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第11話 パニックの雨あられ


 木々が周りを生い茂り、それらの枝が容赦なく襲い来るいささか乱暴な移動の途中、礼は烙示の背中にぴったりとしがみついていた。


(速いぃーー……! 速すぎぃーー……!)


 風を切る様子は迫力満点。しかしながら、しなやかに森林を走る烙示の身体能力により、背中から伝わる振動や衝撃の類は限りなく小さい。

 つまるところ烙示の乗り心地はまさに高級車並みのクオリティであり、安心感はばっちし。かつ遊園地のアトラクションによく似た雰囲気を持っていたため、礼は高揚感すら覚え始めていた。


(でも……ちょっと楽しい!)

(そうか? じゃあ、もう少し速度をあげてやろう)


 礼の興奮に烙示が反応し、森林を駆ける足を速める。

 次の瞬間、体に大きな浮遊感が襲いかかり、礼は思わず声を出してしまった。


「うおっ!」

(ん? 大丈夫か? 少し跳んだだけだから、安心しろ)

(うん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ……でも……)


 礼は手足の感覚に意識を向け、不思議そうな表情を浮かべる。


(なんだ? この感覚……)


 先ほど、おそらくは十数メートルの高さから飛び降りたであろう烙示の動き。

 手綱もないこの状況において烙示がそのような激しい動きをしてしまったならば、礼の体は烙示の背中から引き離されていただろう。

 しかしながらこの時の礼の手足は不思議な力で烙示の体に強く吸着しており、礼が烙示の背中から落ちることはなかった。


(いや、でも……)


 試しに烙示の体毛を握る右手の握力を弱め、その腕を烙示の体から離そうとしてみると、礼の意志に呼応するように不可思議な吸着力の感覚が一気に弱まり、結果、礼の右腕は自由に動かせるようになる。


(強制的に吸着させられてるわけでもないんだよね。変な力……なんだこれ?)


 おそらくこれも烙示の能力だと思われるが、どうやら磁石のような力により、礼は思うがままに烙示の体に付いたり離れたりできるらしい。

 そこまでなんとなく理解し、礼は再び右手を烙示の体にしがみつく形でくっつける。両手両足を離した後に胸部と腹部の吸着力のみで烙示の背中に乗り続けることができるかという、にわかに湧いた疑問と好奇心を必死に押さえ込みつつ――


(いや、両手両足離したら普通に落ちる……そんな……ふざけてる場合じゃない……)


 もちろん、礼が余計なことを考えてる間も烙示は高速移動中である。いろいろと差し迫ったこの状況では、落馬(落犬)の可能性は少しでも低くしておいた方がいいので、危険な実験は後に取っておくことにした。


(なんだ……試しにやってみろよ。『初めての任務は開始30秒で地面に叩きつけられました』みたいな感じで、後々いい思い出になるんじゃね?)


 その時、礼の思考過程の全てを心の声として聞いていた烙示が物騒なことを言ってきたので、礼は鋭い目つきで烙示の背中を睨んだ。

 そして右腕を再び烙示の体から離しつつ、今度は加速をくわえて吸着させた。


 ごんっ!


「ぐおっ!」


(嘘つくな。俺がほんとに落ちたら、思い出どころか俺のこと一生バカにするつもりじゃん? その悪い感情、俺にはっきり伝わってるから)

(くっ、この力のデメリットが……いや、そうじゃなくて……それ、ただのボディブローだから……げほっ)

(うるさい。黙って走って)


 もちろんこれにて烙示の心は沈黙。

 礼もこの不思議な力に対する分析は終わりにし、次の興味を鎖羽に向けることにした。


(鎖羽?)

(どうしました?)


 次の興味の対象は、烙示の後ろ3メートルの距離をきっちり保ちながらついて来ていた。


(鎖羽の能力ってどういう感じなの? 今のうちに軽く見せて。その……『幻』ってやつを)

(わかりました。もうすぐ目的地ですけど、本番で驚かないように雰囲気だけでも今のうちに軽くご披露しておきましょう!)


 鎖羽の声が少しだけ機嫌の好さそうなものに変わり、同時に鎖羽の気配が礼と烙示を包み込む。次の瞬間、礼と烙示の周囲が明るく輝き始めた。


(うぉぉぉっ!! すごいっ!)


