に満ちた今の礼の心境を改善するものではなかったため、礼はさらに複雑そうな表情を浮かべる。


(父ちゃんの? はぁ?)


 結局、頭がパンク寸前になってしまった礼は考えることを止め、ゆっくりと振り返る。後ろにいた寿原に視線を向け、短い言葉で問いかけた。


「わかった。んで……」


 忘れてはならない。

 礼の目の前では今もなおヘリコプターが激音をまき散らしながら、地面との距離を縮めているところである。


 いや、ヘリコプターの高度が2メートル弱になったあたりで、機体の中から制服を着た人物が数名飛び降り、こちらに向かって駆け足で近寄って来ていた。

 彼らの動きが物々しい様子だったため、不安を覚えた礼は寿原の顔を伺う。


(うーん……じゃあ……でも……)


 しかしながら、寿原が警戒している様子を見せていなかったので、礼もヘリコプターから下りてきた人物たちに対して警戒心を持つ必要性がないことを理解し、強張っていた体中の筋肉を緩める。

 とりあえずは目の前の状況について、寿原に質問してみることにした。


「あのヘリなに? あの人だれ? つーか、なんで外暗くなってるの? 俺そんなに長い時間意識失ってた?」


 しかし、その答えは寿原が放ったものとしては珍しいほどにシンプルであり、しかしながらいつものように礼の頭を混乱させる類のものであった。


「お前が寝てたのは1日ちょっと。だから外は暗い。それで、あいつらは分家の人間だ。ヘリは自衛隊の持ち物。お前を迎えに来た。これから俺らは小幡たちの援護に向かう。お前も戦力だからな? お前の母ちゃんの許可もとってある。

 さぁ、初陣だ! 気合い入れろ!」



 ……



 ……



「はぁ?」



 結局、疑問が疑問を呼ぶ形で礼の頭は混乱の極みに達する。

 そんな礼の気持ちもむなしく、一同を乗せたヘリコプターは金沢に向けて出発してしまった。



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