 最初は無数にはばたく蝶の群れからコウモリの群れの映像。

 そして真夜中にも関わらず光を反射する静かな水面が映し出され、虹色に輝くファンタジースカイビューへ。

 それだけでは飽き足らず、綺麗な夜景やら昔懐かしい田舎の光景やら、パソコンの壁紙に使えそうなおしゃれなデザインの空間などなど。―


(生き物バージョンはもっとあるんです)


 そして鎖羽は哺乳類各種と鳥類・昆虫類各種が視界を埋め尽くすパターンをご披露し、次に烙示とその背中にしがみつく礼の姿を鏡のごとく映し出す。最後に、その礼の姿が血しぶきを上げて絶命する笑えないシーンまで作り出し、鎖羽のミラクルショーは終了した。


(これが私の力です。多種多様な幻で敵を惑わす。あっ、一応三3D機能が標準装備です。画素数は無限で、応答速度も調子いい時は1.5msec(ミリ毎秒)。ふっふっふ! コントラスト、視野角、表示色。あらゆるスペックにおいて、私の能力は他社の追随を許しませんっ! さぁっ! 4K有機ELテレビよっ、かかってきなさい!)


 そして鎖羽は最後の最後にわけのわからない主張をしつつ、礼の周りはもとの透明な空間に戻る。


(うしっ、わかった! 後は……)


 鎖羽のおかしなテンションに一瞬だけ気を緩められてしまった礼は2、3度頭を横に振り、ゆっくりと深呼吸して心を落ち着かせた。



(俺の出来次第……)



 自分がしがみついている犬の精霊と、その周りを自由に動き回る蛟の精霊。

 彼らの落ち着きようといい、車を降りた瞬間に見せた迷いのない動き出しといい、この2匹はこういった戦いを数多くこなしてきた専門家に違いないはず。いや、他の人物がちょくちょく漏らしていたこの2体に対する評価を統合するならば、百戦錬磨の達人レベルといってもいいだろう。

 しかしそんな烙示と鎖羽に与えられた役目は『回避』と『陽動』の2つだけ。これらの行動だけではいつまでたっても敵を倒すことはできず、そこに『攻撃』という行為が必要となってくるのは明白である。


(どんなのと戦うのか、敵の姿も全然わかってないけど……俺が……)


 そして礼は頭を上げる。

 烙示の背中から伝わる衝撃が少し弱まったことで、移動速度が低下したことを知る。と同時に烙示と鎖羽の警戒心が上昇したことで、自分たちが目的の地点に近づいたということを理解した。


(俺がやる)


 礼は責任感のようなものを再認識しつつ、頭を上げた。



「小幡さん!」


 場所は少し開けた山の峰。木々の茂りがわずかに開けた場所の中心で、礼は地面に膝をついている小幡の姿をとらえた。さらには小幡の正面わずか数メートル離れたところに立つ、おぞましい姿の霊体にも気づいた。


「大丈夫!?」


 その時、ちょうど烙示が小幡の脇に並ぶ形で停止したため、礼は警戒心を視線にのせて敵に向けつつ、視界の隅で小幡の状態を観察した。


(うーん……怪我してるわけじゃなさそう)


 今現在、小幡は土下座のような体勢になっているが、しかしながらこの体勢の小幡から感じる威圧感は、追い詰められている側のものではない。


(自分でそういう体勢になってるだけかな)


 なんとなくそう思っただけではあるが、案の定、礼たちの登場に気づいた小幡から軽快な口調の答えが返ってきた。


「おーう。礼か……?」

「うん。そんで、こいつが敵?」

「意外と速かったなぁ……いや、ここに来る移動速度じゃなくて……実戦デビューがな! 可哀そうに!」

「ん……? うん、確かに。突然だったし、他の人がどれぐらいかかるのかわかんないけど……でも、そんなことどうでもいいじゃん。

 んで、こいつが敵?」


 なぜか小幡が礼の最初の質問を綺麗に無視したため、礼が少しだけいらだってしまったが仕方ない。

 戦闘加入と同時に乱戦のようなものを覚悟していた礼であるが、そんな礼たちの登場にもほとんど反応を示さない敵に違和感を感じつつ、礼は小幡から放たれる1つの気配に気づく。


(すげぇ……何、この霊気……? 小幡さん……から?)


 小幡の両手から放出され、周囲の地面からにじみ出ている霊気。もともと生まれつき霊感の備わっていた礼にとっても少し恐怖を感じてしまうほどのこの気配は、街中で知り合った悪霊や、烙示や鎖羽と初めて会った時に受けた圧迫感にも似たものである。


 それは人間が放つものとは到底考えられないものであり、『邪気を帯びている』と言ってもいいほどおぞましい気配であった。


「ふっ、儀式は上手くいったようだな」


 そのような霊気を放ちながらも、小幡がやっぱり世間話のような雰囲気で話しかけてきたため、礼はこのシュールな状況にまたまた違和感を感じつつも言葉を返す。


「うん。上手くいったのかよくわかんないけど……それで、この状況は?」


 礼たちの前で微動だにせずに立ち尽くす悪霊のようなもの。

 その気配も小幡に匹敵するほどの威圧感と果てしない攻撃性を持っており、今すぐにでも襲いかかってきそうな雰囲気が低い唸り声とともにびんびん伝わってきていた。


(うーん……)


 しかし、敵はやはりなんの動きを見せない。

 まったく動こうとしない霊体と、その目の前で地面に手をついている小幡。

 どう考えても『バトル』をしている感じではなく、むしろお互い対面したまま自己紹介を行っているような雰囲気である。とはいえこの状況にも何らかの理由があるだろうと思い、礼はあらためて周りを観察した。


「ん?」


 そして礼はさらにもう1つの事実に気づく。

 小幡の両手から放たれる霊気が地面を経由して敵の足に届き、そのままの流れで敵の体を包んでいる感じ。


「小幡さん。もしかして……うーん。小幡さんがこの人の動きを止めてる?」


 その言葉に、小幡が少し笑いながら答えた。


「『この人』ってか……すげぇな、お前。この化けもん目の前にして、これを『人』って言い切れるのか?」

「え? あ、いや……なんとなくだけど……この人、なんか人間っぽいって思っただけ」

「いや、人の形をしてはいるが……この気配は人間の霊が出せるもんじゃねぇよ」

「そうなんだぁ」

「あぁ……そういうもんだ」

「へぇー」


 そして2人仲良く、納得の表情を浮かべ……


 ……


「お前らバカか? 何ぼけーっとしてんだ!? 茶ぁ飲んでんじゃねぇんだぞ! 本当にバカなのか!?」


 烙示のきつーいツッコミにより、礼と小幡は我に返る。


「あ、あぁ。うん……うん。そうだ。そうだぞ。俺が今、こいつの動きとめてんだ。

 やっとの思いで一匹捕まえたんだが、こいつらやたら速くてよ。

 んで他の奴らにとどめ差してもらいたかったんだけど、俺がこいつ捕まえた時には他の連中が山ん中に散らばっちゃってたからどうしようもなくてさ。だから援軍要請出して……そんでお前らが来たってとこ」


 小幡が少しだけ慌てた感じで状況を伝え、と同時に礼の脳内に烙示の思考が響いた。


(小幡の特技は『束縛』と『防御』だ。こいつが敵の足を止めて、山県と馬場が攻撃するのがいつものやり方なんだ。だが甲斐のやつらも高田の奴らも、それと上田の連中も他の敵との交戦で手いっぱい。だから、こいつだけここに置いてかれたんだろうな。いわゆる均衡状態ってわけだ)


 それを聞き、礼は音声と思考の両方に同時に答える。


「へぇ。それじゃ、俺がこの人倒せばいいってこと?」


 その言葉に小幡と烙示、そしてすでに一同の周囲に幻を振りまいていた鎖羽がにやりと笑う。


「あぁ。そんな感じだ。いきなりだけど、すまんな」

「うん。それじゃ……」


 そして礼は軽く息を吸い――


「ちょっと待てっ! 礼!? まだ打ち合わせは終わってねぇ!」


 言葉を発しようとした瞬間に、烙示があわてて止めに入ってきた。


「ん?」

「つーかお前、今『消えろ』って叫ぼうとしなかったか? さっき寿原に気をつけろって言われただろ!? 小幡のこと殺す気か!? このバカ!」

「いや、そんなわけないじゃん。でも……烙示たちが大丈夫だったんだから、小幡さんも大丈夫でしょ?」

「あぁ、やっぱりバカ……これだからバカは……礼。いいか? 俺らは今来たばっかりだし、そもそも俺たちは精霊としての格も高いからお前の『言葉』に耐えられるんだ。

 もちろん小幡も万全の体調でしっかり準備すれば耐えられる。だけど今の小幡は話が違うだろ?」


「あっ……」


 目の前の小幡は平静さこそ保っているものの、昨夜の晩からおそらく一睡もせずにこの体勢を維持し続けている人物であり、さらにはその期間ずっとおぞましい霊気を放ち続けていた。

 そんな小幡が礼の『言葉』に耐えられる可能性は低く、たとえ礼の意識が目の前の悪霊に向いていたとしても、彼が巻き添えを受けて死ぬ可能性だって十分考えられることであった。


「ちょ……待て。烙示? もしかして礼の力って……もう六憐さんレベル……なのか……?」


 一瞬遅れて小幡が事の重大さに気づき、怯えた様子で礼たちのことを見つめる。


「いや、6~7割ってところかな。どうする? 小幡、お前も試してみるか?」

「ちょっと待てよっ! それだと確実に俺死ぬわ! つーか絶好調でも俺死ぬわ!

 ふざけんな! おいッ、礼? ちょっと待ってくれっ! 俺はすぐにこの場から消えるから! 先に他のやつら手伝いに行ってるから!

 俺が手ぇ離したらこいつ暴れるだろうけど、俺がお前の声聞こえなくなるところまで移動するまで、なんとか頑張って……ん?」


 ここで一瞬、小幡が言葉を詰まらせる。台詞の最後に小幡が1つの疑問にぶつかったらしいが、その心境を察した烙示が即座に口を開いた。


「いや、大丈夫だ。そのために俺と鎖羽が来たんだから。こいつの身は俺らが守る。だからお前は合図とともに術を解除して、ここからいなくなれ。しばらくは鎖羽の術でお前もフォローするから、こいつの追撃とか考えずに一直線に逃げろ」


 そして烙示は再び心の声に切り替えて礼に話しかける。


(そういうわけだ。わかったか?)

(うん。わかった)


 礼は深くうなづき、敵に意識を向ける。


「えぇ、そうですよ。小幡さん。というか、私たちは最初からそのつもりでここに来たんですからね。

 私なんてほら! すでにあなたの幻影をたくさん作りました! この輩は私たちで始末しますので、あなたは他の皆さんの援護に向かってください」


 こちらの言葉を理解しているのか、敵がここで唸り声を大きくし始めたが、しばらく沈黙していた鎖羽が急に会話に割って入り、と同時に小幡の姿を幾十と空間に映し出す。

 礼たちの周りが小幡の姿で埋まり、それを確認した烙示が再び口を開いた。


「小幡? お前は坂月たちのところに行け。俺らはこいつをやった後、山県たちのところに行く」

「ん? いや、烙示? 俺が山県たちのところに合流した方がよくないか? いつものメンバーだし。連携とれるし。

 それと坂月君たちも苦労してるだろうから、あそこには礼を付けてやってくれ。

 俺も他の連中も坂月さんたちと一緒に戦ったことはねぇし、連携って意味じゃあの人たちにとっては俺も礼も変わりねぇ」


 もちろん小幡は山県や馬場と普段から一緒に任務をこなす仲であり、新参者の礼と違ってすぐにでも質の高い連携を発揮することができる。

 かつ、今はそれぞれの戦場が均衡を保っているため、小幡を山県たちの救援に向かわせることでその戦場を一気に片づけ、次に連携の取りやすい高田勢力、そして最後に上田勢力の順番に増援をこなしていくのが望ましい状況であった。


 しかし寿原の発言に対して、烙示が顔を曇らせた。


「いや、『西呀』の動きが怪しいんだ。おそらく礼の力を見たがっている」


 そして、何かに気づいた小幡も瞳を鋭く光らせた。


「なるほど……それで寿原さんを飛び越えて、いきなり礼がここに……じゃあ、なおさらだな」

「ん? なんか知ってんのか?」

「いや、この戦いが始まってすぐに、向こうの指揮系統からありえねぇ邪魔が入ったんだ。

 邪魔っつーかミスっつーか……いや、邪魔する気がバレバレだったけど……そのせいで敵を分散させてしまって、俺もこのざま……。

 坂月君たちも驚いてたからなぁ……彼らも騙された口か……烙示? お前の言葉で全部が綺麗に繋がったよ」


「ふっ。そうか……だいぶきな臭くなってきたな。小幡? お前も気をつけろ」

「あぁ……それじゃ、そろそろいくか。頼むぞ、鎖羽?」


 烙示と小幡が物騒な会話を済ませ、その後、それぞれが別れの挨拶を交わす。


「えぇ。お気をつけて」

「あと、礼? がんばれよ」

「うん」


 周囲の空気が一気に張り詰め、次の瞬間、小幡が呪文のようなものを小さくつぶやいた。




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